打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口

闇夜の梅(やみよのうめ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-12 9:33:01 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

底本: 圓朝全集 巻の一
出版社: 近代文芸資料複刻叢書、世界文庫
初版発行日: 1963(昭和38)年6月10日

底本の親本: 圓朝全集巻の一
出版社: 春陽堂
初版発行日: 1925(大正15)年9月3日

 

闇夜の梅

三遊亭圓朝

鈴木行三校訂編纂




        一

 エヽ講談の方の読物は、多く記録、其の他(た)古書等(とう)、多少拠(よりどころ)のあるものでござりますが、浄瑠璃や落語人情噺に至っては、作物(さくぶつ)が多いようでござります。段々種を探って見ると詰らぬもので、彼(か)の浄瑠璃で名高いお染久松のごときも、実説では久松が十五、お染が三歳(みッつ)であったというから、何(ど)うしても浮気の出来よう道理がござりませぬ。久松が十五の時、主人の娘お染を桂川の辺(ほとり)で遊ばせて居る中(うち)に、つい過(あやま)ってお染を川の中へ落したから御主人へ申訳がない、何うかして助けにゃならぬと思ったものか、久松も続いて飛込むと、游泳(およぎ)を知らなかったからついそれ切りとなった。これを種にしてお染久松という質店(しちみせ)の浄瑠璃が出来ましたものでござります。又大阪の今宮という処に心中があった時に、或(ある)狂言作者が巧(たくみ)にこれを綴(つゞ)り、標題を何(なん)としたら宜(よ)かろうかと色々に考えたが、何うしても工夫が附きませぬ、そこで三好松洛(みよししょうらく)の許(もと)へ行って、
 「なんとこれ迄に拵(こしら)えたが、外題(げだい)を何とつけたらよかろう」
 「いやお前のように、そんなに凝(こ)っちゃアいけませぬ、寧(いっ)そ手軽く『心中話たった今宮』と仕たらようござりましょう」
 「成程」
 と直(すぐ)に右の通(とおり)の外題にして演(や)ると大層に当ったという話がある。その真似をして林家正藏(はやしやしょうぞう)という怪談師が、今戸(いまど)に心中のあった時に『たった今戸心中噺』と標題を置き拵えた怪談(はなし)が大(たい)して評が好(よ)かったという事でござります。この闇夜の梅と題するお話は、戯作物などとは事違い、全く私(わたくし)が聞きました事実談でござります。
 えゝ、浅草に三筋町(みすじまち)と申す所がある。是も縁で、三筋町があるから、其の側に三味線堀というのがあるなどは誠におかしい、それゆえ生駒(いこま)というお邸(やしき)があるんだなんぞは、後(あと)から拵えたものらしい。下谷(したや)があるから上野があって、側に仲町(なかちょう)がありまして上中下(じょうちゅうげ)と揃(そろ)って居(お)る。縁というものは何う考えても不思議なもので、腕尽(うでずく)にも金尽(かねずく)にも及ばぬものだというが、これは左様かも知れませぬ、まア呉服屋などで、不図(ふと)地機(じばた)の好(よ)い、お値段も恰好(かっこう)な反物(たんもの)を見附けたから買おうと思って懐中(ふところ)へ手を入れて見ると、金子(かね)が少々足りないから、一旦立ち帰り、金子(きんす)の用意をして再び来ると、誠にお気の毒様でござりますが、貴方(あなた)がお帰りになると、直に入らしったお方が見せて呉れと仰(おっ)しゃいまして、到頭(とうとう)其の方の方へ縁附(えんづき)になりました。いやそれは残念な事をした、もうあゝいうのはありませぬか。へい、あれは二百反の中(うち)二反だけ別機(べつばた)であったのですから、もう外(ほか)にはござりませぬ。