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東上記(とうじょうき)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-3 18:22:56 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 

蝉なくや小松まばらに山禿はげたり
など例の癖そろ/\出で来る。大阪にて海南学校出らしき黒袴くろばかま下り、乗客も増したり。幸いに天気あまり暑からざればさまでに苦しからず。山崎を過ぐれば与一兵衛よいちべえの家はと聞けど知る人なし。勘平かんぺいらしき男も見えず、ただ隣りの男の眼付やゝ定九郎さだくろうらしきばかりなり。五十くらいの田舎女のくし取り出してしきりに髪くしけずるをどちらまでと問えば「京まで行くのでがんす。息子が来いと云いますのでなあ」と言葉つき不思議なるを、国はと問えば広島近在のものなる由。飾り気一点なきも樸訥ぼくとつのさま気に入りてさま/″\話しなどするうち京都々々と呼ぶ車掌の声にあわたゞしく下りたるが群集の中にかくれたり。京に入りて息子とかの宿に行くまでの途中いさゝか覚束なく思わるゝは他人のいらぬ心配かは知らず。やがて稲荷いなりを過ぐ。伏見人形に思い出す事多く、祭り日ののぼり立並ぶ景色に松蕈まつたけ添えて画きし不折ふせつの筆など胸に浮びぬ。山科やましなを過ぎて竹藪ばかりの里に入る。左手の小高き岡の向うに大石内蔵助くらのすけの住家今に残れる由。先ずとなせ小浪こなみ道行姿みちゆきすがた心に浮ぶも可笑おかし。やゝ曇りめし空にたかむらの色いよ/\深くして清く静かなる里のさまいとなつかしく、願わくば一度は此処ここにしばらくの仮りのいおりを結んで篁の虫の声小田おだかわずの音にうき世の塵にけがれたるはらわたすゝがんなど思ううち汽車はいつしか上り坂にかゝりて両側の山迫り来る。山田のあぜしれいのごとき草花面白きは何と云うものにや。この辺りまで畑打つ男女何処どことなく悠長に京びたるなどもうれし。茶畑多くあり。春なれば茶摘みのさま汽車の窓より眺めて白手拭の群にあばよなどするも興あるべしなど思いける。大谷おおたにに着く。この上は逢坂おうさかなり。この名を聞きて思い出す昔の語り草はならぶるもくだなるべし。さねかずらとはどんなものかしらず、つたいでる崖に清水したゝって線路脇の小溝に落つる音涼し。窓より首さしのべて行手を見るに隧道ずいどう眼前に※(「穴かんむり+目」、第3水準1-89-50)ようぜんとして向うの口ぜにのまわりほどに見ゆ。これを過ぐれば左ににおうみ蒼くして漣※(「さんずい+猗」、第3水準1-87-6)水色縮緬ちりめんを延べたらんごとく、遠山模糊もことして水の果ても見えず。左に近く大津の町つらなりて、三井寺みいでら木立に見えかくれす。唐崎からさきはあの辺かなど思えど身地を踏みし事なければ堅田かただも石山も粟津あわづもすべて判らず。九つのとし父母に従うて東海道を下りし時こゝの水楼に※(「魚+條」、第4水準2-93-74)はやの塩焼の骨と肉とが面白く離るゝを面白がりし事など思い出してはこの頃の吾なつかしく、父母の老い給いぬる今悲しかり。さては白湾子はくわんしと共に名古屋に遊びし帰途伊勢を経て雪夜こゝに一夜を明かせし淋しさなどもさま/″\偲ばる。草津のうばもちも昔のなじみなれば求めんと思ううち汽車出でたれば果さず。瀬田せた長橋ながはし渡る人稀に、蘆荻ろてきいたずらに風にそよぐを見る。江心白帆の一つ二つ。浅きみぎわ簾様すだれようのもの立て廻せるはすなどりのわざなるべし。百足山むかでやま昔に変らず、田原藤太たわらとうたの名と共にいつまでもおさなき耳に響きし事は忘れざるべし。湖上の景色見飽かざる間に彦根城いつしか後になり、胆吹山いぶきやまに綿雲這いて美濃路みのじに入れば空は雨模様となる。