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チューインガム(チューインガム)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-3 9:10:27 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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銀座を歩いていたら、派手な洋装をした若い女が二人、ハイヒールの足並を揃えて 去年の夏 二十年前に大西洋を渡ってニューヨークへ着きホボケンの税関の検閲を受けたときに、自分のカバンを底の底までひっくり返した税関吏が、やはりこのチューインガムを噛んでいた。これが自分のチューインガムというものに出会った最初の機会であった。勿論その時はチューインガムという名前も知らず、この税関吏が ヨーロッパ中の色々な国をあるき廻ったが、税関の検査はほとんど形式だけのものであった。ロシアは アメリカへ船が着く前に二等船客は囚徒のように一人一人呼び出されて先ず カバンは夏目先生からの借りものであった。先生が洋行の際に持って行って帰った記念品で、上面にケー・ナツメと書いてあるのを、新調のズックのカヴァーで包み隠したいかものであった。その中にぎっしり色々の品物をつめ込んであった。細心の工夫によってやっとうまく詰め合わせたものを引っくら返されたのであるから、再び詰めるのがなかなか大変であった。これが自分の室内ならとにかく、税関の広い土間の真中で衆人環視のうちにやるのであるからシャツ一つになる訳にも行かない。実際に大汗をかいて長い時間を費やした後に、やっと無理やりに詰め込む事が出来たのであった。日本への土産にドイツやイギリスで買って来たつまらない雑品に一つ一つ高い税をかけられた。その間に我が親愛なる税関吏は ホボケンという場所の名までが、何だか如何にも人を馬鹿にしたような名だと思われたのもおそらくこの時であった。 ニューヨークで安ホテルを捜しあてたときに帳場に居たのっぽの番頭がやはりチューインガムを噛んでいた。そうして「イエース」というところを「イエーア」と云うのであった。 便所の扉がたけが低くて、中で用を足している人の顔こそ見えないが、非芸術的な二本の脚は廊下からちゃんとあけすけに見えているのであった。 飲食店などの入口にも同じような短い扉があって、人はそれを乱暴に肩で押しあげて出入りする。あとで扉はパタンパタンと数回の振動をしなければすぐには静止の位置に落着かないのであった。 電車の中でも人はチューインガムを噛んでいた。そうして電車の床の上へ平気で唾を吐いていた。ヨーロッパでは見たことのない現象である。 ワシントンで生れて始めての「 アメリカでもプロフェッサー達はみんな品のいい、そうしてヨーロッパの国々の多くのプロフェッサーよりもさっぱりした感じの人が多かったが、これらの先生達は誰もチューインガムを噛んではいなかった。 ボストンで、とあるチョプスイ屋へはいって夕飯を喰ったら、そこに日本人のボーイが居て馴れ馴れしく話しかけた。帰りにチップをいつもより奮発して出したら突返された。そうして、自分はここではボーイをしているが日本へ帰れば相当な家もあって、相当な顔のある身分であると云ってひどく腹を立てた。すっかり憂鬱になって、そこを出ると、うしろから来たアメリカ人が「ビグ、ジャーップ」と云って唾をはいた。見るとやはりチューインガムを噛んでいるのであった。 ニューヨークを立つときにペンシルベニア・ステーションで、いきなり汽車に飛び乗ろうとすると、車掌に叱り飛ばされた。「レデース・ファースト」と云うのであった。なるほど自分の ナイヤガラやシカゴでは別段にこれというチューインガムのエピソードはなかったように記憶するが、これはおそらく、自分の神経がこの脅威に対していくらか麻痺しかけたためであったかもしれない。 これは今から二十年前の昔話である。現在のアメリカでチューインガムがどれだけ流行しているかは知らないが、映画などの中に時々これが現われるし、モーリス・シュヴァリエー主演のチューインガムを主題とした映画が昨年あたり東京で封切されたくらいであるから、おそらく今でも相当の命脈を保っているものと考えてさしつかえはないであろう。これが日本でいつ頃から流行しだしたかは知らないが、自分の注意を引くようになったのは近頃のことである。 チューインガムは、自分には、アメリカのヤンキーズムの象徴のように思われて仕方がない。アメリカ文化の特徴がことごとくこの奇妙な物質の中に集中され包含されているような気がするのであるが、その理由は分らない。 アメリカ人には勉強家努力家がなかなか多い。ギャングも居るが真面目な努力家も多い。努力の余波が 心理学者の説によると、感情があとで動作がさきだということである。怒るという動作をしなければ怒りの感情は発育を遂げることが出来ずに消えてしまうそうである。この理窟を 顎の張った人は意志が強いというから、始終チューインガムを噛んで顎骨でも発育したらあるいは意志が強くなるというのかもしれない。 こう考えて来ると少なくも クーシューというフランス人は『アジアの詩人と賢人』と題する書物の一節において、およそ世界の中で日本人とアメリカ人と程にちがった国民は先ずないという意味のことを云っている。これには自分も同感であった。しかし事実において服装でも食物でも建物でもまたスポーツでもジャズでもチューインガムでも、現在 日本の固有文化は外国人には一体に分かりにくい。中でも最も分かりにくいものは俳諧であろう。言語の根本的な相違は別としても国民的潜在意識の相違は チューインガムの流行常用によってその歯噛みの動作の反応作用から日本人が生理的並びに心理的にだんだんアメリカ人のようなものに接近して行くというようなことはあり得ないものか。そういう日が来れば我国の俳諧は滅亡するであろう。そうして同時に日本魂もことごとく消滅してしまうであろう。こんな極端な取越苦労のようなことまで考えさせられるのである。 こういうことを書いている自分が、実はまだ一度もそのチューインガムなるものを口に入れたことがないのである。従ってここでいうところのチューインガム亡国論も また考え直してみると日本という国は不思議な国であって古い昔から幾度となく朝鮮や支那やペルシアやインドや、それからおそらくはヘブライやアラビアやギリシアの色々の文化が色々の形のチューインガムとなって輸入され流行したらしいのであるが、それらが皆いつの間にか綺麗に消化されてしまって固有文化の栄養となったものらしい。それで俳諧でも「カピタンをつくばはせ」たり「アラキチンタをあたゝめ」たりしながらいわゆる (昭和七年八月『文学』) 底本:「寺田寅彦全集 第七巻」岩波書店 1997(平成9)年6月5日発行 入力:Nana ohbe 校正:noriko saito 2004年11月24日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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