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自由画稿(じゆうがこう)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/10/3 8:48:15 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


     十五 視角

 はじめて飛行機に乗った経験を話している人が、空中から見た列車の長さがたったこれだけのひものようにしか見えなかったと言ってさし出した両手の間に約一尺ぐらいの長さを画して見せた。これは機上から見た列車の全長の「視角」がほぼ腕の長さに等しい距離において一尺の長さが有する視角に等しいという意味と思われる。それで列車の実際の長さがわかっていれば、その時の飛行機の高度が算出される勘定である。しかし、多くの人はこういう場合に単に汽車が一尺ぐらいに見えたとか橋がマッチぐらいだったとか言う。これは科学的にはほとんど無意味な言葉である。それにもかかわらずそういう無意味な言い現わし方をする人は相当な教養のある人にも少なくないようである。「盆大の月」とか、「たらいほどなおてんとう様」とかいうのも学問的にはナンセンスである。盆やたらいの距離を指定しなければ客観的には意味を成さない。言う人のつもりでは月や太陽を勝手なある距離に引き寄せて考えているのだが、その無意味な主観的な仮定は他人には通じない。
 人玉を見たという人にその光り物の大きさを聞いてみても視角でいくらぐらいという人はきわめてまれである。風船玉ぐらいだったとか、電球の大きさだったとかいうのが普通である。言う人の心持ちではやはりだいたいその目的物の距離を無意識に仮定しているのである。
 月や太陽が三十メートルさきの隣家の屋根にのっかっている品物であったらそれはたしかに盆大である。しかし実際は二億二千八百万キロメートルの距離にある直径百四十万キロメートルの火の玉である。
 ヘルムホルツは薄暮に眼前を横ぎった羽虫を見て遠くの空をかける大鵬たいほうと思い誤ったという経験をしるしており、また幼時遠方の寺院の塔の回廊に働いている職人を見たときに、あの人形を取ってくれと言っておかあさんにせがんだことがあると言っている。
 いつか上野うえの松坂屋まつざかやの七階の食堂の北側の窓のそばに席を占めて山下やましたの公園前停留場をながめていた。窓に張った投身者よけの金網のたった一つの六角の目の中にこの安全地帯が完全に収まっていた。そこに若い婦人が人待つふぜいで立っていると、やがて大学生らしいのが来ていっしょになった。このランデヴーのほほえましい一場面も、この金網のたった一つの目の中で進行した。
 これといくらか似たことは自分自身や身近いものの些細ささいな不幸が日本全体の不幸のように思われ、自分の頭痛で地球が割れはしまいかと思うことである。たとえばまた自分の専攻のテーマに関する瑣末さまつな発見が学界を震駭しんがいさせる大業績に思われたりする。しかし、人が見ればこれらの「須弥山しゅみせん」は一粒の芥子粒けしつぶ隠蔽いんぺいされる。これも言わば精神的視角の問題である。この見やすい道理を小学校でも中学校でもどこでも教わらない人が多数いるような気がする。
 自分は高等学校の時先生からたいへんにいいことを教わった。それは、太陽や月の直径の視角が約半度であること、それから腕をいっぱいに前方へ伸ばして指を直角に曲げ視線に垂直にすると、指一本の幅が視角にして約二度であるということであった。それでこの親譲りの簡易測角器械さえあれば、距離のわかったものの大きさ、大きさのわかった物の距離のおおよその見当だけは目の子勘定ですぐにつけられる。これも万人が知っていて損にならないことであるが、木を見ることを教えて森を見ることは教えない今の学校教育では、こんな「概略な見当」を正しくつけるようなことはどこでも教えないらしい。高価な精密な器械がなければ一尺と百尺との区別さえもわからないかのように思い込ませるのが今の教育の方針ではないかと思われることもある。これも考えものである。
