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俳諧の本質的概論(はいかいのほんしつてきがいろん)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-3 18:43:03 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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(付記) このわずかな紙面の上に表題のごとき重大な問題を取り扱おうという大胆な所業はおそらく自分のごとき無学なる門外漢の好事者にのみ許された特権であろう。しかしあまりにも無作法にこの特権を濫用したこの
映画と連俳との比較については岩波版日本文学講座中の特殊項目「映画芸術」の中に述べてある私見を参照していただきたい。また連俳の心理と夢の心理の比較や、連俳の音楽との比較や、月花の定座の意義等に関する著者の私見は雑誌「渋柿」の昭和六年三月以降に連載した拙稿を参照されたい。 古人の俳書から借りた言葉を一々「 」にするのはあまりにわずらわしいから省略した場合が多い。 芭蕉の人と俳諧に関しては 外国人のものでは下記のものを参照した。 B. H. Chamberlain : "Bash
![]() Paul-Louis Couchoud : Sages et po
![]() ![]() Ren
![]() ![]() ![]() ![]() 西洋人には結局俳諧はわからない。ポンドと池との実用的効果はほぼ同じでも詩的象徴としての内容は全然別物である。「秋風」でも西洋で秋季に吹く風とは気象学的にもちがう。その上に「てには」というものは翻訳できないものである。しかし外人の俳句観にもたしかに参考になることはある。翻訳と原句と比べてみることによって、始めて俳句というものの本質がわかるような気がするのである。いったい昔からの俳論は皆俳諧の中にいて内側からばかり俳諧を見たものである。近ごろのでもだいたいそうである。しかし外側から見た研究も必要である。この意味で
(昭和七年十一月、俳句講座) 底本:「寺田寅彦随筆集 第三巻」岩波文庫、岩波書店 1948(昭和23)年5月15日第1刷発行 1963(昭和38)年4月16日第20刷改版発行 1993(平成5)年2月5日第59刷発行 入力:(株)モモ 校正:かとうかおり 2003年3月6日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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