旗本退屈男(はたもとたいくつおとこ)11 第十一話 千代田城へ乗り込んだ退屈男
一一 不審(ふしん)なのは女の素姓です。 京弥と菊路の目と顔が探るように左右からつめよりました。「あれなる女はいったい何ものでござります」「ききたいか」「ききたければこそお尋ねするのでござります。どこの女狐(めぎつね)でござります」「女狐なぞと申すと口が腫(は)れるぞ。あれこそはまさしく――」「何者でござります」「腰本治右の娘、将軍家御愛妾お紋の方よ」「えッ! ……。ほ、ほ、ほんとうでござりまするか!」「懸値(かけね)はない。びっくりいたしたか。なかなかの美人じゃ。別して膝の肉づきは格別じゃったのう」 格別どころの段ではない。将軍家御愛妾の膝に枕したとあっては、いかに主水之介、江戸に名代の傷の御前であろうとも、事が只ですむ筈はないのです。 京弥のおもても菊路の顔も血のいろを失いました。「飛んだことになりましたな。もしもこの一条が上様お耳に這入りましたら何となされます!」「何としようもない、先ず切腹よ」「それ知ってかようなおたわむれ遊ばしましたか!」「当り前よ。右膝は将軍家、左り膝は主水之介、恋には上下がのうてのう。美人の膝国を傾けるという位じゃ。切腹ですむなら先ず安いものよ。寄るぞ。寄るぞ。心配いたすと折角の顔に皺(しわ)がよる。そちたちも膝枕の工合、とくと見物した筈じゃ。やりたくば屋敷へかえって稽古せい」「なにを笑談仰せでござります! いつものお対手とは対手が違いまするぞ! かりにも将軍家、もしもの事がありましたならば――」「………」「御前!」「………」「お兄様!」「………」「殿!」 いち途(ず)の不安に京弥たちふたりはおろおろして左右からつめよったが、しかし主水之介はもう高枕です。屋敷へかえりつくと、ゆうべの膝枕を楽しみでもするかのようにそのまま横になって、かろやかな鼾(いびき)すらも立て初めました。「飛んだことになりましたな……。さき程番町の屋敷へ訪れたときの容子、案内(あない)していきましたときの容子、お紋の方様が治右衛門めの娘とあっては、まさしく腰本が仕組んだ企らみに相違ござりませぬ。主人は只今火急の用向にて登城中と申したが気がかり、今になにか御城中から恐ろしいお使者が参るに相違ござりませぬぞ」「な! ……。それにしてはお兄様の憎らしいこのお姿。こんなに御案じ申しあげておりますのに、すやすやとお休み遊ばして何のことでござりましょう。もし、お兄様!」「………」「お兄様!」 起きる気色もない。ことさらに落ちついているあたり、今に訪れるに違いない禍いのその使者を待ちうけているかのようにも見えるのです。 だが、不思議でした。 もう来るかもう来るかと、菊路たちふたりはおびえつづけていたのに、城中はおろか、どこからも使者らしい使者は来る気勢(けはい)もないのでした。 水の里本所は水に陽が沈んで、やがて訪れたのは夕ぐれです。高枕したまま起きようともしない主水之介の居間にもその夕やみが忍びよったとき、突然、玄関先で憚(はば)るように訪(おと)のうた声がある。 ハッとなって京弥が出ていったと思うまもなく、青ざめて帰って来ると主水之介をゆり起しました。「御前! 御前! ……。参りましたぞ!」「来たか」「来たかではござりませぬ。大目付様、おしのびで参りましたぞ」「大目付にも多勢(おおぜい)ある。誰じゃ」「溝口豊後守様(みぞぐちぶんごのかみさま)でござります」「ほほう、豊後とのう。智恵者が参ったな」 主水之介はようやくに起き上がりました。