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童話における物語性の喪失(どうわにおけるものがたりせいのそうしつ)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-23 6:48:29 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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放送局がラジオ小説を募集するとき次のような条件をつける。一、三十分で完結するもの。一、登場人物は×名 ところで、このような条件つきで原稿を書かねばならぬのはラジオ小説懸賞応募者ばかりであろうか。そうではない。現代ではすべての文筆家が多かれ ジャアナリズムのかかるやり方が害毒を流してしまった。 ここから文学が貴重なものを失った事実は、容易に首肯される。文章をひきのばす努力のため、簡潔と明快と生気がまず失われ、文章は冗漫になり、あるいはくどくなり、あるいは難解にして無意味な言葉の羅列になった。同時に内容の方では興味が失われ、ダルになり 大人の文学が物語性を失った時、文学家族の一員である児童文学も、見よう見まねで堕落したのである。今日の童話を読んで見るとその物語性の 童話はもと――それが文学などという立派な名前で呼ばれなかった時分――話であった、物語りであった。文学になってからも物語りであることをやめなかった(アンデルゼンやソログーブのことを ここで憶い出して頂きたい、フランクリンが友人数名とクラブを作り各自が書いてきた原稿(童話ではなかったが)を作者が読み他の者が聞き、批判しあったことを。またディケンズが彼の長い小説の一章ずつを友人たちに聞いてもらったことを。『詩と真実』によればゲーテもまた作品を読み聞かせる習慣を尊んだようである。これらのすぐれた文士たちは、こうして、文体の簡潔、明快、生新さ、内容の面白さを失わぬように努めた。これは昔風な馬鹿正直なやり方のように見える。しかし、今日、童話が物語性を再び身につけるには、少しでも話の内容なり文章なりが退屈になればすぐ聴手がごそごそしはじめるので全然作家のひとりよがりを許さない。この厳しい方法が最もよいと思う。 底本:「新美南吉童話集」岩波文庫、岩波書店 1996(平成8)年7月16日第1刷発行 1997(平成9)年7月15日第2刷発行 入力:大野晋 校正:伊藤祥 1999年3月2日公開 2003年10月3日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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