四
寛永十一年十一月七日、辰の刻、今の朝八時である。此時荒木が又万屋へ戻ろうとするから、 「何故(なぜ)?」 と聞くと、 「イヤ、一文多く渡したのだが、平常(いつも)なら何でも無いが、こういう場合だから、又右衛門め周章(あわ)てたなと思われるのが残念だから、一寸(ちょっと)行って取戻してくる」 と云ったという話があるが、これは嘘らしい。 長田川の橋に現れた一行、真先に立って周囲(あたり)を見廻しつつ馬上でくるのは又五郎の妹聟で大阪の町人虎屋九左衛門、半町も先に立って物見の役とある。つづいて美濃の国戸田家の浪人、桜井半兵衛とって二十四歳の若者、使慣れたる十文字の槍を小者三助に立てさせ馬側に気に入りの小姓湊江清左衛門(みなとえせいざえもん)を引つけ、半弓をもった勘七、同じく差替をもった市蔵を後にしたがえて、天晴なる骨柄寛永武士気質を眉宇(びう)に漲らせている。又五郎同じく二十四歳、小者一人、喜蔵というに十文字の槍をもたせ後ろを押える人として叔父の川合甚左衛門、四十三という男盛り、若党与作に素槍を担(かつ)がせ、同じく熊蔵を従えた主従十一人鎖帷子厳重に、馬子人足と共に二十人の一群、一文字の道を上野の城下へ乗入れてくる。 荒木又右衛門保和、時に三十七、来(らい)伊賀守(いがのかみ)金道(きんみち)、厚重(あつがさね)の一刀、※元(はばきもと)で一寸長さ二尺七寸という強刀、斬られても撲られても、助かりっこのない代物である。虎屋九左衛門の馬は遥かに過ぎ、鍵屋の前を桜井の馬が曲り、押えの甚左衛門が、今万屋の軒先へさしかかった時、 「甚左衛門ッ」 大音声の終らぬうち大きく一足踏出した又右衛門の来金道、閃くと共に右脚を斬落としてしまった。馬から落ちる隙も刀を抜くひまも無い。タタと刻足(きざみあし)に諸共(もろとも)今打下した刀をひらりと返すが早いか下から斬上げて肩口へ打込んだ。眼にも留らぬ早業である。川合甚左衛門、自慢の同田貫(どうたぬき)へ手をかけたが抜きも得ないで斃(たお)されてしまった。一口に刀を返してというが中々尋常の腕でこの返しが利くものでない、「翻燕(ほんえん)の刀」と称して、真向へ打を入れて、受けんとする刹那、転じて胴へ返すのが本手で、これはいろいろに使うのである。打込んで行く勢を途中で止めるのが練磨の腕前だが敵もさる者、それを見破ってその「間(かん)」に逆撃されると負になる。あくまで真向(まっこう)微塵(みじん)とみせて、ヒラリと返すのだから一流に達した腕でないと出来ない芸当である。初太刀は大抵受けられるが、後の先といってすぐの斬返しにまで備えるのは余程の腕が要る。片脚を落された刹那刀を抜いて次の斬込みに備える隙位は普通の相手なら有る所だが、名代の荒木又右衛門、斬下すと共に返してきたから、隙も何も有ったものでない。二太刀で物の美事にやられてしまった。甚左衛門を倒すと共に、周章(あわ)て立つ小者共に、 「邪魔すなッ」 と大喝したから、思わず逃出す。 「数馬、助太刀はせぬぞッ」 と云い捨てて、二人きりの勝負とし、小者共を追いながら鍵屋の角から桜井半兵衛へかかって行った。 この早業は到底数馬には出来ない。荒木と共に走出したが、又五郎も期していた所である。供の槍を取るが早いかそれを力にしてひらりと左の方へ降立つ。 「又五郎、覚悟致せ」 「さあ、参れッ」 万屋も鍵屋もバタバタと戸を閉める。小田町は大騒ぎになった。数馬は又右衛門に仕込まれて相当の腕にはなっている。しかし真剣の立合はこれが始めてである。ただ敵に対した時の覚悟だけはちゃんとしていたらしい。美少年でも流石(さすが)は寛永時代の武士、中々味のある勝負をしている。