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田舎の時計他十二篇(いなかのとけいほかじゅうにへん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-23 9:14:52 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 


 詩人の死ぬや悲し

 ある日の芥川龍之介が、救ひのない絶望に沈みながら、死の暗黒と生の無意義について私に語つた。それは語るのでなく、むしろ訴へてゐるのであつた。
 「でも君は、後世に残るべき著作を書いている。その上にも高い名声がある。」
 ふと、彼を慰めるつもりで言つた私の言葉が、不幸な友を逆に刺戟(しげき)し、真剣になつて怒らせてしまつた。あの小心で、羞(はに)かみやで、いつもストイツクに感情を隠す男が、その時顔色を変へて烈(はげ)しく言つた。
 「著作? 名声? そんなものが何になる!」
 独逸(ドイツ)のある瘋癲(ふうてん)病院で、妹に看病されながら暮して居た、晩年の寂しいニイチエが、或る日ふと空を見ながら、狂気の頭脳に記憶をたぐつて言つた。――おれも昔は、少しばかりの善い本を書いた! と。
 あの傲岸(ごうがん)不遜(ふそん)のニイチエ。自ら称して「人類史以来の天才」と傲語したニイチエが、これはまた何と悲しく、痛痛しさの眼に沁(し)みる言葉であらう。側に泣きぬれた妹が、兄を慰める為(ため)に言つたであらう言葉は、おそらく私が、前に自殺した友に語つた言葉であつたらう。そしてニイチエの答へた言葉が、同じやうにまた、空洞(うつろ)な悲しいものであつたらう。
 「そんなものが何になる! そんなものが何になる!」
 ところが一方の世界には、彼等と人種のちがつた人が住んでる。トラフアルガルの海戦で重傷を負つたネルソンが、軍医や部下の幕僚(ばくりよう)たちに囲まれながら、死にのぞんで言つた言葉は有名である。「余は祖国に対する義務を果たした。」と。ビスマルクや、ヒンデンブルグや、伊藤博文や、東郷(とうごう)大将やの人人が、おそらくはまた死の床で、静かに過去を懐想しながら、自分の心に向つて言つたであらう。
 「余は、余の為(な)すべきすべてを尽した。」と。そして安らかに微笑しながら、心に満足して死んで行つた。
 それ故(ゆえ)に諺(ことわざ)は言ふ。鳥の死ぬや悲し、人の死ぬや善(よ)しと。だが我我の側の地球に於(おい)ては、それが逆に韻律され、アクセントの強い言葉で、もつと悩み深く言ひ換へられる。
 ――人の死ぬや善し。詩人の死ぬや悲し!(『行動』1934年11月号)



