一
肥後の菊池家に磯貝平太左衛門武行と云う武士があった。頗る豪勇無雙の士であったが、主家の滅亡後、何を感じたのか仏門に入って、怪量と名乗って諸国を遍歴した。 甲斐の国を遍歴している時、某日唯ある岩山の間で日が暮れた。そこで怪量は恰好な場所を見つけて、笈をおろして横になった。 横になる間もなく月が出た。その月の光が四辺に拡がったかと思うと、その光の中から湧いて出たように黒い影が現れた。木樵らしい男だった。その男は周章てたようにして怪量の傍へ往った。 「御出家、此処で野宿なさるおつもりか、とんでもないこと、此処は恐ろしい魔所でござるぞ」 怪量はおちつきすましていた。 「それは面白い、狐が出るか、狸が出るか、それは知らぬが、左様な妖怪変化の出る場所へ野宿してこそ、諸国修行の甲斐があろうと申すものじゃ、かまわぬ、わしにかまわず、そうそう往かっしゃい」 男は怪量の顔を咎めるようにして覗きこんだ。 「大胆にも程のあるお方じゃ、此処へ野宿などされたら、それこそじゃ。さいわい近くにわしの住いがござる、荒屋ではあれど、此処よりはましじゃ、それに君子は危きに近寄らず、増上慢は、御仏もきつくお誡めのはずではござらぬか」 怪量はごそりと起きて笈を肩にした。 「それでは一つ厄介になろうかの」 「では足元に気をつけて、おいでなされませ」 岩山の間の道を攀じのぼって、やがて唯ある頂上の平べったい処へ出た。そこに草葺の家があって家の中から明るい灯が漏れていた。男は怪量を案内して裏手へ廻って往った。其処にすこしばかり野菜をつくった畑があり、畑の向うに杉の林があって、其処から筧の水を引いてあった。二人はその筧の水で足を洗って内へ入った。 炉の附近に四人の男女が控えて為た。男は怪量を上座へ請じてから四人を揮り返った。 「旅の御出家をお伴れ申したのじゃ、御挨拶申せ」 四人の者は交る交る怪量の前へ出て挨拶した。いずれも言葉は上品で態度もいやしくなかった。その後で女達は怪量に粥の膳をすすめた。怪量は無造作に粥を啜って、終ると口を拭い拭い主人の方を見た。 「御主人、先刻から御容子を伺うに、どうやら世の常の木樵衆とも見受けられぬ、以前は一花咲かした侍衆が、よくよくの仔細あっての山住いと睨んだが、いかがじゃ」 「それをお訊ねなされるか」 男は当惑したようにしていたが、やがて思いきったように顔をあげた。 「これも何かの縁、罪障消滅のたしになるかも判り申さぬ、それでは聞いて頂こうか。お察しの通り、以前はさる大名に仕えた侍でござったが、ふとした事から酒と女に心を奪われ、結局の果は何人かの者に手をかけて、この地に隠れておる者でござるが、時が経つにつれて浅間しく、邪慾のために、祖先を辱かしめたるこの身が恨めしゅう、此の比では、つくづくと後世のほども案じられてなりませぬわい」 「どうやら床しい御仁体と見受け申したが、さては左様でござったか」 怪量は凝と対手の顔を見た。 「いや、若気の誤は人間の常でござるわい、それにしても早くそれに気が注かれたは、まだ御仏の助けの綱の断れぬ証しでござろう。昔のことは昔のこと、此上は御仏にすがって、再び花咲く春を待たるるがよろしゅうござるぞ」 「身に沁みてのお言葉、忝けのうござる」 山上の夜は更けた。女達は次の間へ怪量の衾をのべた。すすめられるままに怪量はその部屋へ入った。 「一夜の礼じゃ、せめて読経致して、主人の苦悩を助けて取らそうか」 枕頭に端座して低声で読経をつづけたが、やがてよして窓を開けた。静な月の下に筧の水音ばかりが四辺の静寂を破っていた。 「咽喉が渇いたようじゃ、彼の水を飲んでまいろう」 怪量は家の者を起さないように、そっと襖を開けて次の間へ出た。