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秦の出発(しんのしゅっぱつ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-13 7:21:19 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


「万一の用心だ。」と秦は言った。「仲毅生のことも先方に知れてる筈だったからね。」
 室の中には、壁面に多くの書画の掛物、机上に陶製や銅製の古い花瓶、窓際に多くの椅子……そして片隅の机上に、写真帳が堆く積まれていたが、それは各地の風光の写真らしく見えた。
 案内の男は他の男と代り、秦は中央の小卓の前の榻に腰をおろした。煙草と茶とが出た。――面会中それだけのもてなしだった。
 洪正敏が出て来ると、男は秦啓源を改めて披露した。洪はうなずいて、秦を見た。秦は鄭重に挨拶した。洪は男を室から去らして、小卓ごしに秦と向い合って席についた。
「あなたのことは知っていた。私からも逢いたく思っていた。」と洪は笑顔で言った。
 七十歳に近い洪は、まだ矍鑠たるもので、肩には肉の厚みも見え、髪は短く刈り、顔色は浅黒く、太い眉と細めの眼とが特徴である。そしてその顔にも態度にも、善良そうないたわりの気味が現われてるのを、秦は意外にかつ不思議に感じた。なにか予期に反したのである。
 この予期外れが、対話をも予期外れのものとなした。秦は腹蔵なく語り出したのである。
 彼は上海の内臓を探るつもりで金属の商取引にも手を出したが、多くの豪壮な建築に地下室が殆んど無いことから、他のことを発見した。泥土地帯の上に構築されたこの都市は、地下三尺のところはもう水である。豪雨があれば、目貫の街路にも出水三尺に及ぶ。四百万から五百万の人口がその水上に住んでいるのだ。これらの人々が作り出す汚水はどう処置されているか。浄化所は今のところ三ヶ所あって、通風、撹拌、消毒、沈澱などの工作の後、河中に放出されているが、その浄化所へ汚水を導くポンプには、莫大な電力が消費される。然しこの汚水浄化系統の地区は全市から見れば僅少なもので、大部分の地区、殊に支那人居住地区では、汚水は馬桶モードンから舟に移され、舟で田舎へ運ばれ、肥料として売却されている。この売上代金は更に莫大だ。嘗ての工部局時代、右の電力費用は年に約百万元だったし、汚水売却の収入は年に約千万元だった。
「この事実をどう見られますか。」と秦は言った。
「その御質問の意味は……。」と洪は問い返した。
「上海が農村を愚弄してることについて腹が立つのです。上海が真の近代都市ならば、汚水浄化に何百倍の電力を消費しても構いませんが、真の中国の都市ならば、余った汚水は極めて安価にあるいは無償で農村に配布すべきでしょう。」
 洪は真面目にうなずいて、秦の顔をじっと眺めた。
「私は上海の人間も嫌になりました。」と秦は言った。
 そして彼は、彼の家にいる梅安の話をした。田舎から来てるこの女中は、その郷里に小さな女の子を一人持っていた。秦は彼女に、日本の知人から貰った友禅金巾の反物を与えた。年末近くのことだった。彼女はその金巾を、夜更けまで裁縫し、最後には徹夜までした。楊さんからそのことを聞いて、彼女に問いただすと、彼女は田舎の娘のために、正月の晴衣を縫ったのだ。正月のまにあいますようにというのが、彼女の一心だった。――今年ももう年末近くで、秦は梅安のことを思い出し、蘇州の模様絹を買って与えた。彼女はいたく喜んで、娘のために裁縫をしているのである。
「こういう女を、いや、こういう人情を、ほかに上海で見かけられますか。」と秦は尋ねた。
 洪は頭を振った。
「上海がそういう人情を失ったのは、農精神を全然喪失したからです。」