それでは仕方がない、縁がなかったのだろう。と諦めてしまうと、時経(た)ってから不意と田舎などから、自分が買いたいと思った品とそっくりな反物を貰う事などがある。又お馴染(なじみ)の芸者でも、生憎(あいにく)買おうと思った晩外にお約束でもあれば逢う事は出来ませぬ。又金子(かね)を沢山懐中(ふところ)に入れて芝居を観ようと思って行っても、爪も立たないほどの大入(おおいり)で、這入(はい)り所(どころ)がなければ観る事は出来ませぬ。だから縁の無い事は金尽にも力尽にもいかぬもので、ましてや夫婦の縁などと来ては尚更(なおさら)重い事で、人間の了簡で自由に出来るものではござりませぬ。
 えゝ浅草の三筋町――俗に桟町(さんまち)という所に、御維新(ごいっしん)前まで甲州屋と申す紙店(かみや)がござりました。主人(あるじ)は先年みまかりまして、お杉という後家が家督(あと)を踏まえて居(お)る。お嬢さんは今年十七になって、名をお梅と云って、近所では評判の別嬪(べっぴん)でござります。番頭、手代、小僧、下女、下男等数多(あまた)召使い、何暗からず立派に暮して居りました。すると子飼(こがい)から居(お)る粂之助(くめのすけ)というもの、今では立派な手代となり、誠に優しい性質(うまれつき)で、其の上美男(びなん)でござります。嬢さんも最早妙齢(としごろ)ゆえ、良(い)い聟(むこ)があったらば取りたいものと、お母(っか)さんは大事がって少しも側を離さないようにして置きましたが、どうも仕方がないもので、ある晩のことお母さんが不図目を覚まして見ると娘が居ない。
 「はてな、何処(どこ)へ行ったか知らん、手水(ちょうず)に行ったならもう帰りそうなものだが」
 と思ったが何時(いつ)まで経っても戻って来ない。
 母「はてな嬢ももう年頃、外に何も苦労になる事はないが、店の手代の粂之助は子飼からの馴染ゆえ大層仲が好(い)いようだが、事によったら深い贔屓(ひいき)にでもしていはせぬか知ら」
 とお母さんが始めて気が付いたけれども、気の付きようが遅かったから、もう間に合いませぬ。これが馬鹿のお母さんなら直(すぐ)に起き上って紙燭(ししょく)でも点(とも)し、から/\方々を開け散かして、「此の娘(こ)は何うしたんだよ」なんて呶鳴って騒ぐんだが、沈着(おちつ)いた方だから其様(そん)な蓮葉(はすは)な真似はしない、いきなり長羅宇(ながらう)の煙管(きせる)で灰吹(はいふき)をポン/\と叩いた。深夜のことゆえピーンと響いたから、お嬢さんは恟(びっく)りいたし、そっと抜足(ぬきあし)をして便所へ参り、ギーイ、バタンと便所から出たような音ばかりさせて、ポチャ/\/\と水をかけて手を洗い、何喰わぬ顔をして其の晩は寝てしまった。翌朝(よくあさ)になると、お母さんが直に鳶頭(かしら)を呼びにやって、右の話をいたし、一時(いちじ)粂之助の暇(ひま)を取って貰いたいと云う。鳶頭も承知をして立帰った後で、
 主婦「粂や、粂」
 粂「へい」
 主婦「あのお前のう、ちょいと鳥越(とりこえ)の鳶頭の処まで行ってくんな、用は行(ゆ)きさえすれば解る………私がそういったから来ましたといえば解るんだよ」
 粂「へい畏(かしこま)りました」
 何だか理由(わけ)は解らぬが、粂之助は直に抱(かゝえ)の鳶頭の処へやって来まして、
 粂「へい今日(こんち)は」
 鳶「いや、お上(あが)んなさい、宜(い)いからまアお上んなさい、ずうっと二階へ、梯子(はしご)が危のうがすよ、おいお民(たみ)、粂どんに上げるんだから好(い)い茶を入れなよ、なに、何か茶うけがあるだろう、羊羹(ようかん)があった筈だ、あれを切んなよ、チョッ不精な奴だな、折(おり)の葢(ふた)の上で切れるもんか、爼板(まないた)を持って来なくっちゃアいかねえ、厚く切んなよ、薄っぺらに切ると旨くねえから、己(おれ)が持って来いてったら直に持って来な、宜(い)いか、話の真最中(まっさいちゅう)はんまな時分に持って来ちゃアいけねえぜ」
