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二科展院展急行瞥見(にかてんいんてんきゅうこうべっけん)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-3 18:33:17 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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九月三日は朝方荒い雨が降った、やがて止んだが重苦しい蒸暑さがじりじりと襲って来た。仕事をしていると『中央美術』から電話が掛かって今日が二科会展覧会の招待日であることを想い出させられた。数年前まではこの日を指折り数えて楽しみにしていたのが、近年どうしたわけか、急に興味が減退した。今年はとうとう肝心の日をすっかり忘れてしまっていたのである。甚だ申訳ない次第である。これは一つには自分がだんだん年を取ってすべてのものに対する感興の強度を減らしたためもあるかもしれないが、一つにはまた実際に近頃の二科会の絵の傾向が自分の好みに 昼過ぎに上野へ出掛けたが、美術館前の通りは自動車で言葉通りに閉塞されていた。これも近年の現象である。美術が盛んになったのではなくて自動車が安くなったのであろう。 場内は蒸暑さに 蒸暑さが丁度大正十二年九月一日の二科招待日を想い出させた。あの日も、午前に狂雨が襲来して、それが晴れ上がってからあの大地震が来た。今日の天候によく似ている。しかし昨朝八丈島沖に相当な深層地震があったのでそれで帳消しになったのかもしれない。あの日は津田君の「 回顧室に この室のものはさすがになつかしいものばかりである。斎藤 近頃の絵は概して「きたない」のが多い。九月二日に日比谷交叉点で、ひどい皮膚病に冒された犬を見た。犬は自分の汚さは自覚していないが、しかし きたなく汚れて、それでいて実に美しいものも世の中にはある。ヴェニスの街のような者がそれである。綺麗できたないものは近頃の絵にはいくらでもあるのである。大家の絵にもそれがある。 いわゆるプロ絵なるものはどうしてああ鈍い色彩の間の抜けた構図ばかりしなければならないか了解が出来ない。文部省も内務省もこの点は意を安んじてもいいであろうと思われた。こういう絵を見ては誰でも資本主義を謳歌したくなる。 安井氏の「風吹く湖畔」を見ると日本の夏に特有な妙に 石井氏の「二科同人群像」には単なる似顔の集成でなく、各メンバーの排置のみならずそのポーズや服装によって各自の個性を表現しようという苦心の痕が覗われる。とにかく、このような同人群像を試みるとしてはおそらく最も適任な石井氏が更に研究を重ねてこの絵の完成に 二科の彫刻塑像には帝展などのとちがって何となく親しめるものが多い。自分は、彫刻を見た時に何となく両手の掌で 美術院はほとんど素通りした。どちらを見ても近寄ってよく見ようというような誘惑を感じるものはほとんどなかった。絵でも人間でも一と目で先ず引き付けられないようなものにはやはり何か足りないものがあるかと思う。美術批評家でも何でもない自分等は、そういう第一印象を無視して無理に職務的に理論的に一つ一つの絵の鑑賞点を虫眼鏡で掘り出す気にはどうにもなれないのである。 横山大観氏の絵だけには、いつでも何かしら人を引きつける多少の内容といったようなものがある。決して空虚な絵を描かない人である。今年の幽霊のような女の絵でも、決して好きにはなれないが、しかし一度見たら妙に眼に残って忘れられない不思議なものをもっている。これに反してその隣にあった桜の写生屏風などは第一印象も第二第三の印象も自分には何も残らない。第一、部分と全体とが仲違いをして音信不通の体である。短夜の明け方の夢よりもつかまえどころのない絵であると思った。そういう絵が院展に限らず日本画展覧会には通有である。一体日本画というものが本質的にそういうものなのか。つまり日本画というものはこいう展覧会などに陳列すべきものでないのかとも考えてみる。しかしここにもし 個人展覧会は別として、こういう綜合展覧会は結局個性の展覧会である、それだのに個性のない絵を何百も並べては少なくも展覧会の観客の大部分を形成する素人の見物には退屈の外何物をも与えない。多少の個性は勿論一人一人に多少ずつはあっても、それが浜の真砂の一つ一つの個性のような個性では専門家以外には興味は稀薄である。一粒選りの宝石の個性を並べてもらいたいというのが吾々のようなものの勝手な希望である。それには毎年一回の展覧会は少し多過ぎる。五年待ってもいいから、もう少し興奮するような展覧会がほしいと思う。出来ない相談とは知りつつも、毎年の展覧会を見る度にそう思わないことはないのである。 これらの不平はみんな、つまり自分がだんだん こう云ったからといって私は二科会や美術院の解散をすすめるというような大それた考えを持ち出す訳でも何でもない。ただ、学芸にたずさわる団体は時々何かしらかなり根本的な革新を企てて風通しをよくし、 (昭和八年十月『中央美術』) 底本:「寺田寅彦全集 第八巻」岩波書店 1997(平成9)年7月7日発行 底本の親本:「寺田寅彦全集 文学篇」岩波書店 1985(昭和60)年 初出:「中央美術」 1933(昭和8)年10月1日 ※初出時の署名は「吉村冬彦」です。 入力:Nana ohbe 校正:松永正敏 2006年7月13日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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