三
春(ハル)のラテン語が ver であるが、ポルトガル語の ver o は夏である。ペルシアの春は bah r, 蒙古(カルカ)語では h'abor である。ドイツ語の Fr hling は fr h から来たとすればこれはfとrである。かなで書くとみんなハ行とラ行と結びついている点に興味がある。アイヌ語の春「パイカラ」はだいぶちがうが、しかしpをbに、kをhに代えるとおのずからペルシアの春に接近する。この置き換えは無理ではない。 「張る」「ふえる」「腫るる」などもhまたはfにrの結合したものである。full, voll, πλ※[#アキュートアクセント付きε、188-上-6]ω なども連想される。 夏(ナツ)と熱(ネツ)とはいずれもnとtの結合である。現代のシナ音では、熱は jo の第四声である。「如」がジョでありニョであり、また「然」がゼンでありまたネンであると同じわけである。蒙古語の夏は j n である。朝鮮語の「ナツ」は昼である。しかし朝鮮語で夏を意味する言葉は「ヨールム」で熱がヨールである。yをjに、語尾のrをtにすると(この置き換えもそれほど無理ではない)シナの現代音になる。ハンガリーの夏は ny r(ニヤール)。コクネー英語で hot は ot であるがこれは日本語の「アツ」に似ている。フランスの夏が t であるのもおもしろい。アイヌの夏 sak は以上とは仲間はずれであるが、しかしアラビアの saif に少し似ているのがおもしろい。語尾のkは kh からhになる可能性があり、日本ではhがfになるのである。 秋(アキ)は「飽く」や「赤」と関係があるとの説もあるようであるが確証はないらしい。英語の autumn が「集む」と似ているのはおもしろい。これはラテンの autumnus から来たに相違ないが、このラテン語は augeo から来たとの説もある。この aug がアキとは少し似ている。「あげる」「大きい」なども連想される。 秋(シュウ)が現在の日本流では、「収」「聚」と同音である。 冬(フユ)は「冷ゆ」に通じ「氷」に通じ χι※[#アキュートアクセント付きω、188-下-15]ν(雪)にも通じる。露語の zima は霜(シモ)や寒(サム)や梵語の hima(雪)やラテンの hiems(冬)やギリシアの cheimon(冬)やまたペルシア語の sarmai(寒い)にも似ている。フィンランド語の kuura(霜)は日本の「こほり」の音便読みに近い。英語の cold は冷肉(コールミート)のコールである。氷るに近い。朝鮮語で冬は「キョーウル」である。ヘブライ語の寒さも「コール」である。 Winter は日本語の「いてる」とどこか似ているとも言われよう。 フランス語の冬 hiver はラテンの hibernum であろうがこれを「冷える」と比べてみるのも一興である。
日本の山には「何々やま」と「何々だけ」とがある。アラビアの山 jabal ペルシアの山 jebel は一見「ヤマ」と縁が遠いようであるがjがyになりbがmになる例は多いようであるから、それほど無関係ではない。(邪はジャでありヤである。馬はバでありマである) トルコ語の山 dagh は「だけ」に似ている。アジア中部には tagh のついた山がいろいろある。ターグは「たうげ」に似ている。 ドイツ語の屋根 Dach は上記の dagh に通じる。「棟」が「峰」に通ずるのと類する。 アイヌの「ヌプリ」は「登り」に通じ、山頂を意味する「タプカ」も「峠(タウゲ)」に少し似ている。峠が「たむけ」の音便だとの説は受け取れない。 山(シャン、サン)の仲間はちょっと見当たらないが、しかしアイヌの「シン」は地や陸を意味すると同時にまた「山地」(平地に対する)をも意味するそうである。これに多数を意味する接尾音をつけた「シンヌ」はたくさんな山地でこれが「信濃」に似るなどちょっとおもしろいお慰みである。 アイヌ語「シリ」はいろいろの意味があるがその中で陸地を意味する場合もある。またこれに他の語が結びついた時には「シリ」が山を意味する事もあるらしい。この「シリ」が梵語の山「ギリ」に通じる可能性がある。 この「ギリ」は露語の「ゴーラ」に縁がありそうに見える。箱根の強羅を思い出させる。また信州に「ゴーロ」という山名があり、高井富士の一部にも「ゴーロ」という地名がある。上田地方方言で「ゴーロ」は石地の意だそうである。土佐の山にも「ナカギリ」という地名がある。 日本の山名に「カラ」「クラ」のついたのの多い事を注意すべきである。「丘陵」もkとrである。 