 視角の概念とその用途は小学校でも楽に教えこまれる。これを教えておくと世の中に無用なけんかの種が一つ二つは減るであろうと思われるのである。

(昭和十年四月、中央公論)


     十六 歌舞伎座見物

 二月の歌舞伎座かぶきざを家族連れで見物した。三日前に座席をとったのであるが、二階の二等席はもうだいたい売り切れていて、右のほうのいちばんはしっこにやっと三人分だけ空席が残っていた。当日となって行って見ると、そのわれわれの座席の前に補助椅子ほじょいすの観客がいっぱい並んで、その中には平気で帽子をかぶって見物している四十格好の無分別男がいたりしたので、自分の席からは舞台の右半がたいてい見えず、肝心の水谷八重子みずたにやえこの月のかんばせもしばしばその前方の心なき帽子の雲に掩蔽えんぺいされるのであった。劇場建築の設計者が補助椅子というものの存在を忘れていたらしい。
 一番目「嘆きの天使」はかつてスタンバーク監督ディートリヒ主演の映画を見ていたので、それとこれとを比較して見るという興味があった。さて「高等中学」の教室に現われた教授ウンラートはと見ると、遠方から見たいったいの風貌ふうぼうがエミール・ヤニングスのふんした映画のウンラートにずいぶんよく似ているので、よくもまねたものだと多少感心した。しかし、同時に登場したドイツ学生の動作が自分の目にはどうしてこうもスチューピッドにできるかと思うほどスチューピッドに見えた。動物学の書物にナマケモノという動物があるが、あれがおおぜいのたうち回っているのだというような不思議な印象を受けただけであった。毎日こういう生徒を相手にしているのでは、ウンラートでなくても、どこか他に転向の新天地が求めたくなるであろうという気がするのであった。
 映画では、はじめにウンラートの下宿における慰めなき荒涼無味の生活の描写があり、おまけにかわいがって飼っていた小鳥の死によって、この人の唯一の情緒生活のきずなの無残に断たれるという場面が一種の伏線となっているので、それでこそ後にポーラの楽屋のかもし出す雰囲気ふんいきの魅力が生きて働いてくるように思われるが、この芝居には、そういったようなデリケートな細工などは一切抜きにして全く荒削りの嘆きの天使ができあがっているようである。同じようなわけで、後に教授が道化役になって雄鶏おんどりの鳴き声をするのでも、映画のほうではちゃんとしたそれだけの因縁が明らかにされている。それは、ポーラとの結婚を祝する座員ばかりの水入らずの宴会の席で、ポーラがふざけて雌鶏めんどりのまねをして寄り添うので上きげんの教授もつり込まれて柄にない隠し芸のコケコーコーを鳴いてのける。その有頂天の場面が前にあるので、後に故郷の旧知の観客の前で無理やりに血を吐く思いで叫ばされるあのコケコーコーの悲劇が悲劇として生きてくるのではないかと思う。しかしこの芝居にはそんな因縁は全然省略されているから、鶏のまねが全く唐突で、悪どい不快な滑稽味こっけいみのほうが先に立つ。
 映画と芝居は元来別物であるから、映画のまねは芝居ではできない。そのかわりまた芝居でなくてはできないこともある。それをすればおもしろいであろうが、この芝居では映画のいいところを大略もぎ取ってしまって、それに代わるいいものを入れるのを忘れているように思われた。そうしてせっかく新たに入れたものにはどうも蛇足だそくが多いようである。たとえば、最後の幕で、教授が昔なつかしい教壇のやみに立ってのあのことさらな独白などは全くないほうがいい。また映画ではここでびっこの小使いが現われ、それがびっこをひくので手にさげた燭火しょくかのスポットライトが壁面に高く低く踊りながら進行してそれがなんとなく一種の鬼気を添えるのだが、この芝居では、そのびっこを免職させてそれを第二幕の酒場の亭主ていしゅに左遷している。そうしてそこではびっこがなんの役にも立たないむしろ目ざわりなうるさい木靴サボの騒音発声器になっているだけである。
 終末の幕切れに教授の死を弔う学生の「アーメン」にいたっては、蛇足にサボをはかせたようなものではないかと思われた。
