「これはお殿様から頂いたものです。」 私はその調子がおかしかったので、祖母の肩につかまって笑いました。祖母は怪訝そうに私の方を見ました。そしてやはり同じような調子で云いました。 「大事な品ですから、覚えておくんですよ。」 「どれが一番大事なの。」と私は尋ねました。 祖母は眼をしばたたきました。 「三つとも大事なの。」 「ええ。」 その時、私は祖母をからかうつもりでいましたが、ふと、重大な問題が頭に浮びました。土蔵の中のしいんとした静けさとしっとりとした空気と、高い窓からさす空の反映の薄ら明りが、祖母と私との間の距りをなくしてしまいました。 「お祖母さん、」と私は祖母の肩に顔をくっつけて云いました、「それを一つ分けてやってもいいでしょう。」 「え、誰にです。」 「僕には、どこかに、兄弟があるんでしょう。ね、あるんでしょう。僕逢いたいんだけれど……。」 祖母はじっと、でも静に、私の顔を見ていましたが、ふいに、私を膝に抱きよせました。 「あなたは何を考えているんです。そんなことはありません。あなたには、あの亡くなった兄さんきり、兄弟はないんですよ。」 「うそ、うそ。兄弟があるんでしょう。ね、本当のことを聞かして……。」 「いいえ、兄弟はありません。……けれど、お父さんには、他にもたくさん兄弟があります。」 私はびっくりして顔を挙げました。 「僕は知らない兄弟があるの。」 祖母は息をつめたように静かでした。眼が宙にすわって、夢をみてるもののようでした。今迄よりもずっと美しい祖母でした。 「話してあげましょう。お父さんは、お殿様のお子さんですよ。わたしが御殿につとめていました時、お胤を宿して、そのままこちらへお嫁入りしてきたのです。分りますね。だから、あなたもそれを忘れないで、立派な人にならなければいけません。」 何だか知らない熱いものと冷たいものとが、いっしょに私の心の中にはいってきました。父一人がお殿様の子供だったのか。よくは分らないが、ただ漠然としたその事実だけが胸にきて、私は祖母の胸にすがりついて、涙ぐみました。祖母は私を抱きしめて、いつまでもじっとしていました。私は父の顔をはっきり描きだしました。広い温厚な額、高い鼻、美しい長い口鬚、恥しそうな笑顔……ほかの兄弟――伯父さんたちと違ってる顔でした。 「誰にも云ってはいけませんよ。あなた一人にだけお話するんですから……。」 そして祖母はまた長い間私を抱きしめてじっとしていました。 私が鼻をかんで、黙って離れますと、祖母は三組の杯を丁寧に箱に納めました。そして私たちは土蔵から出て来ました。外の光がまぶしく思われました。 そのまぶしい光に眼も馴れると、私はひどく力強くなった気がしました。もう何の秘密もないんだ。私は何もかもみな知ってるのでした。 私は家敷の中を歩き廻りました。青竹を切って弓矢を拵えたりしました。 みよ子が遊びに来ると、私は云いました。 「お祖母さんに聞いたよ。僕には兄弟はないんだって……。」 みよ子は眼をくるくるさせました。 「僕は一人っ児なんだ。君とも姉弟じゃないよ。」 みよ子の眼が大きくなって、それから小さくなって、涙がぽろぽろ落ちました。 「泣かなくてもいいよ。」そして私は一寸傲慢な気持で考えてから云いました。「その代りやっぱり姉弟になろう。」 私はみよ子を引張って、奥の十畳の座敷に行きました。そこはいつも綺麗に片付いていて、床の間には大きな山水の軸がかかり、青銅の花瓶や刀掛などが置いてありました。 「僕はね……。」 云いかけて私は、座敷の真中に立悚みました。祖母から聞いたことをうっかり話すつもりだったのが、誰にも云ってはいけないという言葉を思い出すと一緒に、本当に誰にも云ってはいけないという気がしました。それが私をとても淋しくしました。私はみよ子を引張ってきて、何をするつもりだったんでしょう。お殿様ごっこ……姉弟の誓い……そんなものも頭から消えてしまいました。 私は頭を振りながら室の中を歩きまわりました。 「何をするの。」 みよ子は私の様子を見て、もう笑っていました。 「坐り相撲をとろう。」 「いやよ。」 「なぜ。」 「だって……おかしいわ。」 室の中を見廻すと、屏風がありました。みよ子に手伝わして、屏風を二枚もちだし、それを座敷の真中にまるく立廻しました。 「この中なら大丈夫だ。坐り相撲をとろう。」 みよ子は笑いながら屏風の中にはいって来ました。天井につきぬけてる十二角の塔の中は、全く別天地でした。私とみよ子とは、その中で取組み合って笑いこけました。 「まあ、誰ですか。」 声と一緒に足音がしました。 「屏風の中で何をしているんです。」 私たちは息をつめました。ふと、身体中真赤になりました。どうにも仕様がなくて、私は逃げ出しました。みよ子も後から逃げてきましたが、私は知らん顔をして、籔の中にかけこみました。 その時私たちを叱ったのは、誰だったか覚えがありません。けれどそれは確かに祖母ではありませんでした。祖母なら叱りはしなかったろうと思います。 其後みよ子はやはり時々遊びに来ましたが、私たちの間には一脈の距てが出来ていました。そして彼女は小学校にあがるようになると、だんだん来なくなって、私はまた一人ぽっちになりました。 みよ子から遠のくにつれて、私の心は益々祖母に接近していきました。私をじっと眺めてる祖母の頭の美しい髪の毛が、かすかに神経質におののくのを、私ははっきり覚えています。 冬になって雪が積ると、私は竹馬を拵えてもらって、高い塀の上の綺麗な雪をとりに行くのが楽しみでした。下げてきた鋼のやかんに一杯雪をつめて戻ってくると、祖母はそれをゆるい火の上にかけて、雪解の水をわかし、それで玉露をいれるのでした。それは祖母にとって、何かしら一種の贅沢なたしなみみたいなもののようでした。 夕食後、家の人たちが茶の間でいろいろな用談を初めます時など、私は祖母についてその居間に退き、炬燵にあたりながらうつらうつらするのでした。祖母は昔噺をやめて、じっと外の物音に耳をすますようなことがありました。そういう時に限って、屡々、裏の大楠の高い茂みのなかに、異様な鳴声がしたり、激しい物音がしたりしました。 私がぞっとして、眼付で尋ねますと、祖母は柔かなたるんだ頬にやさしい笑みを浮べて云いました。 「恐がることはありません。狐ですよ。お稲荷様が祭ってあるでしょう。」 * この物語に、祖父や父母や其他の面影が立現われぬからといって、咎めないで下さい。それらの人々のなまなましい面影が浮ばなかったことは、筆者にとってせめてもの慰めです。これは古里の幻の園で、いにしえの心の港です。
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