丸善の二階の北側の壁には窓がなくて、そこには文学や芸術に関する書籍が高い所から足もとまでぎっしり詰まっている。文学書では、どちらかと言えば近代の人気作家のものが多くてそれらが最も目につきやすい所に並んでいる。中学時代にわれわれが多く耳にしたような著名な作家の名前はここではあまり目に立たない。ちょうど西洋の画廊で古い絵ばかり見て、日本へ帰って始めてキュービストやフュチュリストを見せられたような心持ちがする事がある。実際今の日本の文学者の前でホーマーとかミルトンとかいう名前を持ち出すのはだれでも気がひける事だろうと思う。文学に限らず科学の方面でも今どきベーコンやニュートンの書いたものを読むのは気がさすような周囲の状態である。古いものを新しい目で見るのや、新しいものを古い目で見るような暇つぶしの仕事は、忙しい今の時代には、暇人の道楽でなければ、能率の少ない事業として捨てられなければならないと見える。 Everyman's Library などのぎっしり詰まった棚が孤立して屏風のように立っている。自分がいちばん多く買い物をするのはまずここらである。実際こんなありがたい叢書はない。容易に手に入らないか、さもなければ高い金を払わなければならない物が安く得られるのである。戦争のために、この本の代価までが倍に近く引き上げられた事は、自分ばかりでなく多数の人の痛切に感じる損失であろうと思う。 この叢書の表紙の裏を見ると“Everyman, I will go with thee and be thy guide in thy most need to go by thy side.”という文句がしるされてある。この言葉は今日のいわゆる専門主義の鉄門で閉ざされた囲いの中へはあまりよくは聞こえない。聞こえてもそれはややもすれば悪魔の誘惑する声としか聞かれないかもしれない。それだから丸善の二階でも各専門の書物は高い立派なガラス張りの戸棚から傲然として見おろしている。片すみに小さくなっているむき出しの安っぽい棚の中に窮屈そうにこの叢書が置かれている。 たとえば、昔の人は、見晴らしのいい丘の頂に建てられた小屋の中に雑居して、四方の窓から自由に外をながめていた。今では広大な建築が、たくさんの床と壁とで蜂の巣のように仕切られ、人々はめいめいの室のただ一つの窓から地平線のわずかな一部を見張っている。たださえ狭い眼界は度の強い望遠鏡でさらにせばめられる。これらの人のために、この大建築から離れた所に、小さな小亭が建てられている。ここへ来れば自分の住まっている建築が目ざわりにならずに、自由に四方が見渡される。しかるにせっかく建てたこの小亭があまり利用されないでいたずらに風雨にさらされているとすればこれは惜しい事である。これは人々があまり忙し過ぎるせいかもしれない。そうだとすればこれらの人々を駆使している家主が責任を負わなければなるまい。しかし中には暇はあっても不精であったり、またわざわざ出かけるよりも室の片すみで茶をのんだりカルタでもやるほうがいいという人があるならばそれはその人々の勝手である。 この叢書のへんまで見て来るとかなりくたびれる。特にここで何か買いでもすると、もう急に根気がなくなって地理や歴史などの所はほんののぞいて見るだけでおしまいにする場合が多い。決してこの方面の書物に興味がないわけではないが、ただ自然に習慣となった道順の最後になるために、いつでもここが粗略になるのである。一度ぐらいは、このなんの理由もなしに定めた順序を変え、あるいは逆にしてもよさそうなものであるが、実際にはそのような試みをした事はない。まさかに、右ききの人間は右回りの傾向があるとかいうわけでもあるまいし、体操の時に「回れ右」をするが「回れ左」はやらない事と関係があるわけでもないだろうし、ただ自分に限られた習癖に過ぎないかもしれない。しかしだれか物好きな人があって、丸善の二階で見張っていて、たくさんの顧客の歩く道筋を統計的に調べてみたら存外おもしろい結果が得られはしまいか。心理学者や生理学者の参考になるような事が見つからないとも限らない。それほどでなくとも、少なくも丸善の経営者が書棚の排列を変える時の参考には確かになるだろう。漁業者がたて網の中にはいった魚の回遊する習癖を知っているから、一度はいった魚が再び逃げ出さないような網の形を設計すると同じように。 階段をおりる時に、新刊雑誌を並べた台が眼下に見おろされる。ここには、同じような体裁で、同じような内容の雑誌が、発音まで似かよったいろいろの名前で陳列されている。