日本の名随筆 別巻7 奇術 |
作品社 |
1991(平成3)年9月20日 |
薄田泣菫全集 第三巻 |
創元社 |
1938(昭和13)年10月 |
手品といふものは、余り沢山見ると下らなくなるが、一つ二つ見るのは面白いものだ。むかし、備前少将光政が、旅稼ぎをする手品師の岡山の城下に来たのを召し出して、手品を見た事があつた。 一体大名や華族などといふものは、家老や家扶たちの手で、始終上手な手品を見せつけられてゐるものなのだが、備前少将は案外眼の明るい大名だつたので、用人達もこの人の前では、 「二二が六。」 と手品の算盤珠を弾いて見せる訳にはいかなかつた。で、少将は一度手品といふものが見たくてまたらなかつたのだ。 手品師は恐る恐る御前へ出た。夏蜜柑のやうな痘痕面をした少将の後には、婦人のやうな熊沢蕃山や、津田左源太などが畏まつてゐたが、手品師の眼には顔の見さかひなどは少しもつかなかつた。多勢の顔が風呂敷包みのやうに一かたまりになつて動いた。 手品師は小手調べに二つ三つ器用な手品を見せた。それから金魚釣といつて居合はせた小姓の懐中から、金魚を釣り出さうといふ自慢の芸に取りかかつた。 小姓は気味を悪がつて、小さな襟を掻き合はせたりした。手品師はさつと釣針を投げて、勢よく小姓の襟先を掠めて、それを引き上げたが、釣針の先には何もかかつて居なかつた。 手品師は慌てて、二度三度同じ事を繰り返したが、その都度手先が段々そそつかしくなるばかりで、金魚は少しも釣れなかつた。そして終ひには金魚の代りに小姓の前髪を釣り上げた。小姓は鮒のやうに泳ぐ手附をした。それを見て一座は声を揚げて笑つた。 手品師は真赤になつて畳の上に這ひつくばつた。額からは油汗がたらたらと流れた。 「これまで一度だつて仕損じた事のない手品なのでござりますが、今日はまた散々の不首尾で、お詫びの申し上げやうもござりませぬ。」手品師は子供の手のひらでべそをかく蝉のやうな声を出した。「私めの考へまするには、このお屋敷には人並秀れた偉い御器量のお方が居らせられますので、それでどうも手品が段取よく運ばないかのやうに存じられまする。」 備前少将はそれを聞くと、にやりと軽く笑つた。後の方では蕃山と左源太とが肚のなかで頷いたらしかつた。 手品師め。手品には失敗したが、巧い事を言つたもので、少将と蕃山と左源太とは、各自肚のなかでは、「その偉い器量人は多分乃公だな。」と思つたらしかつた。この人達にだつて自惚は相当にあつたものだ。金魚は釣れなかつたが、手品師は素晴しい物を三つ釣り上げてゐる。
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