――大目付は芙蓉(ふよう)の間詰、禄は三千石、相役四人ともに旗本ばかりで、時には老中の耳目となり、時にはまた、将軍家の耳目となり、大名旗本の行状素行(ぎょうじょうそこう)にわたる事から、公儀お政治向き百般の事に目を光らす目付見張りの監察(かんさつ)の役目でした。その四人の中でも溝口豊後守と言えば、世にきこえた智恵者なのです。「ここへ通せ」 さすがにひと膝退って主水之介は下座。上座に直した褥(しとね)のうえに導かれて来たのは、目の底に静かな光りの見える微行(しのび)姿の豊後守でした。「ようこそ……」 目礼とともに見迎えた主水之介のその目の前へ、黙って豊後守はいきなり脇差しをつきつけると、声が静かです。「これをお貸し申そう。早乙女主水之介の最期を飾らっしゃい」「アハハ……。なるほど、ゆうべの膝枕の借財をお取り立てに参られましたか。なかなかよい膝で御座った。まさにひと膝五千石、切腹せいとの謎で御座るかな」「その口が憎い。ひと膝五千石とは何ごとでござる。江戸八百万石、お上が御寵愛のお膝じゃ。言うも恐れ多い不義密通、上のお耳にもお這入りで御座るぞ。表沙汰とならばお身は申すに及はず、お紋の方のお名にもかかわろうと思うて、溝口豊後、かく密々に自刄(じじん)すすめに参ったのじゃ。わるうは計らぬわ。いさぎよう切腹さっしゃい」「アハハハ。なるほど、五千石はちと安う御座ったか。いかさま八百万石の御膝じゃ。そうすればゆうべの片膝は四百万石で御座ったのう。道理でふくよかなぬくみの工合、世にえがたき珍品で御座りましたわい」 恐るる色もないのです。ピカリと眉間傷光らして、静かに言葉を返しました。「主水之介、もし切腹せぬと申さば?」「知れたことじゃ。今宵にもお上よりお差し紙が参るは必定(ひつじょう)、お手討、禄は没収、家名は断絶で御座るぞ」「智恵者に似合わぬことを申しますのう。もしもお紋の方、父治右衛門と腹を併(あわ)せて、知りつつ企らんだ不義ならば何と召さる。かような膳立てになろうとは承知のうえでこの主水之介、わざとお借り申した膝枕じゃ。どうあっても切腹せぬと申さば何と召さる!」「さようかせぬか……」 突然です。静かに見えた豊後守の目の底に冷たい光りがさッと走ったかと見えるや、何か第二段の用意が出来ているとみえて、そのまますうと玄関口へ消えました。 刹那。異様な気勢(けはい)です。静まり返っていたその玄関のそとで、不意にざわざわと只ならぬざわめきがあがりました。 一二 ざわ、ざわ、ざわと、異様な音は、玄関口から座敷の中へ、次第に高まって近づきました。 只の音ではない。 まさしくそれは殺気を帯びた人の足音なのです。 人数もまた少ない数ではない。 たしかに八九名近い足音なのです。 しかし主水之介は自若としたままでした。ぴかり、ぴかりと眉間傷を光らして、静かなること林のごとくに打ち笑みながら待ちうけているところへ、案の定、七人、八人、九人、十人近い人の顔が現れました。 羽織、袴、申し合せたような黒いろずくめの長刀を握りしめて、鯉口(こいぐち)こそ切ってはいなかったが、その目には、その顔のうちには、歴然たる殺気がほの見えました。 しかも悉(ことごと)く年が若い。 察するところ、大目付溝口豊後守が飼い馴らしている腕ききの家臣ばかりらしいのです。 その十人が右に五人、左に五人、声のない人のように気味わるく押し黙りながら片膝立て、ずらりと主水之介の両わきへ並んだところへ、当の溝口豊後守がけわしく目を光らしながら進みよって立ちはだかると、突然、冷たくきめつけるように促しました。「立ちませい!」「立てとは?」「何と言い張ろうとも、不倫の罪はもはや逃がれがたい。今より登城して将軍家御じきじきのお裁きを仰ぐのじゃ。豊後、大目付の職権以って申し付くる。