 大学教授連盟とかいう自分にはあまり耳慣れない名前の団体から、このような芝居は教育界の神聖を汚すものだと言って厳重な抗議があったので、それに義理を立てるためにこのアーメンを付加したのだといううわさがある。これも後世の参考と興味のために記録に値する出来事であろう。
 ウンラートが気が狂ったのを見て八重子やえこのポーラが妙な述懐のようなことを述べるせりふがあるが、あれはいかにも、ああした売女の役をふられた八重子自身が贔屓ひいきの観客へ対しての弁明のように響いて、あの芝居にそぐわないような気がした。ポーラはやはり浮き草のようなポーラであるところにこの劇の女主人公としての意義があり、そこに悲劇があり、ほんとうの哀れがあるのではないか。八重子やえこはここで黙って百パーセントの売女としてのポーラになりきることによってこの悲劇を完成すべきではないかという気がしたのであった。
 不平ばかり言ったようで作者にはすまないが、どうもこんなふうに感じたことは事実でいたし方がない。
 二番目「新世帯案内」では見物がよく笑った。笑わせておいてちょっとしんみりさせる趣向である。これが近ごろのこうした喜劇の一つの定型として重宝がられるらしい。しかしたまには笑いっ放しに笑わせてしまうのもあってはどうかと思われた。食事時間前の前菜にはなおさらである。
 三番目「仇討輪廻あだうちりんね」では、多血質、胆汁質たんじゅうしつ、神経質とでも言うか、とにかく性格のちがう三人兄弟の対仇討観らしいものが見られる。これなどももうひと息どうにかすると相当おもしろく見られそうな気がしたが、現在のままではどうにもただあわただしく筋書を読んでいるような気がするだけであまりにあっけないような気がしたのは残念であった。どうと言って話にはできないが見るとたまらなくおもしろいという芝居もあるが、この芝居はそれとはちがった種類に属するもののようである。
 最後の「女一代」では八重子が娘になり三十女になり四十女になって見せる。そうして実によく見物を泣かせるのである。そういう目的で作られたこの四幕物は、そういうものとしての目的を九分通りまでは達していると思われた。とにかく「嘆きの天使」を見ているときのようにあぶなっかしい感じはちっともなくて楽に見られる。それだけに何か物足りない。
 この芝居を見てから数日後に友だちといっしょに飯を食いながらこの歌舞伎座かぶきざ見物の話をして、どうもどの芝居もみんな、もうひと息というところまで行っていながら肝心の最後のひと息が足りないような気がするという不平をもらしたら、T君は、畢竟ひっきょういい脚本がないからだろうと言った。実際ほんとうにいい脚本なら芸術批評家を満足させると同時にまた大衆にも受けないはずはないであろうと思われる。そう言えば日本の映画でもやはりたいていもうひと息というところでぴったり止まっているように思われる。みんな仏作って魂が入れてないように見える。
 そう言えばまた、日本の工業などでもやはり九十九パーセントまでは外国の最高水準に近づいていて、あとの一パーセントだけが爪立つまだってみても少し届かないといったようなものが多いような気がする。
 エヴェレスト登攀とうはんでもそうであるが、最後の一歩というのが実はそれまでの千万歩よりも幾層倍むつかしいという場合が何事によらずしばしばある。そう考えて来るといささか心細い日本の現代である。あきらめのよすぎる国民性によるのであろうか。そう思うとウンラート教授のような物事を突き詰めて行くところまで行ってしまう人間も頼もしいような気がする。少なくもそういう人間を産み出しうる国民性はうらやむべきであるかもしれない。
 歌舞伎座の一夕の観覧記がつい不平のノートのようになってしまったようであるが、それならちっともおもしろくなかったのかと聞かれればやはりおもしろかったと答えるのである。実をいうと午後四時から十時までぶっ通しに一粒えりの立派な芸術ばかりを見せられるのであったら、自分など到底見に行くだけの気力が足りそうもないような気がする。毎日の仕事に疲れた頭をどうにかもみほごして気持ちの転換を促し快いあくびの一つも誘い出すための一夕の保養としてはこの上もないプログラムの構成であると思われる。むしろ無意味に笑ったり、泣いたりすることの「生理的効果」のほうが実は大衆観客のみならず演劇会社幹部の人たちの無意識の主要目的であるのかもしれない。そうだとすると、こうした芝居に見当違いの芸術批評などを試みるのは実に愚なことである。