又五郎は琢磨兵林によると真刀流の達人で、弱年の頃「猫又」を退治したと書いてあるが、「猫又」などという代物が怪しいように、又五郎の腕も判らない。その証拠には源太夫を殺した時に周章(あわて)て、止(とど)めも刺さなけりゃ、鞘まで忘れて逃出してしまっている。不良少年の強がりで一寸(ちょっと)人を斬っては見たが、度胸も腕もそうあったものとは思えない。それ以後二三年の修業だからまずは数馬と互角の勝負、ただ槍をもっているだけが強味という所である。腕が同じだと槍の方に歩がある。槍の目録に対して刀の免許が丁度いい位で、一段の差があるそうである。 又五郎は中段に位をとる。数馬は柳生流の青眼、穂先と尖先(きっさき)が御互にピリピリ働いて、相手に変化を計られまいとする。二尺余りを距てて睨合っているが、槍の方から仕懸けて行くらしく時々気合と共に穂先が働く。それにつれて刀も動く。と、閃めいた穂先、流星の如く胸へ走る、数馬の備前(びぜん)祐定(すけさだ)二尺五寸五分、払いは払ったが、帷子の裏をかいて胸へしたたか傷けられた。 「此処だぞ」 と、数馬は思った。 「自分は死んでもいい、その代りにはきっと又五郎は討取ってみせる、さあ来い」 又右衛門の仕込んだのは此決心である。身を捨てて敵を討つという必死の決心である、短い気合を二三度かけるが早いか、数馬は又五郎の手元へ飛込もうとした。さっと繰引いて突出す槍、胸へ閃いてくるのをそのままに片手で槍の柄を握るが早いか、半身を延して片手討の大上段、真向から斬込んでしまった。槍は離れて得な武器だが、附込まれて役に立たぬ。放すが早いか飛退って腰へ手がかかる刹那、左手(ゆんで)に槍をすてて片手なぐりに二度目の祐定が打下す。こうなれば受ける隙も無い。咽喉笛へ噛(かじ)りつきたいように憎みを御互にもちながら、又五郎も斬らしておいて抜打に数馬の真額(まっこう)へ斬つける。この抜打は承知の事だから、避けは避けたが気が上ずっている身体(からだ)はままに動かない。耳から頬へかけて一筋かすられる。こうなればもう二人とも本当の刀は使えない。無茶苦茶に呼吸(いき)がつづけば斬合うだけである。相当の腕の者なら、槍を受けておいて斬込んだ時に、致命傷を与えてそれでケリがつくのだが、腕のちがいはそうも行かない。宮本武蔵が、 「二刀を使うのは、片手でも双手(もろて)と同様に働かせるための練習である」 と云っているが此処の事である。片手で斬込んだ時平常(ふだん)の練習で双手で斬込んだと同じ効果(ききめ)があったら、数馬は矢張池田家中第一の美男子でおられたかも知れないが、不幸にしてこの心得が無かったため、顔へ二ヵ所の傷を受けてしまった。武蔵は従って大抵二刀で仕合をしていない。必ず一刀でそして一太刀で相手を倒している。流石(さすが)に剣道の第一人者だけの事がある。又右衛門とは又同日の談ではない。 この二人の勝負で、数馬は十三ヵ所、又五郎は五ヵ所の手傷を受けた。池田家に保存されているこの時の祐定の刀には六ヵ所も斬込みがあって如何に悪闘したかを物語っているが、伝える所によると「辰の刻より三刻が間」というから朝の九時から午後の三時まで斬合っていた事になる。正味六時間、これはどうも※(うそ)らしい。又右衛門が甚左衛門を斬ったのは物の十秒とかかっていない、それからすぐ桜井半兵衛にかかって、容易(たやす)く打討(うちと)ったのだから長くて四五十分の事である。一時間とみたとしても残りの五時間を又右衛門が又「熱燗」で、二人の勝負を見物していたとは考えられない、この三刻は甚左衛門が斬られてから、役人の出張、負傷者の手当、野次馬が又右衛門について役所へ行く迄の時間と見るのが正当である。 鍵屋の角を曲った時、桜井半兵衛は又右衛門の懸声を聞いた。とたん、物影から武右衛門が斬つけた。