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デカダン抗議(デカダンこうぎ)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-22 8:51:44 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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一人の 大まじめである。私は一種の理想主義者かも知れない。理想主義者は、悲しい 私の理想は、ドン・キホオテのそれに較べて、実に高邁で無い。私は破邪の剣を振って悪者と格闘するよりは、頬の赤い村娘を すでに幼時より、このロマンチシズムは、芽生えていたのである。私の故郷は、奥州の山の中である。家に何か祝いごとがあると、父は、十里はなれたAという小都会から、四、五人の芸者を呼ぶ。芸者たちは、それぞれ馬の背に乗ってやって来る。他に、交通機関が無いからである。時々、芸者が落馬することもあった。物語は私が、十二歳の冬のことであった。たしか、父の勲章祝いのときであった。芸者が五人、やって来た。婆さんが一人、ねえさんが二人、半玉さんが二人である。半玉の一人は、藤娘を踊った。すこし酒を呑まされたか、眼もとが赤かった。私は、その人を美しいと思った。踊って、すらと形のきまる度毎に、観客たちの間から、ああ、という嘆声が起り、四、五人の 私は、その女の子の名前を知りたいと思った。まさか、人に聞くわけにいかない。私は十二の子供であるから、そんな、芸者などには全然、関心の無いふりをしていなければ、ならぬのである。私は、こっそり帳場へ行って、このたびの祝宴の出費について、一切を記して在る いまに大きくなったら、あの芸者を買ってやると、頑固な覚悟きめてしまった。二年、三年、私は、浪を忘れることが無かった。五年、六年、私は、もはや高等学校の生徒である。すでにもう大人になった気持である。芸者買いしたって、学校から罰せられることもなかったし、私は、今こそと思った。高等学校の所在するその城下まちから、浪のいる筈のAという小都会までは、汽車で一時間くらいで行ける。私は出掛けることにした。 二日つづきの休みのときに出掛けた。私は、高等学校の制服、制帽のままだった。 Aという、その海のある小都会に到着したのは、ひるすこしまえで、私はそのまま行き当りばったり、駅の近くの大きい 「ごはんを食べに来たのだ。」 いままで拭き掃除していたものらしく、 「どうぞ。」と、その女中は、なぜか笑いながら答え、私にスリッパをそろえてくれた。 「ごはんを食べるのだ。」私は 女中は、四十ちかい叔母さんで、顔が黒く、痩せていて、それでも優しそうな感じのいい人であった。私は、その女中さんにお給仕されて、ひとりで、めしを大いに食べながら、 「浪、という芸者がいないかね。」少しも、恥じずに、そう言った。美しい勇気を持っていたのである。むしろ、得意でさえあった。「僕は、知っているんだ。」 女中は、いないと答えた。私は 「そんなことは、ない。」ひどく不気嫌だった。 女中は、うしろへ両手を廻して、ちょっと帯を直してから、答えた。浪という芸者が、いましたけれど、いつも男の言うこと聞きすぎて、田舎まわりの旅役者にだまされ、この土地に居られなくなり、いまはASという温泉場で、温泉芸者している筈です、という答えであった。 「そうか。浪は、昔から、そういう子だったんだ。」なぞと、知ったかぶりをして、けれども私は暗い気持であった。そのまま帰ったのであるが、なんのことはない、私はA市まで、滝を見に行って来たようなものであった。 けれども私は、浪を忘れなかった。忘れるどころか、いよいよ好きになった、旅役者にだまされるとは、なんというロマンチック。偉いと思った。凡俗でないと思った。必ず、必ず、ASという、その温泉場へ行って、浪を、ほめてあげようと思った。 それから三年経って、私は東京の大学へはいり、喫茶店や、バアの女とも識る機会を持ったが、やはり浪を忘れ得なかった。そのとしの暑中休暇に、故郷へ帰る途中、汽車がそのASという温泉場へも停車したので、私は、とっさの中に覚悟をきめ、飛鳥の如く身を その夜、私は浪と逢った。浪は、太って、ずんぐりして、ちっとも美しくなかった。私は、やたらに酒を呑んだ。酔って来たら、多少ロマンチックな気持も蘇って来て、 「あなたは十年まえに、馬に乗って、Kという村に来たこと、なかったかね?」 「あったわ。」女は、なんでも無さそうにして答えた。 私は膝を大いにすすめて、そのとき、あなたの踊った藤娘を、僕は見ていた。十二のときだった。それから、あなたを忘れられない。苦心して、あなたの居所さがし廻って、私は、いま十年ぶりで、やっと、あなたと逢うことができたのだ。と言っているうちに、やはり胸が一ぱいになって来て、私は泣きたくなって来た。 「あなたは、それじゃ、」温泉芸者は、更に興を覚えぬ様子で、「Tさんのお坊ちゃんなの?」と、ぶっきらぼうな尋ねかたをした。 私は、そうだと答えたかったのだけれど、そうすると、なんだかお金持の子供を鼻にかけるようで私のロマンチックな趣味に合わなかったから、いやちがう、僕はあの家の遠縁に当る苦学生であるが、そんなことは、どうでもいい、十年ぶりでやっと思いが 「何を言うのだ。僕だって昔の僕じゃない。全身、傷だらけだ。あなたも、苦労したろうね。お互いだ。僕だって、よごれているのだ。君は、君の暗い過去のことで 女は、やはり、その夜、泊らずに帰った。つまらない女であった。私は女の帰った真意を、解することが、できなかった。おのれの いまは、すべてに思い当り、年少のその早合点が、いろいろ複雑に悲しく、けれども、私は、これを、けがらわしい思い出であるとは決して思わない。なんにも知らず、ただ一図に、僕もよごれていると、大声で叫んだその夜の私を、いつくしみたい気持さえあるのだ。私は、たしかにかの理想主義者にちがいない。嘲うことのできる者は、嘲うがよい。 底本:「太宰治全集3」ちくま文庫、筑摩書房 1988(昭和63)年10月25日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房 1975(昭和50)年6月~1976(昭和51)年6月 入力:柴田卓治 校正:小林繁雄 1999年10月26日公開 2004年3月4日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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