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芝刈り(しばかり)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/10/3 8:46:26 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 するとまたすぐに第二の問題に逢着ほうちゃくした。芝生しばふとそれより二寸ぐらい低い地面との境界線の所は芝のはえ方も乱雑になっているし、葉の間に土くれなどが交じっているために刈りにくくめんどうである。その上に刈り取った葉がかぶさったりするとなおさら厄介やっかいであった。それでまずこの境界線のはえぎわを整理した後に平たい面積に掛かるほうが利口らしく思われた。しかしこのはえぎわの整理はきわめてめんどうで不愉快であって、見たところの効果の少ない割りの悪い仕事であった。
 おしまいにはそんな事を考えている自分がばからしくなって来たので、いいかげんに、無責任に、だらしなく刈り始めた。
 青白い刃が垂直に平行して密生した芝の針葉の影に動くたびにザックザックと気持ちのいい音と手ごたえがした。葉は根もとを切られてもやはり隣どうしもたれ合って密生したままに直立している。その底をくぐって進んで行くはさみの律動につれてムクムクと動いていた。はさみをあげてかえすと切られた葉のかたまりはバラバラに砕けて横に飛び散った。刈ったあとには茶褐色ちゃかっしょくにやけた朽ち葉と根との網の上に、まっ白にもえた茎が、針を植えたように現われた。そして強い土の香がぷんと鼻にしみるように立ちのぼった。
 無数の葉の一つ一つがきわめて迅速に相次いで切断されるために生ずる特殊な音はいろいろの事を思い出させた。理髪師のはさみが濃密な髪の一束一束を切って行く音にいつも一種の快感を味わっていた私は、今自分で理髪師の立場からまた少しちがった感覚を味わっているような気がした。それから子供の時分に見世物で見た象が、わらの一束を鼻で巻いて自分の前足のひざへたたきつけた後に、手ぎわよく束の端を口に入れて藁のはかまをかみ切った、あの痛快な音を思い出したりした。しかしなぜこの種類の音が愉快であるかという理由はどう考えてもわからなかった。音の性質から考えればこれは雑音の不規則な集合で、音楽的の価値などは無論無いものである。しかしあるいはこれは聴感に対する音楽に対立させうべき触感あるいは筋肉感に関する楽音のようなものではあるまいか。音自身よりはむしろ音から連想する触感に一種の快を経験するのではあるまいか。それともまたもっと純粋に心理的な理由によるものだろうか。あるいはひょっとしたらわれわれの祖先の類人猿るいじんえん時代のある感覚の記憶でないとも言われないと思ったりした。
 鋏の進んで行く先から無数の小さなばったやこおろぎが飛び出した。平和――であるかどうか、それはわからぬが、ともかくも人間の目から見ては単調らしい虫の世界へ、思いがけもない恐ろしい暴力の悪魔が侵入して、非常な目にも止まらぬ速度で、空をおおう森をなぎ立てるのである。はげしい恐慌に襲われた彼らは自分の身長の何倍、あるいは何十倍の高さを飛び上がってすぐ前面の茂みに隠れる。そうして再びはさみがそこに迫って来るまではそこで落ち付いているらしい。彼らの恐慌は単に反射的の動作に過ぎないか、あるいは非常に短い記憶しか持っていないのだろうか。……魚の視感を研究した人の話によると海中で威嚇された魚はわずかに数尺逃げのびると、もうすっかり安心して悠々ゆうゆうと泳いでいるという事である。……今度の大戦で荒らされた地方の森に巣をくっていたからすは、砲撃がやんで数日たたないうちにもう帰って来て、枝も何も弾丸の雨に吹き飛ばされて坊主になった木の空洞くうどうで、平然と子を育てていたと伝えられている。もっともそう言えば戦乱地の住民自身も同様であったかもしれない。またある島の火山の爆裂火口の中へ村落を作っていたのがある日突然の爆発に空中へ吹き飛ばされねこの子一つ残らなかった事があった。そうして数年の後にはその同じ火口の中へいつのまにかまた人間の集落が形造られていた。こんな事を考えてみると虫の短い記憶――虫にとっては長いかもしれない記憶を笑う事はできなかった。
 無数に群がっている虫の中には私のはさみのために負傷したり死んだりするのもずいぶんありそうに思われて、多少むごたらしい気がしないでもなかった。しかしどうする事もできないのでかまわず刈って行った。これらの虫は害虫だか益虫だか私にはわからなかった。
 子供の時分に私の隣家に信心深い老人がいた。彼は手足に蚊がとまって吸おうとするのを見つけると、静かにそれを追いのけるという事が金棒引きの口から伝えられていた。そしてそれが一つの笑い話の種になっていた。私も人並みに笑ってはいたが、その老人の不思議な行為から一つのなぞのようなものを授けられた。そうして今日になってもそのなぞは解く事ができないでそのままになっている。のみならずこのなぞは長い間にいろいろの枝葉を生じてますます大きくなるばかりである。
 たとえば人間が始まって以来今日までかつて断えた事のないあらゆる闘争の歴史に関するいろいろの学者の解説は、一つも私のふに落ちないように思われた。……私には牛肉を食っていながら生体解剖ヴィヴィセクションに反対している人たちの心持ちがわからなかった。……人間の平等を論じる人たちがその平等をさる蝙蝠こうもり以下におしひろめない理由がはっきりわからなかった。……普通選挙を主張している友人に、なぜ家畜にも同じ権利を認めないかと聞いて怒りを買った事もあった。
 今はさみのさきから飛び出す昆虫こんちゅうの群れをながめていた瞬間に、突然ある一つの考えが脳裏にひらめいた。それは別段に珍しい考えでもなかったが、その時にはそれが唯一の真理であるように思われた。――もう昆虫の生命などは方則の前の「物質」に過ぎなくなった。私と私の鋏はその方則であり征服者であり同時に神様であった。私はわれわれ人間の頭上に恐ろしい大きな鋏を振り回している神様の残忍に痛快な心持ちを想像しながら勢いよく鋏の取っ手を動かして行った。

