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さるかに合戦と桃太郎(さるかにがっせんとももたろう)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/10/3 8:29:08 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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近ごろある地方の小学校の先生たちが児童赤化の目的で日本固有のおとぎ話にいろいろ珍しいオリジナルな解釈を付加して教授したということが新聞紙上で報ぜられた。詳細な事実は確かでないが、なんでもさるかに 桃太郎が鬼が島を征服するのがいけなければ、東海の こんなくだらぬことを赤白両派に分かれて両方で言い合っていれば、秋の夜長にも話の種は尽きそうもない。 手ぬぐい一筋でも おとぎ話というものは、だいたいにおいて人間世界の事実とその方則とを特殊な 握り飯と さるのような人もありかにのような人もあるというのも事実であって、それはこの世界にさるがありかにがある事実と同じような事実である。さるなどというもののあるのはいったい不都合だと言って憤慨してみたところで世界じゅうのさるを絶滅することはむつかしい。かにの弱さいくじなさをののしってみたところでかにをさるよりも強くすることは人力の及ぶ限りでない。 おとぎ話というものは、そういう人間世界の事実と方則を教える科学的な教科書である。そうして、どうするのが おとぎ話はおとぎ話でよいのである。 おとぎ話は物理学の教科書と同じく石が上から下へ落ちるという事実を教える。善くても悪くても落ちる石は下へ落ちて、上へは落ちない。この事実をどう利用するかはそれは利用する人の勝手になる。これを利用して米をつくこともできるが、また人殺しをすることもできるのである。重力の講義をする物理学の先生が、重力は時々人殺しをする不都合なものであると言って生徒を訓戒したらそれは これに関連して思うことは今日の普通教育のしかたに共通した一種の器械的な形式主義がありはしないかということである。昔の小学校の先生などとちがってあまりに立派な教育者としての素養があり過ぎるために、またその上に文部省の監督があまりに行き届き過ぎるために教場における授業が窮屈で 一本の稲の穂を教材とするのでも、一生懸命骨を折って三日も四日も徹夜して教程をこしらえてかかるからかえっていけないではないかと思う。不用意に取って来た一草一木を机上に置いて一時間のあいだ無言で児童といっしょにひねくり回したり虫めがねで見たりするほうが場合によってははるかに有効な理科教育になるということもありはしないか。先生から押しつけられた植物学は十 おとぎ話も植物の標本もわれわれに教うるものは人間と自然との事実である。われわれはその事実を正しく認識するのが第一である。先生は黙って児童とともにその事実を熟視すればそれで充分ではないかと思うのである。 われわれの子供の時分にはおとぎ話はおとぎ話としてなんらの注釈なしに教わった。そうして実に同じ話を何十回何百回も繰り返して教わったものである。そうしてそれらの話の中に含まれている事実と方則とがいつとなく自然自然と骨肉の間にしみ込んでしまって、もはやもとの形は少しも残らなくなっているが、しかし実際はそれらのものの認識がわれわれのからだのすみからすみまで行き渡ってわれわれの知恵の重要な成分をなしているのである。もしもこれらのおとぎ話を、 (昭和八年十一月、文芸春秋) 底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店 1948(昭和23)年5月15日第1刷発行 1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行 1997(平成9)年6月13日第65刷発行 入力:(株)モモ 校正:かとうかおり 2003年5月29日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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