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野球時代(やきゅうじだい)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-4 6:33:07 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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明治二十年代の事である。今この思い出を書こうとしている老学生のまだ紅顔の少年であったころの話である。太平洋からまともにはげしい潮風の吹きつけるある南国の中学にレコードをとどめた有名なストライキのあらしのあった末に英国仕込みでしかも豪傑はだの新しい校長が卒業したての新学士の新職員五六人を従えて赴任すると同時にかび臭いこの まいた種のうちでもクリケットやクロケーは風土に合わなくてじきにしおれて枯れてしまったが、ベースボールとボートレースはのびのびと生長した。後者は器具の関係から学校に限られていたが、前者は当然校外にまでも 彼が高等学校にはいって以来今日まで通って来た道筋はしかしスポーツの世界とはあまりにかけ離れていた。そうして四十年近い空白を隔てて再び彼の歴史のページの上にバットやボールの影がさし始めたのはようやく昨今のことである。 昨年のある日の午後、彼は某研究所にある若い友人を尋ねたが、いつもの自室にその人はいなかった。そこらの部屋を捜しあるいたが、尋ねる人もその他の人もどこにも見えなかった。おしまいにある部屋のドアを押しあけてのぞくと、そこにはおおぜいの若い人たちが集まって渦巻く 彼はなんだかひどくさびしい心持ちがした。自分の周囲には自分の知らぬ間に自分の知らぬ新しい世界が広大に発展していて、そうして自分にもっとも親しい人たちの多数はみんなその新しい世界に生きている。そうとは知らず彼は古い世界の片すみの一室にただ一人閉じこもっていて、室外の世界も彼と同様に全く昔のままで動いているような気がしていたのである。ところが、すすけた 往来へ出て見ると、そこのラジオ屋、かしこの雑貨店の店先には道ゆく人がめいめいの用事を忘れて立ち止まり寄り集まって粗製拡声器の美しからぬ騒音に聞きほれている。それが彼には全くなんの意味もない風か波の音にしか聞こえないのである。小店員は自転車を止め、若きサラリーマンは靴ひもの解けたのも忘れ、魂は飛行機に乗って青山の空をかけっているのであった。彼は再びさびしい心持ちがした。 ことしの十月十三日の午後彼は上野へ出かける途中で近所の某富豪の家の前を通ったら、玄関におおぜいの男女のはき物やこうもり 翌日の午後彼が大学正門を出て大急ぎで円タクに飛び乗ると、なんと思い違えたものか車掌がいきなり「どちらが勝ちましたか」と聞くのであった。しかしそれが当然その日の早慶野球第三回戦に関する問いであることが、車掌にも彼にも自明的であったほどにそれほどに、その日の東京の空気には野球戦というものがいっぱいになっていたのである。彼は返事に 彼の 野球戦の入場券一枚を手に入れるために前夜からつめかけて秋雨の寒い一夜を明かす勇敢な人たちの話は彼を驚かし感心させた。そして彼自身の学問の研究にこれだけの犠牲を払う勇気と体力を失った自分を残念に思わせた。 慶応が勝つと銀座が荒らされ、早稲田が勝つと新宿が脅かされるという話も彼を考え込ませた。当時彼の読みかけていたウェルズのモダンユートピアに出てくるいわゆる「サムライ」はこういうスポーツには手をつけないことになっているが、それはこの著者のユートピアにおける銀座新宿の平和の乱されるのを恐れたためかもしれないと思われた。 これらの経験はこの空想的な老学者に次のようなことを考えさせた。いったい野球その他のスポーツがどうしてこれほどまでに人の心を捕えるのであろうか。 野球もやはりヒットの遊戯の一つである。射的でも玉突きでも同様に二つの物体の描く四次元の「世界線」が互いに切り合うか切り合わぬかが主要な問題である。射的では的が三次元空間に静止しているが野球では的が動いているだけに事がらが複雑である。 近ごろボルンが新しい統計的物理学の基礎を論じた中に、ウィルヘルム・テルがむすこの頭上のりんごを射落とす話を引き合いにだした。昔の物理学者らが一名を電子と称するテルの矢のねらいは熟練と注意とによって無限に精確になりうると考えたに反して、新しい物理学者は到底越え難いある「不確定」の限界を認容することになった。いわば昔はただ主観の不確定性だけを認めて客観の絶対確定性を信じていたのが今では不確定性を客観的実在の世界へ転籍させた。この考えの根本的な変遷はいわゆる「因果律」の概念にもまた根本的の変化を要求する。しかしそれは単に原子電子の世界に関する事ばかりでなく、これらの原子電子から構成されているすべての世界における因果関係に対する考え方の立て直しを啓示するように見える。 いかに現在の計測を精鋭にゆきわたらせることができたとしても、過去と未来には末広がりに こういう その曲がった 「白熱せる神宮競技」。「白熱せる万国工業会議」。こういうトピックスで 底本:「日本の名随筆 別巻73 野球」作品社 1997(平成9)年3月25日第1刷発行 底本の親本:「寺田寅彦全集 第五巻」岩波書店 1961(昭和36)年2月 入力:もりみつじゅんじ 校正:多羅尾伴内 2003年4月1日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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