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処女作の思い出(しょじょさくのおもいで)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-21 8:59:18 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


「人間はあんなにまでも美しく清らかに生きて行くことが出來るのだ。」
 ふとさうつぶやきながら、私はひとみを返して遠くなつた修道院の方を振り返つた。が、その時ポプラの林を背景にした建物の姿はもう岬のかげかくれてゐた。私はそこに強く心をかれるとともにへ難いやうな離愁りしうを感じて、そのままひとみひざせてしまつた。
 一時間ほどして船が再び棧橋さんばしに着いた時、函館はこだての町はしらじらとした暮靄ぼあいの中に包まれてゐたが、それはゆふべの港の活躍の時であつた。そこには修道院のそれとはまるで違つた、あわただしく、忙がしげな人間生活が眼まぐるしいやうに動いてゐた。そして、私はいきなりうつくしい夢から呼びまされたやうに、現實的げんじつてきなその世界の中に卷き込まれねばならなかつた。[#底本では読点]私はそれを恐れいとふやうに、また美しくも忘れがたい印象を自分の胸裡きようりに守るやうにして、妹の待つ湯の川の宿へと急ぎかへつた。
 その翌日、私は妹とともに再び津輕つがる海峽を越えわたつて、青森、仙臺せんだいと妹の旅疲れを休めながら、十七日の朝、五十日近い北國の旅を終へて、東京へ歸りついた。出發前、その旅先の苫小牧とまこまいでと計畫けいくわくしてゐた處女作しよぢよさく雪消ゆきげの日まで」は可成かなりな苦心努力にも拘らず、遂に一部分をさへ書き上げることが出來なかつた。それは無論むろん寂しく、口惜くやしく、悲しいことではあつたが、なほ胸深く消え去らない修道院での感激や驚異はそれ等をつぐなつてあまりあるたふとい旅の收穫であつた。私はその旅での外のあらゆる見聞けんぶんや印象はほとんど忘れて、修道院のすべてに絶えず頭や胸を一杯にされてゐた。
「さうだ。この氣持を書いてみよう。修道院からうけたこの氣持を……」
 旅の疲れのすつかりえた九月末の或る日、私は突然さう考へついた。と、それはもうすぐにも書かずにはゐられないやうな衝動を私の全身に感じさせた。
 或る夜から、私は机に向つてふでりはじめた。そして、多少紀行的な表現の間に、修道院でうけた印象なり感想なりを中心にした文章を起稿した。と、胸にはたふとい感動がまた強くよみがへり、一種のこゝちよい創作的興奮が私のすべてを生き生きさせた。一字、一句、それが原稿紙の上に刻一刻と書き現されて行くのが、自分ながら私はどんなに嬉しかつたことだらうか? そして、その夜は過ぎた、また明くる一日が過ぎた。けれども、いざさうして實際じつさいふでを動かしはじめてみると、なかなか手易たやすくは行かなかつた。一字書き、一行進めては氣に入らなくなり、不滿になり、やになつたりして、私は幾度か原稿紙を引き裂き、幾度か書き出しの稿を改めずにはゐられなかつた。そして、朝の内は文科の學生として學校に通ひ、かへつてくれば眞夜中過ぎまで机に向ふと云ふやうな、私のからだとしては可成り無理な努力が自然に疲れを誘はずにゐなかつた。
 さうして書き出しの四五枚をやうやくまとめ得たかと思ふ内に、いつか十月にはひつたが、努力の疲れとともに私の恐れてゐたものがからだに迫つて來た。それは毎年夏の末から秋へかけて私を子供時分から苦しみなやませてゐた持病喘息ぜんそく發作ほつさであつた。病苦そのものと、不眠と、強い鎭靜藥ちんせいやくを用ゐるためにくる頭のにごりと、それは如何いかに私を弱らせ、ふでの進みをさまたげたことであらう? この時ばかりはいろいろな病苦に慣らされた私も自分の病弱を恨み悲しまずにはゐられなかつた。
「然し、こればかりはどうしても書き上げよう。いや、書き上げずにはゐられないぞ。」
 さう考へながら、私はひるまうとする自分をむち打ち努めた。
 けれども、或る夜は發作ほつさあへぎ迫る胸をおさへながら、私は口惜くやしさに涙ぐんだ。る日は書きつかへて机のまはりにむなしくたまつた原稿紙のくづを見詰めながら、深い疲れに呆然ばうぜんとなつてゐた。或る朝は偏頭痛へんとうつうを感じてふでる氣力もなく、苛苛いらいらしい時を過した。それ等は私にとつては恐らく一生忘れがたところの、産みの苦しみだつた。が、起稿後半月を過した十月十日頃に、私はともかくも三十餘枚よまいの原稿を、書き上げてほつと一息ついた。そして、いろいろ迷つた末にその題を單純たんじゆんに「修道院の秋」とつけて、一づとぢ上げてみた。然し、私の心にはまだほんたうの滿足は來なかつた。しつくりした安心は得られなかつた。
「これでいいのだらうか? こんなものを、自分の作品として世間に發表して、恥ではないだらうか?」
 私はさう迷ひ、つ疑はずにはゐられなかつた。
 私はとぢ上げた原稿を二度、三度とみ返してみた。と、意に充たないところ、書き直さなければならないところがまだまだ幾個所にもあつた。そして、私はなぜか泣き出したいやうな寂しさをおぼえて、ひるまうとする、崩折くづをれようとする自分をさへ見出さずにはゐられなかつた。が、そこで私は自分をむち打ちながら踏みとゞまつた。もう一度書き直さう。いや、書き直さなければならないと思った。そして、その刹那せつなから可成かなりな心身の疲れにもかゝはらず、こまかく推敲すゐかうしつつ全部を書き直し、更にそれを三度書き直して、最後のふでを置いたのが忘れもしない十月十七日の夜の十二時近くなのであつた。





底本:「過ぎゆく日」寶文館
   1926(大正15)年7月20日発行
※底本では、作品名の下に「 ――一四・八・一九――」とあります。
※底本は総ルビでしたが、「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、振り仮名の一部を省きました。
入力:小林 徹
校正:林 幸雄
2002年5月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
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  • [#…]は、入力者による注を表す記号です。
  • 「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。

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