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新ハムレット(しんハムレット)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-20 9:03:11 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 王妃。「可愛い冗談ばかりおっしゃる。あなた達は、ふいと思いついた言葉を、そのまま、まことしやかに言い出すので、いつも私たちは閉口します。あなたが私を、少しでも好きだとしたら、それは、やっぱり私の身分のせいです。身分がきらきらしているので、それに眼がくらんで、のぼせ気味になって何でもかでも矢鱈に素晴らしく見えるようになったのでしょう。私は、つまらないおばあさんです。あなたが、ハムレットを拒み得なかったのも、ハムレットの身分のせいです。王妃の大事な子供だから、あなたも大事にしようと思いました等という突飛な意見は、私ひとりは笑って聞き流して、許してもあげますが、ほかのひとにそんな事を言ったら、あなたは白痴か気違い扱いにされてしまいます。あなたが私を母と呼んで甘えたい、それが一ばんの喜びだと無邪気そうにおっしゃっていましたが、わかり切った事です。それは、あなたがデンマーク国の王子の妃になる事の喜びを、申し述べているのに過ぎません。王子の妃になって、王妃を母と呼べる身分になるのは、デンマーク国の女の子と生れて最上のよろこびのはずです。あたり前の話です。あなた達は、自分の俗な野心を無邪気な甘えた言いかたで、巧みに塗りかえるから油断がなりません。うっかり、だまされます。今の若い人たちは、なんにも知らぬ振りをして子供っぽい口をきいて私たちを笑わせながら、実は、どうして、ちゃっかり俗な打算をしているのだから、いやになります。ほんとうに、抜け目がなくて、ずるいんだから。」
 オフ。「ちがいます、王妃さま。どうしてそんなに意地わるく、どこまでもお疑いになるのでしょう。あたしには、そんな大それた浅墓な野心などは、ございません。あたしは、ただ王妃さまを、本当に、好きなのでございます。泣くほど好きです。あたしの生みの母は、あたしの小さい時になくなりましたけれど、いま生きていても、王妃さまほどではないだろうと思います。王妃さまには、あたしのなくなった母よりも、もっと優しく、そうして素晴らしい魅力がございます。あたしは、王妃さまのためには、いつ死んでもいいと思っています。王妃さまのようなおかたを、母上とお呼びして一生つつましく暮したいと、いつも空想してりました。ご身分の事などは、いちども考えたことがございません。不忠の娘でございます。やっぱり、あたしには母が無いので一そう、お慕いする気持が強いのかも知れません。本当に、あたしには、なんの野心もございません。なさけ無い事をおっしゃいます。あたしは、ハムレットさまのご身分をさえ忘れていました。ただ、王妃さまのお乳の匂いが、ハムレットさまのおからだのどこかに感ぜられて、それゆえ、たまらなくおいとしく思われ、とうとう、こんな恥ずかしい身になりました。あたしは、ちっとも打算をしませんでした。それは、神さまの前ではっきり誓うことが出来ます。王子さまの妃になって出世しようなどと、そんな大それた野心は、本当に、夢に見たことさえございません。あたしは、ただ、王妃さまの遠いつながりを、わが身に感じている事が出来れば、それで幸福なのでございます。あたしは、もうみんな、あきらめて居ります。いまは、王妃さまのお孫を無事に産み、お丈夫に育てる事だけが、たのしみでございます。あたしは、自分を仕合せな女だと思って居ります。ハムレットさまに捨てられても、あたしは、子供と二人で毎日たのしく暮して行けます。王妃さま。オフィリヤには、オフィリヤの誇りがございます。ポローニヤスの娘として、恥ずかしからぬ智慧ちえも、きかぬ気もございます。あたしは、なんでも存じて居ります。ハムレットさまに、ただわくわく夢中になって、あのおかたこそ、世界中で一ばん美しい、完璧かんぺきな勇士だ等とは、決して思って居りません。失礼ながら、お鼻が長過ぎます。お眼が小さく、まゆも、太すぎます。お歯も、ひどく悪いようですし、ちっともお綺麗きれいなおかたではございません。脚だって、少し曲って居りますし、それに、お可哀そうなほどのひどい猫脊ねこぜです。お性格だって、決して御立派ではございません。めめしいとでも申しましょうか、ひとの陰口ばかりを気にして、いつも、いらいらなさって居ります。いつかの夜など、信じられるのはお前だけだ、僕は人にだまされ利用されてばかりいる、僕は可哀想な子なのだからお前だけでも僕を捨てないでおくれ、と聞いていて浅間しくなるほど気弱い事をおっしゃって、両手で顔をおおい、泣く真似をなさいました。どうして、あんな、気障なお芝居をなさるのでしょう。