一
むかし、ある片田舎の村外れに、八幡様のお宮がありまして、お宮のまわりは小さな森になっていました。 秋の大変月のいい晩でした。その八幡様の前を、鉄砲を持った二人の男が通りかかりました。次郎七に五郎八という村の猟師でありまして、その日遠くまで猟に行って、帰りが遅くなったのでした。どういうものか、その日は一匹も獲物がありませんでしたから、二人はがっかりして、口も利かずに急ぎ足で、八幡様の前を通り過ぎようとしました。まるい月が空にかかっていて、昼間のように明るうございました。すると、先に歩いていた次郎七がふと立ち止まって、八幡様の横にある、大きな椋の木を見上げました。五郎八も[#「五郎八も」は底本では「五郎七も」]立ち止まって、同じく椋の木を見上げました。そして二人はしばらく、ぼんやり眺めていました。それももっともです。椋の木の高い枝に、一匹の狸が上って、腹鼓を打ってるではありませんか。 秋も末のことですから、椋の木の葉はわずかしか残っていませんでした。その淋しそうな裸の枝を、明るい月の光りがくっきりと照らし出していました。そして一本の大きな枝の上に、狸がちょこなんと後足で座って、まるいお月様を眺めながら、大きな腹を前足で叩いているのです。
ポンポコ、ポンポコ、ポンポコポン、 ポンポコ、ポンポコ、ポンポコポン。
次郎七と五郎八は、あっけにとられて、暫く狸の腹鼓を聞いていました。それから初めて我に返ると、五郎八は次郎七の肩を叩いて言いました。 「空手で戻るのもいまいましいから、あの狸でも撃ってやろうか」 「そうだね」と次郎七も答えました。「狸の皮は高いから、可哀そうだが撃ち取ってやろう」 そして二人は鉄砲に弾丸をこめ始めました。 ところが、その話が聞えたのでしょう、狸は腹鼓をやめて、じろりと二人の方を見下ろしました。そしておかしな手付を――いや、狸ですから足付というのでしょうが、それをしますと、急に狸の姿が見えなくなって、後には椋の木の頑丈な枝が、月の明るい空に黒く浮き出してるきりでした。 次郎七と五郎八とは、またあっけにとられて、夢でもみたような気がしました。それからいまいましそうに舌打ちをして、弾丸のこもった鉄砲をかついで、帰りかけました。 八幡様の森を出て、村の中にはいろうとすると、これはまた意外です、道のまん中にさっきの狸が後足で立って、こちらを手招きしながら踊ってるではありませんか。 次郎七と五郎八とは、黙って合図をして、鉄砲でその狸を狙い、一二三という掛声と共に、二人一緒に引金を引きました。ズドーンと大きな音がして、狸はばたりと倒れました。二人は時を移さず駆けつけてみますと、これはまたどうでしょう、大きな石が弾丸に当たって、二つに割れて転がっているのです。 二人はばかばかしいやら口惜しいやらで、じだんだふんで怒りました。きっと狸に化かされたに違いないと、そう思いました。そして、是非とも狸を退治してやろうと相談しました。
二
翌日二人は、八幡様の小さな森に出かけて、狸の巣を隈なく探し廻りました。しかしどこにもそれらしいのは見当りませんでした。けれども、晩にはまた出て来るかも知れないと思って、月が出るのを待って再び行ってみました。 月は前の晩と同じように、綺麗に輝いていました。昼間のように遠くまで見渡せました。二人は八幡様の前へ行って、例の椋の木を見上げました。すると狸はいませんでしたが、たくさんの椋鳥がその枝にとまっていました。 「あいつでも撃ってやれ」と二人は言いました。 そして二人一緒に鉄砲の狙いをつけて、打ち放しました。二羽の椋鳥がひらひらと落ちてきました。二人はそれを拾い上げました。それからまた見上げると、他の椋鳥は逃げもしないで、ちゃんと元の枝にとまってるではありませんか。 