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中村彝氏の追憶(なかむらつねしのついおく)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-3 18:28:30 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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自分が中村 店の向かって右の狭苦しい入口からすぐに二階へ上がるのであったかと思う。こういう家に通有な、急勾配で踏めばギシギシ音のする階段であった。段を上がった処が六畳くらい(?)の部屋で表の窓は往来に面していた。その背後に三畳くらいの小さな部屋があってそこには どんな用向きでどんな話をしたか、それがどういう風に運んだのであったか、その方の記憶は完全に消えてしまっている。とにかく簡単な用事が即座に片附いたのであったろうと思われる。これに反して用事に関係のない事で当時の印象になって残っている事を少しばかり思い出して書いてみる。 部屋の一体の感じが極めて 机と本箱はあった。その外には幾枚かのカンヴァスの枠に張ったのが壁にたてかけてあったのと、それから、何かしら食器類の、それも汚れたのが、そこらにころがっていたかと思うが、それもたしかではない。 一つ確かに覚えているのは、レンブラント画集の立派なのが他の二、三の画集と並んで本箱に立ててあった事で、これだけが荒涼な室の中に著しい異彩を放っていた。それからもう一つ、描きかけの自画像で八号か十号くらいだったかと思う。一体に青味の勝った暗い絵で、顔が画面一杯に大きくかいてあった。同行の中村先生があとでレンブラント張りだと評された事も覚えている。 その時までに見た中村氏の絵を頭においていた自分は、話のついでに「ルノアルがお好きですか」と聞いてみた。そうしたら、「ルノアルも好きだが、レンブラントが一番面白いようです」と言われたようであった。 その日の中村氏は白地の勝った 中村氏が田中舘先生の御宅へ、最初のスケッチをしに来られた時には、自分も中村先生と一緒に見に行った。八つ切りくらいのスケッチブックへ鉛筆で簡単なスケッチをしたが、それは普通の意味の似顔としてはあまりよく似てはいなかった。その時自分の感じた事は、その鉛筆画が普通のアカデミックなデッサンとはどこか行き方が違っているという事であった。 いよいよ本式にカンヴァスに筆を取り始めてからも、二、三度見に行った。そしてその描いている時の様子の真剣なのに驚かされた。下絵を描いている時など、まるで剣術の試合でも見るような感じがあった。だんだん仕上げにかかっては、その微細な観察とデリケートな絵具の使い方に驚かされた。吾々の方で非常に精密な器械の調節でもしているのと似たような際どい細かさがあった。これでは絵をかくのも大変な事であると思われた。いつか 右の手の方はすらすらと無事に出来たが、計算尺を持った左の手がどうしても思うようにならなくて、これに大分時間をかけたようであった。 いつであったか、その日の仕事を切り上げて、田中舘先生の門を出て帰っていく中村氏に偶然出逢った事がある。その時の氏の姿が今ありあり思い出される。洋服の上に汚れた白の上っぱりを着たままで、肩から絵具箱をかけ、片手にも画架か何かを持っていた。そして如何にも疲れ切って大儀なからだを無理に元気を出して、捨鉢に歩いてでもいるような気がした。何だかいたいたしいような心地がした。黒の中折を冠った下から黒い髪の毛が両耳の上に少しかぶさっていたように思う。こんな記憶が今かなりはっきり浮んで来るが、これが果して事実であったのか、あるいは覚え違いであるかも分らない。 (大正十四年六月『木星』) 底本:「寺田寅彦全集 第八巻」岩波書店 1997(平成9)年7月7日発行 底本の親本:「寺田寅彦全集 文学篇」岩波書店 1985(昭和60)年 初出:「木星」 1925(大正14)年6月1日 ※初出時の署名は「吉村冬彦」です。 入力:Nana ohbe 校正:松永正敏 2006年7月13日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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