 それで、よく考えてみると、少なくも自分の近ごろの芝居見物は、実はそうした生理的効果を主要な目的としているようである。その点では按摩あんまをとったりズーシュを浴びたりするのと全く同等ではないかと思われて来るのである。
 ことによると、こうした芝居の観客の九十パーセントぐらいまでは、自分では意識していなくとも実はやはりそうした精神的マッサージの生理的効果を目あてにして出かけるのではないかという疑いも起こし得られる。

     十七 なぜ泣くか

 芝居を見ていると近所の座席にいる婦人たちの多数が実によく泣く、それから男も泣く、泣きそうもないようなたくましい大男でかえって女よりもみごとによく泣くのもいる。
 これらの観客はたぶんこうして泣きたいために忙しい中を繰り合わせ、乏しい小使い銭を都合して入場しているものと思われる。こうして芝居を見ながら泣くということは、それほどに望ましい本能的生理的欲求であるらしい。
 人間はなぜ泣くか、泣くとは何を意味するか。「悲しいから泣く」という普通の解釈はまるでうそではないまでも決してほんとうではないようである。
「泣く」ということは涙を流して顔面の筋にある特定の収縮を起こすことであると仮定し、そうした動作に伴なう感情を「悲しい」と名づけるとすると、「泣く」と「悲しい」との間の因果関係はむしろ普通に言うのと逆になるかもしれない。
「悲しいから」と言うのを「悲しむべき事情が身辺に迫ったから」という意味に解釈する、たとえば自身に最も親しい者が非業の死をとげたからというふうに理解すると、それはたしかに泣くことの一つの条件にはなるが、それだけでは泣くための必要条件は決してそろわないのである。たとえば、ある書物に引用された実例によると、ある医者は、街上でひかれた十歳になるわが子の瀕死ひんしの状態を見ても涙一滴こぼさず、応急の手当に全力を注いだ。数時間後に絶命した後にもまだ涙は見せなかった。しばらくして後にその子の母から、その日の朝その子供のしたあるかわいい行動について聞かされたときに始めて流涕りゅうていしたそうである。これと似た経験はおそらく多数の人がもち合わせていることと思われる。
 テニスンの詩「プリンセス」に「戦士の亡骸なきがらが運び込まれたのを見ても彼女は気絶もせず泣きもしなかったので、侍女たちは、これでは公主の命が危ういと言った、その時九十歳の老乳母ろううばが戦士の子を連れて来てそっと彼女のひざに抱きのせた、すると、夏の夕立のように涙が降って来た」というくだりがある。
 以下はある男の告白である。
「自分が若くて妻をうしなったときも、ちっとも涙なんか出なかった。ただ非常に緊張したような気持ちであった。親戚しんせきの婦人たちが自由自在に泣けるのが不思議な気がした。遺骸いがいを郊外山腹にある先祖代々の墓地に葬った後、なまなましい土饅頭どまんじゅうの前に仮の祭壇をしつらえ神官が簡単なのりとをあげた。自分は二歳になる遺児をひざにのせたまま腰をかけてそののりとを聞いていたときに、今まで吹き荒れていた風が突然ないだかのように世の中が静寂になりそうして異常に美しくなったような気がした。山の木立ちも墓地から見おろされるふもとの田園もおりから夕暮れの空の光に照らされて、いつも見慣れた景色がかつて見たことのない異様な美しさに輝くような気がした。そうしてそのような空の光の下に無心の母なき子を抱いてうつ向いている自分自身の姿をはっきり客観した、その瞬間に思いもかけず熱い涙がわくように流れ出した。」
 フランス映画「居酒屋」でも淪落りんらくの女が親切な男に救われて一│さらかゆをすすって眠った後にはじめて長い間かれていた涙を流す場面がある。「勧進帳」で弁慶べんけいが泣くのでも絶体絶命の危機を脱したあとである。