そうしてちょっとでもあたしが慰めの言葉を躊躇ちゅうちょしている時には、たちまち声を荒くして、ああ僕は不幸だ、誰も僕のくるしみをわかってくれない、僕は世界中で一ばん不幸だ、孤独だ等とおっしゃって、髪の毛をむしり、せつなそうにうめくのでございます。ご自分を、むりやり悲劇の主人公になさらなければ、気がすまないらしい御様子でありました。突然立ち上って、壁にはっしとコーヒー茶碗ぢゃわんをぶっつけて、みじんにしてしまう事もございます。そうかと思うと、たいへんな御機嫌ごきげんで、世の中に僕以上に頭脳の鋭敏な男は無いのだ、僕は稲妻のような男だ、僕には、なんでもわかっているのだ、悪魔だって僕をあざむく事が出来ない、僕がその気にさえなれば、どんな事だって出来る、どんな恐ろしい冒険にでも僕は必ず成功する、僕は天才だ等とおっしゃって、あたしが微笑ほほえんで首肯うなずくと、いやお前は僕を馬鹿にしている、お前は僕を法螺吹ほらふきだと思っているのに違いない、お前は僕を信じないからだめだ、こんどは、ひどく調子づいて御自分の事を滅茶苦茶に悪くおっしゃいます。僕は、実は法螺吹きなんだ。山師だよ。いんちきだ。みんなに見破られて、笑われているのだ。知らないのはお前だけだよ。お前は、なんて馬鹿な奴だ。だまされているのだよ。僕に、まんまと、だまされているのさ。ああ、僕も、みじめな男だ。世の中の皆から相手にされなくなって、たったひとり、お前みたいな馬鹿だけをつかまえて威張っている。だらしがないねえ等と、それはもう、とめどもなく、聞いているあたしのほうで泣きたくなる程、御自分の事を平気で、あざ笑いつづけるのです。そうかと思うと一時間も鏡の前に立って、御自分のお顔をさまざまにゆがめて眺めていらっしゃる事もございます。長いお鼻が気になるらしく、鏡をごらんになりながら、ちょいちょい、つまみ上げてみたり等なさるので、あたしも噴き出してしまいます。けれども、あたしは、あのお方を好きです。あんなお方は、世界中に居りません。どこやら、とても、すぐれたところがあるように、あたしには思われます。いろいろな可笑しな欠点があるにしても、どこやらに、神の御子みこのような匂いが致します。あたしだって、誇りの高い女です。ただ、やたらに男のかたを買いかぶり有頂天になるような事はございません。たとい御身分が王子さまであっても、むやみに御胸におすがりするような事は致しません。ハムレットさまは、此の世で一ばんお情の深いおかたです。お情が深いから、御自分を、もてあましてしまって、お心もお言葉も乱れるのです。きっとそうです。王妃さまだって、ハムレットさまのいいところは、ちゃんとご存じの癖に。」
 王妃。「何が何やら、あなた達の言う事は、まるで筋道すじみちがとおっていません。私を慕っているからハムレットをも好きになった等とへんな理窟を言うかと思うと、こんどは、ひどくハムレットの悪口をおっしゃって、すぐにまたその口の下から、ハムレット程いいひとは世の中にはいない、神の御子だ、なんて浅間しい勿体もったいない事をおっしゃる。私のようなお婆さんをつかまえて、素晴らしい魅力があるのなんのと、馬鹿らしい事を口走るかと思えば、いいえ、ちっとも夢中になっていない、もうあきらめている等と殊勝な事をおっしゃる。いったい、どこを、どう聞けばいいのか、私は困ってしまいます。あなたも、ハムレットの影響を受けたのでしょう。第一の高弟こうていとでもいうところでしょうか。ホレーショーだけかと思ったら、あなたも、なかなか優秀なお弟子でしのようです。」
 オフ。「王妃さまから、そんなに言われると、あたしも、しょげてしまいます。あたしは感じた事を、いつわらず、そのまんま申し上げた筈でございます。あたしの申し上げた事は、皆ほんとうなのです。あれこれと食いちがうのは、きっと、あたしの言いかたが下手なせいでしょう。あたしは王妃さまにだけはうそをつくまいと思っていますし、また、嘘をついても、それにだまされるような王妃さまでもございませんから、あたしは感じた事、思っている事を、のこらず全部申し上げようと、あせるのですが、申し上げたいと思う心ばかりが、さきに走っていって、言葉が愚図愚図して、のろくさくて、なかなか、心の中のものを、そっくり言い現わす事が出来ません。あたしは、神さまに誓って申し上げますが、あたしは正直でございます。あたしは、愛しているおかたにだけは正直になろうと思います。あたしは王妃さまを好きなので、一言も嘘を申し上げまいと努めているのでございますが、努力すればする程あたしの言葉が、下手になります。人間の正直な言葉ほど、滑稽こっけいで、とぎれとぎれで、出鱈目に聞えるものはない、と思えば、なんだか無性むしょうに悲しくなります。あたしの言葉は、しどろもどろで、ちっとも筋道がとおらないかも知れませんが、でも、心の中のものは、ちゃんと筋道が立っているのです。その、心の中の、まんまるいものが、なんだかむずかしくて、なかなか言葉で簡単には言い切れないのです。だから、いろいろ断片的に申し上げて、その断片をつなぎ合せて全部の感じをお目にかけようと、あせるのですけれども、なんだか、言えば言う程へまになって困ります。あたしは、愛しすぎているのかも知れません。常識を知らないのかも知れません。」