表紙だけすりかえておいても人々はなんの気もつかずに買って行くだろう。少年や幼年の読み物にしてもどれをあけて見ても中は同じである。そして若い柔らかい頭の中から、美に対する正しい感覚を追い出すためにわざわざ考案されたような、いかにもけばけばしい、絵というよりもむしろ臓腑の解剖図のような気味の悪い色の配合が並べられている。このような雑誌を買う事のできないほどに貧乏な子供があれば、その子は少なくもこの点で幸福であるかもしれない。なんというオリジナリティのない不健全な出版界だろう。 階下の日本書や文房具の部は、たいていもうくたびれてしまって、見ないですます事が多い。それにこのほうは、むしろ神田あたりで別な日に見るほうがいいという気がするので、すぐに表の通りへ出てしまう。そして大通りの風に吹かれると、別の世界に出たような心持ちになってほっとするのが通例である。 丸善を出てから銀座のほうへぶらぶら歩いて行く事もあるが、また時々三越へ行く事がある。 白木屋のへんから日本橋を渡って行く間によく広重の「江戸百景」を思い出す。あの絵で見ると白木屋の隣に東橋庵という蕎麦屋がある。今は白木屋の階上で蕎麦が食われる。こんなつまらない事を考えたりする。「駿河町」の絵を見ると、正面に大きな富士がそびえて、前景の両側には丸に井桁に三の字を染め出した越後屋ののれんが紫色に刷られてある。絵に記録された昔の往来の人の風俗も、われわれの目には珍しくおもしろい、中でも著しく自分の目につくのは平和な町の中を両刀をさして歩いている武士の姿である。 富士山の見える日本橋に「魚河岸」があって、その南と北に「丸善」と「三越」が相対しているのはなんだかおもしろい事のように思われる。丸善が精神の衣食住を供給しているならば三越や魚河岸は肉体の丸善であると言ってもいいわけである。 三越の玄関の両側にあるライオンは、丸善の入り口にある手長と足長の人形と同様に、むしろないほうがよいように思われる。玄関の両わきには何か置かなければいけないという規則でもあるのなら、そういう規則は改めたほうがいいと思う。 入り口をはいると天井が高くて、頭の上がガランとしているのは気持ちがいい。桜の時節だとここの空に造花がいっぱいに飾ってあったりして、正面の階段の下では美しい制服を着た少年が合奏をやっている事もあった。いろいろな商品から出るにおいと、多数の顧客から蒸し出されるガスとで、すっかり入場者を三越的の気分にしてしまう。 自分が用のあるのは大概五階か六階であるから、多くの場合にすぐ昇降機で上ってしまう。しかし、時にはすべての階をすみからすみまで歩かせられる事もある。歩いてみるとやはり歩いてみるだけの価値は充分にある。ずいぶんいろいろの物を覚えいろいろの問題にぶつかる、そしていろいろの人間のいろいろの現象を見せてもらう事ができる。 世の中にはずいぶんいろいろな事が自慢になるものだと思う。ある婦人は月に幾回三越に行くという事を、時と場所と相手とにかまわず発表して歩く。またある学者は、まだ一度も三越に行った事がないという事を宣言するのを、その人のある主張を発表する簡易な方法の一つとして選んでいるように思われる。しかし自分のみならず多くの人は、三越に行く事を別に名誉とも恥とも思ってはいまい。 正面の階段の上り口の左側に商品切手を売る所がある。ここはいつでも人が込み合っていて数百円のを持って行く人もあれば数十円のを数十枚買って行く人もある。そうかと思うと一円のを一枚いばって買って行く人もある。ともかくもここには人間の好意が不思議な天秤にかけられて、まず金に換算され、次に切手に両替えされる、現代の文化が発明した最も巧妙な機関がすえられてある。この切手を試みに人に送ると、反響のように速やかに、反響のように弱められて返って来る。田舎から出て来た自分の母は「東京の人に物を贈ると、まるで狐を打つように返して来るよ」といって驚いた。これに関する例のP君の説はやはり変わっている。「切手は好意の代表物である。しかしその好意というのは、かなり多くの場合に、自己の虚栄心を満足するために相手の虚栄心を傷つけるという事になる。それで敵から砲弾を見舞われて黙っていられないと同様に、侮辱に対して侮辱を贈り返すのである。速射砲や機関銃が必要であると同様に、切手は最も必要な利器である。」いかにもP君の言いそうな事ではあるが、もしやこれがいくぶんでも真実だとしたら、それはなんという情けない事実だろう。 