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鬱屈禍(うっくつか)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-16 6:51:53 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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この新聞(帝大新聞)の 編輯者の同情に報いる為にも私は、思うところを正直に述べなければならない。 こういう言葉がある。「私は、私の けれども、も少し我慢して彼のお話に耳を傾けてみよう。ジイドの芸術評論は、いいのだよ。やはり世界有数であると私は思っている。小説は、少し下手だね。意あまって、絃響かずだ。彼は、続けて言う。 「大芸術家とは、束縛に鼓舞され、障害が踏切台となる者であります。伝える所では、ミケランジェロがモオゼの窮屈な姿を考え出したのは、大理石が不足したお蔭だと言います。アイスキュロスは、舞台上で同時に用い得る声の数が限られている事に依て、そこで止むなく、コオカサスに なかなか自信ありげに、単純に断言している。信じなければなるまい。 私の隣の家では、朝から夜中まで、ラジオをかけっぱなしで、甚だ、うるさく、私は、自分の小説の不出来を、そのせいだと思っていたのだが、それは間違いで、此の騒音の障害をこそ私の芸術の名誉ある踏切台としなければならなかったのである。ラジオの騒音は決して文学を毒するものでは無かったのである。あれ、これと文学の敵を想定してみるのだが、考えてみると、すべてそれは、芸術を生み、成長させ、昇華させる有難い母体であった。やり切れない話である。なんの不平も言えなくなった。私は貧しい悪作家であるが、けれども、やはり第一等の道を歩きたい。つねに大芸術家の心構えを、真似でもいいから、持っていたい。大芸術家とは、束縛に鼓舞され、障害を踏切台とする者であります、と祖父のジイドから、やさしく教えさとされ、私も君も共に「いい子」になりたくて、はい、などと殊勝げに ミケランジェロだって、その当時は大理石の不足に悲憤痛嘆したのだ。ぶつぶつ不平を言いながらモオゼ像の制作をやっていたのだ。はからずもミケランジェロの天才が、その大理石の不足を償って余りあるものだったので、成功したのだ。いわんや私たち小才は、ぶん殴られて喜んでいたのじゃ、制作も何も消えて無くなる。 不平は大いに言うがいい。敵には容赦をしてはならぬ。ジイドもちゃんと言っている。「闘争に生き、」と抜からず、ちゃんと言っている。敵は? ああ、それはラジオじゃ無い! 原稿料じゃ無い。批評家じゃ無い。古老の 底本:「もの思う葦」新潮文庫、新潮社 1980(昭和55)年9月25日発行 1998(平成10)年10月15日39刷 入力:蒋龍 校正:今井忠夫 2004年6月16日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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