大垣の商人らしき五十ばかりの男しきりに大垣の近況を語りせきはらいくさを説く。あたりようやく薄暗く工夫体こうふていの男甲走かんばしりたる声張り上げて歌い出せば商人の娘堪えかねてキヽと笑う。長良川ながらがわ木曽川いつの間にか越えて清洲と云うに、この次は名古屋よと身支度みじたくする間に電燈の蒼白き光曇れる空に映じ、はやさらばと一行に別れてプラットフォームに下り立つ。丸文まるぶんへと思いしが知らぬ家も興あるべしと停車場前の丸万と云うに入る。二階の一室狭けれども今宵こよいはゆるやかに寝るべしと思えば船中の窮屈さ蒸暑むしあつさにくらべて中々に心安かり。浴後の茶漬も快く、窓によれば驟雨しゅうう沛然はいぜんとしてトタン屋根を伝う点滴の音すゞしく、電燈の光地上にうつりて電車の往きかう音も騒がしからず。こうなれば宿帳つけに来し男の濡れ髪かき分けたるも涼しく、隣室にチリンと鳴るコップの音も涼しく、向うの室の欄干にりし女の白き浴衣ゆかたも涼しげなり。昨日よりの疲れ一時に洗い去られしようにてからだのび/\となる。手をちてとこをのべさせ横になれば新しき浴衣の肌さわりも快く、隣室の話声遠きように聞えし後は魂いずこへか飛んで藻ぬけの殻となり電燈消しに来し事もいつか知らず。まどかなる夢百里の外に飛んで眼覚むれば有明の絹燈蚊帳かやの外におぼろに、時計を見れば早や五時なり。手洗い口すゝぎなどするうち空ほの/″\と明けはなれたるが昨夜の雨の名残まだ晴れやらず、蚊帳をまくる風しめっぽきも心悪からず。膳に向かえば大野味噌汁。秋琴楼しゅうきんろう仮寓かぐうの昔も思い出さしむ。勘定をすませ丸く肥え太りたるせい低き女に革鞄げさして停車場へ行く様、痩馬と牝豚の道行みちゆきとも見るべしと可笑おかし。この豚存外に心利きたる奴にて甲斐々々しく何かと世話しくれたり。間もなく駆け来る列車の一隅に座を構えて煙草取り出せばベルの音せわしく合図の呼子。汽笛の声。熱田あつた八剣やつるぎ森陰より伏し拝みてセメント会社の煙突に白湾子と焼芋かじりながらこのあたりを徘徊はいかいせし当時を思い浮べては宮川みやがわ行の夜船の寒さ。さては五十鈴いすずの流れ二見ふたみの浜など昔の草枕にて居眠りの夢を結ばんとすれどもならず。大府おおぶ岡崎御油ごゆなんど昔しのばるゝ事多し。豊橋も後になり、鷲津わしづより舞坂まいさかにかゝる頃よりは道ようやく海岸に近づきて浜名はまなの湖窓外に青く、右には遠州洋えんしゅうなだようとして天に連なる。漁舟江心に向かいてこぎ出せば欸乃あいだい風に漂うて白砂の上に黒き鳥の群れ居るなどは『十六夜日記いざよいにっき』そのままなり。浜松にては下りる人乗る人共に多く窮屈さ更に甚だしくなりぬ。掛川かけがわと云えば佐夜さよ中山なかやまはと見廻せど僅かに九歳の冬此処ここを過ぎしなればあたりの景色さらに見覚えなく、島田藤枝ふじえだなど云う名のみ耳に残れるくらいなれば覚束おぼつかなし。金谷かなや隧道ずいどう長くて灯をとぼしたる、これは昔蛇の住みし穴かと云いししれ者の事など思い出す。静岡にて乗客多く入れ換りたれど美人らしきは遂に乗らず。東の方は村雨むらさめすと覚しく、灰色の雲の中に隠見する岬頭こうとういくつ模糊もことして墨絵に似たり。それに引きかえて西の空うるわしく晴れて白砂青松に日の光鮮やかなる、これは水彩画にもたとうべし。雨と晴れとの中にありて雲と共に東へ/\と行くなれば、ふるかと思えば晴れ晴るゝかと思えばまた大粒の雨玻璃窓はりまどを斜に打つ変幻極まりなき面白さに思わず窓縁まどべりをたたいて妙と呼ぶ。車の音に消されて他人に聞えざりしこそ仕合せなりける。
 大井川の水れ/\にして蛇籠じゃかごに草離々たる、越すに越されざりし「朝貌あさがお日記」何とかの段は更なり、雲助くもすけとかの肩によって渡る御侍、かわら錫杖しゃくじょう立てて歌よむ行脚あんぎゃなど廻り燈籠のように眼前に浮ぶ心地せらる。街道の並木の松さすがに昔の名残を止むれども道脇の茶店いたずらにあれて鳥毛挟箱とりげはさみばこの行列見るによしなく、僅かに馬士歌まごうたの哀れを止むるのみなるも改まる御代みよに余命つなぎ得し白髪のおうな囲炉裏いろりのそばに水洟みずばなすゝりながら孫玄孫やしゃごへの語り草なるべし。