一階から二階へ人を運ぶためにエスカレーターを運転している時がある。ある人は間違えてこれをライスカレーといった。これはあまり気持ちのいい物ではない。あの手すりの上をすべって行くゴムの帯もなんだか蛇のようで気味が悪いと言った人もある。自分はある日ここで妙な連想を起こした事がある。自分の子供を小学校へ入れてやると、いつのまにか文字を覚える算術を覚える、六年ぐらいはまたたくまにたって、子供はいつのまにかひとかど小さい学者になっている、実にありがたいものだと思わないではいられない。ちょうどエスカレーターの最下段に押して入れてやれば、あとはひとりで、少なくも二階までは持って行ってくれるのと同じようなものである。このごろは中学や高等学校の入学がだいぶ困難になって来たが、それでも一度入学さえすればとにかく無事にせり上がって行くのが通例である。これから見ると、昔の人は、不完全な寺子屋の階段を手を引いてもらってやっと上がると、それから先は自分で階段を刻んだり、蔓にすがって絶壁をよじるような思いをしなければならなかった。それで大概の人は途中で思い切ってしまっただろうが、登りつめた人の腕や足は鉄のようにきたえられたに相違ない。 三越の商品のおもなるものはなんと言っても呉服物である。こういう物に対する好尚と知識のきわめて少ない自分は、反物や帯地やえりの所を長い時間引き回されるのはかなりに迷惑である。そしてこれほどまでに呉服というものが人間に必要なものかと思って、驚き怪しんだ事も一度や二度ではない。「東京の人は衣服を食っているか」と言った田舎のある老人の奇矯な言葉が思い出される。 何番という番号のついた売り場に妻子をつれて買い物に来ている人が幾組もある。細君の品物を選り分ける顔つきや挙動や、それを黙って見ている主人の表情はさまざまである。いろいろな家庭の一面がここに反映している。いわゆる写実小説を見るよりはこのほうがはるかに興味があり、ためになる。同じ陳列台の前を行ったり来たりしている女の顔には、どうかすると迷いや悶えやの気の毒な表情がありあり読まれる事もある。 婦人の美服に対する欲望は、通例虚栄心という簡単な言葉で説明されているようである。かつて何かの雑誌で「万引きの心理」という題目で大いに論じたものを読んだ事がある、その中にもこの虚栄心の事がたいそう長たらしく書いてあったように記憶している。それを見ても通例女の虚栄心というものは、人間のあらゆる本質的欲求の団塊の、ほんの表面の薄膜に生ずる黴ぐらいのもののように取り扱われているようであるが、はたしてそんなものだろうか。このような婦人が、美服に対した時に、あらゆる理知の束縛を忘れ、当然な因果を考える暇もなく、盗賊の所行をあえてするようになる衝動はそれはど浅薄な不まじめなものばかりとも思われない。その衝動の背後には、卑近な物質的の欲望のほかに、存外広い意味において道徳的な理想に対する熱烈な憧憬が含まれているかもしれない。もしたとえば社会の組織制度に関するある理想に心酔して、それがために奪い殺し傷つける事をあえてする団体があるとすれば、どこかそれと共通な点がないでもない。この婦人の行為は利己的である、社会的理想はそんなものと根本的にちがっていると一口に言ってしまってもいいものだろうか。いったい普通に使われる利己と利他という二つの言葉ほど無意味な言葉は少ない。元来無いものに付せられた空虚な言葉であるか、さもなければ同じ物の別名である。ただ人を非難したり弁護したりする時や、あるいは金を集めたり出したりする時に使い分けて便利なものだからだれでも日常使ってはいるが、今自分の言っているような根本の問題にはなんの役にも立たないものである。だれかこの疑問に対して自分のふに落ちるような解釈をしてくれる人はないものだろうか。たとえばいわゆる共産主義を論じる学者たちが現在の社会に行なわれているこの万引きというものをいかに取り扱うかが聞きたいものである。 三越へ来て、数千円の帯地や数百円の指輪を見たり、あるいは万引きの事を考えたりしているとだれかが言った寝言のようななぞのような言葉に、多少の意味があるような気がする。「富む事は美徳である。富者はその美徳をあまり多く享有する事の罪を自覚するがゆえに、その贖罪のために種々の痴呆を敢行して安心を求めんとする。貧乏は悪徳である、貧者はその自覚の抑圧に苦しみ、富の美徳を獲得せんと焦慮するために働きあるいは盗み奪う……」
上一页 [1] [2] [3] 下一页 尾页
|