 王妃。「みんなハムレットから教えられた理窟でしょう。いまの若い人たちは自己弁解の理窟ばかり達者で、いやになります。そんな、気取った言いかたをなさらず、いっそ、こう言ったらどうですか。あたしは、わからなくなりました、胸が一ぱいです、とだけおっしゃれば、私たちには、かえってよくわかります。あなたは、他の事だと、悪びれず大胆にはきはきおっしゃって、いい子なのに、ハムレットの事になると、へんな理窟ばかりおっしゃって、ご自分の恥ずかしさを隠そうとなさる。あなたは、まだ私に、すみませんというおびをさえ言っていません。」
 オフ。「王妃さま。心から、すみませんと思って居れば、なぜだか、その言葉が口から出ないものでございます。あたしたちの今度の行いが、すみませんという一言で、ゆるされるものとは思われませぬ。あたしのからだ一めんに、すみませんという文字が青いインキで隙間すきまも無く書き詰められているような気がしているのですけれど、なぜだか、王妃さまに、すみませんと申し上げる事が出来ないのです。白々しい気がするのです。ずいぶんいけない事をしていながら、ただ、すみませんと一言だけ言って、それで許してもらおうなんて考えるのは、自分の罪をそんな意識していない図々ずうずうしい人のするわざです。あたしにはとても出来ません。ハムレットさまだって、やはり同じ事で、いまお苦しみなさっていらっしゃるのだと思います。何かで、つぐないをしなければいけない、とあせっていらっしゃるのだと思います。ハムレットさまも、あたしも、このごろ考えている事は、どうして王妃さまにお詫びをしようかという苦しみだけでございます。王妃さまは、いま、おさびしい御境遇なのですから、あたしたちは、お慰めしなければならないのに、ついこんな具合になってしまって、かえって、御心配をおかけして、こんな事は、悪いとか馬鹿とかそんな簡単な言葉では、とても間に合いません。死ぬる以上に、つらい思いがございます。あたしは、王妃さまを、ずっと昔から、本当に、お慕い申していたのです。それは、本当でございます。一生に一ぺんでも、王妃さまに、められたいと念じて、お行儀にも学問にも努めてまいりましたのに、まあ、あたしは何というお馬鹿でしょう。つい狂って、王妃さまに、一ばんすまない事をいたしました。ハムレットさまだって、あたしに負けずに、いいえ、あたし以上に王妃さまを敬い、なつかしがっていらっしゃいます。あたしたちは、王妃さまが、いつまでもお達者で、お元気で居られるように祈っています。生きておいでのうちには、きっと、つぐないをしてお目にかけましょうと、あたしはハムレットさまに、しみじみお話申し上げた夜もございました。王妃さま、王妃さま、あら!」
 王妃。「ごめんなさい。泣くまいと、さっきから我慢して心にも無い意地悪い事ばかり言っていました。オフィリヤ、私はあなたから、そんなに優しく言われ、慕われると、せつなくなります。この胸が、張り裂けるようでした。オフィリヤ、あなたは、いい子だね。あなたは、きっと正直な子です。おずるいところもあるようだけど、でもまあ、無邪気な、意識しない嘘は、とがめだてするものでない。そんな嘘こそ、かえって美しいのだからね。オフィリヤ、この世の中で、無邪気な娘の言葉ほど、綺麗で楽しいものはないねえ。それに較べると、私たちは、きたない。いやらしい。疲れている。あなたたちが、それでも私を、しんから愛してくれて、いつまでも生きていてくれと祈っている、という言葉を聞いて、私は、たまらなくなりました。ああ、あなたたちのためにだけでも、私は生きていなければ、ならないのに、オフィリヤ、ゆるしておくれ。」
 オフ。「王妃さま、何をおっしゃいます。まるで、あべこべでございます。王妃さまは、何か他の悲しい事を思い出されたのでございましょう。おお、ちょうどよい。ここに腰掛がございます。さ、おすわりなさって、お心を落ちつけて下さいませ。王妃さまが、そんなにお泣きなさると、あたしまでが泣きたくなります。さ、こう並んで腰かけましょう。おや、王妃さま。これは先王さまの御臨終の時の腰掛でございましたね。先王さまが、お庭の此の腰掛にお坐りになって日向ひなたぼっこをなされていると、急に御様子がお悪くなり、あたしたちのけつけた時には、もう悲しいお姿になって居られました。あれは、あたしが、新調の赤いドレスをその朝はじめて着てみた日の事でございましたが、あたしは、悲しいやら、くやしいやらで、自分の赤いドレスが緑色に見えてなりませんでした。うんと悲しい時には、赤い色が緑色に見えるようでございます。」
 王妃。「オフィリヤ、もう、およし。私は、間違った! 私には、もう、なんにも希望が無いのです。何もかも、つまらない。オフィリヤ、あなたは、これからは気を附けて生きて行くのですよ。」
 オフ。「王妃さま、お言葉が、よくわかりませぬ。でも、オフィリヤの事なら、もう御心配いりません。あたしは、ハムレットさまのお子を育てます。」

