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三斜晶系(さんしゃしょうけい)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/10/3 8:30:57 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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一 夢 七月二十七日は朝から実に忙しい日であった。朝起きるとから夜おそくまで入れ代わり立ち代わり人に攻められた。くたびれ果てて寝たその明け方にいろいろの夢を見た。 四つ 大きな日本座敷の中にベンチがたくさん並んでいる。そこで何か法事のような儀式が行なわれているか、あるいはこれから行なわれようとしているらしい。自分はいつのまにか紋付き いつのまにかどこかの離れ島に渡っていた。海を隔ててはるかの向こうに群青色の山々が異常に高くそびえ連なっている。山々の中腹以下は黄色に 昔の同窓で卒業後まもなく早世したS君に行き会った。昔のとおりの丸顔に昔のとおりのめがねをかけている。話をしかけたが、先方ではどうしても自分を思い出してくれない。他の同窓の名前を列挙してみても無効である。 浜べに近い、 なんだか急に帰りたくなって来た。便船はないかと聞いてみるとそんなものはこの島にはないという。このあいだ○○帝大総長が帰る時は 前々日A研究所の食堂で雑談の際に今度政府で新計画の航空路のうわさが出て、 「みどりや」という宿屋には覚えがない。しかしやはり前日家人と 階段の花売りについてはどうも心当たりがない。しかしことによると前日 法事の場面については心当たりがある。前夜の夕刊に 島へ渡ったのは、たぶん 前日の昼食時にA君が、自分の昔の同窓の一人で現に生存しているある人の事についてほんのちょっとばかり話をした。その瞬間に自分の頭の中のどこかのすみを他の同窓のだれかれの影が通り過ぎてすぐ消えたのかもしれない、そうして中でもいちばん早くなくなったS君の記憶が多少特別なアクセントをもって印銘された、その余響のようなものがこの夢のS君出現の動機になったのだと仮定すると不思議でなくなる。 Nの兄というのは全然見当がつかないし、その鼻隠しのヴェールに至ってはさらに奇中の奇である。帝大総長の引き合いに出るのもどうも解釈がつかない。これはフロイドかそのお 二 とんぼ 八月初旬のある日の夕方 ステッキの先端を空中に向けて直立させているとそれに来てとまる。そこでステッキをその長軸のまわりに静かに回転させると、とんぼはステッキの回るのとは逆の方向にからだを回して、周囲の空間に対して、常に一定の方向を保とうとする。そういう話を前日子供たちから聞いていたのではたして事実かどうか実験してみようと思った。 帽子を離れたとんぼが道ばたの草に移った。そのそばにステッキの先端を近づけて二三度あやつっていたら、うまく乗り移って来た。静かにステッキを垂直に取直しておいて、そろそろ回転させてみた。はじめはいっこうに気づかないようであるが九十度以上も回転すると何かしら異常を感じるらしく、つかまっている足を動かしてからだをねじ向ける。しかしそれはわずかに十度か二十度ぐらい回転するだけで、すっかり元の方向まで向き直るようなことはない。なんべんも繰り返してみたが同じ結果であった。 道路に沿うて頭の上を電線が走っている。それにたくさんのとんぼが止まっているが、それがみんなだいたい東を向いている。ステッキのとんぼが最初に止まったのと同じ向きである。 夕日がもう低く傾いていて、とんぼはみんなそれに 試みに近い範囲の電線に止まっている三十五匹のとんぼの体軸と電線とのはさむ角度を一つ一つ目測して読み取りながら娘に筆記させた。その結果を図示してみるとそれらの角度の統計的分布は 残りの二十プロセントすなわち七匹のうちで三匹だけは途方もなく見当をちがえて、最大 その翌日の正午ごろ自分たちの家の前を通っている電線に止まったとんぼを注意して見ると、やはりだいたい統計的には一定方向をむいているが、しかし、太陽に それから、ずっと毎日電線のとんぼのからだの向きを注意して見たが、結局彼らの体向を支配する第一因子は風であるということになった。