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二科会展覧会雑感(にかかいてんらんかいざっかん)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-3 18:32:17 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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同じ展覧会を見て歩くのでも、単に絵を見て味わい楽しもうという心持で見るのと、何かしら一つ批評でもしてみようという気で見るのとでは、見る時の頭の働き方が違うだけに、その頭に残る印象にもかなりの差があり得る訳である。尤もほんとうに絵を味わい楽しむためには、ある意味での批評をしなければならない事は勿論であるが、しかし、意識的に批評のための批評をしようという心持があっては、芸術品を楽しみ味わう邪魔になるばかりでなく、却って本当の正しい批評をすることの 自分等のようなものが絵の展覧会を見るのは、何時でも絵を見て楽しむためである。だから、 そういう前提を置いて、今年の二科会展覧会の絵を見たままの雑感を書いてみる事にする。 安井氏の絵がやはり目立って光っている。なんだか ![]() この人の絵には詩が無いという人もあるが、 裸体も美しいが、ずっと遠く離れて見ると、どこかしら、少し物足りない寂しいところがあるように感ずる。何故だか分らない。人体の周囲の空間が大きいせいかもしれない。 山下氏の絵は、いつでも気持のいい絵である。この人の絵で気持の悪いという絵を自分はかつて見た事がない。この人の絵は、どこかしらルノアルとモネエと両方を想い出させるようなところのある絵だと思う。しかしあまり強い興奮を感じさせられる事のないのはどういう訳だろう。あまり何時でも楽々と画かれているように見えるせいかとも思う。 楽にかいてあるようで、実は恐ろしく骨の折れたと思われる絵がある。安井氏のがそれである。これと反対に恐ろしく綿密で面倒臭そうで、描いている人は存外気楽で、面白くてたまらぬような絵があるとすれば、それは横井弘三氏のである。ルノアルなどは、ちょっと見ると気楽に描いているようだが、また恐ろしく神経を使っているようにも思われるのだが、横井氏のはそれともちがう。 これと反対に、例えばザッキンの妙な人形の絵など、随分形式的にはグロテスクに出来ているが、感じの内容には、どこかある明るさと愉快さがある。 ロオトの絵がある。どこがいいのかよくは分らない。この人のに似通った日本人の絵も沢山あるようだが、でも、この人のにはどこかに、こせこせしない、のびやかなところがあるような気がする。少し思い切って遠く離れて見ると一層そんな気がする。 アスランでもビッシェルでも、出来不出来は別として、やはりその人の絵になっていると思う。そして妙に 石井氏の絵は、いつも、常識的という評を受けるようである。頭のいい、要領のいい点は、そういうところもあるだろうが、そうばかりとも思われない。一種の淡白な味を味わってみる事は虚心な鑑賞家に取って困難ではないだろう。この人の絵をだんだんに突きつめて行くと、結局マルケエなどのような方面へ行きはしないかという気がする。 津田氏の日本画は一流のものであるが、今年の洋画はただの一点で、それがあまりに投げやりである。 横山氏の絵はかなりうまいと思うが、好きにはなれない。これは趣味の相違で仕方がない。この人の絵は、とにかく一通り行くところまで行って、行き止まっているような気がする。こういうたちの絵は、じきにそういう風になりやすい。一体に表現的な芸術はそうだろうと思う。絵を描くよりも、表現すべき自己を開拓する方の努力がもっと重大である。それがためには、しばらく絵筆をすてて物に親しむ事に多くの時を費やす必要がある。 田中豊三郎氏の人物二枚も随分変っている。しかしこの人のには、どこかしらこの人のオリジナルティがある。誇張したようなところにもどこか素直な、のびやかなところがあると思う。だんだんに善いところと悪いところを 円筒形の上の断面を楕円形に表わして、底面の方は直線でかいてしまう事が流行するようである。こういう流行は永くはつづくまい。 「天然」と絵具だけからは絵は生れないし、「自己」と絵具ばかりからも絵は生れない。自己と天然と真剣に取組み合わなければ駄目だと思う。昔は天然と絵具だけで出来た無意義な絵が多かったが、近頃は反対に自己と絵具だけの空虚な絵が多くなった。こういう絵にとっては自己がどんな自己であるかが生命である。それを充実させるためには、やはり天然の資料を豊富に摂取する事が 林 未来派の絵というと、ギタアが出て来るのは、あれはどういう理由によるのだろうか。他にも同等もしくは以上に適当な題材はいくらでもあるだろうが。 中川 展覧会によっては、殊に日本画の展覧会などでは、とても 展覧会の評というと、徹底的に賞めちぎるか、 (大正十三年十月『明星』) 底本:「寺田寅彦全集 第八巻」岩波書店 1997(平成9)年7月7日発行 底本の親本:「寺田寅彦全集 文学篇」岩波書店 1985(昭和60)年 初出:「明星」 1924(大正13)年10月1日 ※初出時の署名は「吉村冬彦」です。 入力:Nana ohbe 校正:松永正敏 2006年7月13日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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