 こんな実例から見ると、こうした種類の涙は異常な不快な緊張が持続した後にそれがようやく弛緩しかんし始める際に流れ出すものらしい。
 うれし泣きでも同様である。たいてい死んだであろうと思われていたむすこが無事に帰ったとか、それほどでなくとも、心配していた子供の入学試験がうまく通ったというのでもやはり緊張のゆるむ瞬間に涙が出るのである。
 頑固親爺がんこおやじが不幸むすこを折檻せっかんするときでも、こらえこらえた怒りを動作に移してなぐりつける瞬間に不覚の涙をぽろぽろとこぼすのである。これにはもちろん子を哀れみまた自分を哀れむ複雑な心理が伴なってはいるが、しかしともかくもそうした直接行動によって憤怒ふんぬの緊張は緩和され、そうして自己を客観することのできるだけに余裕のある状態に移って行くのである。そうしてかわいいわが子を折檻せっかんしなければならないわが身の悲運を客観するときにはじめて泣くことができるらしい。
 芥川竜之介あくたがわりゅうのすけの小品に次のような例がある。
 山道のトロッコにうっかり乗った子供が遠くまではこばれた後に車から降ろされただ一人取り残されて急に心細くなり、夢中になって家路をさしていっさんに駆け出す。泣きだしそうにはなるが一生懸命だから思うようには泣けない、ただ鼻をくうくう鳴らすだけであった。やっとわが家に飛び込むと同時にわっと泣きだして止め度もなく泣きつづけるのである。
 小さな子が道でころんですねや手のひらをすりむいても、人が見ていないと容易には泣かない、だれかが見つけていたわるとはじめて泣きだす、それが母親などだと泣き方がいっそうはげしい。
 おとなでもいろいろなふしあわせを主観して苦しんでいる間はなかなか泣けないが、不幸な自分を客観し哀れむ態度がとれるようになって初めて泣くことが許されるようである。
 こういうふうに考えてくると流涕りゅうていして泣くという動作には常に最も不快不安な緊張の絶頂からの解放という、消極的ではあるがとにかく一種の快感が伴なっていて、それが一道の暗流のように感情の底層を流れているように思われる。
 うれしい事は、うれしくないことの続いたあとに来てはじめてうれしさを充分に発揮する。このように、遂げられなかった欲望がやっと遂げられたときの狂喜と、底なしの絶望のやみに一道の希望の微光がさしはじめた瞬間の慟哭どうこくとは一見無関係のようではあるが、実は一つの階段の上層と下層とに配列されるべきものではないかと思われる。
 この流涕の快感は多くの場合に純粋に味わうことが困難である。その泣くことの原因は普通自分の利害と直接に結びついているのであるから、最大緊張の弛緩しかんから来る涙の中から、もうすぐに現在の悲境に処する対策の分別が頭をもたげて来るから、せっかく出かけた涙とそれに伴なう快感とはすぐに牽制けんせいされてしまわなければならない。
 そういう牽制を受ける心配なしに、泣くことの快感だけを存分に味わうための最も便利な方法がすなわち芝居、特にいわゆる大甘物の通俗劇を見物することである。劇中の人物に自己を投射しあるいは主人公を自分に投入することによって、その劇中人物が実際の場合に経験するであろうところの緊張とそれに次いで来るように設計された弛緩とを如実に体験すると同等の効果を満喫して涙を流しはなをすする、と同時に泣くことの快感に浸るのである。しかもこの場合劇中人物のあらゆる事件│葛藤かっとうは観客自身の利害と感情的にはとにかく事実的になんの交渉もないのであるから、涙の中から顔を出して来るような将来への不安も心配も何もないのである。換言すれば、泣くことの快感を最も純粋なる形において享楽するのである。
 この享楽をいっそう純粋ならしめるためには芝居の筋などはむしろなるべく簡単なほうがいいらしい。深刻なモラールやフィロソフィーなどの薬味がきき過ぎて、大いに考えさせられたりひどく感心させられたりするようだと、大脳皮質のよけいな部分の活動に牽制されて、泣くことの純粋さがそこなわれることになる。そうした芸術的に高等な芝居が、生理的享楽のために泣きに行く観客に評判のわるいのはきわめて当然なことであろうと思う。
