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変った話(かわったはなし)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-2 9:59:12 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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一 電車で老子に会った話 中学で孔子や孟子のことは飽きるほど教わったが、老子のことはちっとも教わらなかった。ただ自分等より一年前のクラスで、K先生という、少し風変り、というよりも奇行を以て有名な漢学者に教わった友人達の受売り話によって、孔子の教えと老子の教えとの間に存する重大な相違について、K先生の奇説なるものを伝聞し、そうして当時それを大変に面白いと思ったことがあった。その話によると、K先生は教場の黒板へ粗末な富士山の絵を描いて、その麓に一匹の亀を 二十年の学校生活に つい近頃本屋の棚で薄っぺらな「インゼル・ビュフェライ叢書」をひやかしていたら、アレクサンダー・ウラールという人の『老子』というのが出て来た。たった七十一頁の小冊子である。値段が安いのと表紙の色刷の模様が面白いのとで何の気なしにそれを買って電車に乗った。そうしてところどころをあけて読んでみるとなかなか面白いことが書いてあって、それが実によくわかる。面白いから通読してみる気になって第一頁から順々に読んで行った。原著の方は知らないのであるから誤訳があろうがあるまいが、そんなことは分かるはずもなし、またいくらちがっていてもそんなことは構わない。ただいかにも面白いのでうかうかと二、三十章を 不思議なことには、このドイツ語で紹介された老子はもはや薄汚い唐人服を着たにがにがとこわい顔をした貧血老人ではなくて、さっぱりとした明るい色の背広に暖かそうなオーバーを着た童顔でブロンドのドイツ人である。どこかケーベルさんに似ている、というよりはむしろケーベルさんそっくりの老人である。それが電車の中で隣席に腰かけていて、そうして明晰に爽快なドイツ語でゆっくりゆっくり自分に分かるように話してくれるのである。その話が実に面白い。哲学の講義のようでもあり、また最も実用的な処世訓のようでもあり、どうかするとまた相対性理論や非ユークリッド幾何学の話のようでもある。そうかと思うと、また今の時節には少しどうかと心配されるような非戦論を 同じ思想が、支那服を着ていてそうして栄養不良の漢学者に手を引かれてよぼよぼ出て来たのではどうしても理解が出来なかったのに、それが背広にオーバー姿で電車の中でひょっくり隣合ってドイツ語で話しかけられたばかりに一遍に友達になってしまったような体裁である。こんなことから考えてみると、我国固有の国民思想を保存し それはとにかく、このドイツ訳がどれくらい原著に忠実であるかということは自分には分かりかねるが、しかしところどころあたってみるとかなり在来の日本人の註釈などとはちがっていて誤訳ではないかと思うところもある。しかしこのドイツ訳の方がともかくも話の筋がよく通っていて読んで分かりやすいことだけはたしかである。例えば「 老子は虚無を説くから危険思想だとこわがる人があるそうである。しかし自分が電車で巡り合った老子の虚無は円満具足を意味する虚無であって、空っぽの虚無とは全く別物であった。老子の無為は自覚的には無為であるが実は無意識の大なる有為であった。危険どころかこれほど安全な道はないであろう。充実したつもりで空虚な隙間だらけの器物はあぶなく、有為なつもりの無能は常に大怪我の基である。老子の忠告を聞流しているために恐ろしい怪我や大きな損をした個人や国家は歴史のどの頁にもいっぱいである。 桃太郎や猿蟹合戦のお 電車で逢った背広服の老子のどの言葉を国定教科書の中に入れていけないといういわれを見出すことが出来なかった。日本魂を腐蝕する毒素の代りにそれを現代に活かす霊液でも、捜せばこの智恵の泉の底から 電車で逢った老子はうららかであった。電車の窓越しに人の 二 二千年前に電波通信法があった話 欧洲大戦の正に 先ず同じ形で同じ寸法の壺のような土器を二つ揃える。次にこの器の口よりもずっと小さい木栓を一つずつ作ってその真中におのおの一本の棒を立てる。この棒に幾筋も横線を刻んで棒の側面を区分しておいてそれからその一区分ごとに色々な簡単な通信文を書く。例えば第一区には「敵騎兵国境に進入」第二区には「重甲兵来る」と云った風な、最も普通に起り得べき色々な場合を予想してそれに関する通信文を記入しておく。次にこの土器に水を同じ高さに入れておいてこの木栓を浮かせると両方の棒は同高になること勿論である。そこでこの容器の底に穴をあけて水を流出させれば水面の降下につれて栓と棒とが降下するのであるが、その穴の大きさをうまく調節すると二つの土器の二つの棒が全く同じ速度で降下しいつでも同じ通信文が同時に容器の口のところに来ているようになるのである。このような調節が出来たらこの二つの土器を、互いに通信を交わしたいと思う甲乙の二地点に一つずつ運んでおく。そこで甲地から乙地に通信をしようと思うときには先ず甲で 話は変るが、一九一〇年頃ベルリン近郊の有名な某電機会社を見学に行ったときに同社の専売の電信印字機を見せてもらった。発信機の方はピアノの鍵盤のようなものにアルファベットが書いてあって、それで通信文をたたいて行くと受信機の方ではタイプライターが働いて紙テープの上にその文句をそっくりそのままに印刷して行く仕掛けである。この機械の主要な部分は発信機と受信機と両方に精密に同時に回転する車輪である。すべての仕掛けはこの車の この二十世紀の巧妙な有線電信機の生命となっている 写真電送機械の機構にもやはり同様な原理が応用されている。