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女人訓戒(にょにんくんかい)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-22 9:06:25 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

 辰野ゆたか先生の「仏蘭西フランス文学の話」という本の中に次のような興味深い文章がある。
「千八百八十四年と云うのであるから、そんな古い事ではない。オオヴェルニュのクレエルモン・フェラン市にシブレエ博士と呼ぶ眼科の名医が居た。彼は独創的な研究によって人間の眼は獣類の眼と入れ替える事が容易で、且つ獣類の中でも豚の眼とうさぎの眼が最も人間の眼に近似している事を実験的に証明した。彼は或る盲目の女にの破天荒の手術を試みたのである。接眼の材料は豚の目では語呂が悪いから兎の目と云う事にした。奇蹟きせきが実現せられて、其の女は其の日から世界を杖で探る必要が無くなった。エディポス王の見捨てた光りの世を、彼女は兎の目で恢復かいふくする事が出来たのである。此の事件は余程世間を騒がせたと見えて、当時の新聞にも出たそうである。しかしながら数日の後に其の接眼の縫目が化膿かのうした為めに――恐らく手術の時に消毒が不完全だったのだろうと云う説が多数を占めている――彼女は再び盲目になってしまったそうである。当時親しく彼女を知っていた者が後に人に語って次のような事を云った。
 ――自分は二つの奇蹟を目撃した。第一は云う迄もなく伝説中の奇蹟と同じ意味に於ける奇蹟が、信仰にらずして科学的実験に依って行われたと云う事である。然し之れは左迄さまでに驚くき現象ではない。第二の奇蹟のほうが自分には更に珍であった。それは彼女に兎の目が宿っていた数日の間、彼女は猟夫を見ると必ず逃げ出したと云う現象である。」
 以上が先生の文章なのであるが、こうして書き写してみると、なんだか、ところどころ先生のたくみな神秘捏造ミステフィカシオンも加味されて在るような気がせぬでもない。豚の眼が、最も人間の眼に近似しているなどは、どうも、あまり痛快すぎる。けれども、とにかくこれは真面目な記事の形である。一応、そのままに信頼しなければ、先生に対して失礼である。私は全部を、そのままに信じることにしよう。この不思議な報告の中で、殊に重要な点は、その最後の一行いちぎょうに在る。彼女が猟夫を見ると必ず逃げ出した、という事実に就いて私は、いま考えてみたい。彼女の接眼の材料は、兎の目である。おそらくは病院にて飼養して在った家兎にちがいない。家兎は、猟夫を恐怖する筈はない。猟夫を、見たことさえないだろう。山中に住む野兎ならば、あるいは猟夫の油断ならざる所以ゆえんのものを知っていて、之を敬遠するのもまた当然と考えられるのであるが、まさか博士は、わざわざ山中深くわけいり、野生の兎を汗だくで捕獲し、以て実験に供したわけでは無いと思う。病院にて飼養されて在った家兎にちがいない。未だかつて猟夫を見たことも無い、その兎の目が、なぜ急に、猟夫を識別し、之を恐怖するようになったか。ここに些少さしょうの問題が在る。
 なに、答案は簡単である。猟夫を恐怖したのは、兎の目では無くして、その兎の目を保有していた彼女である。兎の目は何も知らない。けれども、兎の目を保有していた彼女は、猟夫の職業の性質を知っていた。兎の目を宿さぬ以前から、猟夫の残虐ざんぎゃくな性質に就いては聞いて知っていたのである。おそらくは、彼女の家の近所に、たくみな猟夫が住んでいてその猟夫は殊にも野兎捕獲の名人で、きょうは十匹、きのうは十五匹、山からとって帰ったという話を、その猟夫自身からか或いは、その猟夫の細君からか聞いていたのでは無かろうかと思われる。すると、解決は、容易である。彼女は、家兎の目を宿して、この光る世界を見ることができ、それ自身の兎の目をこよなく大事にしたい心から、かねて聞き及ぶ猟夫という兎の敵を、憎しみ恐れ、ついには之をあらわに回避するほどになったのである。つまり、兎の目が彼女を兎にしたのでは無くして、彼女が、兎の目を愛するあまり、みずからすすんで、彼女の方から兎になってやったのである。女性には、このような肉体倒錯とうさくが非常にしばしば見受けられるようである。動物との肉体交流を平気で肯定しているのである。或る英学塾の女生徒が、Lという発音を正確に発音したいばかりに、タングシチュウを一週二回ずつの割合いで食べているという話も亦、この例である。西洋人がLという発音を、あんなに正確に、しかも容易にこなしているのは、大昔からの肉食のゆえである。牛の肉を食べるので、牛の細胞がいつしか人間に移殖され、牛のそれの如く舌がいくぶん長くなっているのである。それゆえ彼女もLの発音を正確に為す目的を以て、いま一週二回の割合いでタングシチュウを、もりもり食べているというのである。タングシチュウは、ご存じの如く、牛の舌のシチュウである。牛の脚の肉などよりは、直接、舌のほうに効目ききめがあろうという心意気らしい。驚くべきことは、このごろ、めきめき彼女の舌は長くなり、Lの発音も西洋人のそれとほとんど変らなくなったという現象である。