たたみかけて斬込む刀、槍を取る隙が無いから、刀の鞘を払って受留めると共に馬からうしろへひらりと降立った。武右衛門と共に走出た孫右衛門は、槍持ちの三助に斬かかったから、三助驚いて槍を縦横に振廻す。半兵衛と三助御互に渡しも受取りもできない。素破(すわ)っ、と驚いたが流石に半兵衛の供をしてきた若党だけある。清左衛門が抜くと共に市蔵も木刀を抜いた。定まらぬ腰ではあるが、主人大事と、遠くから「ヤアヤア」位で迫ってくる。武右衛門も又右衛門に相当の間奉公していて一人前の腕だが三人に一人の腕では無い。まして半兵衛、槍ほど無類の達者では無くとも、刀法も武右衛門よりは上である。 「下郎、参れッ」 と大上段、つつと小刻に寄ったから武右衛門一足退く、と中段に刀が変るが早いか、 「エヤッ」 躱(かわ)す隙も無く、肩をざくりとやられてしまった。三助を相手にしていた孫右衛門、相手を捨てておいて、 「己れ」 と横から斬かかる。 「ヤア」 と、構えられると流石にすぐは踏込めない。三助、その間に槍の鞘を払うや孫右衛門へ、 「こん畜生ッ」 と突いてかかった奴を袖摺(そですり)へ一ヵ所受けた。その時又右衛門が走寄(はしりよ)ってきたのである。血に染んだ来金道二尺七寸を片手に、六尺余りの又右衛門が走(かけ)つけたのだから小者は耐(たま)らない。浮足立つ所孫右衛門、 「糞ッ」 というが早いか、十文字槍をもってへっぴり腰に突いてかかった三助へ斬込んで一太刀肩へ斬込んだ。ばったり倒れたので孫右衛門が暫く呼吸(いき)をついで、半兵衛にかかろうとする。武右衛門は半兵衛を孫右衛門に渡したが肩の傷が可成りに深い。気が立っているから戦はするものの、清左衛門に又傷を受けた。しかし、又右衛門が来て半兵衛が追すくめられているのをみると、小者共はとても戦う勇気などなくなってしまう。半弓をもっていた勘蔵がうろうろしていて武右衛門に尻を斬られて横っとびに逃るし、清左衛門も武右衛門の決死の顔をみると薄気味悪くなって、逃げ出すのを追討ちに肩をやられる。市蔵一人木刀をもって石垣の所で固くなっているのみである。武右衛門は二人を追払うと共にぐったりとなってしまった。鍵屋の前で又五郎と数馬が斬合っているから助太刀しようとして一足踏出と共に倒れてしまった。気を取直して石へ腰をおろしたが刀を杖にしたままどうもできない。 又右衛門も相手が半兵衛だから自重している。御互に青眼、所謂相青眼の構え。 「どうした事じゃ、其処な御仁(おひと)に申すが敵討か、喧嘩か」 という声が突当りの崖上からした。孫右衛門の耳にも誰の耳にも入ら無いが、又右衛門は微塵(みじん)も逆上していない。 「敵討、敵討で御座る」 と、じっと半兵衛を見凝(みつ)めながら答えた。しかし対手が老人で通らない。又しても聞くのに対して又右衛門は又返事をしながら鉾子尖(きっさき)をカチリと半兵衛の太刀先へ当てながらじりじりと追込んでくる。槍をもたしたならどうなったか知れぬが武右衛門の命がけの働で槍をとる隙がないから半兵衛は歩の悪い太刀打である。喋りながらも寸毫(すこし)の隙なく詰寄せてくる太刀に気は苛立ちながら、押され押されして次第に追込まれる。軒下に焚物の枯松葉が積んであったが其処まで押つけられてしまった。散らかしてある松の小枝に半兵衛の踵がかかる、その「間」、 「エイッ」 心得て一足退る。足をとられて松葉の上へ倒れかかるその一髪の隙、来金道が肩先へ斬込んできた。どっと倒れる所、孫右衛門得たりと斬つけて耳の上と眼の上へ傷(て)を負(おわ)せた。ハラハラとして、その様をみていた市蔵、来金道が打込むとき吾を忘れて走出した。振かぶった木刀、どしりと又右衛門の腰へ入った。綿入二枚に帯までしめていては痛い事も無い。二度目の木刀を又右衛門振かえりざま、 「危いぞッ」 と、払ったが、市蔵は死物狂い、三度目は憎い刀めと伊賀守金道を撲った。又右衛門も後に『不覚であった』と物語っているが、流石に厚重ねの強刀が、鍔元から五寸の所で折れてしまった。又右衛門もハッとしたが市蔵も思わず驚くと急に怖しくなって逃出した。 「孫右衛門、止(とど)めを刺すな」 と云っておいて又右衛門は鍵屋の前へ走(かけ)つけた。
