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磯馴松(そなれまつ)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-11 9:32:45 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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いひかけて 何のあなた、旦那様だと申し上げましても、いついつまでもああではいらつしやいますまいー。ほんの一時のお物好きであそばすのでございませうから、あんなもの位にお気をおひけあそばさないで、何でも早く若様でもお嬢様でもお設けあそばすやう、一日も早くお達者におなり遊ばせな。オホホホホそれが何よりのお勝でござりまする。
とはいかなる子細ありてやらむ。奥様はいとどこれにむつがらせたまひて、血の気とてはなき唇を噛みしめたまひ、 またばアやはそんな気休めばかしいふよ。人を、人をツいつまでも子供のやうに思つて、
露かあらぬか、奥様のお袖にははらはらと玉散りて、お顔を背けたまふかなたの木影に、しよんぼりと立ちし男の子、田舎にも珍しきまでむさげなるが、これもしくしく泣きゐる様子に、奥様は我を忘れて、いぢらしがりたまひ、 ばアや、何だらうあの子供は、可愛さうに泣いてるぢやアないか。聞いて御覧、連れにでもはぐれたんぢやアないか。
老女も御機嫌損ねたる末のよきつき穂と、 オヤさやうでございますねー。承つてみませう、どう致したのでございますか。
いひながらかの子の傍へ立寄りて、優しく問ひ掛けしに、子供心にも人の深切身にしみじみと嬉しくてや、忍び泣きの急に切迫して、泣きしやくり上げながらのとぎれとぎれ、 ああおらアおツ母アを探しに、須磨まで行つて来たんだ。ちやんがお酒ばかし飲んで、構はないもんだから、おツ母アは去年の暮にどこかへ行つてしまつたんだ。
ヲヤお前のやうな可愛い子を置いてかえ。 ああだからおらアそれから毎日おツ母アを探してたんだ。それでもまるツきり知れないから、おらアいくらちやんに、おつかアを呼んで来てくれろツて、頼んだか知れやアしないんだ。 さうだらうともさうだらうとも するとちやんが怒つたアな、あんなおつかアがそんなに恋しきやア、おつかアの所へうせろツて。おらアおつかアの処へ行かれる位なら、始めツからちやんを頼みやアしないや。それからおらア…… といよいよ泣声になり、 おつかアに逢ひたくツても、ちやんが怖いから何もいやアしないんだ。おつかアの事をいふと直ぐ叱るから。
オヤマア可愛さうに、さうかい。 と老女は復命代はり奥様の方を振向きぬ。奥様は傍らの松の幹にもたれて、余念なく聞き入れたまふを、老女の瞳につれてこなた向きし子は、不意に奥様を認めて、その神々しきまでと蒼白く美しく、 それからどうおしだえ。
と問はれて我にかへりたれど、なほも奥様の方を気にして、我知らず着ものの前など掻き合はせながら、 だけれどちやんが正月から煩ひ出して、仕事にもゆかず、好きなお酒も飲まないで、寐てるんだ。おらアほんとにどうしやうかと思ふと、またおつかアの事を思ひ出したんだ。でもちやんはもう叱らないよ。おつかアの事をいつても……。ねえ伯母さんちやんはもうおつかアの事は怒つてゐないんだらうか。ねえさうだらうね。だからおらアまたそこら中聞いて歩行たんだ。おつかアを連れて来やうと思つてよ。
するとおつかアは須磨の村雨亭といふお茶屋にゐると教へてくれたんだ。近所の桂庵の婆さんがよ。
怨めしさうに声顫はせて、 そりやア先から知つてたんだけれど、おつかアがいつちやアいけないといつたから、それで言はなかつたんだと。でもちやんが煩つてるものだからツて、内証で教へてくれたんだ。それも今朝の事よ。だからおらア直ぐその足で須磨まで行つて来たんだ。
エ須磨まで行つたのかえ、よくまア独りで行かれたね、可愛さうに。 と老女目をしばたたきて更に奥様の方に向ひ小腰を 何でございますとね、これが独りで須磨まで参つたのでござりますと。
