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善蔵を思う(ぜんぞうをおもう)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-20 9:18:14 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 薔薇は、残って在る。その当りまえの考えが、私を異様に勇気づけた。それからの四、五日間、私は、この薔薇に夢中になった。米のとぎ水をやった。かやで添木を作ってやった。枯れた葉を一枚一枚むしりとってやった。枝を剪んでやった。浮塵子うんかに似た緑色の小さい虫が、どの薔薇にも、うようよついていたのを、一匹残さず除去してやった。枯れるな、枯れるな、根を、おろせ。胸をわくわくさせて念じた。薔薇は、どうやら枯れずに育った。
 私は、朝、昼、晩、みれんがましく、縁側に立って垣根の向うの畑地を眺める。あの、中年の女のひとが、贋物でなくて、ひょっこり畑に出て来たら、どんなに嬉しいだろう、と思う。「ごめんなさい。僕は、あなたを贋物だとばかり思っていました。人を疑うことは、悪いことですね。」と私は、心からの大歓喜で、お詫びを言って、神へ感謝の涙を流すかも知れぬ。チュウリップも、ダリヤも要らない。そんなもの欲しくない。ただ、ひょっと、畑で立ち働いている姿を見せてくれさえすれば、いいのだ。私は、それで助かるのだ。出て来い、出て来い、顔を出せ、と永いこと縁側に立ちつくし、畑を見まわしてみるのだが、畑には、芋の葉が秋風に吹かれて一斉にゆさゆさ頭を振って騒いでいるだけで、時々、おおやの爺さんが、ゆったり両手をうしろに組んで、畑を見廻って歩いている。
 私は、だまされたのである。それに、きまった。今は、この見窄みすぼらしい薔薇が、どんな花をひらくか、それだけに、すべての希望をつながなければならぬ。無抵抗主義の成果、見るべし、である。たいした花も咲くまい、と私は半ば諦めていたのである。ところが、それから十日ほど後、あまり有名でない洋画家の友人が、この三鷹の草舎に遊びにやって来て、或る、意外の事実を知らせてくれたのである。
 そのころ、私は故郷の、やや有名な新聞社の東京支局から招待状をもらっていたのである。――いつも御元気にてお暮しの事と思います。いよいよ秋に入りまして郷里は、さいわいに黄金色の稲田と真紅な苹果りんごに四年連続の豊作を迎えようとしています。此の際、本県出身の芸術方面に関係ある皆様にお集り願って、一夜ゆっくり東京のこと、郷里の津軽、南部のことなどお話ねがいたいと存じますので御多忙中ご迷惑でしょうが是非御出席、云々うんぬんという優しい招待の言葉が、その往復葉書に印刷されて在り、日時と場所とが指定されていた。私は、出席、と返事を出した。かねがね故郷を、あんなに恐れていながら、なぜ、出席と返事したのか。それには理由が、三つ在るのである。その一つには、私が小さい時から人なかへ出ることを億劫おっくうがり、としとってからもその悪癖が直るどころか、いっそう顕著になって、どうしても出席しなければならぬ会合にも、何かと事を構えて愚図愚図しぶって欠席し、人には義理を欠くことの多く、ついには傲慢ごうまんと誤解され、なかなか損な場合もあるので、之からは努めて人なかへも顔を出し、誠実の挨拶して、市民としての義務を果そうと、ひそかに決意していた矢先であったからである。その二つには、れいの新聞社の本社に、主幹として勤めている河内という人に、私が五年まえの病気の時、少し御心配をお掛けしているからである。河内さんとは、私が高等学校のときからの知り合いである。いつも陰で、私の評判わるい小説を支持してくれていたのである。六年まえの病気のとき私は、ほうぼうから滅茶苦茶に借銭して、その後すこしずつお返ししても、未だに全部は返却することの出来ない始末なのであるが、そのとき河内さんへも、半狂乱で借銭の手紙を書いたのである。河内さんから御返事が来て、それは結局、借銭拒否のお手紙であったが、けれども、拒否されても、私は河内さんを有難いと思った。私のようなわば一介の貧書生に、河内さんのお家の事情を全部、率直そっちょくに打ち明けて下され、このような状態であるから、とても君の希望にうことのできないのが明白であるのに、なおぐずぐずしているのも本意ないゆえ、この際きっぱりお断りいたします、とおっしゃる言葉の底に、男らしい尊いものが感ぜられ、私は苦しい中でも有難く思った。私は、それを忘れていない。新聞社の今度の招待は、きっと河内さんたちの計画に違いない。事を構えて欠席したら、或いは、金を貸さなかったから出て来ないのだと、まさかそんなことは有るまいけれど、もし万一そのような疑惑を少しでも持たれたなら、私は死ぬる以上に苦しい。決して、そんなことは無いのだ。あの時のことは、かえって真実ありがたく思っているのだ。私は、いまは是が非でも出席しなければならぬ。それが、理由の二つ。