地上で人体には感じない程度の風でも巻き もっとも、地上数メートルの間では風速は地面から上へと急激に増すから、電線の高さでは人間の感ずるよりはいくらか強い気流があるには相違ない。 谷あいの土地であるから地形により数町はなれると風向がよほどちがう場合が多い。そういう場合に、いつでもまたどこでも、その時その場所の風に頭を向けている。時刻がだいたい同じなら太陽の方向は同じであると考えていいのであるから、太陽の影響は、もしいくらかあるにはあるとしてもそれは第二次的以下のものであるという結論になるのである。 この 最初気づいた時にはおそらく、微弱な風がちょうど偶然太陽の方向に流れていたであろう、それを考えないで、とんぼの しかしまたこの事から、とんぼの止まっているときの体向は太陽の方位には無関係であるという結論を下したとしたら、それはまた第二の早合点という錯誤を犯すことになるであろう。この点を確かめるには、実験室内でできるだけ気流をならしておいて、その中で養ってあるとんぼにいろいろの向きからいろいろの光度の照明をして実験することもできなくはない。しかし実験室内に捕われたとんぼがはたして野外の自由なとんぼと全く同じ性能をもつと仮定してよいかどうかという疑問は残る。 いちばん安全な方法はやはり野外でたくさんの観測を繰り返し、おのおのの場合の風向風速、太陽の高度方位、日照の強度、その他あらゆる気象要素を観測記録し、それに各場合の地形的環境も参考した上で、統計的分析法を使用して、各要素固有の効果を抽出することであろうと思われる。 現在測候所で用いているような風速計では感度が不十分であるから、何か特別弱い風を測るに適した風速計の設計が必要になるであろうと思われた。また一方とんぼの群れが時には最も敏感な風向計風速計として使われうるであろうということも想像された。 風速によってとんぼの向きの平均誤差が減少するであろうと想像される。その影響の量的数式的関係なども少し勉強すれば容易に見つかりそうに思われる。アマチュア とんぼがいかにして風の方向を知覚し、いかにしてそれに対して一定の姿勢をとるかということがまた単に生物学者生理学者のみならず、物理学者工学者にまでもいろいろの問題を提供するであろうと思われた。 人間をとんぼに比較するのはあまりに無分別かもしれない。しかし、ある時代のある国民の思想の動向をある方向に引き向ける第一第二の因子が何かしら存在している、それを観察し認識する能力が現在のわれわれには欠けているのではないかという気がする。そうしていっそう難儀なことはその根本的な無知を自覚しないでほんとうはわからないことをわかったつもりになったりあるいは第二次以下の 人類を幸福に世界を平和に導く道は このとんぼの問題が片付くまでは、自分にはいわゆる唯物論的社会学経済学の所論をはっきり理解することが困難なように思われるのである。 三 三上戸 あるビルディングの二階にある某日本食堂へ昼飯を食いに上がった。デパートの休日でない日はそれほど込み合っていない。 室内を縦断する通路の自分とは反対側の食卓に若い会社員らしいのが三人、注文したうなぎどんぶりのできるのを待つ間の談笑をしている。もっぱら談話をリードしているその中の一人が何か二言三言言ったと思うと他の二人が声をそろえて爆笑する、それに誘われて話し手自身も愉快そうに大きく笑っている。三四秒ぐらいの週期で三声ぐらい繰り返して笑うと黙ってしまう。また二言三言何か言ったと思うと再び同じような爆笑が起こってそれが三声つづく。また何かいう。また笑う。 そういうかなり規則正しい爆笑の週期的発作が十秒ないし二十秒ぐらいの間隔をおいて実に根気よく繰り返されていた。 何を話しているか何がおかしいかわからない傍観者の自分には、この問題的な爆笑が全く機械的な現象のように思われて来た。何かわりに簡単なゼンマイ仕掛けのメカニズムで、これと同じような動作をする三人組のロボットを造ろうと思えばいつでも造れそうな気がした。 この三人の話していることは何であったにせよ、それと全く同じことを同じ三人がいついかなる場所で話し合ってもこの場合と同じように笑えるかどうか。どうもそうとは限らないであろうと思われた。この場合にこの人たちをこんなにたわいなく笑わせているのは談話の内容よりもむしろこれらの人の内的外的な環境条件ではないかという気がした。 