   七 城内の一室

 ハムレットひとり。

 ハム。「馬鹿だ! 馬鹿だ、馬鹿だ。僕は、大馬鹿野郎だ。いったい、なんの為に生きているのか。朝、起きて、食事をして、うろうろして、夜になれば、寝る。そうして、いつも、遊ぶ事ばかり考えている。三種類の外国語に熟達したが、それも、ただ、外国の好色淫猥いんわいの詩を読みたい為であった。僕の空想の胃袋は、他のひとの五倍も広くて、十倍も貪慾どんよくだ。満腹という事を知らぬ。もっと、もっとと強い刺戟しげきを求めるのだ。けれども僕は臆病おくびょうで、なまけものだから、たいていは刺戟へのあこがれだけで終るのだ。形而上けいじじょうの山師。心の内だけの冒険家。書斎の中の航海者。つまり、僕は、とるにも足らぬ夢想家だ。あれこれと刺戟を求めて歩いて、結局は、オフィリヤなどにひっかかり、そうして、それっきりだ。どうやら僕はオフィリヤに、まいってしまっているらしい。だらしの無い話だ。ドンファンを気取って修行の旅に出かけて、まず手はじめにと、ひとりの小娘を、やっとの事で口説き落したが、その娘さんと別れるのが、くるしくて一生そこに住み込んで、身を固めたという笑い話。まず、小手しらべに田舎娘をだましてみて、女ごころというものを研究し、それからおもむろにドンファン修行に旅立とうという所存でいたのに、その田舎娘ひとりの研究に人生七十年を使ってしまったという笑い話。僕は、深刻な表情をしていながら、喜劇のヒロオだ。案外、道化役者の才能があるのかも知れぬ。このごろの僕の周囲は、笑い話で一ぱいだ。たわむれに邪推してみて、ふざけていたら、たしかな証拠があります等と興覚めの恐ろしい事を真顔で言われて、総毛立った。冗談からこまが出たとは、この事だ。入歯のおふくろが、横恋慕されたというのも相当の喜劇だ。ポローニヤスが、急に仔細しさいらしく正義の士に早変りしたというのも噴飯ものだ。僕が、やがてパパになるというのも奇想天外、いや、それよりも何よりも、今夜のの朗読劇こそ圧巻だ。ポローニヤスは、たしかに少し気が変になっているのだ。一挙に三十年も四十年も若返り、異様にはしゃぎ出して、朗読劇をやろうなんて言い出すのだからあきれる。イギリスの女流詩人のなんだか、ひどく甘ったるい大時代の作品を、ポローニヤスが見つけて来て、これを台本にして三人で朗読劇をやろうと言い出す始末なのだから恐れいる。しかもポローニヤスの役は、花嫁というのだから滅茶だ。なるほどその詩の内容は、いまの叔父上と母にとっては、ちょっと手痛いかも知れない。ポローニヤスは、此の朗読劇に、王と王妃を招待して、劇の進行中にお二人が、どんな顔をなさるか、ためしてみようという魂胆なのだが、馬鹿な事を考えたものだ。たとい真蒼まっさおな顔をなさったところで、それが、どんな証拠になるものか。また、平気で笑っていたとて、それが無罪の証拠になるとは限らぬ。お二人の感覚の、鋭敏遅鈍の判定は出来るだろうが、有罪、無罪の判定にはなりやしない。全く、ポローニヤスは、どうかしている。馬鹿らしいとは思っていながら、僕も又だらし無い。オフィリヤの親爺おやじのご機嫌をそこねたくないばかりに、それはいい考えだなんてお追従ついしょうを言って、ホレーショーにも賛成を強要し、三人で朗読の稽古けいこをはじめたのは、きょうの昼過ぎだ。ホレーショーは、最初あんなに気がすすまないような事を言っていながら、稽古がはじまると急に活気づいて来て、ウイッタンバーグの劇研究会仕込みとかいう奇妙な台詞せりふまわしで黄色い声を張りあげていた。あいつは、本当に正直な男だ。自分の感情を、ちっとも加工しないで言動にあらわす。どんな、へまを演じても何だか綺麗だ。いやらしいところが無い。しんから謙譲な、あきらめを知っている男だ。それにくらべて此の僕は、ああ、馬鹿だ。大馬鹿野郎だ。僕は、あきらめる事を知らない。僕の慾には限りが無い。世界中の女を、ひとり残らず一度は自分のものにしてみたい等と途方も無い事を、のほほん顔で空想しているような馬鹿なのだ。世界中の人間に、しんから敬服されたいものだ、僕の俊敏の頭脳と、卓抜の手腕と、厳酷の人格を時折ちらと見せて、あらゆる人間に瞠目どうもくさせたい等と頬杖ほおづえついて、うっとり思案してもみるのだが、さて、僕には、何も出来ない。世界中の女どころか、お隣りの娘さんひとりを持てあまして死ぬほど苦しい思いをしている。卓抜の手腕どころか、僕には国の政治は、なんにもわからぬ。瞠目されるどころか、人に、だまされてばかりいる。人を、こわがってばかりいる。人を、畏敬いけいしてばかりいる。人が、僕にかたちばかりのお辞儀をしても、僕は、そのお辞儀を、まごころからのものだと思い込んで、たちまち有頂天、発狂気味にさえなって、その人の御期待にお報いせずんばあるべからずと、心にも無い英雄の身振りを示し、取りかえしのつかぬ事になったりして、みんなに嘲笑ちょうしょうせられるくらいが落ちさ。人に悪口を言われても、その人の敵意には気が附かず、みんな僕の為を思って、言いにくい悪口でも無理に言ってくれるのだ、ありがたい、この御厚情には、いつの日かお報いせずんばあるべからずと、心の中の手帳にその人の名を恩人として明記して置くという始末なのだ。人から軽蔑けいべつせられても、かえってそれを敬意か愛情と勘違い恐悦がったりして五、六年って一夜ふっとその軽蔑だった事に気附いて、畜生! と思うのだが、いや、実に、めでたい! かと思うとその反面に、打算の強いところもあって、友人達に優しくしてやって心のすみでは、かならずひそかに、なさけは人のためならず等と考えているんだから、やりきれない男さ。底の知れない馬鹿とは、僕の事だ。どだい僕には、どんな人が偉いんだか、どんな人が悪いんだかその区別さえ、はっきりしない。淋しい顔をしている人が、なんだか偉そうに見えて仕様が無い。ああ、可哀想かわいそうだ。人間が可哀想だ。僕も、ホレーショーも可哀想。ポローニヤスも、オフィリヤも、叔父さんもお母さんも、みんな、みんな可哀想だ。僕には、昔から、軽蔑感も憎悪ぞうおも、怒りも嫉妬しっとも何も無かった。人の真似まねをして、憎むの軽蔑するのと騒ぎ立てていただけなんだ。実感としては、何もわからない。人を憎むとは、どういう気持のものか、人を軽蔑する、嫉妬するとは、どんな感じか、何もわからない。ただ一つ、僕が実感として、此の胸が浪打なみうつほどによくわかる情緒じょうちょは、おう可哀想という思いだけだ。僕は、この感情一つだけで、二十三年間を生きて来たんだ。ほかには何もわからない。けれども、可哀想だと思っていながら、僕には何も出来ないんだ。ただ、そう思ってそれを言葉で上手に言いあらわす事さえ出来ず、まして行動においては、その胸の内の思いと逆な現象ばかりがあらわれる。なんの事は無い、僕は、なまけ者の大馬鹿なんだ。何の役にも立ちやしない。ああ、可哀想だ。まったく、笑い事じゃない。ホレーショーも、叔父さんも母も、ポローニヤスも、みんな可哀想だ。僕のいのちが役に立つなら、誰にでも差し上げます。このごろ僕には人間がいよいよ可哀想に思われて仕様がないんだ。無い智慧ちえをしぼって懸命に努めても、みんな、悪くなる一方じゃないか。」

