三十九
狭い小路の左右は煉瓦の塀で、ちょっと見ると屋敷町のように人通りが少い。それを二十間ほど来て左手の門を這入った。ただ偶然に這入ったのだから、家の名も主人の名も知るはずがない。今から考えると、小路のうちには同じような家が何軒となく並んでいて、同じような門がまたいくつでも開いているのだから、とくにここだけを覗くべき誘致は少しもなかったのである。余はただ案内者の後に跟いて何の気なしに這入った。その案内者もまた好い加減に這入った。案内者は青林館と云う宿の主人である。かつて二葉亭といっしょに北の方を旅行して、露西亜人に苛い目に逢ったと話した。 門を這入ると、右も室、突き当りも室である。左りも隣の壁に隔てられなければ室であるべきはずなのだから、中の一筋だけが頭の上に空を仰ぐ訳になる。そこに立って右手の部屋を覗くと、狭い路次から浅草の仲店を看るような趣がある。実際仲店よりも低く小さい部屋であった。その一番目には幕が垂れていて、中は判然と分らなかったが、次を覗いて見る段になって驚いた。二畳敷ぐらいの土間の後の方を、上り框のように、腰をかけるだけの高さに仕切って、そこに若い女が三人いた。三人共腰をかけるでもなく、寝転ぶでもなく、互に靠れ合って身体を支えるごとくに、後の壁をいっぱいにした。三人の着物が隙間なく重なって、柔かい絹をしなやかに圧しつけるので、少し誇張して形容すると、三人が一枚の上衣を引き廻しているように見える。その間から小さな繻子の靴が出ていた。 三人の身体が並んでいる通り、三人の顔も並んでいた。その左右が比較的尋常なのに引きかえて、真中のは不思議に美しかった。色が白いので、眉がいかにも判然していた。眼も朗かであった。頬から顎を包む弧線は春のように軟かった。余が驚きながら、見惚れているので、女は眼を反らして、空を見た。余が立っている間、三人は少しも口を利かなかった。 青林館の主人は自分ほどこの女に興味がなかったと見えて、好加減に歩を移して、突き当りの部屋に這入った。そこも狭い土間で、中央には普通の卓上が据えてあった。それを囲んで三人の男が食事をしている。皿小鉢から箸茶碗に至るまで汚ない事はなはだしい。卓に着いている男に至ってはなおさら汚なかった。まるで大連の埠頭で見る苦力と同様である。余はこの体裁を一見するや否や、台所で下男が飯を掻き込んでるんじゃなかろうかと考えた。ところがつい隣の室でしきりに音楽をやっている。今見た美人のいる所とはつい三間とは離れていない。実に矛盾な感じである。 余は二歩ばかり洋卓を遠退いて、次の室の入口を覗いて見た。そうしてまた驚いた。向の壁に倚添えて一脚の机を置いて、その右に一人の男が腰をかけている。その左に女が三人立っている。その前には十二三の少女が男の方を向いて立ている。少し離れて室の入口には盲目が床几に腰をかけている。調子の高い胡弓と歌の声はこの一団から出るのである。歌の意味も節も分らない余の耳にはこの音楽が一種異様に凄じい響を伝えた。机の右にいる男が、右の手に筮竹のような物を持って、時々机の上を敲くと同時に左の掌に八橋と云う菓子に似た竹の片を二つ入れて、それをかちかちと打合せながら、歌の調子を取る。趣向はスペインの女の用いるカスタネットに似ているが、その男の顔を見ると、アルハンブラの昔を思い出すどころではない。蒼黒く土気づいた色を、一心不乱に少女の頭の上に乗しかけるように翳して、腸を絞るほど恐ろしい声を出す。少女はまた瞬きもせず、この男の方を見つめて、細い咽喉を合している。それが怖い魔物に魅入られて身動きのできない様子としか受取れない。盲目は彼の眼の暗いごとく、暗い顔をして、悲しい陰気な、しかも高い調子の胡弓を擦り続けに擦っている。左の方に立っている女の一人が余を見た。それが忌むべき藪睨であった。日の目の乏しくって暮やすい室のうちで、この怪しい団体はこの怪しい音楽を奏して夢中である。余は案内の袖を引いてすぐ外へ出た。
四十