 トン/\/\と梯子を上(あが)って、
 鳶「へ、今日(こんち)は」
 粂「何(な)んだかね鳶頭、お内儀(かみ)さんが、鳶頭の処へ行(ゆ)きさえすれば解るから、行って来いと仰しゃいましたから参りました」
 鳶「それは何(ど)うもお忙がしい処をお呼び立て申して済みませんね、粂どん実は斯(こ)ういう話だ、今朝ねお内儀さんから私へお人だ、何だろうと思って直(すぐ)に出掛けてってお目にかゝると、奥の六畳へ通して長々と昔噺が始まったんだ、鳶頭お前がまだ年の行(ゆ)かねえ時分から当家(うち)へ出入(でいり)をするねと仰しゃるから、左様でござえます、長(なげ)え間色々お世話になりますんで、なに其様(そん)な事は何うでも宜(い)いが、旦那が死んで今年で四年になるし、私も段々年を取るし、お梅ももう十七になる、来年は歳廻りが良(い)いから何様(どん)な者でも聟を取ったらよかろうと話をすると、いつでも娘が厭(いや)がる、他人様(ひとさま)から、斯ういう良(よ)い聟がありますと申込んでも厭がるもんだから、他人(ひと)が色々な事を云って困る、妙齢(としごろ)の娘が聟を取るのを厭がるには、何か理由(わけ)があるんだろう、なにそれは店の手代に粂之助という好(い)い男があるから事に依(よ)ったらあの好い男と仔細(わけ)でもありはしないか、と云いもしまいが、ひょっとして其様なことを云われた日には、世間の口にゃア戸が閉(た)てられねえ、ねえ鳶頭、と斯うお内儀さんがいうのだ、してみると何かお前さんとお嬢さまとあやしい情交(なか)にでもなっているように私(わし)の耳には聞えるんだ、宜(よ)うがすかい、それから、誠に何うもそれは御心配なことでというと、お内儀さんの仰しゃるには、粂之助も小さい時分から長く勤めて居たから、能(よ)く気心も知れて居るが、何分今直(すぐ)に何(ど)う斯(こ)うという訳にも往(ゆ)かず、捨(すて)て置いて失策(しくじり)でも出来るといけねえから、一と先(ま)ず谷中(やなか)の兄(あに)さんの方へ連れて行って、時節を待ったら宜かろう、其の中(うち)にはまた出入をさせる事もあるじゃアねえか、と斯う仰しゃるのだ、うむ、それから、なんだ斯ういう事も云った、何分宅(うち)の奉公人や何かの口がうるせえから、一時(いちじ)そういう事にするんだが、仮令(たとえ)他人(ひと)が何(なん)といおうと、私の為にはたった一人の娘だから、同じ取るなら娘の気に入った聟を取って、初孫(ういまご)の顔を見たいと云うのが親の情合(じょうあい)じゃアねえか、娘が強(た)って彼(あれ)でなければならないといえば、私には気に入らんでも、娘の好いた聟を取って其の若夫婦に私は死水(しにみず)を取って貰う気だが、鳶頭何うだろう、と仰しゃるのだ、お内儀さんの思召(おぼしめし)では、一時お前(めえ)さんに暇を出して、世間でぐず/\いわねえようにしちまって、それから良い里を拵えて、ずうっと表向きお前(まえ)さんを聟にして、死水を取って貰おうてえお心持があるんだから、粂どん早まっちゃアいけねえよ、宜うがすか、お内儀さんには、色々深(ふけ)え思召があるんだから、私(わっし)も大旦那のお若(わけ)え時分、まだ糸鬢奴(いとびんやっこ)の時分から、甲州屋のお店へ出入りをしてえて、お前(めえ)さんとも古い馴染だが、今度来やアがった番頭ね、彼奴(あいつ)が悪い奴なんだ、いろ/\胡麻を摺(す)りやアがって仕様がねえからお内儀さんも心配をしていらっしゃるんだが、ねえ粂どん」
 粂「ヘエ、承知いたしました」
 鳶「でね、何(なん)にもいわず、少し兄の方に用事が出来ましたからお暇(いとま)を願います、長々御厄介(ごやっけえ)になりました、と斯(こ)ういって廉(かど)をいわずにお暇(ひま)を取っちまう方が好(い)い、いろ/\くど/\しく詫(わび)なんぞを仕ちゃア可(い)けねえよ」
