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ひるがえって、わが国をみよう。西洋文明の外面的模倣の結果として、わが国にもかなりの研究調査機関が存在していた。しかし、金のかかる自然科学方面の研究は、ほとんど軍部の予算で推進されたといっても過言ではない。陸海軍の各種の研究所は、国力不相応にすばらしいものであった。民間にも理化学研究所のような大規模のものが出現した。社会科学方面では、まず満鉄調査部があげらるべきだろう。これは一時、出先の調査機関をふくめて二千人以上の職員を擁し、一千万円の巨額の予算が投ぜられたという。この東印度会社的な国策会社の調査機関の規模は、世界的なものであったといってよいだろう。その他、外務省、大蔵省、日本銀行などの調査部も長い歴史をもち、信頼すべき資料を作成発表していた。大正中葉から昭和にかけて社会問題、労働問題がやかましくなった時代に幾つかの研究調査機関が生まれた。「大原社会問題研究所」や「協調会調査部」などは特記せらるべきものだろう。「日本経済連盟」や「商工会議所」の調査部、「三菱経済研究所」なども逸することのできない存在であった。昭和時代になると、「何々調査会」「何々研究会」といった調査機関がたくさん生まれた。それらはすべて陽に陰に、軍と軍需産業と植民地利潤とによって支持されたものである。これら民間の諸調査機関の優秀なスタッフが一挙に大きな力を発揮したのは、戦時中に「企画院」(はじめは「内閣調査局」)が設立されたときである。戦時中の大調査機関としては、「東亜研究所」も忘れることのできない存在である。 敗戦とともに満鉄調査部、企画院、東亜研究所などの大調査機関は消滅した。また財閥によって支えられた調査機関も自然消滅した。さらにまた、経営力集中排除に伴い、事業者団体の調査機関も極めて小規模のものに縮小されてしまった。かように在来の機関が姿をひそめた反面に、GHQによって推進された新たな調査機関が続々と生まれた。国立国会図書館とその一部局たる調査立法考査局はその最大のものであろう。国会図書館はまた各官庁に支部図書館をもち、横のひろがりをもった組織を含んでいる。各省の調査部も一時は調査局にまで昇格したことがあった。その他統計委員会をはじめとして幾多の委員会が設けられ、それぞれ調査が進められ、その成果が発表されている。 占領政策を実施するためには、綿密正確な統計資料を必要とするので、アメリカ型の統計作成業務が急速に導入された。経済安定本部をはじめとして各行政官庁は、その調査統計業務を急速にアメリカ化せざるをえなかった。かくして、少なくとも外面的には、アメリカ的機構と技術とをとり入れた調査機関体制ができ上がった。さて、その中味はどうであるか。 何よりもまず指摘せられねばならぬことは、わが国には偶像を破壊し、権威と闘った科学的精神の発達史がないことである。したがって、研究調査機関の外形はあれども、魂はない。科学的調査に立脚して政治なり事業経営なりをおこなうという空気は、まだ低調である。それを立証する最も端的な証拠は、予算縮減の際には真先に調査研究費が削られ、また機構改革の場合にも調査系統が真先に槍玉にあげられることであろう。もっとも、これは調査そのものが政治なり事業経営なりにとって、まだ充分に役に立つような形にまで進歩していないことにもよるであろう。内容的に見ても権威がないし、また時間的にも間に合わないなどの欠陥があるために、調査の重要性が稀薄になっていることもある。調査というと、研究よりも一段低級のもののように考えられ、その成果もガリ版などで速報的に処理されるので、作業そのものが拙速で権威のない仕事に陥りがちである。総じて欧米先進国に比べて、わが国では学問と調査との隔りが大きい。学者は深遠な学理を探求することをもって誇りとし、調査的な仕事にたずさわるのは学問の堕落のように考えられている。他方、調査機関の側では、学者の研究はすべて迂遠であって役に立たないときめておる。双方が互いに敬遠し、軽蔑し合っている有様である。 だが、ちょっとした調査でも、基礎的な学理の背景なくしては、権威ある業績とはならない。深遠な学理を、日常の業務に役立つように消化し普及させるには、学問と実務との双方のセンスを身につけたスペシャリストの介在が必要であろう。わが国では、学者というとひどく迂遠であり、また調査マンというとひどく拙速屋であって、両極端をなしているが、先進国では両者の距離はもっと接近しているようだ。わが国でも、学問―調査―実務の関連が、もっともっと緊密になることが望ましい。それがためには、学問と実務との橋渡し役をする多数の優秀なスペシャリストが必要であるが、わが国の社会には、優秀なスペシャリストの養成を阻害する重大な要因がひそんでいる。まず第一に指摘せねばならぬ重大なことは、わが国では技術系統の専門家は公平に待遇されておらないことである。このことは、明治以来の問題であったが、戦後においても余り変わっていないようだ。