その途端に怪量は棒立になった。其処には行燈の燈に照らされて、主人はじめ五つの首のない体がころがっていた。 「はてな、すぐ隣りにいたのに、これは何としたものじゃ」 怪量は四辺に用心しながらその傍へ近づいた。そして、一つ一つ首の附根を改めてみた。首は合せ物が離れたように血の痕もなければ刃物の痕もなかった。怪量の眼が光った。 「轆轤首じゃ、さてはたばかって、わしをおびき寄せたな」 怪量は閃となってそれを見据えたが、やがてその眼がきらりと光った。 「うむ、捜神記か何かで読んだぞ、万一轆轤首の骸を見つけた時、その骸を即刻別の場所へ移しておくがよい、首が骸を移されたのを知れば、恐れ喘いで、三たび地を打って死ぬとあったぞ。よし、妖怪め」 笑が怪量の頬にのぼった。やにわに主人の体を抱きあげたかと思うと、窓を開けて谷底へ投げ飛ばした。投げ飛ばして怪量は家の中を見まわした。戸締は皆中から厳重に出来ていた。 「さては天窓から出おったか」 怪量はそっと裏口を開けて外へ出た。外の黒々とした杉林の中から話声が聞えて来た。怪量は物陰から物陰を伝ってそれに近づいて往った。 月光の影まばらな林の中には、主人の首をはじめ五つの首が人魂のように飛び廻っていた。みんな面白そうに笑いながら、地上や樹から虫か何かを探して喫っているのであった。 怪量は喰い入るような目で見守っていた。と、主人の首が物を喫うことを止めて他の首を揮りかえった。 「そろそろ彼の坊主を啖いたいものだな、彼奴め、わしの言葉を真に受けやがって、頼みもせぬ経をはじめおった。経を読んでる間は近寄れないが、もう追っつけ黎明に近い、坊主ももう睡ったに相違ない、睡っていたらお前達にも、彼の太った旨そうな奴を啖わしてやる、何人か往って容子を見て来い」 一つの首が合点合点して舞いあがり、蝙蝠のように家の方へ飛んで往ったが、間もなくあわただしく飛び帰って来た。 「大変じゃ、大変じゃ、彼の坊主の姿が見えませぬぞ、何処かへ往ってしまいましたぞ、いや、そればかりか、大将の体を奪って往ったのか、いくら探しても、大将の体は見えませぬぞ」 主人の髪が逆立った。 「なに、おれの体が見えぬ、さては、やられたか」 主人は歯ががちがちと鳴って、その眼からは涙が出た。 「おれは、もう、元もと通りになることができぬ、此処で死ななければならぬ、よくも、人の体を動かしおったな、乞食坊主め。よし彼の坊主を啖い殺してやる、何処におる、坊主め」 主人の首は空へ舞いあがるなり、恐ろしい形相で四辺を睨みまわした。 「おお、其処におる、其処におる、おのれ坊主め、動くな」 ひゅうと風を切って怪量に飛びかかった。それに続いて四つの首も襲いかかった。 怪量は手ごろの松の木を引っこ抜いて、縦横無尽に振りまわした。四つの首はまたたく間に地上へ落ちたが、主人の首だけは落ちずに、いつまでも怪量に飛びかかっていたが、やがて隙を見つけたのか怪量の衣の袖へ啖いついた。怪量はすかさず髷を掴んで力一ぱい撲りつけた。首は一声呻くなりぐったりとなってしまった。 怪量はそのまま松の木を提げて家の内へ入って往った。四つの首はもう体へ帰って、血だらけになって呻き苦しんでいた。 「坊主が来た、坊主が来た」 四人は我さきにと飛びだして、杉林の方へ姿を消してしまった。 その時はもう夜がほのぼの明けていた。怪量は松の木をすてて首を衣の袖から離そうとしたが、首はどうしても離れなかった。怪量は笑った。
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