 粂「ヘエ、畏(かしこま)りました、何うも誠に面目次第もござりませぬ」
 とおろ/\泣きながら、粂之助が帰りまして、
 粂「ヘエ、只今」
 内儀「あい粂か、此方(こっち)へお這入り、好いよ遠慮をしないでも………先刻(さっき)、鳶頭が来たから四方山(よもやま)の話をして置いたが、何うだい能(よ)くお前の胸に落ち入ったかい、何も是(こ)れという越度(おちど)の無いお前に暇を出すといったら、如何(いか)にも酷(ひど)い主人のようにお思いかも知らないが、これはお前の為だよ、お前も小さい時分にいたから、何だか私も子のような心持がして誠に可愛(かわゆ)く思うが、何分世間の口が面倒だから暇を出すのだけれども、又縁があれば一旦主従(しゅうじゅう)となったのだもの、出入の出来ないことは無いから、まあ/\気を長く、兄(あに)さんの処におとなしくしているが好い、軽はずみな心を出して、こんな淋しいお寺なんぞにいられるものかって、ふいと何処(どこ)かへ姿を隠すような事でもあられると、どんなに案じられるか知れないから、ようく心を落着けて時節を待ってゝ呉れなくちゃア私が困るよ」
 粂「ヘエ、有難うございます、誠に何うも面目次第もございませぬ」
 内儀「さ、早く行くが好い、何時までも此処(こゝ)にいると面倒だから、谷中のお寺へ行ったら能く兄さんのいう事を聴いて、身体を大事にして時節の来るのを待っていなよ」
 粂「ヘエ有難う存じます」
 と袂(たもと)から手拭(てぬぐい)を取出し、涙を拭いながら店へ出て来ると、番頭は粂之助が暇(いとま)になって好い気味だと喜んで居る。
 粂「えゝ、番頭さん、私は唯今お暇(いとま)になりまして谷中の兄の方へ参りますから、何分お店の事をよろしく願います」
 番頭「左様じゃげな、根(ねっ)から些(ちっ)とも知らんかったが、何う云う理由(わけ)で粂之助がお暇になりますかと云うて、私(わし)も色々言葉を尽してお詫をしたが、なか/\お聴き容(い)れがない、お前方が知った事(こっ)ちゃない、此様(こない)に云われるで何うにも仕ようがないじゃて、併(しか)し何うも気の毒な事(こっ)ちゃな、根(ねっ)から、全体商人(あきんど)はお前の性分に合わぬのじゃから、却(かえっ)て谷中のお寺へ行(ゆ)きなはった方が心が沈着(おちつ)いて宜(い)いやろう」
 粂「ヘエ有難う、何うも長々お世話さまでございました、お店の方も段々忙しくなりますから、人が殖(ふ)えなければならぬ処を少なくなるんですから、何分宜(よろ)しくお頼み申します、あの定吉(さだきち)どんは何処(どっ)かへ行(ゆ)きましたか」
 番頭「いや今其処(そこ)に居ったッけ、定吉イ定吉」
 定「おや粂どん、今お前さんを探しに表へ出ましたが、貴方(あなた)はお暇(ひま)になりましたてえから、何ういう理由(わけ)だろうと聞いても解らないんですが、本当に何うもお気の毒さまで」
 粂「お前と私とは別段仲が好(よ)かったから、お前に別れるのは誠に辛いけれども、拠(よんどころ)ない事があってお暇になったのだが、私が居なくなると番頭さんに無理な小言をいわれても、誰も詫びてくれるものがないから、お前も能く気を附けて叱られないように御奉公を大事にするんだよ」
 定「ヘエ有難う、お前さんが下(さが)るくらいなら私も下った方がようございます、幾ら私がいる気でも、外(ほか)の者は、みんな意地が悪くって居られませぬもの、其(そ)ん中でも、新次郎(しんじろう)どんなどは、しんねりむっつりの嫌な人で、私が寝てえると焼芋の皮なんぞを態(わざ)と置いて、そうしてお内儀さんが朝暖簾(のれん)の処(とこ)から顔を出して、さ、皆(みんな)起きなよと仰しゃる時に新どんの意地悪が、あの昨晩定吉が寝ながら焼芋を食べましたなんて嘘ばかり吐(つ)いて人を叱らせるんですもの、そうすると番頭さんが私の