 病気にさわる事を恐れて初めの日は三尺平方ぐらいにしてやめた。昼過ぎに行って見ると、刈られた葉はすっかりかわき上がって、青白い干し草になって散らばっていた。日向ひなたにさらされたままの鋏の刃はさわって見ると暑いほどにほてっていた。
 学校から帰って来た子供らは、少なからざる好奇心をもって刈られた部分を点検したあとで、我れ勝ちに争って鋏を手にした。しばらくして見に行って見ると、芝生の上にはねずみがかじったように、三角形や、片かなや、ローマ字などが表われていた。九歳になる女の子は裁縫用の鋏で丁寧に一尺四方ぐらいの部分を刈りひらいて、人差し指の根もとに大きなかわいい肉刺まめをこしらえていた。
 いろいろの時刻にいろいろの人が思い思いの場所を刈っていた。人々の個性はこんな些細ささいな事にも強く刻みつけられていた。大まかに不ぞろいに刈り散らして虎斑とらふをこしらえる者もあれば、一方から丁寧に秩序正しく、蚕が桑の葉を食って行くように着々進行して行くものもあった。ある者は根もとまでつめて刈り込まないと承知しないし、またある者はある長さの緑を残すように骨を折っているらしく見えた。
 書斎で聞いていると時々はさみの音が聞こえたが、その音のぐあいでだれがやっているかはたいていわかった。
 午前に私が刈り初めようとするとよく来客があった。そういう事が三四回もつづいた。来客を呼ぶおまじないだと言って笑うものもあった。これは無論直接の因果関係ではなかったが、しかし全くの偶然でもなかった。二つの事がらを制約する共通な条件はあった。ただその条件が必至のものでないだけの事であった。
 毎日少しずつ鋏を使いながら少しずついろいろの事を考えた。いろいろの考えはどこから出て来るかわからなかった。前の考えとあとの考えとの関係もわからなかった。昔ミダス王の理髪師がささやいた秘密をあしの葉が再びささやいたように、今この芝の葉の一つ一つが、昔だれかに聞いた事を今私にささやいているのかもしれない。
 たとえば私は自分で芝を刈る事によって、植木屋の賃銀を奪っているのではないかという問題に出会った。そしていろいろもて扱っているうちに、これがもうかなりに古いありふれた問題である事に気がついた。それかと言ってこれに対する明快な解決はやはり得られなかった。
 延び過ぎた芝の根もとが腐れかかっているのを見た時に、私はふと単純な言葉の上の連想から、あまりに栄え茂りすぎた物質的文化のために人間生活の根本が腐れかかるのではないかと思ってみた。そしてそれを救うにはなんとかして少しこの文明を刈り込む必要がありはしないかと考えた。しかし芝と文化とはなんの関係もない。芝を刈るのがいいといっても文明を刈り取るがいいという証拠にも何もならない事は明らかであった。あまりに皮相的な軽率な類推の危険な事を今さらのように思ってみたりした。実際そんな単純な考えが熱狂的な少数の人の口から群集の間に燎原りょうげんの火のようにひろがって、「芝」を根もとまで焼き払おうとした例が西洋の歴史などにないでもなかった。文明の葉は刈るわけにも焼くわけにも行かない。

 始めのうちはおもしろがっていた子供らもじきに飽きてしまってだれもはさみを手にするものはなくなった。ただ長女と私とが時々少しずつ刈って行った。そのうちには雨が降ったりして休む日もあるので、いちばん始めに刈った所はもうかなりに新しい芽を延ばして来た。
 最後に刈り残された庭の片すみのカンナの葉陰に、一きわ濃く茂った部分を刈っていた長女は、そこで妙なものを発見したと言って持って来た。子供の指先ぐらいの大きさをした何かの卵であった。つまんで見るとからは柔らかくてぶよぶよしていた。一つ鋏にかかってつぶれたのをあけて見たら中には蜥蜴とかげのかえりかかったのがはいっていたそうである。「人間のおなかの中にいるときとよく似ているわ」とそばから小さな女の子が付け加えた。私は非常に驚いてこの子供の知識の出所を聞きただしてみると、それがおちゃみずで開かれたある展覧会で見たアルコールづけの標本から得たものである事がわかった。
 子供らはこの卵の三つか四つを日当たりのいい縁側の下の土に埋めておいた。数日たった後に掘ってみたらもう何もなかったそうである。ここにも大きな奇蹟きせきはあった。
 十日ほどにわたった芝刈りがやっと終わった。結果はあまり体裁のいいほうではなかった。刈り手の個性と刈り時の遅速とが芝生の上に不規則なまだらを描いていた。休まず働いている自然の手がその痕跡こんせきをぬぐい消すにはまだ幾日か待たなければならなかった。
 保養の目的が達せられたかどうかはわからなかった。たいしてからだにさわりもしなかった代わりに別段のいい効果があったとも思われぬ。そのような効果が、はかりますではかれるように判然とわかるものだったら、医師はさぞ喜びもしまた困る事だろうと思った。――ただ蜥蜴とかげの卵というものを始めて実見したのがおそらくこの数日の仕事の一番の獲物であったろうと思っている。

(大正十年一月、中央公論)





底本:「寺田寅彦随筆集 第一巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1947(昭和22)年2月5日第1刷発行
   1963(昭和38)年10月16日第28刷改版発行
   1997(平成9)年12月15日第81刷発行
入力:田辺浩昭
校正:かとうかおり
1999年11月17日公開
2003年10月22日修正
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