三
府中近くなると、もう、人々が迎えにきている。土方も、近藤も可成り前、故郷を離れた切りだったから、新撰組の近藤、土方、若年寄という大役の近藤として、郷土の人々に逢うのは、誇であった。 「御酒と、火とを沢山。用意しておきましただ」 人々は、だんだん増してきて、近藤の馬の左右に、わいわい云いつつついてきた。府中へ入ると、大きい家には、幕が張ってあって、人々が、土下座をして二人を迎えた。一軒の家に 「近藤勇様、土方歳三様御宿所」 と、書いた新らしい立札が立っていた。その前で、二人は馬から降りた。隊土達は、人々に案内されて、寺に、大家に、それぞれ宿泊した。 空っ風に、鼻を赤くして、のりの悪い白粉を厚くつけた女が、町中を走り歩いた。若衆は、錆槍だの、棒だのをもって、役所の表に立った。太鼓が万一の為に用意されて、近藤の家の軒に釣るされた。百姓は、大砲の荷をなでながら 「これが、大筒ちゅうて、どんと打つと、二町も、でけえ丸が飛出すんだ」 と、包んである藁筒の隙から、砲先をのぞき込んでいた。 金千代と、竜作とは、接待に出た酌婦へ、江戸の流行唄を教え乍ら、酒をのんでいた。
甲州街道に、 松の木植えて 何をまつまつ 便より待つ
「あんちゅう、いい声だんべえ。この御侍は、よう」 と、酌婦は、金千代に凭れかかった。金千代は、左手で、女の肩を抱いて 「今度は、上方の流行唄だ」
宮さん宮さん 御馬の前で ひらひらするのは何んじゃいな。
「誰だ」 隣りの部屋から、怒鳴った。金千代が、黙ると 「怪しからんものを唄う。朝敵とは、何んじゃ」 会津兵が、襖を開けて 「これっ」 金千代は、御叩頭して 「仕舞いまで唄を聞かんといかん」
あれは、芋兵を 征伐せよとの 葵の御紋じゃ無いかいな
「たわけっ」 と、云って、会津兵が引込んだ。酌婦が、その後姿へ、歯を剥出した。 「御前今夜、どうじゃ」 酌婦は手を握り返して 「俺らも、甲府まで、くっついて行くべえかのう」 「よかんべえ」 竜作が 「雪だ」 と、いった。障子を開けると、ちらちらと降り出していた。
今宵も、雪に、しっぽりと、 卵酒でもこしらえて 六つ下りに戸を閉めて 二人の交す、四つの袖、
「ようよう、俺らあ、酔ったよ。金公、金的、もっとしっかり、抱いてくんしょ」 酌婦は、豚のような身体を、金千代に、すりつけた。
四
一人が 「早馬だ」 と、叫んだ。腹当へ、大きく「御用」と、朱書した馬に乗った侍が、雪の泥濘を蹴って走ってきた。 「留めろ」 近藤が叫んだ。二人の旗持が、旗を振って 「止まれ。止まれっ」 兵が二三人。大手を拡げて 「止まれえ」 「何故止める」 馬の手綱を引締めて、侍が、不安と、怒りに怒鳴った。 「甲陽鎮撫隊長、近藤勇だ。何処の早馬か」 「おおっ――これは、甲府御城代より、江戸表への早馬です」 「敵の様子を知らんか」 「それを知らせに行くんです」 「何処まできた」 「昨夜、下諏訪へ入りました」 「下諏訪?――甲府まで幾里あるかな」 「十三里です」 「ここから、甲府までも、そんなものか?」 「ここからは十七里です」 「十七里か?」 近藤は、土方に 「急げば、間に合おう。敵に入られてはならぬ。土方、急ごう」 土方は、侍に 「敵兵の人勢は?」 「五千とも、七千とも申します」 土方は、近藤をみて 「菜葉隊がつづかぬから、大砲の打ち方さえ判らない上に鉄砲がこの数では、とても、太刀打できんでないか」 「又、君は、鉄砲の事をいう――急げ、とにかく、急ごう」 早馬が去ると、一行は、八王子へ急いだ。そして、八王子の有志が、出迎えていた。 「無闇に、進んだとて仕方が無い。後続部隊も来ないのに――それに、四里も差があっては――」 と、その休息の時に、意見が出たし、第一日が暮れかかってこの雪道の笹子峠を越せるもので無かった。それで、八王子へ泊った。酒と、女とが、府中と同じように出てきた。千人同心が、三四百人は、加勢するという話であった。 「勝沼で食止めて、一泡吹かしてから、甲府へ追込む事にしよう。それまでには、加勢も加わろう。今夜にも、菜葉隊は、くるかもしれぬ」 人々は、酒を飲むと、そういう風に考えた。金千代と、竜作とは昨夜の如く、流行唄を唄っていた。
五