この場合には土器を漏れる水の代りにフィルムを巻いた回転円筒が使われ、棒に刻んだ線を人間が眼で見て烽火を挙げる代りに真空光電管の眼で見た 自働電話の送信器の数字盤が廻るときのカチカチ鳴る音と自働連続機のピカピカと光る豆電燈の瞬きもやはり同じような考えを応用して出来た機構の産物であると見れば見られなくはないであろう。 このように、二千年前の 「アー、そんなものは君、もう二十年も前にドイツの何某が試みて失敗したものだよ」といったようなことをしたり顔に云って他人の真面目なそうして実際はかなり有望な独創的研究をあたまからけなしつけるようないわゆる大家も決して珍しくはない。「それは君、昔フランスでやったものだよ」と云って若い技師の進言を言下に退ける局長もまた珍しくはないであろう。これらの大家や局長がアイネアスの兵法を読んでいなかったおかげで電信印字機や写真放送機が完成したかもしれないのである。 三 御馳走を喰うと風邪を引く話 昔、自分の勤めていた役所にMという 御馳走を喰うと風邪を引くというのは一体どういう意味だか分からなかった。御馳走を喰えば栄養になり、喰い過ぎれば腹下りを起こすくらいのことは知っていたが、この、医学者でも物理学者でも何でもない助手M君の感冒起因説は当時の自分の医学上の知識を超越していたのである。 しかし、その当時気のついていたことは、何かしら自分の研究仕事にうまい糸口が見付かってそれですっかり嬉しくなって仕事に夢中になる、そういう時にどうもきまって風邪を引くらしいということである。尤もこれとてもそういう時にひいた風邪だけが特に記憶に残るので、それでそういう片手落ちの結論に導かれたのかもしれないが、しかし、そうばかりでもないと思われる理由はたしかにある。そう云った風に夢中になっているときには、暑さや寒さに対して室温並びに衣服の調節を怠るような場合がどうしても多い上に、身心ともに過労に陥るのを気持の緊張のために忘却して無理をしがちになるから自然風邪のみならずいろんな病気に罹りやすいような条件が具備する訳かと思われるのである。 そうだとすると、これは精神的の御馳走を喰い過ぎたために風邪を引くのだと、云えば云われなくもないであろう。 しかし、その当時に、当時には御馳走と思われた ところが、おかしなことにはつい近年になってこのM君の無意味らしく思われた言葉が少しずつ幾分かの意味を附加されて記憶の中に 昔から、粗食が長寿の一法だとの説がある。これは考えてみると我がM君の説を裏側から云ったもののように思われて来る。一体普通の道理から云うと年をとればうまいものを喰って栄養をよくした方がよさそうに思われるが、うまいものはついつい喰い過ぎる恐れがある。しかし、まずいものは喰い過ぎたくても喰い過ぎる心配が少ない。つまり、粗食それ自身がいいのではなくて喰い過ぎないことがいいのかもしれない。もしか粗末なものを喰い過ぎることが出来たらその結果は御馳走の飽食よりもっと悪いかもしれないであろう。そうだとすると、結局、なるべくうまい上等の御馳走を少し喰っているのが一番の長寿法だということになるかもしれない。これはやさしそうでなかなか六かしいことらしい。 胃が悪い悪いと年中こぼしながら存外人並以上に永生きをした老人を数人知っている。これも御馳走を喰い過ぎたくても喰い過ぎられなかったおかげかもしれないと思われる。食慾不振のおかげで、御馳走がまずく喰われるという幸運を持合せたのであろう。何が仕合せになるかもしれないのである。 四 半分風邪を引いていると風邪を引かぬ話 流感が 流感は初期にかかると軽いが後になるほど悪性だとよく人が云う。 流行の初期に 自慢にならぬことを自慢するようで 危険線のすぐ近くまで来てうろうろしているものが存外その境界線を越えずに済む、ということは病気ばかりとは限らないようである。ありとあらゆる罪悪の淵の崖の傍をうろうろして落込みはしないかとびくびくしている人間が存外生涯を無事に過ごすことがある一方で、そういう罪悪とおよそ懸けはなれたと思われる清浄 今に戦争になるかもしれないというかなりに大きな確率を眼前に認めて、国々が一生懸命に負けない用意をして、そうしてなるべくなら戦争にならないで世界の平和を存続したいという念願を忘れずにいれば、存外永遠の平和が保たれるかもしれないと思われる。もしも、いつも半分風邪を引いているのが風邪を引かぬための妙策だという このような変痴奇論を あえて半分風邪を引くことを人にすすめるのではない。弱いものの負惜しみの中にも半面の真があるというだけの話である。 星の世界の住民が大砲弾に乗込んで地球に進入し、ロンドン附近で散々に暴れ廻り、今にも地球が焦土となるかと思っていると、どうしたことか急にぱったりと活動を停止する。変だと思ってよく調べてみると、星の世界には悪い黴菌がいないために黴菌に対する抗毒素を持合わせない あまり理想的に完全なマスクをかけて歩いているとついマスクを取った瞬間にこの星の国の住民のような目に会いはしないか。そんなことを考えると、うっかりマスクを人にすすめることも出来ない。それかと云ってマスクをやめろと人に (昭和九年三月『経済往来』) 底本:「寺田寅彦全集 第四巻」岩波書店 1997(平成9)年3月5日発行 底本の親本:「寺田寅彦全集 文学篇」岩波書店 1985(昭和60)年7月 ※この作品は「経済往来」(昭和9年3月1日)に発表された。署名「吉村冬彦」。「触媒」に収録(底本の「後記」433ページより) 入力:砂場清隆 校正:青野弘美 2003年2月24日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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