五
数馬と又五郎は刀を杖にしてただ立っているだけである。咽喉(のど)はもうからからになって呼吸(いき)もつづかない。指は硬直してしまって延びも曲りもしない。掌は痛むし刀は重いし、眼は霞むようだしぼんやりしてしまって相手が刀を上げるとこっちも上げるし、休めば休むという風に反射作用で動いているだけである。 「数馬ッ、何故討てぬ。累年の仇敵(かたき)ではないか。愚者(おろかもの)ッ」 数馬が刀を取上げると又五郎も取上げたが、もう人の身体(からだ)かも判らない。斬込んだ刀の重み祐定の切味で、左腕を斬落した。又五郎も形だけは受けてみるが手もなく倒れてしまった。 「それ止(とど)め」 くずれるように止めを刺した数馬を、 「気を確かに、しっかりせぬとこのまま死んでしまうぞ」 と労(いた)わりつつ鍵屋の軒下へ入れた。町奉行が駈付ける。又右衛門が事情を話す。負傷者の手当をする。それぞれ役人警護の下に引取る所へ引取って上役の指図をまつ事になる。又右衛門は武右衛門をつれて傷の手当をしに数馬の姻族、彦坂加兵衛の家へ行って水を飲み、大飯を食って、役人のくる迄と眠ってしまった。藤堂家中の人々が称(ほ)めるのも、鳥取侯が死んだと偽って郡山へ戻さなかったのも三大仇討の一つと云われるのも、講釈師が飯の種にするのものも、芥川竜之介が又右衛門を強いというのも――尤(もっと)も芥川氏は弁慶が一番強いんだそうである。日本人の造出した一番強い奴が弁慶だからこいつに敵(かな)う奴は無いのだそうである。べんけいする奴には敵はないとか、ベんけいは天才の母とかいうのは此処から出た事である――。 武右衛門は暫くして死んだ。三助と半兵衛も二三日して死んだ。又右衛門は擦傷(かすりきず)を受けただけである。四十一歳で死んだというが、鳥取藩私史と渡辺家記とから考えると後まで城内深く留めておいたものらしい。墓は鳥取市外の玄忠寺にある。数馬は寛永十九年十二月二日に死んだ。鳥取寺町興禅寺に墓がある。岩本孫右衛門は七十三まで長命した。矢張寺町の光明寺にある。三人の子孫共現存しているそうである。郡山には荒木の屋敷趾が保存されているし、鳥取にも跡が判っている。数馬の家も粟屋町に残っている。川合又五郎の墓は上野の寺町万福寺にあって、念仏寺の川合武右衛門の墓と隣同志になっている。外の連中のは何も残っていない。鍵屋は現在も茶店である。仇討の跡には碑が立っている。
底本:「仇討二十一話 大衆文学館」講談社 1995(平成7)年3月17日初版発行 1995(平成7)年5月20日2刷 入力:atom 校正:大野晋 ファイル作成:野口英司 2000年8月23日公開 2000年9月20日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
●表記について
本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。
※元(はばきもと) |
第3水準1-93-34 |
※(うそ) |
第4水準2-88-74 | 上一页 [1] [2] 尾页
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