これは、私も又聞で直接に、その勇敢な女生徒にお目にかかったことは無いのだから、いま諸君に報告するに当って、多少のはにかみを覚えるのであるが、けれども、私は之をあり得ることだと思っているのである。女性の細胞の同化力には、実に驚くべきものがあるからである。きつね襟巻えりまきをすると、急に嘘つきになるマダムがいた。ふだんは、実に謙遜なつつましい奥さんであるのだが、一旦、狐の襟巻を用い、外出すると、たちまち狡猾こうかつきわまる嘘つきに変化している。狐は、私が動物園で、つくづく観察したところに依っても、決して狡猾な悪性のものでは無かった。むしろ、内気な、つつましい動物である。狐が化けるなどは、狐にとって、とんでも無い冤罪えんざいであろうと思う。もし化け得るものならば何もあんな、せま苦しいおりの中で、みっともなくうろうろして暮している必要はない。とかげにでも化けてするりと檻から脱け出られるはずだ。それができないところを見ると、狐は化ける動物では無いのだ。買いかぶりもはなはだしい。そのマダムもまた、狐は人をだますものだと単純に盲信しているらしく、誰もたのみもせぬのに、襟巻を用いる度毎に、わざわざ嘘つきになって見せてくれる。御苦労なことである。狐がマダムを嘘つきにしているのでは無く、マダムのほうから、そのマダムの空想の狐にすすんで同化して見せているのである。この場合も、さきの盲目の女の話と酷似しているものがあると思う。その兎の目は、ちっとも猟夫を恐怖していないばかりか、どだい猟夫というものを見たことさえないのに、それを保有した女のほうで、わざわざ猟夫を恐怖する。狐が人をだますものでもないのに、その毛皮を保有したマダムが、わざわざ人をだます。その心理状態は、両女ほとんど同一である。前者は、実在の兎以上に、兎と化し、後者も亦、実在の狐以上に、狐に化して、そうして平気である。奇怪というべきである。女性の皮膚感触の過敏が、氾濫はんらんして収拾できぬ触覚が、このような二、三の事実からでも、はっきりと例証できるのである。或る映画女優は、色を白くする為に、烏賊いかのさしみを、せっせとたべているそうである。あくまで之を摂取せっしゅすれば、烏賊の細胞が彼女の肉体の細胞と同化し、柔軟、透明の白色の肌を確保するに到るであろうという、愚かな迷信である。けれども、不愉快なことには、彼女は、その試みに成功したという風聞がある。もう、ここに到っては、なにがなんだかわからない。女性を、あわれと思うより致しかたがない。
 なんにでもなれるのである。北方の燈台守の細君が、燈台に打ち当って死ぬかもめの羽毛でもって、小さい白いチョッキを作り、貞淑ていしゅくな可愛い細君であったのに、そのチョッキを着物の下に着込んでから、急に落ち着きを失い、その性格に卑しい浮遊性を帯び、夫の同僚といまわしい関係を結び、ついには冬の一夜、燈台の頂上から、鳥の翼の如く両腕をひろげて岩をむ怒濤めがけて身を躍らせたという外国の物語があるけれども、この細君も、みずからすすんで、かなしい鴎の化身となってしまったのであろう。なんとも、悲惨のことである。日本でも、むかしから、猫が老婆に化けて、お家騒動を起す例が、二、三にとどまらず語り伝えられている。けれども、あれも亦、考えてみると、猫が老婆に化けたのでは無く老婆が狂って猫に化けてしまったのにちがいない。無慙むざんの姿である。耳にちょっと触れると、ぴくっとその老婆の耳が、動くそうではないか。油揚を好み、鼠を食すというのもあながち、誇張では無いかも知れない。女性の細胞は、全く容易に、動物のそれに化することが、できるものなのである。話が、だんだん陰鬱になって、いやであるが、私はこのごろ人魚というものの、実在性に就いて深く考えているのである。人魚は、古来かならず女性である。男の人魚というものは、未だその出現のことを聞かない。かならず、女性に限るようである。ここに解決のヒントがある。私は、こうでは無いかと思う。一夜彼女が非常に巨大の無気味の魚を、たしなみを忘れて食い尽し、あとでなんだかその魚の姿が心に残る。女性の心に深く残るということは、すなわちそろそろ、肉体の細胞の変化がはじまっている証拠なのである。たちまち加速度を以て、胸焼きこげるほどに海辺を恋い、足袋たびはだしで家を飛び出しざぶざぶ海中へ突入する。脚にぶつぶつうろこが生じて、からだをくねらせ二き、三掻き、かなしや、その身は奇しき人魚。そんな順序では無かろうかと思う。女は天性、その肉体の脂肪に依り、よく浮いて、水泳にたくみの物であるという。
 教訓。「女性は、たしなみを忘れてはならぬ。」





底本:「太宰治全集3」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年10月25日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月~1976(昭和51)年6月刊行
入力:柴田卓治
校正:小林繁雄
1999年11月22日公開
2005年10月25日修正
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