日本の社会はまだ、科学を尊重し専門学を充分に認識するまでに進化していない。現在、研究調査は国家予算によって賄われているものが大部分であるから、例を官界にとる。わが官界はかつて高文官僚の独占であって、行政系統の官吏は早く課長、局長、次官の出世コースを進むことができたのに反して、技術系統の官吏は傍系として出世街道から長くとり残されていた。この空気は現在でも余り変わっていないようだ。調査マンも一種の技術家であるから、往時の技師と同じ立場におかれている。 もっとも、以前は調査部などに入る者は、官民を問わず、活社会で働けない不健康者や無能者が多かったようだ。調査部などに入れば、出世はできないものと自他ともにきめていたようだ。しかし、大正時代以降、社会問題に刺激されて調査マン生活に入った者は、学問的能力においても人格的にも一流官立大学の教授に劣らない人もいたのであって、調査マンの素質は一変している。けれども依然として、冷遇される旧態は改善されていない。職階制をきめる場合なども、調査系統については、きわめて認識と理解とがたりない。行政系統は、次官、局長、部長、課長、係長というように既成のハイアラーキイ秩序ができているので、わかりやすいらしいが、調査系統となるとこれがはっきりしない。そこで、つい傍系視されてしまう。形式的には民主化が唱えられているけれども、実質はあまり改革されていないようだ。公平待遇の原則が貫徹されないで、どこに民主化があろうか。こんな環境の中では、調査マンのうちで小悧巧なものは、課長や部長のコースを通って局長以上の地位に上がりたがる。終生を捧げて研究調査に没頭しようとすれば、いつも割損な地位に甘んじなければならぬ。これでは、底光りのする立派な専門家は養成されるはずがない。青年時代の社会的熱情はうせ、研究心は鈍り、人間的にも光りのあせた存在と化してしまう者が多いのは、当人の罪よりもむしろ環境の罪であろう。 このような環境の中に成長する調査マンの心理は複雑だ。この心理をのみこんで使いこなせる指導者はきわめて稀である。TVAにおけるリリエンソールのような人物は、容易に得難いのである。はじめの純真な勉強ずきの青年たちを、みな不平家にして殺してしまう。調査マンをして単なる調査職人に終わらしめず、立派な社会人として成長するような環境ができ上ることを祈ってやまない。例えば、海外駐在のサイエンティフィック・アタッシェ制度のようなものを創立するだけでも、どれだけ明るい希望を与えることであろうか。 わが国には過去において、優秀な青年学徒をして専門家たることを断念せしめた数多くの実例がある。それは、右に述べた社会的、経済的待遇の不公平が大きな原因であるが、そのほかにも内面的な問題がある。大学以外の職場で良心的な研究を続けることは容易でない。研究の方向や結論が与えられて、注文生産的研究調査を強いられることが多い。研究調査に自主性をもつことができず、迎合的な研究やその場限りのごまかし的調査をせねばならないとしたら、男一匹一生をかけるほどの熱情がもてないのは当然である。ここに青年調査マンの最大の精神的煩悶がある。そこで、このような生活に見きりをつけて、適当なチャンスに官界や実業界や新聞社などへ転身した悧巧者は少なくない。学力を認められて大学へ迎えられた者もある。専門家として大成すべき素質をもつ青年の実に多くが転身してしまったのである。
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スペシャリストの養成の問題は、わが社会の封建制の問題に関連したむずかしい問題であるが、そのほかにも古い革袋が頑強に残っている。例えば官庁のセクショナリズムがそれだ。これは戦後になっても余り変わっていないようだ。もっとも、これはアメリカでも問題がある。行政機構再編成を目的としたフーヴァー委員会の調査によると、アメリカでも重複や無駄がずいぶん多いことがわかる。しかし、せめて各省の各部局の調査統計資料は、国会図書館に自動的に集積されるようにしたいものである。官庁資料の公開は民主政治に大きな関係があることを認識すべきである。 次に、手工業的な個人単位の調査方法もまだ克服されていない。調査にとっては、単行本よりむしろパンフレットや雑誌やガリ版などの生の資料のほうが重要なことが多いのであるが、これらは、各人の机上にうず高く積まれて、それを材料としてこつこつと手工業的に作業を進め、レポートを作成するという方法である。それらの資料が公開されない。共同利用ができない。ことに当人が方々をかけまわって苦心して入手した資料などは「私料」化してしまう。これらの生の資料をどのようにして整理し保存するか、またこれを共同利用に公開しつつもなおかつ特定個人の特殊な利用に便宜を与えるにはどのような方法が考案されねばならないか、といった技術的な問題も残されておる。
●表記について
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