 群集の中に居て


      群集は孤独者の家郷である。ボードレエル

 都会生活の自由さは、人と人との間に、何の煩瑣(はんさ)な交渉もなく、その上にまた人人が、都会を背景にするところの、楽しい群集を形づくつて居ることである。
 昼頃になつて、私は町のレストラントに坐つて居た。店は賑(にぎ)やかに混雑して、どの卓にも客が溢(あふ)れて居た。若い夫婦づれや、学生の一組や、子供をつれた母親やが、あちこちの卓に坐つて、彼等自身の家庭のことや、生活のことやを話して居た。それらの話は、他の人人と関係がなく、大勢の中に混つて、彼等だけの仕切られた会話であつた。そして他の人人は、同じ卓に向き合つて坐りながら、隣人の会話とは関係なく、夫夫(それぞれ)また自分等だけの世界に属する、勝手な仕切られた話をしやべつて居た。
 この都会の風景は、いつも無限に私の心を楽しませる。そこでは人人が、他人の領域と交渉なく、しかもまた各人が全体としての雰囲気(ふんいき)(群集の雰囲気)を構成して居る。何といふ無関心な、伸伸(のびのび)とした、楽しい忘却をもつた雰囲気だらう。
 黄昏(たそがれ)になつて、私は公園の椅子に坐つて居た。幾組もの若い男女が、互に腕を組み合せながら、私の坐つてる前を通つて行つた。どの組の恋人たちも、嬉(うれ)しく楽しさうに話をして居た。そして互にまた、他の組の恋人たちを眺め合ひ、批判し合ひ、それの美しい伴奏から、自分等の空にひろがるところの、恋の楽しい音楽を二重にした。
 一組の恋人が、ふと通りかかつて、私の椅子の側に腰をおろした。二人は熱心に、笑ひながら、羞(はに)かみながら嬉しさうに囁(ささや)いて居た。それから立ち上り、手をつないで行つてしまつた。始めから彼等は、私の方を見向きもせず、私の存在さへも、全く認識しないやうであつた。
 都会生活とは、一つの共同椅子の上で、全く別別の人間が別別のことを考へながら、互に何の交渉もなく、一つの同じ空を見てゐる生活――群集としての生活――なのである。その同じ都会の空は、あの宿なしのルンペンや、無職者や、何処(どこ)へ行くといふあてもない人間やが、てんでに自分のことを考へながら、ぼんやり並んで坐つてる、浅草公園のベンチの上にもひろがつて居て、灯(ひ)ともし頃の都会の情趣を、無限に侘(わび)しげに見せるのである。
 げに都会の生活の自由さは、群集の中に居る自由さである。群集は一人一人の単位であつて、しかも全体としての綜合(そうごう)した意志をもつてる。だれも私の生活に交渉せず、私の自由を束縛しない。しかも全体の動く意志の中で、私がまた物を考へ、為(な)し、味(あじわ)ひ、人人と共に楽しんで居る。心のいたく疲れた人、思い悩みに苦しむ人、わけても孤独を寂しむ人、孤独を愛する人によつて、群集こそは心の家郷、愛と慰安の住家である。ボードレエルと共に、私もまた一つのさびしい歌を唄はう。――都会は私の恋人。群集は私の家郷。ああ何処までも、何処までも、都会の空を徘徊(はいかい)しながら、群集と共に歩いて行かう。浪の彼方(かなた)は地平に消える、群集の中を流れて行かう。(『四季』1935年2月号)