尻を捲(まく)って、定規板でピシャ/\撲(なぐ)るんですもの、痛くて堪(たま)りゃアしませんや、此間(こないだ)も宿下(やどお)りの時お母(っか)さんにそういったんです、お内儀さんもお嬢さんも粂どんも皆(みんな)善(い)い方だけれども、ほかの者は残らず意地が悪くって辛抱が出来ないてえと、そんな事をいうものじゃアない、それが身の修行(しゅうぎょう)だから、我慢をしなくっちゃアいけないと云われますから、粂どんがおいでなさる間は辛抱が出来る、粂どんは大層私を可愛がっておくんなすって、何かおいしい物があると、お蔵の棚へ内証(ないしょう)で取っといておくんなすって、ちょいと出し物があるから蔵まで一緒に行っておくれって連れてって、さ、お食べってカステラ巻だの何(なん)だのを食べさせて下すったり、お小遣をおくんなすったりして、本当に優しくして下さるよと然(そ)ういったら、母親(おふくろ)が涙ぐんで、あゝ有難いことだ、そういうお方が在(い)らっしゃるのはお前が奉公の出来る瑞相(ずいそう)だから、何でもその方をしくじらないように為(し)なくっちゃア可(い)けない、その方の御機嫌を損ねるとお店にはいられないから、どんな無理なことを仰しゃってもいう事を聴くんだよといいました」
 粂「早く彼方(あっち)へお出で、何時までも此処(こゝ)にいると又叱られるから」
 定「ヘエ、今行きます」
 粂「清助(せいすけ)どんは何うしたえ」
 定「今物置に薪(まき)を積直して居ましたっけ」
 粂「ちょいと清助どんにも暇乞(いとまごい)をして行こう」
 定「じゃア私も一緒に行きましょう」
 粂「清助どん、何うも長々お世話になりました」
 清「おゝ粂どんか、今ね己(おれ)が聞いたんだ、おさきどんがの話に、今日急に粂どんがお暇(いとま)になったてえから、己ハアほんとうに魂消(たまげ)ただ、何でもこれは番頭野郎の策略に違(ちげ)えねえ、彼奴(あいつ)は厭に意地が悪くって、何かお前様(めえさま)を追出させるように巧(たく)んだに違え無(ね)えだ、本当にあのくれえ憎らしい野郎も無えもんだ、ちょいと何一つくれるんでもお前(めえ)さんと番頭とではこう違うだ、こんな物は己(おら)ア嫌(きれ)えだ、お前(めえ)も嫌えかも知れねえが喰うなら喰ってくんろ、勿体ねえからってお前(めえ)さんは旨(うめ)え物をくれるだが、番頭野郎は自分がそれ程に好かねえもんでも惜しがってくれやアがるだ、此間(こねえだ)も他処(よそ)から法事の饅頭が来た時、お店へも出ると彼奴は酒呑だから甘(あめ)え物は嫌えだろう、それだのにさ、清助汝(われ)がに饅頭をくれてやる、田舎者だから此様(こん)な結構な物は食ったことは有るめえ、汝がのような奴に惜しいもんだけんど、汝がに食わすと、斯(こ)う吐(ぬか)しやがるだ、己も余(あんま)り腹が立ったから、何うかして意趣返(いしゅげえ)しをしてやろうと思って、此間(こねえだ)鹿角菜(ひじき)と油揚(あぶらげ)のお菜(さい)の時に、お椀の中へそっと草鞋虫(わらじむし)を入れて食わせてやっただ、そんな事は何うでも好(い)いが、お前(めえ)さんがお暇(いとま)になるなら何(な)んにも楽(たのし)みが無(ね)えから己(おら)も下(さが)ろうか知ら、下らば直(すぐ)に故郷(くに)へ帰(けえ)るだよ、己(おれ)は信州飯山(いいやま)の在(ぜえ)でごぜえますから、めったに来る事もあるめえが、善光寺へ参詣にでも来ることが有ったら是非寄って下せえまし、田舎の事(こッ)たから、何も外に御馳走の仕ようが無(ね)えから、鹿でも打(ぶ)って御馳走しべいから、何だか馴染の人に別れるのは辛(つれ)えもんだね、何(ど)うかまア成るたけ煩らわねえように気い付けて、好(よ)いかね」
 粂「有難う」