 だから上海には、平時でも十万から二十万に及ぶ苦力と乞食がうようよしていたし、冬期には月に二三千人の凍餓死者を出したことも珍らしくない。彼等をすべて農村へ帰農させるべきだ。米麦の耕作の合間には、棉を栽培してもよかろうし、豚を飼育してもよかろう。もしも棉栽培が全耕地の五パーセントに達すれば、その収穫は全東亜を優に賄えるし、豚の頸毛は生糸よりも優秀な利用価値がある。好んで乞食や苦力の生活に執着する必要はないのだ。
「上海人種は、そういうことをすべて忘れています。」と秦は言った。
「左様。」と洪は同意した。「上海は、あなたが説かれるような農の意識を失っている。然し国家存立には、他の精神も必要だろうからな。」
「いや、私が言うのは、農精神を基調とした新たな構想の国民組織を行なわなければ、中国は国家として存立し得ないということです。嘗ての新生活運動だの、近頃の新国民運動だの、保甲組織だの、そういう浅薄なものでは駄目だということです。」
 洪はじっと秦を見つめた。
「つまり、あなたはどこか農村へ出て行くつもりで、それで、この私に何か後事を託そうとでも……。」
「後事を……いや、ちょっと始末をつけたいのです。」
 秦は洪の眼を見返した。洪の眼はそれでも、静かな温容を湛えて、秦を見戌っていた。
 沈黙が続いた。会談中に何回か運ばれた熱い茶が、また同じ男の手で運ばれてきた。その男が出て行った時、秦は懐をさぐって、小さな紙包を取り出した。
「これを、持主に返して貰いたいのです。」
 小卓の上に置かれた紙包を、洪はじろりと見やった。
「拝見しても宜しいか。」
「どうぞ。」
 包み紙の下の白紙には、仲毅生の名前が誌されていた。その中は油紙で、根本から切り取られた人間の耳朶が包んであった。もう黒ずんだ血をにじませて少しく干乾びていた。
 洪はそれをまた包み直して言った。
「彼奴のことは承知していた。それにしても、面倒なことをなされたものだ。」
「面倒とは……。」
「後の始末だ。一挙にやっつけた方が簡単だったろう。」
「僕が手を下したのではありません。」
「それも承知しているが……。」
 洪は立ち上って、紙包を戸棚にのせた。
 ふしぎなことに、それらの対話と受け流しとが、至って平静に為されてしまったのである。それが殊に秦の予期に反した。彼は額にかるく汗ばみ、疲労を覚えた。
 用件は済んだ。秦は立ち上って辞去した。洪は階段の上まで見送ってきた。
 最初に案内してくれた男が出て来て、秦に自動車まで付き添ってきた。
 自動車の中で、秦は長い間沈黙していた。陳振東もそばで沈黙を守っていた。二十五歳のこの強健な鋭敏な男は、なにか忌々しそうに眉根を寄せていた。

 パレスの上階の食堂で軽く夕食をとりながら、秦は呟いた。
「何か大事なことを、洪正敏に言い忘れたような気がするんだが……。」
「いや、それはもうすべて済んだ。この方面のことは簡単率直だから。」
 そして彼は突然笑いだした。
「おかしいだろう。君から見たら、僕は道化役者ようだ。或る時は夢想詩人だし、或る時は半ば狂気な女をもてあつかってる色男だし、或る時はまた仁侠の徒だからね。それも上海の仕業だ。もうこんな生活にも倦き倦きしたよ。」
「いよいよ、無錫の田舎に引込むのかい。」
「うむ、丁度いい機会のようだ。引込むといっても、無錫は上海から急行で二時間のところだ。時々出て来るよ。ただ、生活は……仕事は、全然新らしい方面への出発となるだろう。」
 彼は窓から外に眼をやり、暮れかけた黄浦江のどんよりした水面を眺めた。――私たちの食卓は窓際にあったので、江上の小舟までも見えた。
「そのうちに、無錫附近を案内するよ。あの辺は、こんな濁った水ばかりでなく、清澄な小川が多い。町から少し離るれば、有名な梅園があるし、太湖の眺望も楽しめる。農村は君には興味がないとしても、無錫の町それ自体は、中国殆んど唯一の自力興起工業都市で、生糸や紡績や製粉の工場が軒を並べている。なにかしら清明で溌剌としているよ。」
「農業を言い落すのはおかしいね。」と私は微笑した。
「言うまでもないことだからさ、米や麦は最上等のものが穫れる。然しそのようなことより、無錫の軽工業地帯は、なお農精神を失っていないのが最も注目すべき点だ。農精神を失わない工業というものを、僕は考えているよ。そこに本当の生産の喜びが現代にも生きてくる……。」