 虚無の歌


     我れは何物をも喪失せず
     また一切を失ひ尽せり。「氷島」

 午後の三時。広漠とした広間(ホール)の中で、私はひとり麦酒(ビール)を飲んでた。だれも外に客がなく、物の動く影さへもない。煖炉(ストーブ)は明るく燃え、扉(ドア)の厚い硝子(ガラス)を通して、晩秋の光が侘(わび)しく射(さ)してた。白いコンクリートの床、所在のない食卓(テーブル)、脚の細い椅子の数数。
 ヱビス橋の側(そば)に近く、此所の侘しいビヤホールに来て、私は何を待つてるのだらう? 恋人でもなく、熱情でもなく、希望でもなく、好運でもない。私はかつて年が若く、一切のものを欲情した。そして今既に老いて疲れ、一切のものを喪失した。私は孤独の椅子を探して、都会の街街(まちまち)を放浪して来た。そして最後に、自分の求めてるものを知つた。一杯の冷たい麦酒(ビール)と、雲を見てゐる自由の時間! 昔の日から今日の日まで、私の求めたものはそれだけだつた。
 かつて私は、精神のことを考へてゐた。夢みる一つの意志。モラルの体熱。考へる葦(あし)のをののき。無限への思慕。エロスへの切ない祈祷(いのり)。そして、ああそれが「精神」といふ名で呼ばれた、私の失はれた追憶[#「失はれた追憶」に二重丸傍点]だつた。かつて私は、肉体のことを考へて居た。物質と細胞とで組織され、食慾し、生殖し、不断にそれの解体を強ひるところの、無機物に対して抗争しながら、悲壮に悩んで生き長らへ、貝のやうに呼吸してゐる悲しい物を。肉体!ああそれも私に遠く、過去の追憶にならうとしてゐる。私は老い、肉慾することの熱を無くした。墓と、石と、蟾蜍(ひきがえる)とが、地下で私を待つてるのだ。
 ホールの庭には桐(きり)の木が生(は)え、落葉が地面に散らばつて居た。その板塀(いたべい)で囲まれた庭の彼方(かなた)、倉庫の並ぶ空地(あきち)の前を、黒い人影が通つて行く。空には煤煙(ばいえん)が微(かす)かに浮び、子供の群集する遠い声が、夢のやうに聞えて来る。広いがらん[#「がらん」に傍点]とした広間(ホール)の隅で、小鳥が時時囀(さえず)つて居た。ヱビス橋の側に近く、晩秋の日の午後三時。コンクリートの白つぽい床、所在のない食卓(テーブル)、脚の細い椅子の数数。
 ああ神よ! もう取返す術(すべ)もない。私は一切を失い尽した。けれどもただ、ああ何といふ楽しさだらう。私はそれを信じたいのだ。私が生き、そして「有る」ことを信じたいのだ。永久に一つの「無」が、自分に有ることを信じたいのだ。神よ! それを信じせしめよ。私の空洞(うつろ)な最後の日に。
 今や、かくして私は、過去に何物をも喪失せず、現に何物をも失はなかつた。私は喪心者のやうに空を見ながら、自分の幸福に満足して、今日も昨日も、ひとりで閑雅な麦酒(ビール)を飲んでる。虚無よ! 雲よ! 人生よ。(『四季』1936年5月号)