一方ではまた露語でgがhに代用されまた時にvのように発音されることから見ると、フィン語の山 vuori やチェック語の hora が同じものになるし、hが消えたりvが母音化するとギリシアの oro や蒙古の oola も一つになって来る。またヘブライの山 har も親類になって来るから妙である。 ドイツの Berg はだいぶちがうが、しかしgを流動的にし、bをvにすればフィン語に接近し、bを唇音の m へ導けばタミール語の malai に似て来る。後者は「盛り土」の「盛り」に似る。日本で山の名に「モリ」の多いのが、みんな「森」の意だかどうかわからない。 ラテン系の mons, monte, montagne, mountain 等は明白な一群を形成していて上記とは縁が遠く見える。これに似た日本語はちょっと思い出せない。無理に持って来れば饅頭が mound に似ている、これはおかしい。 ハンガリア語の山 hegy(ハヂ)が「飛騨」に似ているのが妙である。このgはむしろdに似た音であるから。日本語「ひたを」は小山の意である。 ペルシア語の小山 kuh(クフ)は「丘」や「岡」に縁がある。アイヌの「コム」もやや似ている。この「コム」は小山であり、また瘤である。すなわちmをbに代えたのが日本語の「こぶ」である。これと多少の縁のあるのが英語の knob, hump, hummock, ドイツの Knopf, Knauf などである。その他「瘤」の仲間にはマレイの gmbal, ロシアの gorb, ズールーの kuhan, ハンガリアの gomb, csom 等である。 オロチは「丘の霊」だとの説がある。「オ」は「丘」で「ロ」は接尾語だということである。この「オロ」がギリシア語や蒙古語の山とそっくりなのがおもしろい。 「ムレ」は山の古語だそうであるが、これは上記タミール語の malai に少し似ている。朝鮮のモイよりもこのほうが近い。また前述の理由からドイツ語やフィン語とも音声的に縁がある。 毎回断っているとおり、相似の事実を指摘するだけで、なんらの因果関係を付会するつもりはないから誤解のないように願いたい。
(昭和八年七月、鉄塔) 四
「ウミ」(海)のヘブライ語が y m である。「ヨミノクニ」は黄泉でもあるがまた「海」だとの説もあったように思う。この「ヤーム」が「ウミ」よりもむしろ「ヤマ」に似ているのがおもしろい。西グリンランドのエスキモーの言葉 imaq は海で imeq は水である。qはいろいろに変化するから ima, ime が「ウミ」であり水である。英語の humid(水けある)の終わりのdをとれば「ウミ」に近くなり、第二綴字だけだと「ミヅ」になる。 英の sea はチュートンの s から来たとある。saiwiz も連関している。これが「ウシホ」(ウシオ)の「シオ」と少しは似ている。 「ワダツミ」「ワダノハラ」の「ワダ」は water や露の voda やその他同類の水を意味する言葉と類し、また「ワタル」という意味の wade(L. vadere) および関係の諸語と似ている。梵語 udadhi(海)が単数四格で終わりにmがつけば「ワダツミ」に近づく。 「オキ」(沖)はギリシア「オーケアノス」の頭部に似る。 「カタ」(潟)はタミール語の海 kadal に近い。 朝鮮のパーターはやはり「ワタ」の群に入れ得られよう。 「ナダ」は梵語の川 nadi に似ている。
「カハ」(川、河、カワ)は「河」と実際に縁がありそうである。その他にはシンハリースの ganga(川)とわずかばかり似るだけで、他にちょっと相手が見つからない。 「ナガレ」はもちろん「流れ」であるが、ある人の話では「ナガ」は「長」で「ルル」が「流」であろうとの事である。これを「リウ」と読むとギリシアの「レオ」(流れる)と近い。 トルコの「ネフル nehr」(川)はhを例のgにすると、「ナガレ」に近よる。 朝鮮の「ナイ」(川)とアイヌの「ナイ」(川、谷)はそっくりであることから見ると日本内地でも同じ言葉で川を意味する地名がありそうに思う。 土佐に奈半利川と伊尾木川とが並んでいる。おもしろいことには、アラビア語の川は「ナフル」、ヘブライのが「ナハル」「ナーバール」等。フィン語の川は yoki 「ヨキ」である。もちろん、直接の縁があろうとは思われぬ。また上記の川名も川の名が先か土地の名が先か、それもわからない。「なばりの山」もあるから。 朝鮮の「ムール」は蒙古語らしい。カルカ語の川は m r n である。