 こういう事柄になると、私はいつも黙って、謹聴することにしていた。彼の思想……構想を自由に発展さしておきたかったのである。だが、その食堂で、私は他のことに気が惹かれてもいた。
 二卓ほど距てた斜め横に、どうも見覚えのあるような中年の男がいた。茶色の背広に蝶ネクタイをし、髪に油をぬっている。食卓にはビール瓶が立っていた。その男が、しきりに私たちの方に目をつけていた。秦は気付いているのかいないのか分らないが、なんだかその男の方面から顔をそ向けてる様子だった。
 果してその男は、私たちが食事をすまして珈琲を飲みかけると、静に立ってきて秦に挨拶をした。秦は露骨に冷淡な態度を示した。然し相手はあくまで慇懃な態度で話しかけ、にこやかな微笑を浮かべ続けていた。私には支那語が分らないので話の内容は不明だったが、二人の外見の対照は面白かった。秦はへんに伊達好みな服で、不愛想に取り澄しているし、相手は服装から物腰から言葉付きまで、社交馴れた紳士らしい趣きがあり、顔には微笑を絶やさないのだ。
 秦は私の方に眼配せをした。私は珈琲を飲み干したが、秦は半ば飲み残したまま立ち上った。
 廊下に出ると私は尋ねた。
「何だい、あの男は。」
「知ってるだろう、周釣さ。」
 周釣といえば、多方面に知られてる社交家で、本業は貿易商だという触れこみだった。然し、秦たち少数の者の間には、大体その本性が推察されていたのである。――周は全く各方面に知人が多く、それがまた多岐に亘っていて、政治的に、日本側とも、南京政府側とも、重慶政府側とも、延安政府側とも、また欧洲各国側とも、連絡があるようだった。彼の手を通じて、欧洲某中立国の国籍がその領事館から売られたという話もある。もっとも斯かる政治的関係は、多くは曖昧模糊たることを常とする。ただ確実なのは、某氏は何派だという政治的な符牒を、さも重大事らしく囁きふらしてることである。この囁きを以て、彼は相手の情誼と信頼とをかち得るつもりでいたらしい。
 周釣に限らず、そういう種類の男が沢山うろついていた。そして彼等相互の間では、ひそかに嫉視反目している。
「上海の性格の一面だね。」と秦は吐きだすように言った。
 その忌々しい気持をまぎらすためか、秦は室に戻るとドライ・ジンの一瓶を取り出して、小さなグラスで飲んだ。
 その機会に、私は柳丹永の「血の色見ゆ」の一件を話した。不思議にも、秦はもうそのことを知っていた。
「丹永のことについては、僕はへんに心残りを感ずる。これは僕の方の一種の霊感だが、あれは長くは生きまい。」
 秦はしみじみと言った。私はなにか冷い空気を感じて外套を着た。秦も外套を着た。このような時、蟹でも食べに出かけたいのだが、もうその季節も過ぎていた。その上、秦は何かを待ってる様子で、二三回腕時計を見た。
 彼が待ってるのは、陳振東だったらしい。陳振東がはいって来ると、彼は居ずまいを直した。
 陳はなにかてきぱきと報告した。秦はその一語一語にうなずいてみせた。それから私に言った。
「玄元禅師が、明朝、丹永のところに来てくれるそうだ。あれも安心することだろう。」
 その配慮は適宜だったし、秦の霊感もただの杞憂ではなかったと、あとで思いあわされた。――先廻りして言っておこう。丹永は翌日の朝、可なり多量の喀血をした。一時意識を失い、次に恐怖に襲われた。恐怖の後に、平静な衰耗状態に陥った。そこへ、粗服のなかに顔面だけが明朗に輝いてる玄元禅師が来た。禅師は二時間ばかり丹永のそばに坐っていた。祈祷もなく、説教めいたこともなく、沈黙のうちに時々短い言葉を彼女にかけた。彼女も短い言葉で返事をした。午後になると、彼女の表情は、硬直か緊張か見分けのつかない状態のうちに凝り固まった。医者のことを言われると、はっと眼が覚めたように執拗に拒絶した。晩になっても同じ有様で、その夜更け、彼女は秦の手先に縋っていたが、その手の力が俄にゆるむと、ごく静かに、殆んど苦悶もなく、息絶えてしまった。――この柳丹永のことについては、いつか、心静かに私は語りたいと思う。
