五
それっきり直人は、四日たっても、五日たっても起きなかった。 眠っているかと思うと、いつのぞいてみても、パチパチと大きく目をあいていて、ろくろくめしも摂らなかった。次第に小次郎たちふたりは、じりじりと焦り出したのである。 「どうするんですか。――隊長」 「…………」 「東京へ逃げるなら逃げる、西へ落ちるなら落ちるように早くお決め下さらんとわれわれふたり、度胸も据わらんですよ」 「勝手に据えたらよかろう」 「よかろうと仰有ったって、隊長がなんとかお覚悟を決めぬうちは、われわれ両人、どうにもならんこっちゃごわせんか。生死もともども、とろろもともども分けてすすろうと誓って来たんですからね。寝てばっかりいらっしゃるのは足の傷がおわるくなったんじゃごわせんか」 「どうだか知らん。ここも動かん……」 「動かんと仰有ったって、三年も五年もここに寝ていられるわけのもんじゃごわせんからね。逃げ出せるものならそのように、駄目ならまたそのように、はきはきとした覚悟を決めたいんですよ。一体どうなさるおつもりなんです」 「お生憎さまだが、つもりは今のところ、どんなつもりもない。おまえら、つもりたいようにつもったらよかろう」 なにもかも投げ出し切ったといったような言い方だった。――げっそりと落ち窪んだ目を、まじまじと見ひらいて、にこりともしないのである。
ふたりは、腐った。 苦い顔をし乍ら、目から目へなにか囁き合っていたが、小次郎が決然として身を起すと、金丸をせき立てて言った。 「つかまったらつかまったときじゃ。探って来よう!」 「市中の容子か!」 「そうよ。こんなところにすくんでいたとて、日は照らん。逃げられるものなら一刻も早く逃げ出した方が賢いんじゃ、手分けして探ろう。おれは大村の宿の容子と、市中の模様を嗅いで来る。おぬしは、西口、東口、南口、街道筋の固めの工合を探って来い」 「よし来た。出かけよう! ――いいですか。隊長。おまえらつもりたいようにつもれと仰有いましたから、容子を探ったうえで然るべく計らって参ります。あとでかれこれ駄々をこねちゃいけませんぞ」 言いすてて、ふたりは、不敵にもまだ日が高いというのに危険を犯し乍ら市中へ出ていった。 しかし、直人は、うんともすうとも言わなかった。まるで馬鹿になる修業をしてでもいるように、じっと一点を見つめたまま、寝返りも打たなかった。 知らぬまに、高かったその陽がおちたとみえて、うっすらと夕ぐれが這い寄った。――同時のように、ひたひたと足音が近づいた。 小次郎がかえって来たのである。 のぞきこむようにして、その小次郎が手柄顔に言った。 「大丈夫だ、先生。大村は死にますぞ」 「これから死ぬというのか、もう死にかけているというのか」 「急所ははずれたが、思いのほかに傷が深いから、十中八九死ぬだろうというんです。うれしいじゃごわせんか」 「ふん……」 「ふんはないでがしょう。先生は、大村が死にかけておったら、気に入らんですか」 「入らんのう、かりそめにも暗殺の名人と名をとった神代直人じゃ。看板どおり仕止めたというなら自慢になるが、これから死ぬかも知れん位の話で、よろこぶところはなかろう」 「それならば、あのとき黙ってお斬りなすったらようがしたろう。大村が死なんでも、誰が斬ったか分らなんだら、先生の耻にはなりませんからな」 「なんの話じゃ」 「益次郎を斬るとき、神代直人じゃ、と隊長が名乗ったことを申しておるんです。わざわざ名乗ったばっかりに、斬り手の名は分る、配符は廻る、われわれ一党の素性も知られる、市中では、もう三尺の童子までわれわれを毛虫のように言いそやしておりますよ」 「阿呆! 名乗って斬ったがなんの不足じゃ、頼まれて斬ったればこそ、出所進退をあきらかにして斬ったじゃないか。直人が心底憎くて斬るときはかれこれ言わん。黙って斬るわい」 争っているその声をおどろかして、シャン、シャンと、いぶかしい馬の鈴の音が、かすかに境内の向うから伝わった。怪しむように、ふりかえったふたりの目の前へ、金丸が勢いこんで飛びこんで来たのである。 「道があけた! 先生すぐお出立のお支度なさいまし! ――小次も早く支度しろ」 「逃げられそうか!」 「大丈夫落ちられる! 東海道だ。どういう間違か、ひょんな噂が伝わってのう。先生らしい風態の男が、同志二人とゆうべ亀山口から、東海道へ落ちたというんじゃ。それっというので、海道口の固めが解けたのよ。このすきじゃ。追っ手のあとをあとをと行くことになるから、大丈夫東京へ這入られる。――かれこれと駄々はこねんというお約束です。道中、お歩きもなるまいと思うて、こっそりと駅馬を雇うて参りました。すぐお乗り下さいまし!」 否やを言うひまもなかった。――せき立てるように駈けあがって、くるくると身のまわりのものを取りまとめると、金丸は、ひとりで心得乍ら、直人の身体をだきあげた。 しかし、同時に、小次郎もその金丸も、思わずあっと、おどろきの声をあげた。 五日の間に、すっかり踵の弾傷は悪化していたのだ。 しかもいち面に膿を持って、みるから痛そうに赤く腫れあがっていたのである。 「だから、手当々々とやかましく言うたんです。こんなになるまでほっとくとは呆れましたな。――お痛いですか」 「その腫れではたまらんでしょう。我慢出来ますか」 「駄々をこねるなという言いつけじゃ。駄々はこねん。気に入るように始末せい‥…」 まるで意志のない人のようだった。 さだめし、たえられぬほども痛いだろうと思われたのに、直人は、じっと金丸たちの腕にだかれたまま、身動きもしなかった。
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