橋本は遠い所へ豚を見に行った。何でも市街から一里余もあるとか云う話である。こんな痛い腹を抱えて今更豚でもあるまいと思って止めた。その代りにそこいらをぶらつくべく主人といっしょに馬車で出た。主人がまあ遼河を御覧なさいと云う。馬車を乗り棄てて河岸へ出ると眼いっぱいに見えた。色は出水の後の大川に似ている。灰のように動くものが、空を呑む勢で遠くから流れて来る。哈爾賓に行く途中で、木戸さんに聞いた話だが、満洲の黄土はその昔中央亜細亜の方から風の力で吹き寄せたもので、それを年々河の流れが御叮嚀に海へ押出しているのだそうである。地質学者の計算によると、五万年の後には今の渤海湾が全く埋ってしまう都合になっていますと木戸君が語られた。河辺に立って岸と岸との間を眺めていると、水の量が泥の量より少いくらい濁ったものが際限なく押し寄せて来る。五万年は愚か、一二カ月で河口はすっかり塞がってしまいそうである。それでも三千噸ぐらいな汽船は苦もなくのそのそ上って来ると云うんだから支那の河は無神経である。人間に至っては固より無神経で、古来からこの泥水を飲んで、悠然と子を生んで今日まで栄えている。 サンパンと云う船がここかしこに浮かんで形に合しては大き過ぎるぐらいな帆を上げている。帆の裏には細い竹を何本となく横に渡してあるから、帆に角が立つのみか、捲き上げる時にはがらがら鳴る。日本では見られない絵である。その間を横切って向岸へ着いた。向岸には何にもない。ただ停車場が一つある。北京への急行が出るとか云うので、客がたくさん列車に乗り込んでいる。下等室を覗いたら、腰かけも何もない平土間に、みんなごろごろ寝ころんでいた。帰りにはサンパンに乗って、泥の流を押し渡った。風が出ると難儀だそうである。春の初めには山のような氷が流れてくる。先が見えないので、氷と氷の間に挟まれると命を取られる。ある時氷に路を塞がれて仕方がないから、船を棄てて氷の上へ上って、乗り捨てた船を引き摺って向う側へ出て、ようやくまた船に乗ったと云う話がある。これは主人の実歴談である。 サンパンは妙なところへ着いた。岸は芦を畳んでできている。石垣ではなくて芦垣である。こうしなければ水の力で浚われる恐れがあると云う。芦はいくらでも水を吸い込んで平気でいるから無難だと見える。細い小路を突き抜けると、支那町の真中へ出た。妙な臭がする。先刻から胸が痛むのでポッケットから、粉薬を出して飲もうとするがあいにく水がない。一滴の飲料も用いずに散薬を呑み下す方法は、その後苦し紛れに発見した分別だが、この時はまだそれほど老練な患者でないので、拝むように主人を煩わした。主人はええ訳はありませんと云いつつも、ずいぶん烈しく引張り廻した上、ほとんど苦しくって道傍に竦みそうになった頃、ようやく一軒の店へ這入った。盆栽などの据えてある中庭を通り抜けて角の一部屋へ案内されたが、水はなかなか出る様子がない。そのうち、こちらへと云ってまた二階へ招ぜられた。虫のように段々を上って廊下から室へ這入ると、日本人が二三人事務を執っている。さあどうぞと椅子を与えられたので、挨拶をして始めて解ったが、水を貰いに飛び込んだところは日清豆粕会社で、さあどうぞと迎えてくれたのは、社員の倉田君である。倉田君は固より日本から漫遊もしくは視察の目的をもってわざわざ営口までやって来たものと余を信じている。服薬のために通りがかりのついでながら、日清豆粕会社の奥二階へ水を貰いに立ち寄ったと判じようはずがない。そこで水は容易に出ない。湯も出ない。今御茶を上げると云って、ボイがしきりに支度をしている。余は青林館の主人が恨めしくなった。けれども倉田君に対しては相応に体裁を具えた応対をしなければならない。豆が汽車で大連へ出るようになってから、河を下ってくる豆の量が減ったでしょうかてような事を、真面目くさって質問していた。
四十一
橋本が博士になったり、ならなかったりした話がある。大連の大和ホテルにいる時分、満鉄から封書が届いた。その表に橋本農学博士殿と叮嚀に書いてあったのを乙に眺めながら、これだから厭になっちまうと云って余の方を向いて苦笑したから、先生は学者ぶって、むやみに博士呼わりをされるのを苦にする意味なんだろうと鑑定して、取り合ってやらなかった。実際こんな事が苦になるくらいなら、始めから博士にならなければ好いと思ったからである。その時はそれですんだ。 余は橋本をもって固より農学博士と信じていた。是公もそう信じていた。現にある人に向って橋本って農学博士さと説明しているのを聞いた。余に至っては、いつかの新聞で、本人の博士になった事をたしかに承知した記憶がある。