六
権兵衛は二番鶏を聞いて起きた。其の晩は夕凪で風がすこしもなかったので、寝苦しくておちおち眠れなかったが、室津を引きあげる事になっているので、努めて起きて朝食を食うなり出発した。 外はまだ微暗かったが、さすがに大気は冷えていた。権兵衛は二匹の馬に手荷物を積み、二三の下僚を伴れていた。下僚の中には総之丞もいた。 権兵衛は悩まされた釜礁が除れて、工事が思いの外に捗り、間もなく竣成したので、高知の藩庁に報告する必要から、急いで引きあげて往くところであった。其の時権兵衛が新港開鑿に要した夫役は一百七十三万人役で、費用は十万二千五百両であった。それは野中兼山が寛永の古港を改修して、中掘普請と云っているに対して次普請と云われた。其の港は今、室津港と云われている。 沖の方が荒れているのか、波の音に狂いがあった。権兵衛は並んで歩いていた総之丞に声をかけた。 「今日は暑いぞ」 「そうでございますよ、彼の波の音が曲者でございますよ」 「そうじゃ、波の音がいかんぞ」 砂路の右側には藁葺の小さな漁師の家が並び、左側には荻や雑木の藪が続いていた。漁師の家にはもう起きて火を焚いている処があった。 「やっぱり早いな」 「これまで、普請で、仕事がありましたが、これから当にならん漁に出んとなりませんから、気が気じゃございませんよ」 「其のかわり漁があれば、一日で一箇月分の夫役になるじゃないか」 「それがなかなかそういきませんから、漁師は昔から貧乏と相場が定まっておりますよ」 「そうか、そうかも知れん」 一行は室津の部落を離れて浮津の部落へかかっていた。其の時、右側の漁師の家から小さな老人が出て来て空を見た。 「さにしがせりよる、朝のうちに一網やろうか」 それは地曳網を曳こうと云っているところであった。そして、権兵衛と総之丞が近ぢかと寄って往くと、老人は驚いたようにして家の内へ入って往ったが、家の中から、 「普請方のお役人が帰よる」 と云う声が聞えた。総之丞は笑った。 「御存じでございませんか、今の男は、夫役に来て縄を綯うておりました者でございますが」 「そうか気が注かざったが、彼の鼻のひしゃげた老人か」 老人かと云うなり権兵衛は体を崩して倒れてしまった。総之丞は驚いて駈け寄った。 「如何なされました」 権兵衛は右脇を下にして倒れていた。 「一木殿、気を確に一木殿」総之丞は蹲んで権兵衛の肩へ手をかけて、「如何なされました」 権兵衛は体をくねらすなり俯向きになった。 「五体が痺れた」 「痺れた、御病気でございますか」 「病気かも知れんがおかしいぞ」 「何か食物の啖いあわせではございますまいか」 「其の方たちと同じ物を啖ったじゃないか、他には何も啖わん、啖いあわせなら其の方だちも同じようになるはずじゃが」 「そりゃそうでございます。それでは、とにかく、気つけをあげましょう」 「そうじゃ、拙者の印籠に気つけがある、取ってくれ」 「よろしゅうございます」 伴れの下僚も傍へ来て心配そうに権兵衛を見ていた。総之丞はそれに眼をつけた。 「水を汲んで来てもらいたいが」 下僚の一人は彼の老人の家へ往った。総之丞は権兵衛の腰につけた印籠を取って、其の中から薬を出したところへ彼の下僚が茶碗に水を容れて引返して来た。総之丞は其の水を取って薬とともに権兵衛の口へやった。 「さあ、どうぞ」 権兵衛は口をもぐもぐさして飲んだ。 「御苦労、御苦労」 「御気分は如何でございます」 「気分は何ともない、筋のぐあいであろう」 「それでは、馬にお乗りになりますか」 「馬には乗れまい、今日は引返そう」 間もなく権兵衛は戸板に載せられて引返して来たが、普請役場の己の室へおろされたところで体の痺れはすっかり除れていた。そこで権兵衛は起ってみた。起っても平生のとおりで体に異状はなかった。 「おかしいぞ、何ともない。