「晩だから眼が見えないのかな」と次郎七が言いました。 「きっと眠っているんだろう」と五郎八が言いました。 それから二人は、椋鳥を片端から撃ち落としました。二十羽あまりもいた椋鳥を、すっかり撃ってしまいました。それを二人で分けて、喜んで帰ってゆきました。 次郎七は勢いよく家に飛び込んで、狸はいなかったがこんな物を取ってきた、と言いながら椋鳥を畳の上に放り出しました。その顔をお上さんはじっと見ていましたが、思わずぷっとふきだしてしまいました。 「何を笑うんだい」と次郎七はたずねました。 「だっておかしいじゃありませんか。椋鳥だなんて言って……」 見ると、椋鳥だと思ったのは、みんな椋の葉だったのです。 そこへ、五郎八がやって来ました。ぷんぷん怒っていました。五郎八の方でも、椋鳥だと思ったのは、家へ帰ると椋の葉だったのです。 「どこまでも人を馬鹿にしてる」と二人は怒鳴りました。 こうなると、なおさらすててはおけません。二人は翌晩も八幡様の森へ出かけました。そして椋の木を見上げると、またたくさんの椋鳥がとまっています。小首を傾げて二人の方を見下ろしながら、羽ばたきまでしています。二人は半ばやけになって、その椋鳥を撃ち始めました。ところがこんどは、どうしても弾丸が当たりません。椋鳥はぴょいと身を交わして、弾丸をみんな外らしてしまいます。二人は何十発となく弾ちましたが、一羽も弾ち落とすことが出来ませんでした。しまいには力がぬけて、鉄砲を杖に佇みました。そしてよくよく見ると、今まで椋鳥がとまってると思った枝には、散り残ったわずかな椋の葉が、明るい月の光りを受けて、嘲り顔にきらきら光っていました。 二人はまた化かされたのでした。こんなふうではいつまでも狸に打ち勝つことは出来ません。もう御隠居に相談する外はないと、二人は考えました。
三
御隠居というのは、村一番の学者で、何でも知ってる老人でしたが、皆が大変尊敬して、「御隠居、御隠居」と呼んでるのでした。次郎七と五郎八とは、翌日早くその家へ行きました。そして前からのことをすっかり話した後、何とかその狸をやっつける工夫はあるまいかとたずねました。 御隠居は二人の話をにこにこして聞いていましたが、やがてこう言いました。 「それは中々おもしろい狸だな」 「おもしろい所じゃございません」と二人は言いました。「しゃくに障ってたまらないんです」 「じゃあ一つ、わしがそれを生捕ってあげよう。そのかわり、ほんとに生捕ることが出来たら、手荒なことをしないで、万事わしに任してくれるかね」 二人は承知しました。 その晩月が出るのを待って、三人は八幡様へ出かけました。次郎七と五郎八とは縄を持ち、老人は南天の木の枝を杖についていました。 椋の木の所へ行って見上げると、椋鳥も何にもとまっていないで、ただわずかな葉が淋しそうについているきりでした。 「畜生、今晩は出ないのかな」 「まあ待っていなさい、今におもしろいことになるから」と老人は言いました。 やがて老人は、じっと椋の木を見上げながら、大きな声で言いました。 「それ、木の葉が小鳥になった!」 するとその言葉通りに、椋の葉が皆椋鳥になってしまいました。 老人は暫くしてまた言いました。 「それ、狸が姿を現わした!」 するとその通りに、椋の枝に上ってる狸の姿が見えてきました。 老人はまた言いました。 「それ、狸が腹鼓をうちだした!」 狸は月に向かって腹鼓をうちだしました。 次郎七と五郎八とは、今度は御隠居に化かされてるような気持ちになって、腹鼓をうってる狸とにこにこ笑ってる老人とをかわるがわる見比べていました。老人はその二人の耳に、こんなことをささやきました。 「狸は何でも人の言う通りになると聞いていたが、なるほど本当だな。