 虫

 或る詰らない何かの言葉が、時としては毛虫のやうに、脳裏の中に意地わるくこびりついて、それの意味が見出される迄、執念深く苦しめるものである。或る日の午後、私は町を歩きながら、ふと「鉄筋コンクリート」といふ言葉を口に浮べた。何故にそんな言葉が、私の心に浮んだのか、まるで理由がわからなかつた。だがその言葉の意味の中に、何か常識の理解し得ない、或る幽幻な哲理の謎(なぞ)が、神秘に隠されてゐるやうに思はれた。それは夢の中の記憶のやうに、意識の背後にかくされて居り、縹渺(ひようびよう)として捉へがたく、そのくせすぐ目の前にも、捉(とら)へることができるやうに思はれた。何かの忘れたことを思ひ出す時、それがつい近くまで来て居ながら、容易に思ひ出せない時のあの焦燥。多くの人人が、たれも経験するところの、あの苛苛(いらいら)した執念の焦燥が、その時以来憑(つ)きまとつて、絶えず私を苦しくした。家に居る時も、外に居る時も、不断に私はそれを考へ、この詰らない、解りきつた言葉の背後にひそんでゐる、或る神秘なイメ-ヂの謎を摸索(もさく)して居た。その憑き物のやうな言葉は、いつも私の耳元で囁(ささや)いて居た。悪いことにはまた、それには強い韻律的の調子があり、一度おぼえた詩語のやうに、意地わるく忘れることができないのだ。「テツ、キン、コン」と、それは三シラブルの押韻(おういん)をし、最後に長く「クリート」と曳(ひ)くのであつた。その神秘的な意味を解かうとして、私は偏執狂のやうになつてしまつた。明らかにそれは、一つの強迫観念にちがひなかつた。私は神経衰弱病にかかつて居たのだ。
 或る日、電車の中で、それを考へつめてる時、ふと隣席の人の会話を聞いた。
 「そりや君。駄目(だめ)だよ。木造ではね。」
 「やつぱり鉄筋コンクリートかな。」
 二人づれの洋服紳士は、たしかに何所(どこ)かの技師であり、建築のことを話して居たのだ。だが私には、その他の会話は聞えなかつた。ただその単語だけが耳に入つた。「鉄筋コンクリート!」
 私は跳(と)びあがるやうなショツクを感じた。さうだ。この人たちに聞いてやれ。彼等は何でも知つてるのだ。機会を逸するな。大胆にやれ。と自分の心をはげましながら
 「その……ちよいと……失礼ですが……。」
 と私は思ひ切つて話しかけた。
 「その……鉄筋コンクリート……ですな。エエ……それはですな。それはつまり、どういふわけですかな。エエそのつまり言葉の意味……といふのはその、つまり形而上(けいじじよう)の意味……僕はその、哲学のことを言つてるのですが……。」
 私は妙に舌がどもつて、自分の意志を表現することが不可能だつた。自分自身には解つて居ながら、人に説明することができないのだつた。隣席の紳士は、吃驚(びつくり)したやうな表情をして、私の顔を正面から見つめて居た。私が何事をしやべつて居るのか、意味が全(まる)で解らなかつたのである。それから隣の連(つれ)を顧み、気味悪さうに目を見合せ、急にすつかり黙つてしまつた。私はテレかくしにニヤニヤ笑つた。次の停車場についた時、二人の紳士は大急ぎで席を立ち、逃げるやうにして降りて行つた。
 到頭或る日、私はたまりかねて友人の所へ出かけて行つた。部屋に入ると同時に、私はいきなり質問した。
 「鉄筋コンクリートつて、君、何のことだ。」
 友は呆気(あつけ)にとられながら、私の顔をぼんやり見詰めた。私の顔は岩礁(がんしよう)のやうに緊張して居た。
 「何だい君。」
 と、半ば笑ひながら友が答へた。
 「そりや君。中の骨組を鉄筋にして、コンクリート建てにした家のことぢやないか。それが何うしたつてんだ。一体。」
 「ちがふ。僕はそれを聞いてるのぢやないんだ。」
 と、不平を色に現はして私が言つた。
 「それの意味なんだ。僕の聞くはね。つまり、その……。その言葉の意味……表象……イメーヂ……。つまりその、言語のメタフイヂツクな暗号。寓意(ぐうい)。その秘密。……解るね。つまりその、隠されたパズル。本当の意味なのだ。本当の意味なのだ。」
 この本当の意味と言ふ語に、私は特に力を入れて、幾度も幾度も繰返した。
 友はすつかり呆気に取られて、放心者のやうに口を開きながら、私の顔ばかり視(み)つめて居た。私はまた繰返して、幾度もしつツこく質問した。だが友は何事も答へなかつた。そして故意に話題を転じ、笑談に紛らさうと努め出した。私はムキになつて腹が立つた。人がこれほど真面目(まじめ)になつて、熱心に聞いてる重大事を、笑談に紛らすとは何の事だ。たしかに、此奴は自分で知つてるにちがひないのだ。ちやんとその秘密を知つてゐながら、私に教へまいとして、わざと薄とぼけて居るにちがひないのだ。否、この友人ばかりではない。いつか電車の中で逢(あ)つた男も、私の周囲に居る人たちも、だれも皆知つてるのだ。知つて私に意地わるく教へないのだ。
 「ざまあ見やがれ。此奴等!」
 私は心の中で友を罵(ののし)り、それから私の知つてる範囲の、あらゆる人人に対して敵愾(てきがい)した。何故に人人が、こんなにも意地わるく私にするのか。それが不可解でもあるし、口惜しくもあつた。
 だがしかし、私が友の家を跳び出した時、ふいに全く思ひがけなく、その憑き物のやうな言葉の意味が、急に明るく、霊感のやうに閃(ひら)めいた。
 「虫だ!」
 私は思はず声に叫んだ。虫! 鉄筋コンクリートといふ言葉が、秘密に表象してゐる謎の意味は、実にその単純なイメーヂに過ぎなかつたのだ。それが何故に虫であるかは、此所(ここ)に説明する必要はない。或る人人にとつて、牡蠣(かき)の表象が女の肉体であると同じやうに、私自身にすつかり解りきつたことなのである。私は声をあげて明るく笑つた。それから両手を高く上げ、鳥の飛ぶやうな形をして、嬉(うれ)しさうに叫びながら、町の通りを一散に走り出した。(『文藝』1937年1月号)



