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ホテルの私の部屋で、電話の鈴が私を驚かしたのは、その日の午後だった。 電話は、女の声だったので、私は、紳士として、部屋着の襟を合わせた。 接続線の向端に、アストラカンの外套がちらついているような気がした。どうして私が、それを感知したのか、また、いかにして彼女が、私のホテルを突き止めたのか、これらは、完全に私の理解の外部にある。とにかく、それは、国際裸体婦人同盟の熱心な会員でもあり、同時にまた、反ファシスト派の巴里機関紙「黄色い嘴」の論説部員として、今朝死を賭して、この「久遠の街」へ潜り込んだのだと信ずるに足る、あの、彼女からの、あわただしい電話だった。 受話機から、昨夜の声がこぼれて、私の足許へ散らばった。 『私は、尾行されています。いま、何よりも男の方の守護が必要なのです。』 そして、直ぐに私に、国民大街の端れの、第二回万国自動車展覧会会場へ来るように、と言うのだ。 私は、不思議にも、若いルセアニア人のことなぞは、すっかり忘れていた。そして、敵地にいる彼女から、こうして私に、こんな命令的な呼出しが来るのは、何だか当然至極のことのように思えた。私は、それを早晩来べきものとして、予期していたような気さえした。 間もなく、羅馬の雑沓が私のタキシの左右に後退していた。 到るところに、噴水と憲兵が立っていた。彫刻と、大石柱の並立とがあった。史的色調と、民族の新しい厳則とが、どこの露路からも、二階の窓からも、晴々しく覗いていた。 料理店では、食慾がマカロニを吸い込んでいた。それが、私を見て、手を振った。 英吉利の小都会からの観光団が、案内者の雄弁に引率されて、国民経済省の建物を見上げていた。それを、子供と写真帖売りが、遠巻きにしていた。 軍楽隊が来た。 黒装束に、腰の革帯に短刀を一本挟んだきりの、フュウメ決死隊の一人が、軍旗といっしょに、先頭だった。それに続いて、青灰色の軍服の行列が、重い靴で、鋪道を鳴らした。 私のタキシは、徐行した。運転手は、右腕を真直ぐに伸ばして、前方へ斜め上に突き出す礼をした。これは、昔羅馬武士が、出陣に際して、王と神の前に戦勝を誓った、儀礼の型であり、そして、今は、ムッソリニと彼の仲間が、公式に流行らせているいわゆる「羅馬挨拶」なのだ。 私の運転手は、ファシストだった。が、いまこの街上に、何とファシストの多いことよ! 老人の手、青年の手、労働者の手、警官の手、通行人の手。 青物屋は、野菜の車を停めて手を上げ、その野菜の山の上から、青物屋の伜が手を上げ、軒並みの商店からは、主人と店員が走り出て手を上げ、そして、電車の窓からも自動車の中からも、何本となく手が上がっている。軍旗は、この、手の森林を潜って、消えた。 これが、現在の伊太利の常用礼式なのだ。官庁ででも倶楽部ででも、劇場ででもホテルででも、家庭ででも、こうして手を上げ合っている人々を、見るであろう。羅馬は、いや、伊太利は、このとおりファシストで一ぱいである。ファシストにあらずんば、人にあらず――。 正規には、これに、ファシスト式の万歳の高唱が加わるのだ。
Eja ! Eja ! Alala ! えや! えや! あらら! えや! えや! あらら!