お前さん達は、あべこべに向こうの言う通りになるから化かされるのだ。まあ見ていなさい。今に狸が死んだふりをして落ちてくるから、そうしたら、縄で縛り上げるがよい」 しばらくして老人は、南天の杖をふり上げて、非常に大きな声で叫びました。 「それ、狸が死んで落っこった!」 すると、今まで腹鼓をうっていた狸は、にわかに死んだ真似をして、椋の木から落ちてきました。 次郎七と五郎八とはすぐに駆け寄って、縄で縛り上げてしまいました。 狸は老人の前に引き据えられて、頭をぴょこぴょこ下げました。老人は言いました。 「お前は人間を化かして不都合な奴だ。だが今度だけは助けてやってもいい。まあ、何でこの二人を化かしたか、その理由を言ってごらん。そのままでは人間の言葉が喋れないだろうから、人間に化けて言うがいい」 老人は狸の縄を解いてやりました。狸は一つお辞儀をして、とんぼ返りをしたかと思うと、立派なお婆さんの姿になってしまいました。そして申しました。 「どうも悪うございました。けれども、もとはこの人達の方がいけないのです。私が月にうかれて腹鼓をうってると、いきなり鉄砲でうとうとしましたから、つい化かす気になりました。でもあまりしつこく化かしたのはすみません。どうか助けて下さいませ」 「お前がそう言うなら、この二人と仲直りをさしてやってもいい。けれども、それには何か手柄をしなければいけない。三日の間猶予をしてやるから、そのうちによいことをして私の家へ来なさい。そしたら、この二人と仲直りをさしてあげよう。もし約束を違えたら、村中の者で狸狩りをするから、よく覚えていなさい」 狸のお婆さんは、大変有難がって厚く御礼を言いながら、三日のうちによいことをして来ると約束して、森の中にはいってしまいました。 老人は、まだ夢のような心地でいる次郎七と五郎八とを促して、村へ帰ってゆきました。
四
その翌日から、不思議なことが八幡様に起こりました。今まで荒れ果てていたお宮の中が、綺麗に掃除されました。屋根は繕われ、柱や板敷は水で拭かれ、色々の道具は磨き上げられました。お宮のまわりの森も、草が抜かれ枯枝が折られ、立派な径まで出来て、公園のようになりました。朝と晩には、神殿の前にお燈明があげられました。しかも、誰がそれをしたのか更にわかりませんでした。村の人達は非常に不思議がりました。ただ村の御隠居ばかりが、にこにこ笑いながら、その話を聞いていました。 三日目の夕方、一人の立派なお婆さんが、御隠居の家を訪ねてきました。御隠居はそのお婆さんを座敷へ通して、大変喜びながら言いました。 「あなたは狸さんですね。約束を守ってほんとによいことをして下さいました。村のお宮が綺麗なのは何よりも気持ちのいいものです。これから長く、村の人達と親しくして下さい」 老人はすぐに、村中の者を集めました。そして狸のお婆さんを皆に紹介して、一部始終のことを話し、八幡様を綺麗にしたのもこの人だと言ってきかせました。村の人達は、始めはびっくりし、次には大喜びをして、やがてうちとけてしまいました。 それからは、八幡様が村人の遊び場所となり、昼間皆がたんぼに出ますと、その間狸が子供達を守りしてくれました。もし狸に仇するような獣が来ますと、次郎七と五郎八とが鉄砲で打ち取りました。 毎年一回、秋の月のいい晩に、村中の人が八幡様に集まりまして、酒宴を開きました。それを「狸のお祭」と言いました。男も女も子供も、大勢の子狸や孫狸と一緒に踊り騒ぎました。御隠居がいろんな唄を歌いますと、それに合わして大きな狸が、腹鼓のちょうしを合わせました。
ポンポコ、ポンポコ、ポコポコポン、 ポンポコ、ポンポコ、ポコポコポン。
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