 ポローニヤス。ハムレット。

 ポロ。「ああ、いそがしい。おや、ハムレットさまは、もうこちらへおいでになっていたのですか。どうです、これは、ちょっとした舞台でしょう? わしが先刻さっき毛氈もうせんやら空箱あきばこやらを此の部屋に持ち込んで、こんな舞台を作ったのです。なあに、これくらいの舞台で充分に間に合いますよ。朗読劇でございますから、幕も、背景も要りません。そうでしょう? でも、何も無いというのも淋しいので、ここへ、蘇鉄そてつはちを一つ置いてみました。どうです、この植木鉢一つで舞台が、ぐんと引き立って見えるじゃありませんか。」
 ハム。「可哀想に。」
 ポロ。「なんですって? 何が可哀想なんです。蘇鉄の鉢を、ここへ置いちゃ、いけないとおっしゃるのですか? それじゃ、もっと、舞台の奥のほうに飾りましょうか。なるほど、そう言われてみると、この舞台の端に置かれたんじゃ、蘇鉄の鉢も可哀想だ。いまにも舞台から落っこちそうですものね。」
 ハム。「ポローニヤス、可哀想なのは、あなただよ。いや、あなただけでは無く、叔父さんも、母も、みんな可哀想だ。生きている人間みんなが可哀想だ。精一ぱいに堪えて、生きているのに、たのしく笑える一夜さえ無いじゃないか。」
 ポロ。「いまさら、また、何をおっしゃる。可哀想だなんて縁起でも無い。あなたは、ひとの折角の計画に水を差して、興覚めさせるような事ばかりおっしゃる。わしは、ただ、あなたのお為を思って、此の度のこんな子供だましのような事をも計画してみたのですよ。わしは、あなた達の正義潔癖の心に共鳴を感じ、真理探求の仲間に参加させてもらったのです。他には、なんの野心もないのです。此の度の、あのしからぬうわさが、いったいどこ迄、事実なのか、此の朗読劇を御覧にいれて、ためしてみようという、――」
 ハム。「わかった、わかった。ポローニヤス、あなたは、いかにも正義の士だよ。見上げたものです。けれども、自分ひとりの正義感が、他人の平穏な家庭生活を滅茶滅茶めちゃめちゃにぶちこわす事もあります。どちらが、どう悪いというのでは無い。はじめから、人間は、そんな具合にがわるく出来ているのだ。叔父さんが、何か悪い事をしているという証拠を得たとて、どうなろう。僕たちみんなが、以前より一そう可哀想になるだけじゃないか。」
 ポロ。「いや、ハムレットさま、失礼ながら、まだお若い。もし此のこころみにって、王さまに何のうしろ暗いところも無かったという事が、わかったら、わしたちは申す迄も無くデンマークの国民ひとしく、ほっと安堵あんどの吐息をもらし、幸福な笑顔が城中に満ちるでしょう。正義は必ずしも、人の非を挙げて責めるものではなく、ある時には、無実の罪を証明してその人を救ってやるものです。ポローニヤスは、その万一の幸福な結果をも期待しているのです。万一! 万一、そんな結果になったら、ああ、それは奇蹟きせきに近い、いや、しかし、まあ、とにかく、やってみましょう。その後の事は、ポローニヤスに任せて下さい。決して悪いようには致しません。」
 ハム。「ポローニヤス、一生懸命だね。可哀想に。僕には、みんなわかっているよ。ああ、いやだ。叔父さんが、たといどんな事をしていたって、かまわないじゃないか。叔父さんは、叔父さんの流儀で精一ぱいに生き伸びているだけなんだ。僕の気持は、どうやら、くるりと変ったようだ。けさまで、あんなに叔父さんを悪く言い、あの、いまわしい噂の根元を突きとめなければなんて騒ぎ立てていたのだが、ポローニヤス、あれは、あなたに見事ぐさりと突かれたように、醜聞の風向きを変えるためだったのかも知れぬ。やっぱりてれ隠しの道具に使っているだけの事だったのかも知れぬ。先刻、あなたから、たしかな証拠が、残念ながらありますと言われて、急に叔父さんを可哀想になってしまった。可哀想だ。叔父さんは精一ぱいなのだ。叔父さんは、そんな、馬鹿な、悪い事の出来る人じゃない。叔父さんは、僕以上に弱い人なんだ。一生懸命に努めているのだ。ああ、僕は馬鹿だ。叔父さんを冗談にも一時、疑っていたなんて、僕はおっちょこちょいの、恥知らずだ。ポローニヤス、もう正義ごっこは、やめにしようよ。この軽薄な遊戯が、どんな恐ろしい結果になるか、ああ、その恐ろしい結果を考えると、生きて居られない気持がする。」
 ポロ。「どうも、あなたは大袈裟おおげさでいけません。けさほどは、くるしいとい言葉の連続、ただいまは、可哀想の連発。どこで教えられて来たのか、ひとつ覚えみたいに、連発していらっしゃる。世の中は、情緒だけのものじゃありません。正義と、意志です。立派に生き果すためには、憐憫れんびんや反省は大の禁物。あなたは、オフィリヤの事だけを考えて居れば、それでいいのです。ハムレットさまに較べると、ホレーショーどのなんかは、淡泊で無邪気で、本当に青年らしい単純な夢の中で生きています。少しは見習いなさいよ。ホレーショーどのは、もう、此の朗読劇の底の魂胆を忘れてしまったかのように、ただただ、芝居をするという事のうれしさに浮かれ、あんなに熱心に稽古をしていたじゃありませんか。あれでいいのです。あなたは、台詞の稽古は充分ですか。間もなくお客さまたちが、ここへお見えになりますよ。ホレーショーどのが、いま皆さまをお誘い申しにあがったのです。あのひとは、たいへんな張りきりかたですね。内心は、花嫁の役のほうをやりたかったらしいんですけど、あの役は、わしでなければ、うまく出来ない。おや、もうお客さまたちが、やって来たようです。」