第二回万国自動車展覧会場の入口に、いつもの宣伝用の「服装」をアストラカン外套で隠した、国際裸体婦人同盟員が、私を期待していた。 ところが、彼女は、先刻の電話の声で示したかなりの恐怖と狼狽を、どこかに置き忘れて来ていた。 私は、第一に、誰が彼女を尾行しているのかと、訊いてみた。 が、彼女は、もうその問題を、まるで他人事のように考えているのである。 『尾行者は、美少年だったり、落葉だったりします。何者だか解りませんが、ただ私の読心術が、しきりに私の尾行されていることを私に警告しています。』 彼女は、この読心術という言葉を、何にでも代用して使うことが、好きらしかった。私は、ルセアニア人のことは、思い出さなかったし、また、どうして彼女が、私のホテルを知ったかという疑点も、別に質そうとはしなかった。彼女が、それをも直ぐに、彼女の「読心術」の能力で片付けるに相違ないことを、私は承知し過ぎていたから。 私達は、会場を一巡して、戸外へ出た。 その間、彼女の眼は、陳列してある各会社の、一九二九年の新春型を、機械的に送迎していただけだった。が、彼女の口は、絶えず言語の洪水を漲らして、私を溺死させようとした。私は、一体自分は、何のために騎士的感激をもってここへ駈けつけて来たのだろうと、そのことばかり考えていた。 彼女は、サンパウロ発行の反ファシスト新聞「防禦」について、多くを語った。そして、その主筆である、元の社会党代議士フランチェスコ・フロラに関して、より多くの呼吸を費やした。殊に、一亡命者としてのフロラが、上陸禁止令を無視して、警戒線を突破した当時のことや、その後の彼を覆った官憲の圧迫には、彼女は、特別に、詳細な知識を所有している様子だった。しかし、私は、彼女の身辺に、今までなかった弱々しいものを感じて、それを、汽車の疲れであろうと判断した。そして、宿所へ帰って休むことを、彼女に奨めてみた。 すると、彼女は、この私の説を逆証すべく、俄かに努力した。自分は、この通り精力に満ちていると言いたいために、彼女は、歩きながら、針金細工の人形のように手足を張って笑い出した。 一七六〇年開店のキャフェ・グレコが、その金文字入りの扉で、私達に敬礼した。「車」と呼ばれている、奥まった細長い部屋に、その家の財産の、古い、汚い一個の卓子があった。卓子は、マアク・トウェイン、ビョルンソン、ゴウゴル、ゲエテ、グノウ、ビゼエと言った詩人達の、手垢と、楽書と、小刀の痕とで、有名に装飾されてあった。その上で、彼女は、常食と称して、牛乳に蜂蜜を落して飲み、私は、また、彼女の雑談の続きを食べた。 配達に来た郵便脚夫を見て、彼女は、私に私語した。 『あの男が、私を尾行しているのです。』と。 彼女の音盤は、まだまだ切れなかった。 『選挙の準備と、その妨害の秘密戦は、いよいよ白熱化しつつあります。あなたは、この三月の総選挙が、ファシスト政府の新しい選挙法によって行われる、全く特殊のものであることを、知らなければなりません。まず、一千の地方労働組合から、四百人の準候補者を推薦させて、それを、ファシスト最高幹部会の評議にかけます。ファシスト最高幹部は、五十二人から出来ています。羅馬進軍当時の四人の将軍、ファシスト革命直後三年間の大臣と次官、一九二二年以後のファシスト事務総長、国民軍指揮官、学士院長、国防特別裁判所長、総組合長などです。そこで、この最高幹部会で、取捨選択して、すっかり定員数の候補者を決めてしまって、その全体を、最後に、いっぱん一千万人の投票に問うのです。人々は、午前七時から午後七時までの間に出かけて行って、投票します。投票紙には、然・否という二つの実に明白な文字が、印刷してあります。そのどっちかを消して、投票箱へ入れればいいのです。つまり、個々の候補者に投票するのではなくて、既にファシスト最高幹部会で決定した、その全部の顔触れに異存があるかないかを、投票するのです。そして、一体どこに、ファシスト最高幹部会の決議に反対するほどの、好奇な冒険家がいますか?――これは、何という、見事な選挙でしょう! 何という、優れた世紀の冗談でしょう! 何という、天才的な手数の簡略でしょう! あなたは、そうはお考えになりませんか。』 それきり、私は、彼女に会わないのである。
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