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さまよえるユダヤ人の手記より(さまよえるユダヤじんのしゅきより)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-3 8:28:33 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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一 涼しさと暑さ この夏は毎日のように実験室で油の 暑い時に風呂に行って背中から熱い湯を浴びると、やはり「涼しい」とかなりよく似た感覚がある。あれも同じわけであろう。 涼しいというのは温度の低いということとは意味が違う。暑いという前提があって、それに特殊な条件が加わって始めて涼しさが成立するのである。 先年 暑中に冷蔵庫へ しかし、寒中に 子供の時分、暑い盛りに背中へ沢山の こんな事を考えていたのであるが、今年の夏 「暑い」ということと寒暖計の示度の高いということとも、互いに関係はあるが同意義ではない。いつか新聞の演芸風聞録に、ある「頭の悪い」というので通っている名優の頭の悪い証拠として次のようなことを書いてあった。ある酷暑の日にその役者が「今日はだいぶ暑いと見える、観客席で扇の動き方が 二 玉虫 夏のある日の正午 研究所へ帰ってから思い出してハンケチを開けてみると、だいぶ苦しんだと見えて、 そこへ若いF君がやって来た。自分はF君に、この虫が再び 「午後の御茶」の時間に皆で集まったときに、自分は、この玉虫がいったいどこであの婦人の髪の毛に附着して、そうして電車の中に運ばれたであろうかという問題を出した。Y君は この婦人には一人男の連れがあったが、電車ではずっと離れた向う側に腰をかけていた。後のその隣に空席が出来たときに女の方でそこへ行って何かしら話をしていたのである。 われわれの問題は、虫が髪に附いてから、それが首筋に這い下りて人の感覚を刺戟するまでにおおよそどのくらいからどのくらいまでの時間が経過するものかというのであった。もしもその時間が決定され、そしてその人が電車で来たものと仮定すれば、その時間と電車速度の相乗積に等しい半径で地図上に円を描き、その上にある樹林を物色することが出来る。しかし実際はそう簡単には行かない。 しかしこの玉虫の一例は、われわれがわれわれの現在にこびり付いた過去の一片をからだのどこかにくっつけて歩いているということのいい例証にはなるであろう。 もしもその日の夕刊に、吉祥寺か染井の墓地である犯罪の行われた記事が出たとしたら、探偵でない自分は、少なくも一つの月並みな探偵小説を心に描いて、これに「玉虫」と題したかもしれない。 アルコールを飲んだ玉虫はとうとう生き返らなかった。人間だとしたらたぶん一ポンドくらいの純アルコールを飲んだわけである。 手近にあった水銀燈を点じて玉虫を照らしてみた。あの美しい緑色は見えなくなって、 ![]() 三 杏仁水 ある夏の夜、神田の喫茶店へはいって一杯のアイスクリームを食った。そのアイスクリームの香味には普通のヴァニラの外に一種特有な香味の混じているのに気がついた。そうしてそれが 中学四年頃のことであったかと思う。同級のI君が 明治二十年代の片田舎での出来事として考えるときに、この杏仁水の 大学在学中に、学生のために無料診察を引受けていたいわゆる校医にK氏が居た。いたずら好きの学生達は彼に「杏仁水」という 自分の五十年の生涯の記録の索引を繰って杏仁水の項を見ると、先ずこの二つの箇条が出て来る。 近来杏仁水の匂のする水薬を飲まされた記憶はさっぱりない。久しく 不思議なことに、この一杯のアイスクリームの香味はその時の自分には何かしら清新にして予言的なもののような気がしたのである。 四 橋の袂 千倉で泊った宿屋の二階の床は道路と同平面にある。自分の部屋の前が橋の 宿の主人が一匹の子猫の頸をつまんでぶら下げながら橋の向う側の袂へ行ってぽいとそれをほうり出した。猫はあたかも何事も起らなかったかのようにうそうそと橋の 女中に聞いてみると、この橋の袂へ猫を捨てに来る人が毎日のようにあって、それらの不幸なる孤児等が自然の径路でこの宿屋の台所に迷い込んで来るそうである。なるほど始めてここへ来たときから、この村に痩せた猫の数のはなはだ多いことに気が付いたくらいであるから、従って猫を捨てる人の多いのも当然であろうと思われた。 猫を捨てに出た人が格好の捨場を求めて歩いて行くうちに一つの橋の袂に来たとすれば、その人はまたおそらく当然そこでその目的の行為を果たすに相違ない。これは何故であろうか。橋の袂は交通線上の一つの われわれの生活の行路の上にもまたこういう橋の袂がある。そうしてそこで自分の過去の重荷を下ろそうとして躊躇することがしばしばある。同様に国家社会の歴史の進展の途上にも幾多の橋の袂がある。教育家為政者は行手の橋の袂の所在を充分に地図の上で研究しておかなければならないと思う。 弁慶が この第二の意味における「橋の袂」のようなものもまた個人の生活や人類の歴史の上に沢山の例がある。十字軍や一九一四年の欧洲大戦のごときは世界人類の歴史の橋の袂であり、ポール・セザンヌと名づけられた一人の われわれ個人にとっていちばん重大なのはわれわれの内部生活における、第一並びに第二の意味における橋の袂である。ここでわれわれは身を投げるか、弁慶の ![]() (昭和四年九月『思想』) 底本:「寺田寅彦全集 第三巻」岩波書店 1997(平成9)年2月5日発行 入力:Nana ohbe 校正:noriko saito 2004年8月13日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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