早々に立ちませい!」「ほほ、なるほど、急に空模様が変りましたのう」 冷たい笑いが、さッと主水之介のおもてをよぎり通りました。 今のさき、脇差をつきつけて、割腹自裁を迫ったばかりなのです。死なぬと言ったら、俄かに将軍家お直裁(じきさい)に戦法を替えて来たのです。対手は智恵豊後と評判の智恵者なのだ。登城お直裁を仰ぐとは元より口実、裏には恐るべき智恵箱の用意があるに違いない。第一、自決を迫ったことからしてが、正邪黒白をうやむやにして、闇から闇へ葬り去ろうとした策だったに相違ないのです。今もなおやはり豊後の胸の奥底深くには、恐るべきその魂胆が動いているに相違ないのです。 さればこそ、十名もの放し鳥をずらりと身辺へ配置して、隙あらばと狙っているに違いないのでした。「名うての智恵者も老いましたのう。京弥!」 それならばそのようにこちらにも策があるのです。主水之介は打ち笑みながらふりかえると、襖のあわいから血走った目をのぞかせて、いざとなったら躍り出そうと身構えていた京弥へ静かに命じました。「月代(さかやき)じゃ。用意せい」「ではあの、御登城なさるのでござりまするか!」「そうじゃ。早乙女主水之介、死にとうないからのう、上様、おじきじきのお裁きとは願うてもないことじゃ。早う盥(たらい)の用意せい」「でも、対手は御愛妾の縁につながる治右衛門、泣く児と地頭には勝たれぬとの喩(たと)えもござります。いかほど御潔白でござりましょうとも、白を黒と言いくるめられて、お身のあかし立ちませぬ節は何と遊ばすお覚悟でござります」「潔白なるもの、潔白に通らぬ世の中ならば、こちらであの世へ逃げ出すだけのことよ。上様お待ちかねじゃ。早うせい」 悠然と坐り直して、その首を京弥の前へさしのべました。 しかし寸毫(すんごう)の油断もない。襲って来たら開いて一閃(せん)、抜く手も見せじと大刀膝わきに引きよせておいて、じろりと十人の目の動きを窺いました。 京弥もまた月代を剃(あた)りながら油断がないのです。「おのびでござりまするな」「そちと比べてどうじゃ」「手前の何とでござります」「鼻毛とよ」「御笑談ばっかり、おいたを仰せ遊ばしますると傷がつきまするぞ」 ジャイ、ジャイと剃(あた)りながらも、京弥の目はたえず十人の身辺へそそがれました。 ひと剃(そ)り、ふた剃りと、青月代に変るにつれて、江戸に名代の眉間傷も次第にくっきりと浮き上がりました。 したたるその傷! やがて月代は青ざおと冴(さ)え返って、三日ノ月型にくっきり浮き上がった傷がふるいつきたいようです。「いちだんとお見事でござりまするな。京弥、惚れ惚れといたしました」「では、惚れるか」「またそんな御笑談ばっかり。お門違いでござります」「ぬかしたな。こいつめ、つねるぞ。菊! 菊! 菊路はおらぬか。京弥め、憎い奴じゃ、兄に惚れいと言うたら御門違いじゃと申したぞ。罰じゃ。手伝うて早う着物を着せい」 眼中、人なきごとき振舞いなのです。 腹立たしげに豊後守が睨みつけていたが、どうしようもない。無役ながら千二百石、かりそめにも直参旗本の列につながる者が、登城、上様御前へ罷り出ようというに当って、月代を浄めるのは当り前のこと、せき立てたくとも文句の言いようがないとみえて、立ったり坐ったり、じれじれとしながら待ちうけているのを、主水之介がまた悠然と構えているのです。「馬子にも衣裳という奴じゃ。あの妓(こ)、この妓があれば見せたいのう。駕籠じゃ。支度せい」「お供は、京弥が――」「いいや。いらぬ。その代りちと変った供をつれて参ろう。土蔵へ行けばある筈じゃ。馬の胸前(むなまえ)持って参って、駕籠につけい」「胸前?」「馬の前飾りじゃ。