 王。王妃。侍者数名。ホレーショー。ポローニヤス。ハムレット。

 王。「やあ、今夜はお招きを有難う。ホレーショーが、ウイッタンバーグ仕込みの名調子を聞かせてくれるというので、皆を連れて拝聴にまいりました。ほんの近親の者たちばかりで、こういう催しをするのは、実にたのしいものですね。一家団欒だんらんというものが、やっぱり人生の最高の幸福なのかも知れない。わしには、このごろ、たのしい事がなくなりました。人生は、どうも重苦しい事ばかりです。本当に、今夜は有難う。ハムレットも、きょうは元気のようですね。親友のホレーショーと遊んでいると機嫌きげんもなおるものと見える。これからは時々こんな催し事をするがよい。ハムレットの気も晴れるでしょう。」
 ポロ「はい、実は、わしもその積りで、としを忘れて青年の劇団に加入させてもらいました。まず、此のたびの御即位と御婚儀のお祝いのため、つぎには、ハムレットさまのお気晴し、最後に、ホレーショーどのの外国仕込みの発声法御披露ごひろうのため、この発声法は又、格別に見事なもので。」
 ホレ。「ひやかしちゃ困ります。発声法などと言われては、かえって声が出なくなります。さあ、王妃さま、どうぞ。観客席はそちらでございます。どうぞ、おすわり下さいまし。」
 王妃。「足もとから鳥が飛び立つように、朗読劇なんか、どうしてはじめる事にしたのでしょう。ハムレットの気まぐれか、ポローニヤスの悪智慧か、ホレーショーは、いい加減におだてられて使われているようですし、何にしても合点のゆかぬ事ですね。」
 王。「ガーツルード。芝居の通人つうじんは、そんなわかり切った事は言わぬものです。さあ、皆もお坐り。うむ、なかなか舞台もよく出来た。ポローニヤスの装置ですか。意外にも器用ですね。人は、それでも、どこかに取柄とりえがあるものだ。」
 ポロ。「たしかに。いまに、もっと器用なところを御覧にいれます。さて、それでは、ハムレットさま、舞台へあがりましょう。ホレーショーどのも、どうぞ。」
 ハム。「アルプスの山よりも、高いような気がする。断頭台に、のぼるか、よいしょ。」
 ホレ。「初演の時は、どなたでも舞台が高くて目まいがします。僕は、三度目だから大丈夫。あ! 足が滑った。」
 ポロ。「ホレーショーどの、気を附けて下さい。空箱あきばこを寄せ集めて作ったのですから、でこぼこがあるのです。では、皆さま。わたしたち三人、これこそは正義の劇団。こよいは、イギリスのる女流作家の傑作、『迎え火』という劇詩を演出して御覧にいれまする。不馴ふなれの老爺ろうやもまじっている劇団ゆえ、むさくるしいところもございましょうが御海容ごかいようのほど願い上げます。ホレーショーどのは、外国仕込みの人気俳優、まず、御挨拶ごあいさつは、そちらから。」
 ホレ。「え? 僕は、その、何も、いや、困ります。僕は、ただ、花聟はなむこの役を演じてみたいと思っているだけなのです。」
 ポロ。「かく申す拙者は、花嫁の役を演じ上げます。」
 王妃。「気味が悪い。ポローニヤスどのは、お酒に酔っているらしい。」
 王。「酒どころか。もっと、ひどい。あのつきを見なさい。」
 ハム。「僕は、亡霊の役だそうです。ポローニヤス、早くはじめたら、どうですか。観客が、酔っぱらい劇団だと言っていますよ。」
 ポロ。「なに、酔ってないのは、わしだけさ。ばかばかしいが、はじめましょう。では、皆さま。」

花嫁。(ポローニヤス。)
恋人よ。やさしいおかた。しっかり抱いて下さいませ。
あの人が、あたしを連れて行こうとします。
ああ、寒い。
松かぜの音のおそろしさ。この冷たい北風は、あたしのからだを凍らせます。
遠い向うの、
遠い向うの、
森のかげから、ちらちら出て来た小さいともし火。
あれは、あたしの迎え火です。
花聟。(ホレーショー。)
おお、抱いてやるとも、私の小鳩こばと
向うの森のあたりには、星がまばたいているだけだ。
あやしい者は、どこにもいない。
朔風きたかぜつよい夜には、星の光も、するどいものです。
亡霊。(ハムレット。)
もし、
もし。
花嫁さん。
一緒においで。よもや、わしを、見忘れたはずはあるまい。
わしの声は、こがらし。わしの新居はどろの底。
わしと一緒に来ておくれ。
氷の寝床に来ておくれ。
呼んでいるのは、私だよ。忘れた筈は、よもや、あるまい。
おいで、と昔ひとこと言えば、はじらいながら寄り添った咲きかけの薔薇ばら
いまは、重く咲き誇るアネモネ。
綺麗きれいうそつき。
おいで。
花嫁。(ポローニヤス。)
あなた。もっと強く抱いて!
あの人は、昔の影で、あたしを苦しめに来ています。
あの人は、冷たい指で、あたしの手頸てくびつかんでいます。
ああ、あなた。しっかり抱いて下さいませ。あたしのからだが、あなたの腕から、するりと抜けて、あの森の墓地までふわふわ飛んで行きそうです。
あの松籟まつかぜは、人の声。
ふとした迷いから、結んだ昔の約束を、絶えずささやく。ひそひそ語る。
あなたもっと強く抱いて!
ああ、おろかしい過去のあやまち。
あたしは、だめだわ。
花聟。(ホレーショー。)
私が、ついている。
なくなった人のことを今更おそれるのは、不要の良心。
私が、ついている。
あやしい者は、どこにもいない。
風の音がこわかったら、しばらく耳をふさいでいなさい。
亡霊。(ハムレット。)
おいで。
耳をふさいでも、目をつぶっても、わしの声は聞える筈、わしの姿も見える筈。
行こう。
さあ、行こう。
むかしの約束のとおりに、わしはお前を大事に守ってあげるつもりだ。
お前の寝床の用意もしてある。めることの無い、おいしい眠りを与えてくれるい寝床だ。
さあ、おいで。
わしの新居は泥の底。ともかくも、ひたむきに一心不乱に歩いて、行きついた道の終りだ。
さあ、行こう。わし達の昔の誓いを果すのだ。
花嫁。(ポローニヤス。)
あなた。
もう、抱いてくださるには及びませぬ。だめなの。
こがらしの声のあの人は、無理矢理あたしを連れて行きます。
左様なら。
あたしがいなくなっても気を落さず、お酒もたんと召し上れ。ひなたぼっこも、なさいませ。
ああ、もう少し。もう一言ひとこと
わかれの言葉も髪もキスも、なにも、あなたに残さずに、あたしは連れてゆかれます。
もう、だめなの。
あたしを忘れないで下さいませ。
亡霊。(ハムレット。)
むだな事だ。
そんな、いじらしい言葉は、むだです。
お前は、その花聟の心を知らぬ。
お前の愛するその騎士は、お前が去って三日目に、きっとお前を忘れます。
うつくしい、それゆえもろい罪のおんなよ。
お前は、やがてあの世で、わしがきょうまでくるしんだ同じ苦しみをめるのだ。
嫉妬しっと
それがお前の、愛されたいと念じた揚句の収穫だ。
実に、見事な収穫だ。
いまに、その花嫁の椅子いすには、お前よりもっと若く、もっと恥じらいの深い小さい女が、お前とそっくりの姿勢で腰かけて、花聟にさまざまの新しい誓いを立てさせ、やがて子供を産むだろう。
この世では、軽薄な者ほど、いつまでも皆に愛されて、仕合せだ。
さあ、行こう。
わしとお前だけは、
雨風にたたかれながら、
飛び廻り、泣き叫び、けめぐる!