これならもうすこし休んでおったら、癒ったかも判らなかった」 其処には総之丞がいた。総之丞は権兵衛に馬をすすめた事を思いだした。 「彼の時、馬にお乗りになったら、よかったかも知れませんよ」 「そうじゃ、馬に乗って往けば、そのうちに癒ったにきまっておる」 翌日になって権兵衛はまた出発した。そして、また浮津に往って彼の老人の家の前まで往った。総之丞は権兵衛の右側を歩いていた。 「此処でございましたよ」 権兵衛も頷いた。 「そうじゃ」 老人の家は其の朝は、まだ戸が開いていなかった。 「今日は、まだ起きておりませんよ」 総之丞は権兵衛の返事を聞こうとしたが、返事がないのでちらと見た。権兵衛の体は其の時よろよろしていたが、其のうちに倒れてしまった。 「一木殿、一木殿、また痺れでも」 権兵衛は仰臥になっていた。夜はもう白じらと明けていた。 「一木殿、御気分は」 権兵衛は眼を開けた。 「気分は何ともない」 「それでは、また気つけでも」 「いや、待て」 と云って権兵衛は眼をつむって何か考えるようにした。 「それでは、馬にお乗りになりますか」 「すこし考える事がある、気の毒じゃが、また戸板へ載せて引返してくれ」 権兵衛はまた戸板に載って引返したが、帰りついてみると体は元のとおりになっていた。そこで権兵衛は己の代理として、総之丞に二三の下僚をつけて高知へやり、己は普請役所に留まっていると、十日ばかりして下僚の一人が引返して来て、藩庁の報告は滞りなく終ったと云った。 それは延宝七年六月十六日の事であった。権兵衛は其の時、普請役所に残っていた武太夫を呼んだ。 「釜礁を割る時に、お願をかけて、其のままになっておる。今晩は其のお願ほどきをする、準備をしてくれ」 武太夫もお願のかけっぱなしはいけないと思った。 「早速そういたしましょう、お願のかけっぱなしはいけません」 「それでは頼む」 武太夫が出て往くと、権兵衛は一枚の半紙を取って筆を走らせ、それを封筒に容れて表に津寺方丈御房と書き、そして、それを硯の下へ敷いた。
口上書を以て残候事 港八九は成就に至候得共前度殊の外入口六ヶ敷候に付増夫入而相支候得共至而難題至極と申此上は武士之道之心得にも御座候得ば神明へ捧命申処の誓言則御見分の通遂二本意一候事一日千秋の大悦拙者本懐之至り死後御推察可レ被レ下候 不具 十六日
一木権兵衛政利 花押
津寺方丈 御房
其の夜は月があったが黒い雲が海の上に垂れさがっていたので暗かった。八時すぎになって港の左側の堰堤の上に松明の火が燃えだした。其処には権兵衛が最初の祈願の時の武者姿で、祭壇を前にして額ずいていた。 「わたくしの体が痺れたは、竜王が犠牲をお召しになる事と存じますから、喜んで此の身をさしあげます」 権兵衛はまず冑を除って海へ投げた。蒼黒い海は白い歯を見せてそれを呑んだ。権兵衛はそれから鎧を解いて投げた。冑も鎧も明珍長門家政の作であった。権兵衛はそれから太刀を投げた。太刀は相州行光の作であった。 翌朝になって下僚の者が往ったところで、権兵衛は祭壇の前で割腹していたが、未明に割腹したものと見えて、錦の小袴を染めている血に温みがあった。 村の者はそれと聞いて慟哭した。そして、血に染まった権兵衛の錦の小袴を小さく裂いて、家の守神にすると云って皆で別けあうとともに、その遺骸を津寺に葬って香華を絶さなかった。 それが明治維新になって、神仏の分離のあった時、其の墓石を地中に埋めて、其の上に一宇の祠を建てて一木神社として祭ったが、昭和四年になって、後の山を開いて社を改築し、墓石も掘り出すとともに、傍に記念碑まで建立した。 其の記念碑の表面は、伯爵田中光顕先生の筆で、「一木権兵衛君遺烈碑」とし、裏面には土佐の碩学寺石正路先生の選文がある。
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