 娘のお梅に逢いたいは山々だが、お内儀さんのお言葉添えもあるから、その儘暇(いとま)を取って、これから谷中の長安寺へ参り、いまに好(い)い便りがあるだろうと待って居りました。此方(こちら)はお梅、あれきり何の便りもないが、もしや粂之助の了簡が変りはしないかと、娘心にいろ/\と思い計り、耐(こら)え兼ねたものか、ある夜(よ)二歩金(にぶきん)で五十両ほどを窃(ぬす)み出して懐中いたし、お高祖頭巾(こそずきん)を被(かむ)り、庭下駄を履いたなりで家を抜け出し、上野の三橋(さんはし)の側まで来ると、夜明(よあか)しの茶飯屋が出ていたから、お梅はそれへ来て、
 梅「御免なさいまし」
 爺「ヘエおいでなさいまし、此方(こちら)へお掛けなさいまして」
 梅「はい、あの谷中の方へは何う参ったら宜(よろ)しゅうございましょう」
 爺「えゝ谷中は何方(どちら)までお出でなさるんですい」
 梅「あの長安寺と申す寺でございますがね」
 爺「えゝ仰願寺(こうがんじ)[#「仰願寺」に欄外に校注、「小さき一種のろうそく江戸山谷の仰願寺にて用いはじめしより云う」]をくれろと仰しゃるんですか、えへゝ仰願寺なら蝋燭屋(ろうそくや)へお出(いで)なさらないじゃアございませぬよ」
 梅「いえあのお寺でございますがね」
 爺「何(なん)ですいお螻(けら)の虫ですと」
 梅「いゝえ長安寺というお寺へ参るのでございますが」
 すると小暗い所にいた一人の男が口を出して、
 男「えゝ、もし/\お嬢さん、その長安寺というのは私(わっち)が能く知ってますよ」
 と云いながらずっと出た男の姿(なり)を見ると、紋羽(もんぱ)の綿頭巾を被(かむ)り、裾短(すそみじか)な筒袖(つゝそで)を着(ちゃく)し、白木(しろき)の二重廻(ふたえまわ)りの三尺(さんじゃく)を締め、盲縞(めくらじま)の股引腹掛と云う風体(ふうてい)。
 男「まア御免なさい、私(わっち)アこんな形姿(なり)をしてえますが、その長安寺の門番でげす」
 梅「おや/\、それじゃア貴方(あなた)にお聞きをしたら分りましょうが、あの粂之助はやっぱり和尚様のお側に居りますか」
 男「えゝ、粂之助さんは、おいででござえます、あなたは何(なん)ぞ御用でもあるんでげすか」
 梅「はい、あの、粂之助は私(わたくし)どもに長らく勤めて居ったものですが、少し理由(わけ)がありまして先達(せんだって)暇(いとま)を出しましたが、それきり何の沙汰もございませんで、余(あんま)り案じられますから出て参りましたのでございます」
 男「ヘエー左様でございますか、じゃアまア私(わっし)と一緒においでなさい、どうせ彼方(あっち)へ帰るんですからお連れ申しましょう、其の代りお嬢様に少しお願(ねげ)えがあるんでげす、毎度私は和尚様から殺生をしてはならねえぞとやかましく云われるんでげすが、嗜(すき)な道は止(や)められず、毎晩斯(こ)うやって、どんどん[#「どんどん」に欄外に校注、「三橋の側にあった不忍池の水の落口」]へ来ては鰻の穴釣(あなづり)をやってるんでげすが、どうぞお嬢さま私が此処(こゝ)で釣をした事は和尚様に黙ってゝおくんなさい」
 梅「御不都合の事なら決して申しは致しませぬ」
 男「おい老爺(じい)さん」
 爺「へい」
 男「あのね、此のお嬢様は己の方へ来るお方だから、己が御案内をして行(ゆ)くんだ、さ、喰った代(でえ)を此処(こゝ)へ置くぜ」
 爺「あなた、これは一分銀で、お釣はござりませぬが」
 男「なに釣は要らねえ、お前(めえ)にやっちまわア」
 爺「それは何うも有難う存じます、左様なら夜(よ)が更けて居りますから、お気を附けあそばして」
 男「なに大丈夫(でえじょうぶ)だ、己が附いてるから」
 と怪しの男がお梅を連れて、不忍弁天(しのばずべんてん)の池の辺(ほとり)までかゝって参りました。

[1] [2] [3]  下一页 尾页




打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口