人間の頭部「かうべ」「くび」に連関して「かぶと」「かむり(冠)」「かぶり」「かぶ(株)」「かぶ(頭)」「くぶ(くぶつち)」「こぶ(瘤)」「かぶら(蕪菁)またかぶ」「かぶら(鏑)」「こむら(腓)」「こむら( )」などが連想される。これに対して想起される外国語ではまず英語でもあり、ラテンの語根でもあるところの cap がある。青森の一地方の方言では頭が「がっぺ」である。ラテンの caput は兜とほぼ同音である。独語の Kopf, Haupt も同類と考えられる。ギリシアの κεψαλ※[#アキュートアクセント付きη、193-上-11], マレイの kpala は「かむり」「かぶり」の類である。 和名鈔には「顱 和名加之良乃加波長 脳蓋也」とあるそうで「カハラ」は頭の事である。ギリシアやマレイとほとんど同一である。 アラビアの頭骨 qahfun は「カフフ」で「かうべ」に近い。 英語の円頂閣 cupola はラテンの cupa(樽)から来たそうであるが、現在の流義では同一群に属する。 英語の head はチュートン系の haubd といったような語から来ているが、音韻法則によるとLのカプトとは別だそうである。しかしこの「ハウプト」は、そんな方則を無視するここの流義では、やはり兜の組である。 頭部を「つむり」とも言う。これはLの tumuli(堆土)と同音である。cumuli(積雲)は「かむり」のほうである。 「あたま」も頭部である。梵語 tman は「精神」であり「自己」である。「たま」は top に通じる。 敵の首級を獲ることを「しるしをあげる」と言う。「しるし」が頭のことだとすると、これは梵語の siras(頭)、sirsham(頭)に似ている。 八頭の大蛇を「ヤマタノオロチ」という。この「マタ」が頭を意味するとすると、これはベンガリ語の m th (頭)やグジャラチの m thoonやヒンドスタニ語の mund に縁がある。これが子音転換すれば「タマ」になる。 髑髏を「されかうべ」と言う。この「され」は「曝れ」かもしれないが、ペルシア語の sar は頭である。 「唐児わげ」を「からわ」という。日本紀に角子を「あげまきからわ」と訓してあるそうで、もしかすると「からわ」また「からは」は初めには頭を意味したかもしれない。とにかくロシアの golova, glava(セルボ・クロアチアも同じ)、チェッコの hlava, ズールの inhloko(in は接頭語)等いずれも「カラワ」と音が近い。 またこれらは子音転換によれば前述のkhrの群になるのである。 冠の「イソ」というのは俚言集覧には「額より頭上をおおう所を言う」とあるが、シンハリース語の isa は頭である。ハンガリアでは esz がそうである。もっとも「イソ」はまた冠の縁や楽器の縁辺でもある。海の縁でもあるから、頭と比較するのは無理かもしれない。しかし「上」は「ほとり」と訓まれることがあるのである。 「かうべ」の群中へ、かりに「神」と「上」も「髪」も入れておく。 朝鮮語「モーリ(頭)」は「つむり」の「むり」と比較される。「つ」はわからない。蒙古カルカ語の tologai はタミール語の tal i に通じる。 「かしら」に似たものがちょっと見つからなかった。ところがLの capillus はもとは cap(頭)の dim. だそうで caput や、ギリシアの「ケファレ」も同じものである。そうして、この「カピラ」は「毛髪」の意に使われている。これが「カヒラ」を経て「カシラ」になりうるのである。言海によると「カシラ」は「髪」の意にも使われているからちょうど勘定が合うのである。そうすると「かしら」も結局「かむり」「かぶり」の群に属する。
(昭和八年八月、鉄塔)
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アキュートアクセント付きε |
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188-上-6 |
アキュートアクセント付きω |
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188-下-15 |
アキュートアクセント付きη |
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193-上-11 | 上一页 [1] [2] 尾页
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