 原因は少しもわからなくてもさもおかしそうに笑っている人を見れば自分も笑いたくなると同様に、上手じょうずな俳優が身も世もあられぬといったような悲しみの涙をしぼって見せれば、元来泣くように準備のととのっている観客の涙腺るいせん猶予ゆうよなく過剰分泌を開始するのであって、言わば相撲すもうを見ていると知らず知らず握りこぶしを堅くするのとよく似た現象であろうと想像される。その上に少しばかり泣くために有効な心理的な機構が付加されていれば効果はそれだけで充分であって、前後を通じての筋の論理的のつながりなどはたいした問題にはならないのである。こういう見方からすれば、芸術的な高級演劇がさっぱり商売にならないで芸術などは相手にしない演劇会社社長の打つ甘い新派劇などが満員をつづけるのが不思議でなくなるようである。
 話は変わるが、日本では昔から「ものの哀れ」ということがいろいろな芸術の指導原理か骨髄かあるいは少なくも薬味ないしビタミンのごときものであると考えられていた。西洋でもラスキンなどは「一抹いちまつの悲哀を含まないものに真の美はあり得ない」と言ったそうである。これから考えても悲哀ということ自身は決していとわしい恐るべきことではなくてかえって多くの人間の自然に本能的に欲求するものであることが推測される。ただ悲哀に随伴する現実的利害関係が迷惑なのである。
 悲しくない泣き方もいろいろある。あんまりおかしくて笑いこけても涙が出るが、笑うのと泣くのは元来紙一重だからこれは当然である。しかし感情的でない泣き方もいろいろあるのであって、その一特例としては、疲れたときにあくびをすると涙が出る。あくびをするときのわれわれの顔は手ばなしで泣きわめく時の顔とかなりまでよく似ている。うそと思う人は鏡を見ながら比較してみればわかる。このあくびというのがやはり緊張から弛緩しかんへ移るときに起こる生理的現象であって、とにかく顔面をゆがめ、声は出さなくても呼気を長くつき出し、そうしてぽろぽろ涙をこぼすのである。そうしてさんざんあくびをしたあとのさっぱりした気持ちも大いに泣いたあとのすがすがしいここちとどこか似ているようである。それだから、上手じょうずの芝居を見て泣くのも、下手へたの芝居を見てあくびをするのも生理的にはただ少しのちがいかもしれないと思われる。
 目に煙がはいったときや、わさびのきき過ぎたすしを食ったときにこぼす涙などは上記のものとは少し趣を異にするようである。それからまた、胃の洗滌せんじょうをすると言って長いゴム管を咽喉のどから無理に押し込まれたとき、鼻汁はなじるといっしょにたわいなくこぼれる涙に至っては真に沙汰さたの限りである。
 しかしこんな純生理的な涙でも、また悲しくて出る涙でも、あれが出ないと、何かしらひどくいけない悪効果がわれわれのからだの全機構のどこかに現われる恐れがある、それをあのように涙をこぼすことによって救助し緩和するような仕掛けになっているのではないかという疑いが起こる。言わば高圧釜こうあつがまの安全弁のように適当な瞬間に涙腺るいせんの分泌物を噴出して何かの危険を防止するのではないか、そうでないとどうも涙の科学的意義がのみ込めない。
 ある通俗な書物によると、甲状腺の活動が旺盛おうせいな時期には性的刺激に対する感度が高まると同時にあらゆる情緒的な刺激にも敏感になり、つまり泣きやすくもなるそうである。青春の男女のよく泣くのはそのためかと思われる。しかし非常に年を取ったばあさんなどがごちそうを食うときに鼻汁ばかりか涙まで流すのはあれはどういうのだかいささか神秘的である。
 人間以外の動物で「泣く」のがあるかどうか。日本では馬が泣く話がある。ダーウィンは象その他若干の獣が泣くと主張したがその説は確認されてはいないそうである。ともかくも明白に正真正銘に「泣き」また「笑う」のはだいたいにおいて人間の特権であるらしいから、われわれはこの特権を最も有効に使用するように注意したいものである。しかしまたこれが人間の仕事のうちでいちばんむつかしいことのようにも思われる。

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