それで大連を立って北に行く時も、栄誉ある博士の同伴者だと云う自覚がちゃんとあった。ところが毎日毎晩一つ鍋のものを突ついて進行しているうちに、何かの拍子だったが、いやおれは博士じゃないよと急に橋本が云い出した。その時はいくら本人が証明したってなるほどと云う気になれないくらい驚いた。第一、十年近くも大学の教授をしている男を、博士にしない法はないと考えてる上、どうしても新聞でその授与式を拝見したとしか思われないんだから、余もできるだけは抗弁したが、やっぱり博士じゃないと頑固を張って云う事を聞かない。余もやむをえず、そうかと云って我を折った。この時から橋本は気の毒ながらとうとう、ただの人間になってしまった。 けれども、世間には迂濶ものが多いと見えて、どこへ行っても橋本博士、橋本博士と云う。新聞を折々読むときっと橋本博士と出ている。しまいにはおいまた博士だよと注意するのが面倒になった。橋本も澄し返っている。もっとも澄まし返さなくったって、一々博士じゃありませんと訂正して歩く訳に行くものじゃない。こう云う余にも覚がある。釜山から馬関へ渡る船中で、拓殖会社の峰八郎君の妻君に逢ったとき、八郎君は真面目な[#「な」は底本では「を」]顔をして、これは夏目博士と引き合した。すると妻君が御名前はかねて伺っておりますと叮嚀に御辞儀をされるから、余もやむをえず、はあと云ったなり博士らしく挨拶をした。だから橋本が博士に慣れ切って満洲を朝鮮へ渡るに何も不思議はない。余もいったんは彼の博士を撤回したようなものの、日を重ねるに従ってまた何だか博士らしい気持がし出した。それで道中つつがなく安奉線を通って、安東県までやって来た。ところがここで橋本の博士がちょっと気に食わなくなった。安東県の宿屋の番頭がどう云う不料簡か、橋本博士御手荷物のうちと云う札を余の革鞄にぴたぴた結いつけてしまった。腹が立ったが面倒だからそのままにしておくと次の宿屋で橋本と分れる事になって、向うの手荷物を停車場へ運び出す際に、余の奇麗な革鞄を橋本のものだと思い込んで、宿屋の小僧がずんずん停車場まで持って行ってしまった。余は冗談じゃないぜと云った。橋本は面白がって笑っていた。それだから、また博士にならない。
四十二
ここだと云うので、降りたには降りたが、夜の事だから方角も見当もまるで分らない。頼りに思う停車場は縁日の夜店ほどに小さいものであった。その軒を離れるとなおさら淋しい。空には星があるが、高い所に己と光るのみで、足元の景気にはならなかった。汽車路を通って行くと、鉄軌の色が前後五六尺ばかり、提灯の灯に照らされて、露のごとく映ってはまた消えて行く。そのほかに何も見えなかった。やがて右へ切れて堤のようなものをだらだらと下りる心持がしたが、それも六七歩を超えると、靴を置く土の感じが不断に戻ったので、また平地へ出たなと気がついた。すると虫の音が聞えだした。足元で少しばかり鳴いてるような家庭的なものではない。虫の音だと云う分別が出た時には、その声がもう左右前後に遠く続いていた。我々は一つの提灯を先にして、平原にはびこる無尽蔵の虫の音に包まれながら歩いた。 今考えると、なかなか風流である。筆を執って書いていても、魏叔子の大鉄椎の伝にある曠野の景色が眼の前に浮んでくる。けれども歩いている途中は実に苦しかった。飯の菜に奴豆腐を一丁食ったところが、その豆腐が腹へ這入るや否や急に石灰の塊に変化して、胃の中を塞いでいるような心持である。腮の奥から締めつけられて、やむをえない性質の唾液が流れ出す。それに誘われるままにしておくと、嘔きたくなる。せめて口中の折合でもと思って、少し抵抗しにかかると、足が竦んで動けなくなる。余は幾度か虫の音の中に苦しい尻を落ちつけようかと思った。ただ橋本に心配させるのが、気の毒である。支那の荷持に野糞を垂れてると誤解されたって手柄にもならない。そこで無理に歩いた。 遥向うに灯が一つ見える。余が歩いている路は平らである。灯はその真正面に当る。あすこへ行くんだろうと推測して星の下を無言に辿った。今日の午は営口で正金銀行の杉原君の御馳走を断った。晩は天春君の斡旋ですでに準備のできている宴会を断った。そうして逃げるように汽車に乗った。乗る時橋本にこの様子じゃ千山行は撤回だと云った。