 このあたりの景色北斎ほくさいが道中画譜をそのままなり。興津おきつを過ぐる頃は雨となりたれば富士も三保みほも見えず、真青なる海に白浪風に騒ぎすなどる船の影も見えず、磯辺の砂雨にぬれてうるわしく、先手の隧道ずいどうもまた画中のものなり。
 此処小駅ながら近来海水浴場開けて都府の人士の避暑に来るが多ければ次第に繁昌する由なり。岩淵いわぶちの辺甘蔗畑かんしょばたけ多くあり。折から畑に入るゝ肥料なるべし異様のかおり鼻を突きて静岡にて求めし弁当開ける人の胸悪くせしも可笑しかりける。沼津を過ぐれども雨雲ふさがりて富士も見えず。
 御殿場ごてんばにて乗客更に増したる窮屈さ、こうなれば日の照らぬがせめてもの仕合せなり。小山おやま山北やまきたも近づけば道は次第上りとなりて渓流脚下に遠く音あり。一八いちはつの屋根に鶏鳴きて雨を帯びたる風山田に青く、車中には御殿場より乗りし爺がげたる鈴虫なくなど、海抜幾百尺の静かさ淋しささま/″\に嬉しく、哀れを止むる馬士歌の箱根八里も山を貫きたにをかける汽車なれば関守せきもりの前にひたい地にすりつくる面倒もなければ煙草一服の間に山北につく。ひとしきり来る村雨に鮎のすし売る男の袖しとゞなるもあわれ。このあたり複線路の工事中と見えたり。山霧深うして記号標のすすきの中に淋しげなる、霜夜の頃やいかに淋しからん。
 これより下り坂となり、国府津こうづ近くなれば天また晴れたり。今越えし山に綿雲かゝりて其処とも見え分かず。さきの日国府津にて宿を拒まれようやくにして捜し当てたる町外れの宿に二階の絃歌を騒がしがりし夕、夕陽の中に富士足柄あしがらを望みし折の嬉しさなど思い出してはあの家こそなど見廻すうちにこゝも後になり、大磯おおいそにてはまた乗客増す。海水浴がえりの女の群の一様に大なる藁帽子かぶりたるなど目に立つ。柵の外よりしきりに汽車の方を覗く美髯公びぜんこうのいずれ御前ごぜんらしきが顔色の著しく白き西洋人めくなど土地柄なるべし。立派なる洋館も散見す。大船おおふなにて横須賀行の軍人下りたるが乗客はやはり増すばかりなり。隣りに坐りし静岡の商人二人しきりに関西の暴風を語り米相場を説けば向うに腰かけし文身いれずみの老人御殿場の料理屋の亭主と云えるが富士登山の景況を語る。近頃は西洋人も婦人まで草鞋わらじにて登る由なりなどしきりに得意の様なりしが果ては問わず語りに人の難儀をよそに見られぬ私の性分までかつぎ出して少時しばし饒舌しゃべり止めず、面白き爺さんなり。ほど近くなれば近き頃の横浜の大火乗客の話柄わへいを賑わす。これより急行となりたれば神奈川鶴見などは止らず。夕陽海に沈んで煙波ようたる品川の湾に七砲台おぼろなり。何の祝宴か磯辺の水楼に紅燈山形につるして絃歌湧き、沖に上ぐる花火夕闇の空に声なし。洲崎の灯影長うして江水※(「さんずい+猗」、第3水準1-87-6)れんい清く、電燈こうとして列車長きプラットフォームに入れば吐き出す人波。下駄の音靴のひゞき。
(明治三十二年九月)





底本:「寺田寅彦全集 第一巻」岩波書店
   1996(平成8)年12月5日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:Nana ohbe
校正:松永正敏
2004年3月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
  • 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。

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