打印本文 关闭窗口 |
黄金風景(おうごんふうけい)
|
作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-16 6:54:17 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
|
海の岸辺に緑なす 私は子供のときには、余り 一昨年、私は家を追われ、一夜のうちに窮迫し、 そのころのこと、戸籍調べの四十に近い、 お巡りは痩せた顔にくるしいばかりにいっぱいの笑をたたえて、 「やあ。やはりそうでしたか。お忘れかもしれないけれど、かれこれ二十年ちかくまえ、私はKで馬車やをしていました」 Kとは、私の生れた村の名前である。 「ごらんの通り」私は、にこりともせずに応じた。「私も、いまは落ちぶれました」 「とんでもない」お巡りは、なおも楽しげに笑いながら、「小説をお書きなさるんだったら、それはなかなか出世です」 私は苦笑した。 「ところで」とお巡りは少し声をひくめ、「お慶がいつもあなたのお 「おけい?」すぐには 「お慶ですよ。お忘れでしょう。お宅の女中をしていた――」 思い出した。ああ、と思わずうめいて、私は玄関の式台にしゃがんだまま、頭をたれて、その二十年まえ、のろくさかったひとりの女中に対しての私の悪行が、ひとつひとつ、はっきり思い出され、ほとんど座に耐えかねた。 「幸福ですか?」ふと顔をあげてそんな突拍子ない質問を発する私のかおは、たしかに罪人、被告、卑屈な笑いをさえ浮べていたと記憶する。 「ええ、もう、どうやら」くったくなく、そうほがらかに答えて、お巡りはハンケチで額の汗をぬぐって、「かまいませんでしょうか。こんどあれを連れて、いちどゆっくりお礼にあがりましょう」 私は飛び上るほど、ぎょっとした。いいえ、もう、それには、とはげしく拒否して、私は言い知れぬ屈辱感に けれども、お巡りは、朗かだった。 「子供がねえ、あなた、ここの駅につとめるようになりましてな、それが長男です。それから男、女、女、その末のが八つでことし小学校にあがりました。もう一安心。お慶も苦労いたしました。なんというか、まあ、お宅のような大家にあがって行儀見習いした者は、やはりどこか、ちがいましてな」すこし顔を赤くして笑い、「おかげさまでした。お慶も、あなたのお噂、しじゅうして それから、三日たって、私が仕事のことよりも、金銭のことで思い悩み、うちにじっとして居れなくて、竹のステッキ持って、海へ出ようと、玄関の戸をがらがらあけたら、外に三人、 私は自分でも意外なほどの、おそろしく大きな怒声を発した。 「来たのですか。きょう、私これから用事があって出かけなければなりません。お気の毒ですが、またの日においで下さい」 お慶は、品のいい中年の奥さんになっていた。八つの子は、女中のころのお慶によく似た顔をしていて、うすのろらしい濁った眼でぼんやり私を見上げていた。私はかなしく、お慶がまだひとことも言い出さぬうち、逃げるように、海浜へ飛び出した。竹のステッキで、海浜の雑草を うみぎしに出て、私は立止った。見よ、前方に平和の図がある。お慶親子三人、のどかに海に石の投げっこしては笑い興じている。声がここまで聞えて来る。 「なかなか」お巡りは、うんと力こめて石をほうって、「頭のよさそうな方じゃないか。あのひとは、いまに偉くなるぞ」 「そうですとも、そうですとも」お慶の誇らしげな高い声である。「あのかたは、お小さいときからひとり変って居られた。目下のものにもそれは親切に、目をかけて下すった」 私は立ったまま泣いていた。けわしい興奮が、涙で、まるで気持よく溶け去ってしまうのだ。 負けた。これは、いいことだ。そうなければ、いけないのだ。かれらの勝利は、また私のあすの出発にも、光を与える。 底本:「きりぎりす」新潮文庫、新潮社 1974(昭和49)年9月30日発行 1988(昭和63)年3月15日29刷改版 1996(平成8)年9月25日46刷 初出:「国民新聞」 1939(昭和14)年3月 入力:深水英一郎・加藤るみ 校正:加藤るみ 1999年1月1日公開 2004年3月4日修正 ※「日本文学(e-text)全集」作成ファイル 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです ●表記について
|
打印本文 关闭窗口 |