実際撤回しなければならないほど、容体が危しくなって来た。ただ向うに見える一点の灯火が、今夜の運命を決する孤つ家であると覚悟して、寂寞たる原を真直に横切った。原のなかには、この灯火よりほかに当になるものは一つも見つからないのだから心細かった。宿屋はたった一軒かと聞いたら、案内がええと答えた。湯崗子は温泉場だと橋本のプログラムの中にちゃんと出ているのだから、温泉がこの茫々たる原の底から湧いて出るのだろうとは、始めから想像する事ができたが、これほど淋しい野の面に、ただ一軒の宿屋がひっそり立っていようとは思いがけなかった。 そのうちようやく灯のある所へ着いた。平家作の西洋館で、床の高さが地面とすれすれになるほど低い。板間ではあるが無論靴で出入をする。宿の女は草履を穿いていた。遠くから見たと同じように浮き立たない家であった。造作のつかない広い空家へ洋灯を点して住っているのかと思った。這入るとすぐの大広間に置いてあったオルガンさえ、先の持主が忘れて置いて行ったものとしか受取れなかった。暗い廊下を突き当って右へ折れた翼の端の室へ案内された。中を二つに仕切ってある。低い床には、椅子と洋卓と色の褪めた長椅子とが置いてあった。高い方は畳を敷いて、日本らしく取り繕ってあった。ちょうど土間から座敷へ上るようにして、甲から乙に移る構造である。余はいきなり畳の上に倒れた。三四十分の後膳が出た。橋本がしきりに起きて食えと勧めたが、ついに起きなかった。第一食卓に何が盛られたかをさえ見なかった。眼を開ける勇気すら無かったのである。
四十三
朝起きると、馬が来たとか来ないとか云って橋本の連中が騒いでいる。連中は三人だから、一人が一つの馬に乗るとすれば、三匹要る訳になる。この茫漠たる原の中で、生きた馬を三匹生捕るとなると、手数のかかるのは一通りではあるまい。連中は格別早起きもしない癖に、今更苦情を並べたって始まらないと思って、同行を断念した余は、冷然と落ちついていた。本来を云うと、千山へ行くのが目的で、わざわざここに降りたには相違ないが、一旦自分が千山行を諦めたとなると、ほかの連中が予定通に行動するのが、いまいましくなる。第一橋本なんて農科の男は、千山を見る必要も何もないのである。千山は唐の時代に開いた梵刹で、今だに残っているのは、牛でもなければ豚でもない、ただ山と谷と巌と御寺と坊主だけであるから、農科の教授がわざわざ馬に乗って見物に行くべきところではけっしてない。と云ってせっかく行くと云うものを、意見までして思い止まらせるほどの口実は無論考え出せないから、なすがままにさせて放っておいた。そのうち不思議な事に、注文通馬が三匹出て来た。どこから出て来たものか聞いても見なかったが、たしかに出て来た。三人は癪に障るほど勇んで外へ飛び出した。余は仕方がないから西洋間と日本間の唯一の主人として、この一日を物静かに休養すべく準備した。まず何よりも横になるのが薬だろうと思って、狸だか狐だか分らない毛皮の上にごろりと転がった。すると窓の外から橋本の声で、おいおいちょっと出て見ろと呼んでいる。彼れまだそこいらを迷ついてるなと思うと、少し面白くなったから、請求通原の中へ草履のまま出た。すると広い牧場のようなところに、馬が三匹立っていた。それがいずれも小汚ない駄馬だったのではなはだ愉快であった。のみならず、その中の一匹がどうしても大重君を乗せようと云わない。傍へ行くと、飛んだり蹴たりする。馬が怖がるからだと云って、手拭で眼隠しをして、支那の小僧が両手で轡をしっかり抑えている。遠くから見ると、馬が鉢巻をしたようでおかしかった。その傍へ大重君が苦笑いをしながら近寄って行くところは、一層面白かった。しかも一度や二度ではない。よほど馬に遠慮する性質と見えて、容易に埒を明けないから、みんながなお喝采する。橋本は北海道の住人だから苦もなく鞍に跨った。もう一人――名前を忘れたから、もう一人というよりほかに仕方がないが――これは熊岳城の苗圃の長で、もと橋本に教わった事があると云うだけに、手綱を執る術を心得ている。余はこの時立ちながら心の中で、要するに千山行を撤回した方が、馬術家としての余の名誉を完うする所以ではなかろうかと考えた。 けれども、そんな気色は顔にも出さず、ただ残り惜しげに三人の後姿を眺めていた。