 王妃。「よして下さい! ハムレット、いい加減に、およしなさい。これは一体、誰の猿智慧さるぢえなんです? ばかばかしくて、見て居られません。どうせ、いやがらせをなさる積りなら、も少し気のきいた事でやって下さい。あなたがたは卑怯ひきょうです。陋劣ろうれつです。私は、おさきに失礼します。なんだか、吐きそうになりました。」
 王。「ちっとも怒る事は、ありません。面白いじゃないか。まだ、のつづきもあるようです。ポローニヤスの花嫁は、お手柄てがらでした。もっと強く抱いて、といきをつめて哀願するところもよかったし、あたしは、だめだわと言って、がくりと項垂うなだれるところなど、実に乙女の感じが出ていました。うまいものですね。」
 ポロ。「おめにあずかって、おそれいります。」
 王。「ポローニヤス、あとで、わしの居間にちょっとおいでを願います。ハムレットは、台本に無い台詞せりふまで言っていましたね。でも、なんだか熱が無かった。表情が投げやりでした。」
 王妃。「私は、失礼いたします。こんな下手くその芝居は、ごめんです。ポローニヤスの花嫁には、海坊主の花聟でなければ釣合つりあいがとれません。では、おさきに。」
 王。「まあ、お待ちなさい。ハムレット、もう此の芝居は、すんだのですか?」
 ハム。「ああ、すみました。もっと、つづきもあるんですけど、どうだっていいんです。もうよしましょう。芝居を演ずるのが、真の目的ではなかったのですから。さあ、みなさん、お帰り下さい。どうも今夜は、お退屈さまでした。」
 王。「そんなところだろうと思っていました。さあ、ガーツルード、それでは、わしも一緒に失礼しましょう。いや、なかなか面白かった。ホレーショー、ウイッタンバーグ仕込みの名調子は、どもりどもり言うところに特色があるようですね。」
 ホレ。「いやしい声を、お耳にいれました。どうも、此の朗読劇においては、僕は少し役不足でありました。」
 王。「ポローニヤスは、あとでちょっと、わしの居間に。では、失礼。」

 ポローニヤス。ハムレット。ホレーショー。

 ポロ。「一筋縄ひとすじなわでは、行かぬわい。」
 ホレ。「なにほどの事も、無かったようですねえ。」
 ハム。「当り前さ。王妃は怒り、王は笑った。それだけの事がわかったとて、それが、何のかぎになるのだ。ポローニヤス、あなたは、馬鹿だよ。オフィリヤ可愛かわいさに、少し、やきがまわったようですね。わしとお前だけは、雨風にたたかれながら、飛び廻り、泣き叫び、駈けめぐる!」
 ポロ。「なに、事件は、これから急転直下です。まあ、見ていて下さい。」