奥様も聞きゐたまふことを改めて伝達するも、あまりの事に感心してなるべし。奥様もしばしばうなづきたまひ、始めて優しきお声にて、 さう、そして分つたかえ。
老女に聞くともなく、かの子に聞かずとしもなく問ひたまへば、 ああ分つたよ、分つた事は分つたんだけれど……
大粒の涙をポトリポトリと落としながら、 おツかアは
この一句に老女は端なくも奥様と顔見合はせて胸轟かせつつ、 フム不思議な事もあるものだね、ではお前のおツかアの名は何といふの。
おおあツかアはお千代て云ふんだ、おらア松坊サ。 家はどこだえ。 明石なんだ。 オヤと老女振向きて、そと奥様のお顔色を窺ひしに、奥様は色も変はらせたまはねど、老の僻目か、御目の底少しきらめきし様にも覚えて、よしなき事を聞き出せし何となく心安からぬに、子供は何の心もつかず。またも無邪気に老女を顔を見上げながら、 なぜおツかアは大坂へなぞ行つたんだらう。大坂はよツぽど遠ーい処ぢやアねえか、なア伯母さん。だからおらア何しに行つたんだと聞くと、茶屋の奴め大変に笑やアがつて、知れた事だツて、教へてくれねえんだ。だつて伯母さん、誰だつても聞かなきやア分らないぢやないか。でもおらアあンまりいまいましいから、それツきり飛び出したんだ。で早く帰らうと思つてここまでせつせつと歩行て来たんだけれど、あんまり足が痛くなつたから、少し休んでる内に日が暮れかかつて来て、ああ淋しいなと思ふと、またおツかアに逢ひたくなつたのだ。だから今泣いてたんだよ。どうしやうねえ伯母さん、おツかアはもう帰らないんだらうか。おツかアが帰らなきやア、おらア一人で煩つてるちやんを、どうする事も出来ねえから。おらアはやく大きくなりてえや。
かかる折には他人ながらも、その人たのもしく思はれてや、彼はまた老女の顔を覗き込みて、 ネ伯母さん、家へ帰つても、ちやんは怒りやアしめえか、何ともいはないで来たんだから。エ、エ、……
しばしば問へど、老女はとかく奥様の、お顔色のみ窺ひて、とみには慰めかねたるを、もどかしとや奥様の自ら進み出でたまひて、勿躰なや美しき手にも汚き子供の頭撫でたまひ、 お案じでない、今私がいいやうにしてあげるから。
老女に何か囁きたまへば、老女は心得て若き婢を招き、仰せを伝へたりと覚しく、彼は小走りしていづかたへか行きたるが、やがて ほんとにお前は仕合せものだよ。お慈悲深い奥様に、たんとお礼を申し上げないでは済まないよ。奥様がこの夥しいお金を、お前にお恵み下さるんだから。落とさないやうに持つてお帰り。さうすればちやんも怒らなからうし、また一月や二月は、お父ちやんもお前も、これで楽々と御飯が戴けるんだから。きつと落とさないやうに気を注けるんだよ。奥様も今ではここにいらつしやるけれど、やはりお家は大坂なんだから……
といひかかるを、奥様目顔で制したまへば、老女は本意なげに口を 時節が来たらお前のおツかアも、おつつけお暇が出やうから、その時はまた明石へ帰らないものともいへないわね。どうせ茶屋小屋に居た女が、いつまでも御大家に居て、奥様を
子供ながらも、あまりに人の情の訝しく、奥様と老女の顔をのみながめゐるを、これも奥様のお心添にて、途中心もとなしとや、宿やの車にて送らせたまひぬ。 おらアおつかアは居ないんだけれど、よその美しい奥様に、たアんとお金を貰つたから、それでかうして稼げるやうになつたんだ。ちやんも塩梅が直つたら、お酒も飲まないで稼ぐといつてるから、おらの
威勢よく答ふるに評判売れて、今もそのあたりに肴屋の松坊松坊とてもてはやさるるはこの児なりとか。されどかの病みて美しき奥様と、健かにて 底本:「紫琴全集 全一巻」草土文化 1983(昭和58)年5月10日第1刷発行 初出:「女学雑誌」 1897(明治30)年2月25日、3月10日 ※底本では、文末の日付に添えて『女学雑誌』を示す記号として「*」を用いていますが、『女学雑誌』に直しました。 入力:門田裕志、小林繁雄 校正:松永正敏 2004年9月20日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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