午前中忙しく働く。それが正午のベルだか笛だかで解放され向こう一時間の自由を保証されて食堂へかけ込む。腹が相当に減っている。まさに眼前に現われんとするごちそうへの期待が意識の底層に軽く動揺している。こういう瞬間が最もたわいのない軽口とそれに対する爆笑を誘発するに適当なものではないか。とにかく、これも未来の生理学的心理学者の研究題目の一つにはなりそうだと思われた。 そのうちうなぎどんぶりが三人の前に運ばれて食事が始まると同時に今までの間欠的爆笑がぴたりと止まってしまった。食事をしながらも低声で談話は進行していたが、今までとちがって話が急に何か知らないがまじめな軌道へはいり込んだかのように見えた。 食事のあとでりんごか何か食っていたようであったが、とにかく三人のムードが、食前とはすっかり一変して、なんとなく気重く落ち着いた、眠ったいような 自分の席から二つ三つ前方の席に、向こうをむいて腰かけている老人の後ろ姿が見えていた。だいぶよれよれになった背広を着て、だん袋のようなズボンをはいているようであった。自分より前から来ていたが注文の品が手間どるので少しじりじりしているらしくなんとなく落ち着かない挙動がうしろから見ている自分の目についた。 向こう側の三人の爆笑とそれに続く沈静との週期的交代の観察に気を取られて、しばらく前方の老人の事を忘れていたが、突然、実に突然にその老人が卓上の呼び鈴をやけくそにたたきつけるけたたましい音に驚かされてそのほうに注意をよびもどされた。 老人は近づいて来た給仕を相手に妙に押しつぶしたような声で何か掛け合いをはじめている。「いったいこれはいくらじゃ、向こうのお客は五十銭払った。それだのにわしは七十銭じゃ。――いや、器はちがわん……」といったようなはなはだやるせのない苦情を言っているらしい。 これが二十年前のこういう種類の飲食店だと、店の男がもみ手をしながら、とにかく口の先で流麗に雄弁なわび言を言って、頭をぴょこぴょこ下げて、そうした給仕女をしかって見せるところであろうが、時代の一転した一九三五年の給仕監督はきわめて事務的に冷静に米国ふうに事がらを処理していた。 しかし悲しいことにはこのたぶん七十歳に遠くはないと思われる老人には今日が一九三五年であることの自覚が鮮明でないらしく見えた。 この老人のやるせなき不平と堪え難き ずっと前のことであるが、ある夏の日 結局シャーベットか何かを持って来たのでそれでやっとどうやら満足したらしく、傍観者の自分もそれでやっと その「つめたいアイスクリーム」の「つめたい」に特別のアクセントを置いて、なんべんとなく、泣くように訴えるように恨むように、また堪え難い 老人がその環境への不満から腹を立てている。しかし周囲の人はそれをきわめて軽く取り扱っている、そうした光景を見るとき自分は子供の時分から妙に一種の悲哀に似たあるものを感じる癖があったような気がする。小説や戯曲でもそういう場面がしばしば自分を感傷的にした。あらゆる悲劇中でそういうものをいちばん悲劇的に感ぜられたような気がする。なぜだかわからない。自分が年を取って後にもしかあんなになったらさぞさびしいだろうと思う、子供としてははなはだしい取り越し苦労のせいであったろうとばかりも思われない。何か幼時の体験と結びついた強い印象の影響かもしれない。 今ではもう自分自身が老人になりかけている。人が見たらもうなっているのかもしれない。そろそろもうアイスクリームの冷たくないのに屈辱の余味を帯びた憤懣を感じ、タオルの偶然な差別待遇にさえ世に捨てられでもしたような悲しみと憤りを覚えることの可能な年齢に近づきつつあるのかもしれない。 こんな事をうかうか考えている自分を発見すると同時にまた、現在この眼前の食堂の中に期せずして笑い上戸おこり上戸泣き上戸 (昭和十年十一月、中央公論) 底本:「寺田寅彦随筆集 第五巻」岩波文庫、岩波書店 1948(昭和23)年11月20日第1刷発行 1963(昭和38)年6月16日第20刷改版発行 1997(平成9)年9月5日第65刷発行 入力:(株)モモ 校正:多羅尾伴内 2003年11月11日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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