 貸家札

 熱帯地方の砂漠(さばく)の中で、一疋の獅子(しし)が昼寝をして居た。肢体(したい)をできるだけ長く延ばして、さもだるさうに疲れきつて。すべての猛獣の習性として、胃の中の餌物(えもの)が完全に消化するまで、おそらく彼はそのポーズで永遠に眠りつづけて居るのだらう。赤道直下の白昼(まひる)。風もなく音もない。万象(ばんしよう)の死に絶えた沈黙(しじま)の時。
 その時、不意に獅子が眠から目をさました。そして耳をそば立て、起き上り、緊張した目付をして、用心深く、機敏に襲撃の姿勢をとつた。どこかの遠い地平の影に、彼は餌物を見つけたのだ。空気が動き、万象の沈黙(しじま)が破れた。
 一人の旅行者――ヘルメツト帽を被(かぶ)り、白い洋服をきた人間が、この光景を何所(どこ)かで見て居た。彼は一言の口も利(き)かず、黙つて砂丘の上に生えてる、椰子(やし)の木の方へ歩いて行つた。その椰子の木には、ずつと前から、長い時間の風雨に曝(さら)され、一枚の古い木札が釘(くぎ)づけてあつた。

(貸家アリ。瓦斯(ガス)、水道付。日当リヨシ。)

 ヘルメツトを被つた男は、黙つてその木札をはがし、ポケツトに入れ、すたすたと歩きながら、地平線の方へ消えてしまつた。(『いのち』1937年10月号、『シナリオ研究』1937年10月号)



 この手に限るよ

 目が醒(さ)めてから考へれば、実に馬鹿馬鹿しくつまらぬことが、夢の中では勿体(もつたい)らしく、さも重大の真理や発見のやうに思はれるのである。私はかつて夢の中で、数人の友だちと一緒に、町の或る小綺麗(こぎれい)な喫茶店に入つた。そこの給仕女に一人の悧発(りはつ)さうな顔をした、たいそう愛くるしい少女が居た。どうにかして、皆はそのメツチエンと懇意になり、自分に手なづけようと焦燥した。そこで私が、一つのすばらしいことを思ひついた。少女の見て居る前で、私は角砂糖の一つを壺(つぼ)から出した。それから充分に落着いて、さも勿体らしく、意味ありげの手付をして、それを紅茶の中へそつと落した。
 熱い煮えたつた紅茶の中で、見る見る砂糖は解けて行つた。そして小さな細かい気泡(きほう)が、茶碗(ちやわん)の表面に浮びあがり、やがて周囲の辺(へり)に寄り集つた。その時私はまた一つの角砂糖を壺から出した。そして前と同じやうに、気取つた勿体らしい手付をしながら、そつと茶碗へ落し込んだ。(その時私は、いかに自分の手際(てぎわ)が鮮やかで、巴里(パリ)の伊達者(だてしゃ)がやる以上に、スマートで上品な挙動に適(かな)つたかを、自分で意識して得意でゐた。)茶碗の底から、再度また気泡が浮び上つた。そして暫(しば)らく、真中にかたまり合つて踊りながら、さつと別れて茶碗の辺(へり)に吸ひついて行つた。それは丁度、よく訓練された団体遊戯(マスゲーム)が、号令によつて、行動するやうに見えた。
 「どうだ。すばらしいだろう!」
 と私が言つた。
 「まあ。素敵ね!」
 とじつと見て居たその少女が、感嘆おく能(あた)はざる調子で言つた。
 「これ、本当の芸術だわ。まあ素敵ね。貴方(あなた)。何て名前の方なの?」
 そして私の顔を見詰め、絶対無上の尊敬と愛慕をこめて、その長い睫毛(まつげ)をしばだたいた。是非また来てくれと懇望した。私にしばしば逢つて、いろいろ話が聞きたいからとも言つた。
 私はすつかり得意になつた。そして我ながら自分の思ひ付に感心した。こんなすばらしいことを、何故(なぜ)にもつと早く考へつかなかつたらうと不思議に思つた。これさへやれば、どんな女でも造作なく、自分の自由に手なづけることができるのである。かつて何人も知らなかつた、これ程(ほど)の大発明を、自分が独創で考へたといふことほど、得意を感じさせることはなかつた。そこで私は、茫然(ぼうぜん)としてゐる友人等の方をふり返つて、さも誇らしく、大得意になつて言つた。
 「女の子を手なづけるにはね、君。この手に限るんだよ。この手にね。」
 そこで夢から醒めた。そして自分のやつたことの馬鹿馬鹿しさを、あまりの可笑(おか)しさに吹き出してしまつた。だが「この手に限るよ。」と言つた自分の言葉が、いつ迄も耳に残つて忘られなかつた。
 「この手に限るよ。」
 その夢の中の私の言葉が、今でも時時聞える時、私は可笑しさに転(ころ)がりながら、自分の中の何所かに住んでる、或る「馬鹿者(フール)」の正体を考へるのである。(『いのち』1937年10月号)


底本:岩波文庫版猫町他十七篇(岩波書店、1997年12月5日発行第4刷)
底本の親本:萩原朔太郎全集(筑摩書房、1976年発行)
テキスト入力:ryoko masuda
テキスト校正:浜野 智
青空文庫公開:1999年1月

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