次の日は大月で泊った。四日に、笹子の険を越えたが、眼下に展開しているのは、甲府盆地である。最初の村が、駒飼で、ここから甲府へ六里、日が暮れてしまった。村人に聞くと、敵は、昨日甲府へ入ったと云った。 泥の半乾きになった道を、近藤と、土方とが、結城兵二三を連れて、防禦陣地の選定に廻った。そして、柏尾にいい所を見つけた。其処は、敵の来襲を一目に見下ろせて、味方が隠れるのに都合のいい所であった。 その夜中から村人を狩集めて、隊士が手伝って、村外れに小さい、歪んだ所をこしらえた。二三人が押したら、すぐ潰れそうな所であったが、甲陽鎮撫が、防禦陣地に関所の無いのは、格式にかかわるという風に考えていた。 「この所一つあれば、十人で千人の敵へ当たる事ができる。蛤御門の戦の時に、長州兵が、三尺の木戸一つに支えられて、小半時入れなかった」 近藤は、この関所で、太刀を振るって、敵を斬っている自分の姿を想像した、何う不利に考えても、自分が一人で、守っていても、敵に蹂躙されそうにもなかった。 風呂敷、米俵の類を集めて、土俵、土嚢を造った。隊士も、百姓も、土を掘って米俵へつめては、篝火の燃えている下へ、いくつも積上げた。力のある者は、石を転がしたり、抱上げたりして、土俵の間へ石を置いた。そして二尺高い堡塁が、半町余りの所に、点々として、木と木の間へ出来上った。 金千代と、竜作とは、炊事方になって、村の中から、女、子供に差図して、兵糧を運ばせた。沢庵と、握飯が、すぐ冷えて人々は、昨日までの、女と、酒とを思出した。 夜半から、又、雪がちらちらしかけた。人々は、茣蓆を頭からかぶったり、近くの家の中へ入ったり、篝火を取巻いたりして、初めて経験する戦争の前夜を、不安と、興奮とで明かした。
六
山裾の小川沿いに、正面の街道から、田の畝づたいに、敵が近づいてきた。だん袋を履いて、陣笠をかむり、兵児帯に、刀を差して、肩から白い包を背負った兵であった。 四五丁の所で、右へ走ったり、左右に展開したりして、横列になった。そして小走りに進み乍ら、銃を構えた。隊長が、何かいうと、折敷いて、銃を肩へつけた。近藤が 「馬鹿なっ」 と、呟いて微笑した。そして、側の兵に 「撃ってみろ」 と云った、兵は、すぐ射撃した。近藤は、飛出す弾丸を見ようとしていたが、ばあーんと、音が、木魂しただけで弾丸の飛ぶ筋が見えなかった。 (慣れたら、見えるだろう) と、思った。 「もう一発」 「隊長殿、ここからだと、遠すぎますよ」 「黙って打て」 勇は、白いものが、眼を掠めたように感じた。 (あれが、弾丸の道だ。研究して見えぬ事は無い) と思った。 前面の野、林、道に、一斉に白煙が、濛々と立ち込めた瞬間、銃声が、山へ素晴らしく反響して、轟き渡った。と、同時に、ぶすっという音がして、土俵へ弾丸が当ったらしかった。近藤は、振向いて、何処へ当ったか見ようとしたが、判らなかった。びゅーん、と耳を掠めた。 白煙が、一杯に、低く這ったり、流れたりして、兵も、土地も林も判らなくなった。その煙の下から、敵が、又前進しかけた。土方が、大声で 「撃てっ」 と叫んだ。 「大砲っ」 「大砲、何してるかっ」 兵が、怒鳴った。後方の大砲方は、身体をかがめて、大砲を覗いたり、周章てて、砲口を上下させたりしていた。一人が、向鉢巻をして 「判った」 と、叫んで 「除けっ、微塵になるぞっ」 口火をつけた。兵は、耳の、があーンと鳴るのを感じた。空気が裂けたような音がした。その瞬間、すぐ前の木が、二つに折れて、白い骨を現したかと思うと、土煙が、土俵の前で、四五尺も立昇った。 味方の弾丸は、前方の煙の中へ落ちて、土煙を上げた。 (今に、破裂する) と、兵も、近藤も、土方も、じっと凝視めていた。だが、破裂しなかった。 「口火を切ってない」 一人が、周章てて、弾丸の口火をつけて、押込んだ。銃声と、砲声とが、入り乱れてきた。兵の後方で、土煙が噴出した。山鳴がして、兵の頭へ、雨のように降ってきた。七八人の兵が、堡塁の所へ、しゃがんでしまった。 四十挺の鉄砲方の外の人々は、槍と、刀とを構えて、堡塁から、顔だけ出していた。一人が堡塁へのしかかるように、身体を寄せて敵の前進を眺めていた。 (成る程、遠くまで届くものだな) 近藤は、立木の背後で、散兵線を作って、整然として、少しずつ前進してくる敵に、軽蔑と、感心とを混合して、眺めていた。
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