その三つは、招待状の文章に在った。――黄金色の稲田と真紅の苹果りんごに四年連続の豊作を迎えようとしています、と言われて、私もやはり津軽の子である。ふらふら、出席、と書いてしまった。眼のまえに浮ぶのである。ふるさとの山河が浮ぶのである。私は、もう十年も故郷を見ない。八年まえの冬、考えると、あの頃も苦しかったが、私は青森の検事局から呼ばれて、一人こっそり上野から、青森行の急行列車に乗り込んだことがある。浅虫温泉の近くで夜が明け、雪がちらちら降っていて、浅虫の濃灰色の海は重くうねり、浪がガラスの破片のように三角の形で固く飛び散り、墨汁を流した程に真黒い雲が海を圧しつぶすように低く垂れこめて、ああ、もう二度と来るところで無い! とその時、覚悟を極めたのだ。青森へ着いて、すぐに検事局へ行き、さまざま調べられて、帰宅の許可を得たのは夜半であった。裁判所の裏口から、一歩そとへ出ると、たちまち吹雪が百本の矢の如く両頬に飛来し、ぱっとマントのすそがめくれあがって私の全身はみ苦茶にされ、かんかんに凍った無人の道路の上に、私は、自分の故郷にいま在りながらも孤独の旅芸人のような、マッチ売りの娘のような心細さで立ちすくみ、これが故郷か、これが、あの故郷か、と煮えくり返る自問自答を試みたのである。深夜、人っ子ひとり通らぬ街路を、吹雪だけが轟々の音を立て白く渦巻き荒れ狂い、私は肩をすぼめ、からだを斜めにして停車場へ急いだ。青森駅前の屋台店で、支那そば一ぱい食べたきりで、そのまま私は上野行の汽車に乗り、ふるさとの誰とも逢わず、まっすぐに東京へ帰ってしまったのだ。十年間、ちらと、たった一度だけ見たふるさとは、私にこんなに、つらかった。いまは、何やら苦しみに呆け、めっきり弱くなっているので、「黄金の波、苹果の頬。」という甘い言葉に乗せられ、故郷へのむかしの憎悪も、まるで忘れて、つい、うかうか、出席、と書いてしまった。それが、理由の三つ。
 出席、と返事してしまってから、私は、日ましに不安になった。それは、「出世」という想念にいてであった。故郷の新聞社から、郷土出身の芸術家として、招待を受けるということは、これは、衣錦還郷いきんかんきょうの一種なのではあるまいか。ずいぶん、名誉なことなのでは無いか。名士、というわけのことになるのかも知れぬ、と思えば卒然、狼狽せずには居られなかったのである。沢山の汚名を持つ私を、たちの悪い、いたずら心から、わざと鄭重に名士扱いにして、そうして、蔭で舌を出して互に目まぜ袖引き、くすくす笑っている者たちが、確かにふすまのかげに、うようよ居るように思われ、私はすこぶる落ちつかなかったのである。故郷の者は、ひとりも私の作品を読まぬ。読むとしても、主人公の醜態を行っている描写の箇所だけを、憫笑びんしょうもって拾い上げて、大いに呆れて人に語り、郷里の恥として罵倒、嘲笑しているくらいのところであろう。四年まえ、東京で長兄とちょっと逢った時にも長兄は、おまえの本を親戚の者たちへ送ることだけは止せ。おれだって読みたくない。親戚の者たちは、おまえの本を読んで、どんなことを、と言いかけ、ふっと口をつぐんで顔を伏せたきりだったけれど、私には、すべての情勢が、ありありと判った。もう死ぬまで一冊も、郷里の者へ、本を送らぬつもりである。郷土出身の文学者だって、甲野嘉一君を除いては、こぞって私を笑っている。文学に縁の無い、画家、彫刻家たちも、ときたま新聞に出る私の作品への罵言を、そのまま気軽に信じて、利口そうに、苦笑しているくらいのところであろう。私は、被害妄想狂では無いのである。決して、ことさらに、ひがんで考えているのでは無いのである。事実は、或いは、もっと苛酷な状態であるかも知れない。同じ芸術家仲間に於いてすら、そうである。わんや、ふるさとの人々の炉辺では、辻馬の家の(Dというのは私の筆名であって、辻馬というのが、私の家の名前である。)末弟は、東京でいい恥さらしをしているそうだのう、とただそれだけ、話題に上って、ふっと消え、火をき起してお茶を入れかえ、秋祭りの仕度したくに就いて話題が移ってゆく、という、そんな状態ではないかと思う。そのような侘びしい状態に在るのも知らず、愚かな貧しい作家が、故郷の新聞社から招待を受け、さっそく出席と返事して、おれも出世したわいと、ほくそ笑んでいる図はあわれでないか。何が出世だ。衣錦之栄も、へったくれも無い。私の場合は、まさしく、馬子まごの衣裳というものである。物笑いのたねである。それ等のことに気がついた時には、私は恥ずかしさのあまりに、きりきり舞いをしたのである。しまった! と思った。やっぱり、欠席、とすべきであったのである。いやいや、出席でも欠席でも、とにかく返事を出すということが、すでに卑劣のすけべいである。招待を受けても、聞えぬふりして返事も出さず、ひそかに赤面し、小さくなって震えているのが、いまの私の状態に、正しく相応している作法であった。

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