菊、存じておろう。鎧櫃(よろいびつ)と一緒に置いてある筈じゃ。大切(だいじ)な品ゆえ粗相あってはならぬぞ」 意外な命を与えました。 胸前(むなまえ)とは戦場往来、軍馬の胸に飾る前飾りです。品も不思議なら、不思議なその品を、いぶかしいことには馬ならぬ駕籠につけいと言うのでした。しかもそれを供にするというのです。 怪しみながら躊(ため)らっているのを、「持って参らば分る筈じゃ。早うせい」 促して、ふたりに土蔵から運ばせました。 見事な桐の箱です。 表には墨の香も匂やかな筆の跡がある。「拝領。胸前。早乙女家」 重々しいそういう文字でした。 只の品ではない。八万騎旗本が本来の面目使命は、一朝有事の際に、上将軍家のお旗本を守り固めるのがその本務です。井伊、本多、酒井、榊原の四天王は別格として、神君以来その八万騎中に、お影組というのが百騎ある。お影組とは即ち、将軍家お身代りとなるべき影武者なのです。兵家戦場の往来は、降るときもある、照る時もある、定めがたい空のように、勝ってみるまでは敗けて逃げる場合も覚悟しておかなければならないのです。お影組は即ちその時の用にあらかじめ備えた影武者なのでした。鎧、兜、陣羽織、着付の揃いは元よりのこと、馬もお揃い、馬具もお揃い、葵の御定紋もまた同じくお揃い、敗軍お旗本総崩れの場合があったら、いずれがいずれと定めがたい同じいで立ちのその百騎の中へ将軍家がまぎれ入って、取敢えず安全なところへ落ち伸びるための、お身代り役なのです。 眉間(みけん)の傷に名代を誇る主水之介の家門家格は、実に又江戸徳川名代を誇るそのお影組百騎の中の一騎なのでした。 さればこそ、蓋を払うと同時に現れた胸前は、紫縒糸(よりいと)、総絹飾り房の目ざましき一領でした。 紋がある。八百万石御威勢、葵(あおい)の御定紋が、きらめきながらその房の中から浮き上がって見えるのです。 はッと、斬り伏せられたように豊後守以下の顔が、青たたみへひれ伏しました。 天下、この御定紋にかかっては、草木の風に靡(なび)く比ではない。薄紙のようになって豊後守たちが平伏している間を、うやうやしく京弥に捧げ持たせながら主水之介は、心地よげに打ち笑み打ち笑み庭先の乗物へ近づくと、自ら手を添えてその駕籠前にふうわりと飾りつけました。 不審は解けたのです。 対手は機略縦横、評判の切れ者なのでした。途中が危ない。機を見て闇から闇へ葬ろうとの企らみがあるとすれば、必ずともに道中いずれかに油断の出来ぬ伏兵の用意もしてあるに相違ないのです。 槍という手もある。 弓という手もある。 それからまた種ガ島。 こればかりは防ぎようがない。わざわざ駕籠先に馬の胸前を飾りつけさせたのは、実にその飛び道具の襲撃を避けるためでした。まことや金城鉄壁、天下も慴(ひれ)伏す葵の御定紋が、その切れ端たりとも駕籠の先にかかったならば、もう只の駕籠ではないのです。上将軍家のお召し駕籠も同然なのです。 これを狙って、プスリと一発見舞ったとしたら、溝口豊後、切腹どころの騒ぎではない。一門(もん)震撼(しんかん)、九族は根絶やし。――果然、道中何かの計画があったとみえて、見る見るうちに豊後守の顔が青ざめました。「アハハハ……。御定紋なるかな。御紋なるかなじゃ。馬鹿の顔が見たいのう。豊後どの、御供御苦労に存ずる。では、参ろうぞ。駕籠行けい」 いいこころもちでした。 無言の御威光古今に聞える紫房の御定紋が、供先お陸尺の手にせる灯りの流れの中をふさふさとゆれて、駕籠は静かに歩み初めました。
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