   八 王の居間

 王。ポローニヤス。

 王。「裏切りましたね、ポローニヤス。子供たちを、そそのかして、あんな愚にも附かぬ朗読劇なんかをはじめて、いったい、どうしたのです。気が、へんになったんじゃないですか? 自重して下さい。わしには、たいていわかっています。君は、あんなふざけた事をしてわしたちを、おどかし、自分の娘の失態を、容赦させようとたくらんでいるのでしょう? ポローニヤス、やっぱり、あなたも親馬鹿ですね。なぜ直接に、わしに相談しないのですか。うらみがあるなら、からりとそのまま打ち明けてみたらいいのだ。君は、不正直です。陰険です。それも、つまらぬ小細工ばかりろうして、男らしい乾坤一擲けんこんいってきの大陰謀などは、まるで出来ない。ポローニヤス、少しは恥ずかしく思いなさい。あんな、くちばしの青い、ハムレットだのホレーショーだのと一緒になって、歯の浮くような、きざな文句を読みあげて、いったい君は、どうしたのです。なにが朗読劇だ。遠い向うの、遠い向うの、とおちょぼ口して二度くりかえして読みあげた時には、わしは、全身、鳥肌とりはだになりました。ひどかったねえ。見ているほうが恥ずかしく、わしは涙が出ました。君は、もとから神経が繊細で、それはまた君の美点でもあり、四方八方に、こまかく気をくばってくれて、遠い将来の事まで何かと心配し、わしに進言してくれるので、わしは大変たすかり、君でなくてはならぬと、心から感謝し、たのもしくも思っていたのですが、それが同時に君の欠点でもあって、豪放磊落らいらくの気風に乏しく、物事にこせこせして、愚痴っぽく、思っていることをそのまま言わず、へんに紳士ふうに言い繕う癖があります。詩人肌とでもいうのでしょうかね。どうも陰気でいけません。胸の中に、いつも、うらみを抱いているように見えるものですから、城中の者どもにも、けむったがられ、あまり好かれないようじゃありませんか。たいして悪い事も出来ない癖に、どこやら陰険に見えるのです。性格が、めめしいのです。濁っているのです。」
 ポロ。「この王にして、この臣ありとでも言うところなのでしょう。ポローニヤスのめめしいところは、王さまからの有難い影響でございましょう。」
 王。「血迷って、何を言うのです。無礼です。何を言うのです。その、ふくれた顔つきは、まるで別人のように見えます。ポローニヤス、君は、本当に、どうかしているのではないですか。さきほどは、あんな薄気味のわるい黄色い声を出して花嫁とやらの、いやらしい役を演じ、もともと神経が羸弱るいじゃくで、しょげたり喜んだり気分のむらの激しい人だから、何かちょっとした事件に興奮して地位も年齢も忘れて、おどり出したというわけか、でも、それにも程度がある、ポローニヤスとわしとは、三十年間、わばまあ同じ屋根の下で暮して来たようなものですが、今夜のように程度を越えた醜態は、はじめてだ、これには、あるいは深いわけがあるのかも知れぬ、ゆっくり問いただしてみましょう、と思ってわしは君をここへお呼びしたのですが、なんという事です。一言のおびどころか、顔つきを変えて、このわしに食ってかかる。ポローニヤス! さ、落ちついて、はっきり答えて下さい。君は、いったい、なんだってあんな子守っ子だって笑ってしまうような甘ったるい芝居を、年甲斐としがいもなくはじめる気になったのですか。とにかくあの芝居は、いや、朗読劇か、とにかくあの、くだらない朗読劇は、君の発案ではじめたものに違いない。わしには、ちゃんとわかっています。ハムレットだって、ホレーショーだって、もっと気のきいた台本をえらびます。あんな大仰な、身震いせざるを得ないくらいの古くさい台本は、君でなくては、択べません。何もかも、君の仕業です。さ、ポローニヤス、答えて下さい。なんだってあんな、無礼な、馬鹿な真似まねをするのです。」
 ポロ。「王さまは御聡明ごそうめいでいらっしゃるのですから、べつにポローニヤスがお答え申さずとも、すべて御洞察ごどうさつのことと存じます。」
 王。「こんどは又、ばか丁寧に、いや味を言う。すねたのですか? ポローニヤス、そんな気取った表情は、およしなさい。ハムレットそっくりですよ。君も、ハムレットのお弟子でしになったのですか? さっき王妃から聞いた事ですが、このごろあちこちにハムレットのお弟子があらわれているそうですね。ホレーショーは、あれは前からハムレットには夢中で、口の曲げかたまでハムレットの真似をしているのですが、このごろはまた、わかい女のお弟子も出来たそうです。それからまた、ただいまは、おじいさんのお弟子も出来たようです。ハムレットも、こんなにどしどし立派な後継者が出来て、心丈夫の事でしょう。ポローニヤス、いいとしをして、そんなにすねるものではありません。不満があるなら、からりと打ち明けてみたら、どうですか。オフィリヤの事なら、わしはもう覚悟をきめています。」
 ポロ。「おそれながら、問題は、オフィリヤではございません。あれの運命は、もうきまってります。田舎のお城に忍んで行って、ひそかにおなかを小さくするだけの事です。そうしてわしは、職を辞し、レヤチーズの遊学は中止。わしたち一家は没落です。それはもう、きまっている事です。ポローニヤスは、あきらめて居ります。ハムレットさまは、やはりイギリスから姫をお迎えなさらなければなりませぬ。一国の安危にかかわる事です。オフィリヤも不憫ふびんではありますが、国の運命には、かえられませぬ。ポローニヤス一家は、いかなる不幸にも堪え忍んで生きて行くつもりでございますから、その点は御安心下さい。さて、問題は、オフィリヤではございませぬ。問題は、正義です。」
 王。「正義? 不思議な事を言いますね。」
 ポロ。「正義。青年の正義です。ポローニヤスは、それに共鳴したという形になっているのでございます。王さま、いまこそポローニヤスは、つつまず全部を申し上げます。」
 王。「なんだか、朗読劇のつづきでも聞かされているような気がします。へんに芝居くさく、調子づいて来たじゃありませんか。」
 ポロ。「王さま、ポローニヤスは真面目まじめです。王さまこそ、そんなに茶化さずに、真剣にお聞きとりを願います。まず第一に、わしから王さまにお伺い申し上げたい事がございます。王さまは、このごろの城中の、実に不愉快千万のうわさいて、どうお考えになって居られますか。」
 王。「なんですか、君の言う事は、よくわからないのですが、オフィリヤの噂だったら、わしは、けさはじめて君から聞いて知ったので、それまでには夢にも思い設けなかった事でした。」
 ポロ。「おとぼけなさっては、いけません。オフィリヤの事など、いまは問題でございません。それはもう、解決したも同然であります。わしのいまお伺い申しているものは、もっと大きく、おそろしく、なかなか解決のむずかしい問題でございます。王さまは、本当に何もご存じないのですか。お心当りが無いのでしょうか。そんなはずはない。そんな筈は、――」
 王。「知っている。みな知っています。先王の死因に就いて、けしからぬ臆測おくそくささやき交されているという事は、わしも承知して居ります。怒るよりも、わしは、自分の不徳を恥ずかしく思いました。そんな途方も無い滅茶な噂が、まことしやかに言い伝えられるのも、わしの人徳のいたらぬせいです。わしは、たまらなくさびしく思っています。けれども、噂は、ひろがるばかりで、このごろは外国の人の耳にもはいっている様子でありますから、このまま、わしが自らを責めて不徳を嘆いているだけでは、いよいよ噂も勢いを得て、とりかえしのつかぬ事態に立ちいたるかも知れぬと思い、この噂の取締りに就いて、君と相談してみたいと考えていたところでした。わしは、まあ、平気ですが、王妃は、やはり女ですから、ずいぶん此の噂には気を病んで、このごろは夜もよく眠っていない様子であります。このまま荏苒じんぜん、時を過ごしていたなら、王妃は死んでしまいます。わしたちの、つらい立場を知りもせぬ癖に、わかい者たちは何かと軽薄な当てこすりやら、厭味いやみやらを言って、ひとの懸命の生きかたを遊戯の道具に使っています。なさけ無い事と思っていたら、こんどは君まで、どんな理由か、わかりませんが、わかい者の先に立って躍り狂っているのだから、本当に世の中がいやになります。ポローニヤス、まさか君まで、あの噂を信じているわけじゃないだろうね。」
 ポロ。「信じて居ります。」
 王。「なに?」

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