 パレス・ホテルの一室で、私は丹永のことを思い浮べていた。陳振東が秦になにか言うと、秦は微笑して私に言った。
「陳君は、大西路の家に帰れと僕に勧めているんだ。」
「勿論、そうしなくてはいけないよ。」と私は答えた。
「あちらに帰ると、上海が薄らぐ。もう一晩、上海を楽しんでもよかろう。」
 それにはなにか皮肉な残忍なものが籠っていた。私はそのものから眼をそらして、陳振東に話しかけた――以下の対話は、秦が中間で通訳してくれたものである。
「陳君は、上海をどう思いますか。」
「下らないが面白いと思います。」
「というと、人間の低俗さとそれに対する興味ですか。」
「少し違います。……まあ、腐りかけた牛肉の旨さですね。」
 見たところ平凡でただ強健な彼は、明晰な見解を具えていた。
「それでは、容易に上海を捨て難いでしょう。」
「いつでも捨てます。然し私は、秦さんについて田舎へ行きますが、時々こちらへも出て来ます。連絡係りです。」
「それにしても、上海と田舎と、どちらに住みたいと思いますか。」
「それは思想によって決定されることです。」
「いや、思想を離れて、単に気持の上で、この濁流……腐りかけた牛肉の味と、さっぱりした野菜の味と、どちらによけい魅力を感じますか。」
「そのようなことは、単なる感傷です。」
 ここで、秦は通訳をやめて、私に言った。
「陳君には感傷が大敵なんだ。丹永のもとに帰ってやれと僕に言うのも、感傷とは違った意味だ。常に感傷を目の敵にしている。感傷の多い筈の若者が、こういう信条で育っていって、末はどうなるか、ちょっと僕は恐ろしい気もする。陳君と話していると、思想は別として、理想とか信念とかいうものも、感傷と紙一重の差であることに気がついて、冷りとする時がある。然し僕はやはり、感傷をも郤けないで、理想や信念と共に、心の糧としてゆきたいのだ。陳君にもこれから感傷を少し吹きこんでやるつもりだ。」
 私はうなずいて答えた。
「その通り陳君に言ってみ給え。」
「言ったことがある。」
「すると……。」
「ひどく嫌な顔をしていた。」
 陳は私たちの話の内容をほぼ察したのだろう、嫌な顔をして、拗ねたようにジンを手酌で飲んだ。私と秦は見合って微笑した。然しその晩、秦は大西路の家に帰った。別れぎわに、三人は強烈なジンで、上海のために乾杯したのである。

 数日後、秦啓源はほぼ決定的に上海を去って無錫近郊の田舎に向った。上海から僅かに急行で二時間の所だが、なにか遠方へ出発するような気味合いがあった。陳振東と女中の梅安とが同行した。大西路の家には、楊さんと他の二人の男が留守居している。
 私は駅まで見送りに行き、同じく見送りの数人の中から、洪正敏を紹介されて、少しく驚いた。洪正敏が秦の手をしかと握りしめた様子には、一種の愛情が見えた。
 序に言っておこう。仲毅生のことは洪正敏の手で後始末がされた。彼は可なりの金額を貰って、広東へ追いやられた。なにか狡猾なまた向う見ずな、左耳の無いこの男が、広東でどういうことをしたかは、別な物語に属する。然しそのことについて、私はまだ詳しくは知らない。





底本:「豊島与志雄著作集 第四巻(小説4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」未来社
   1965(昭和40)年6月25日第1刷発行
初出:「文芸」
   1945(昭和20)年4月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「室の中には、壁面に多くの~風光の写真らしく見えた。」の段落は底本では天付きになっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年4月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。

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