そうして大重君の腰つきから推測して、千山まであれで乗り通すのは、定めて心配な事だろうと同情した。橋本は今夜のうちに帰るんだとか号して、しきりに馬を急がせるらしい。苗圃長も負けずに、続いて行く。独り大重君だけが後れた。馬はまだ眼隠をしている。やがて二人の影が高粱に遮ぎられて、どっちへ向いて行くかちょっと分らなくなった。先刻からそこいらを徘徊していた背の高い支那人もまた高粱の裡に姿を隠した。この支那人は肩から背へかけて長い鉄砲を釣っていた。人数は二人であった。始めて気がついたときは咄嗟の際に馬賊という聯想が起った。橋本と前後して高粱の底に没して、しばらくすると、どんと云う砲声が聞えて、またしばらくすると、三人の馬の前にどこからかあの背の高い奴が現われて来たら大事件だと想像して、また室の中へ帰って狸の皮の上に寝た。
四十四
手拭を下げて風呂に行く。一町ばかり原の中を歩かなければならない。四方を石で畳上げた中へ段々を三つほど床から下へ降りると湯泉に足が届く。軍政時代に軍人が建てたものだからかなり立派にできている代りにすこぶる殺風景である。入浴時間は十五分を超ゆべからずなどと云う布告めいたものがまだ入口に貼付けてある通りの構造である。犯則を承知の上で、石段に腰をかけたり、腹這に身を浮かしたり、頬杖を突いて倚りかかったり、いろいろの工夫を尽くした上、表へ出て風呂場の後へ廻ると、大きな池があった。若い男が破舟の中へ這入ってしきりに竿を動かしている。おいこの池は湯か水かと聞くと、若い男は類稀なる仏頂面をして湯だと答えた。あまり厭な奴だから、それぎり口を利くのをやめにした。岸の上から底を覗くと、時々泡のようなものが浮いて来る。少しは湯気が立ってるかとも思われる。実は魚がいないかと、念のため聞いて見たかったのだけれども、相手が相手だから歩を回らして宿の方へ帰った。後で、この池に魚が泳いでいる由を承知してはなはだ奇異の思いをなした。その上ここには水が一滴も出ないのだと教えられたときには全く驚いた。 驚いた事はまだある。湯から帰りがけに入口の大広間を通り抜けて、自分の室へ行こうとすると、そこに見慣れない女がいた。どこから来たものか分らないが、紫の袴を穿いて、深い靴を鳴らして、その辺を往ったり来たりする様子が、どうしても学校の教師か、女生徒である。東京でこそ外へさえ出れば、向うから眼の中へ飛び込んでくる図だが、渺茫たる草原のいずくを物色したって、斯様な文采は眸に落ちるべきはずでない。余はむしろ怪しい趣をもって、この女の姿をしばらく見つめていた。 室に帰ってまた寝た。眼が覚めると窓の外で虫の声がする。淋しくなったから、西洋間へ出て、長椅子の上に腰をかけて、謡をうたった。無論出鱈目である。そこへ下女が来た。先刻の女の事を聞いたら、何でも宅で知ってる人なんでしょうと云っただけで、ちっとも要領を得ない。昨夕飯を済まして煙草を呑んでいると急に広間の方で、オルガンを弾く音がしたが、あの女がやったんじゃないかと聞くと、いいえ昨夕のは宅の下女ですと云う。この原のなかに、それほどハイカラな下女がいようとは思いがけなかった。先刻の袴はもう帰ったそうである。 余は一人長椅子の上に坐った。そうして永い日が傾き尽して、原の色が寒く変るまでぽかんとしていた。すると静かな野の中でどうぞ、ちと御遊びに、私一人ですからと云う嬌かしい声がした。その音調は全くの東京ものである。余は突然立って、窓の外を眺めた。あいにく窓には寒冷紗が張ってあった。手早く硝子を開けて首を外へ出すと、外はもう一面に夕暮れていて、蒼い煙が女の姿を包んでしまったので誰だか分らなかった。 橋本の連中はその晩帰って来た。下女のしらせで、暗い背戸に出て見ると、豆のような灯が一つ遠くに見えた。下女はあれが連中だと云う。いくら野広いところだって、橋本以外にも灯が見える事もあるだろうと尋ねても、やっぱりあれだと云う。はたしてそうであった。灯は夕方宿から迎に出した支那人の持って行った提灯である。背戸口に馬を乗り捨てた橋本は、そう骨を折って見に行く所でもないよと云った。大重君は馬から三度落ちたそうである。
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