二
二人の相手は庭に出て、猛烈な夜嵐におそわれ、頭を吹飛ばされそうになるまでは、いつの間に師父ブラウンの後についてきたのか自分でさえ気がつかないくらいであった。それにも拘らず彼らは自動機械のように坊さんの後について来たのであった。なぜならばクレーヴン探偵は自分の片手にチャンと手斧をつかんでいるのを見るし、ポケットの中には令状もはいっていた[#「いた」は底本では「居つた」]からだ。フランボーも疑問の人物ゴーの重い鋤を借り出して持っていたからだ。ブラウンは問題の小型の金製の本をしっかと携えていた。山上の墓地に達する路は曲りくねってはいるが、遠くではない。ただ向い風が身体にあたるので骨のおれる気がした。見渡す限り、そして上の方へ登れば登るほど、松林の海で、それも今風をうけて見渡すかぎり一様に横様になびいている。その一列一体の姿勢には、それが渺茫としているだけに何やら空々たる趣きがあった。ちょうど疾風がどこかの人類の棲息しない目的もない遊星をめぐって咆哮でもしている様に空々たる趣きがあった。彼等は山の草深い頂上に来た。松林は頂上までは続いていないので、そこはさながら禿頭のように見えた。材木と針金とで作った粗末な外柵は、これが墓地の境界だと一行に物語る様に嵐の中にピュウピュウと鳴っていた。しかしこの時既にクレーヴン探偵は墓の一角に立ち、フランボウは鋤の尖を地中に突き立てて倚り掛っていたが二人共に、その材木や針金並びに嵐の中にフラフラと揺れて見えた。 墓の下方には丈の高い薄気味の悪い薊が枯々とした銀灰色を呈しながらむらがっていた。一度ならず、二度ならず、嵐にあおられた薊の種子がブウと音を立てながらクレーヴン探偵の体を掠めて弾け飛んだが、そのたびごとに探偵は想わずそれをよける様な腰付になりながらピョコリと飛上っていた。 フランボーはざわめく叢の上から鋤の刃をしめっぽい粘土の中へザックリと刺込んだが、思わずその手を引いて棒杭にでもよりかかるようにその柄によりかかった。 「どんどん関わずやりなさい」と坊さんが落着いた声で云った。「わし等はただ真理を発見しようとして試みるだけじゃ、何を恐れる事があるんじゃ」 「いやその真理の発見が実は少々、むずかしい」とフランボーが苦笑いをしながら相槌をうった。クレーヴン探偵は突然赤ん坊の歓ぶような大きな声、話声と歓声とを一しょにしたような声でこういった。 「実際何だって彼はこんな風に身体をかくそうとしたもんだろう、何か恐ろしい事でもあるんかしら。あの男は癩病患者ででもあったのでしょうか」 「いやそれにしんにゅうをかけたようなものさ」とフランボーが云った。 「へえそれにしんにゅうをかけたものというと、はあて」 「なに実は私にも見当がつかないんだ」 かくてフランボーはだんまりのまま惧る惧る何分かの間掘りつづけたが、やがて覚束なげな声でこういった。 「やれやれ死体の原形がくずれていない事を神に祈る」 「それはな、あなたこの紙面だとて同じことじゃ。この紙面を見てもわし等は気絶もせんでとにかく生延びては来たもんな」師父ブラウンが静かにまた悲しそうにこう云った。 フランボーは盲目滅法に掘った。が、嵐は今までの煙のように山々にまつわりついていた息苦しいような灰色雲を既に払いつくして、彼が荒木造りの棺を根こそぎ掘出して、芝生の上に引っぱり出させた頃には星影さびしい夕空をからりとのぞかせていた。クレーヴンは手斧を握りしめて前へ進みよった。薊の頭が彼にさわった。またもやはっとした彼は思わずたじたじとなった。がたちまち気を取直して、フランボーに負けぬ力を揮いながら、手斧を棺へ滅多打ちに打ちこんだ。遂に蓋が飛散った。内部にあるほどのものはすべて灰色の星明りの中に異様な薄光りを放っていた。 「骨だ」とクレーヴンが云ったが、彼は次に、「人骨だ」と言い足した。何にか思いがけない物を発見したように思わず大声を上げた。 「それで君、それはそっくりしているかね」とフランボーが妙に沈んだ声で訊ねた。 「さあ、そっくりしている様だが、まあ待ちなさい」探偵は棺の中に横わる黒ずんだ腐れ骸骨の上に乗しかかるようにして見ながら嗄れ声で云った。たちまちまた彼は、「これは不思議だ、骸骨に首がない」と叫んだ。 クレーヴンもフランボーもしばらくは棒立に立ちすくんでいたが、この時初めて、一大事といわぬばかりに、びっくりして飛上がった。 「何、首がない、へー、首がない」坊さんは元より欠けているものがあるにしても、まさか首ではないだろうと思っていたのに、と云うような意外な調子でこう繰り返した。 たちまち一同の頭には、クレンジール城に首無児の生れた、もしくは、首無少年が城中に人目を避けている。あるいはまた、首無の大人が城中の昔造りの広間や華麗な庭園内を濶歩しつつある馬鹿らしい光景がパノラマのように過ぎ去った。しかし肝心の眼の前の問題については何の名案も頭には浮んで来ず、また首無の理由があるのやらないのやらさえ考える事が出来なかった。一同はまったくポカン、とした面持で疲れはてた馬か何かの様に、嵐の音や松林のざわめきに、ただ聞きいるばかりであった。 考えるにも考える事が出来なかった。とその時、静かにブラウンが話しだした。 「ここに三人の首無男が発掘された墓をかこんで立っておりますな」とブラウンが云った。青くなった倫敦探偵は何か物を云おうとして田舎者のように口をアングリさせたままであったが風は遠慮無くピンピンと空をつんざくように叫んだ。やがて彼は自分の手に持つ手斧を、自分のものではないようにながめてはたと落した。 「師父、師父」とフランボーが取っておきの嬰児じみたしかし重苦しげな声を叫び出した。「この際吾々はどうすればよいのでしょうか」 するとこれに応じてブラウンは小銃弾が出て行く時のシューッというような怪速度を以て、「眠る事じゃ」と叫んだ。「眠る事じゃ、わし等は路のどんづまりまで来た。眠るとはどう云う事かな。あなたは知っているかな、眠る所の凡ての人は神を信じる人であるということを、故に眠りは聖礼である。なぜならば眠りは信仰の行いであるからじゃ、吾等の糧である。でわし等は今何かしら聖礼を要する。それも自然の聖礼だが、何やら人間の上に滅多には降りて来んものがわし等の上に下って来る。おそらくそれは人間の上に下る事の出来る最悪のものでもあろう?」するとクレーヴン探偵の唇が「一体それはどういう意味なんですか」と訊くために上下から寄り添った。 坊さんは城の方に顔を廻しながら答えた。 「わし等は真理を発見はしたのじゃ。がその真理は意味を吾々に語らんのじゃ」 こういって彼は彼としてはごく珍らしい、馬が無鉄砲に飛跳ねるような足取りをしながら、二人の前に立って山を降った。そして城へ到着するかしないかに彼は犬のように無雑作に身体を眠りにまかせた。
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