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壱岐国勝本にて(いきのくにかつもとにて)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-18 7:10:46 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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地圖を見ても直ぐ分る。![]() ![]() 大豆は大分よく出來るとかで畑といへば九分まで大豆ばかりである。涼しい風が大豆の葉を渡つて吹く夕方に牛は依然のつそりとして草をむしつて居ることがある。畑と畑との間に茨に交た芒をむしつて居るから牛は大豆の葉はたべないのかと思つたら、牛によつて好きなのと嫌ひなのとがあるんだと言つた。牛の立つてる處には地を堰つて茨が白い花を開いて居る。赤い苺がびつしり 山を通れば山桃欲しや、身をも投げかけてゆすらば落ちよ、さてもつれなの山桃や といふのがあつた。記憶の誤りはあると思ふが何でもこんなのであつた。山桃は幾年か前からどんなのかと思つて心にかけて居たが博多で始めてたべて、此處でなつてる處を見た。こゝでは一合が一錢だ相だ。今日元寇の難に殉じた少貳資時の墳墓のある瀬戸といふ處へ行つて見た。料理店は無いから木賃宿で飯を食つた。有合の飯は麥八分に米二分であつた。子鯖が三疋、それと朝干した許りだといふ烏賊を燒いてくれた。これは甘かつた。それから五つも燒いて貰つた。それで幾らだと言つたら六錢くれと言つた。生來始めてこんな 壹州と言つて一國だが北の勝本から南の郷の浦まで僅に四里、馬車は八臺あるが人力車は郷の浦に四臺きりださうだ。これで全島に人力車が四臺しか無い譯だ。それでついぞ人力車の走るのを見ない。(六月二十九日) (明治四十五年七月四日~五日、國民新聞 所載) 底本:「長塚節全集 第二巻」春陽堂書店 1977(昭和52)年1月31日発行 入力:林 幸雄 校正:伊藤時也 2000年5月10日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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