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私の経過した学生時代(わたしのけいかしたがくせいじだい)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-18 9:45:35 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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一 私の学生時代を回顧して見ると、 私は東京で生れ、東京で育てられた、 此の中学というのは、今の完備した中学などとは全然異っていて、その制度も正則と、変則との二つに分れていたのである。 正則というのは日本語 二 既に中学が前いう如く、正則、変則の二科に分れて居り、正則の方を修めた者には更に語学の力がないから、予備門の試験に応じられない。此等の者は、それが為め、 その頃、私の知っている塾舎には、共立学舎、成立学舎などというのがあった。これ等の塾舎は随分 この成立学舎と云うのは、 でも、当時此の塾舎の学生として居た者で、目今有要な地位を得ている者が少くない。 「僕は今日初めて君に会ったのだ」と初対面の 「いや、私は 「ああ 三 英語に 又、英語は 私は又数学に就ても非常に苦しめられたもので、数学の時間にはボールドの前に引き出されて、その これは、大学予備門の入学試験に応じた時のことであるが、確か数学だけは隣の人に見せて貰ったのか、それともこっそり見たのか、まアそんなことをして試験は 四 成立学舎では、 それで、予科三年修了者と、その頃の中学卒業生とを比べて見ると、実際は予科の方が同じ普通学でも 私などは中学を途中で で、私は此の予備門に居る頃も 矢張り、此の頃も学科に 五 不勉強位であったから、どちらかと云えば運動は比較的好きの方であったが、その運動も その他運動と云っても、当時は 落第して見ると誰も同じこと、さすがに 教場へ出ていても前と異って、ただ非常に注意して教師のいわれるのを聞くようにしたと云う位のものであった。 六 これが私の教師となった始めで、其私塾は江東義塾と云って本所に 一カ月五円と云うと誠に少額ではあるが、その頃はそれで不足なくやって行けた。塾の寄宿舎に入っていたから、舎費 時間も、江東義塾の方は午後二時間 それから、後の学資はいうまでもなく、再び家から仰いでいたが、大学へ進むようになってからは、特に文部省から貸費を受けることとなり、一方では又東京専門学校の講師を勤めつつ、それ程、苦しみもなく大学を 底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房 1972(昭和47)年1月10日第1刷発行 初出:「中学世界」 1909(明治42)年1月1日 ※底本は、「談話」の項におさめた本作品の表題に、かぎ括弧を付けて示している。 ※「教師となった始めで」は、底本では活字の欠けにより「教師となった始めて」と見える。 入力:Nana ohbe 校正:米田進 2002年5月10日作成 2003年5月25日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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