旗本退屈男(はたもとたいくつおとこ)04 第四話 京へ上った退屈男
七「どいたッ、どいたッ、早駕籠だッ」「ほらよッ、邪魔だッ、早駕籠だッ」 道々に景気のいい掛け声をバラ撒きながら、程たたぬ間に人足達は、早打ち仕立ての一挺を軽々と飛ばして来ると、得意そうに促しました。「どうでござんす」「ほほう、替肩を六人も連れて参ったな。いや、結構々々。これならば充分じゃ。では、その方共にも見物させてつかわそうぞ。威勢よく今の門前へ乗りつけて、江戸公儀からの急飛脚じゃ。開門開門とわめき立てい」「………?」「大事ない。天下の御直参が申し付くるのじゃ。心配せずと、いずれも一世一代の声をあげて呼び立てい」「面白れえ。やッつけろ」 乗るのを待って、さッと肩にすると、掛け声もろとも威勢よく、さき程のあの所司代番所門前に風を切って駈けつけながら、ここぞ一世一代とばかり、口々わめき立てました。「早打ちだッ、早駕籠だッ」「江戸お公儀からの早駕籠でごぜえます」「開門! 開門! 御開門を願いまあす!」「江戸表からの御用駕籠だッ、お早く! お早く! お早く! 開門を願います!」「なにッ――」 声をきいて、慌てふためきつつ物見窓から顔をのぞかせたのは、先刻のあの二人です。「しかと左様かッ。たしかに江戸お公儀からの急飛脚でござるか」「たしかも、しかもござんせぬ! この通り夜道をかけて飛んで来たんでござんす! お早く! お早く! 早いところ開門しておくんなせえまし!」「いかさま替肩付きで急ぎのようじゃな! 者共ッ、者共ッ、開門さッしゃい! 早く開門してあげさッしゃい」 打ちうろたえながらギギギイと観音開きにあけたのを、編笠片手にぬッと駕籠の中から、ぬッと悠々と姿を見せたのはわが退屈男です。「よよッ。うぬかッ、うぬかッ、うぬが計ったかッ、うぬが計ったかッ」 歯ぎしり噛んで怒号したがもう遅い。「お出迎い御苦労々々々。夜中大儀であった。遠慮のう通って参るぞ」 至っておちつき払いながら退屈男は、ずいと門内に通りました。だが、通してしまったら、二人の者達にとっては一大事に違いないのです。プツリともう鯉口切って、固めの小者達にも命じながらバラバラッとその行く手に立ちふさがると、血相変えてわめき立てました。「ならぬ! ならぬ! とッて返せい! 引ッ返せいッ」「恐れ多くも御公儀の名を騙るとは何ごとじゃッ。かくならばもう大罪人、禁札破りの大科人(おおとがにん)じゃッ。帰りませいッ、帰りませいッ。たって通行致さるるならば、お直参たりとも手は見せ申さぬぞッ」「控えい!」 ずばりとそれを一喝(かつ)すると、胆(たん)まことに斗(と)のごとし! 声また爽やかにわが退屈男ならでは言えぬ一語です。「大科人とは何を申すか! 公儀のおん名騙ったのではない。公儀お直参の旗本は、即ち御公儀も同然じゃ。――その方公旗本は禄少きと雖も心格式自(おのずか)ら卑しゅうすべからず、即ち汝等直参は徳川旗本の柱石なれば、子々孫々に至るまで、将軍家お手足と心得べしとは、東照権現様(とうしょうごんげんさま)御遺訓にもある通りじゃ。端役人共ッ、頭(ず)が高かろうぞ。もそッと神妙に出迎えせいッ」「言うなッ。言うなッ、雑言(ぞうげん)申さるるなッ。いか程小理屈ぬかそうと、夜中胡散(うさん)な者の通行は厳禁じゃッ、戻りませいッ、戻りませいッ。この上四ノ五ノ申さるるならば、腕にかけても搦(から)めとってお見せ申すぞッ」「控えろッ。胡散な者とは何事じゃ。さき程その方共は何と申した。公儀お使者ならば通行さしつかえないと申した筈でないか。即ち、われらは立派なお使者じゃ。行列つくって出迎えせい」「まだ四ノ五ノ申しおるなッ。まことお使者ならば、公儀お差下しのお手判がある筈、見せませいッ、見せませいッ。証拠のそのお手判、とくとこれへ見せませいッ」「おう、見せてつかわそうぞ。もそッと灯りを向けい。ほら、どうじゃ。これこそはまさしく立派なお手判、よく拝見せい」 にんめり笑って、ずいと突き出したのは眉間のあの向う傷です。「どうじゃ。何より見事な証拠であろう。この向う傷さえあらば、江戸一円いずこへ参ろうとて、いちいち直参旗本早乙女主水之介とわが名を名乗るに及ばぬ程も、世上名代の立派な手判じゃ。即ちわれら直参旗本なること確かならば、将軍家お手足たることも亦権現様御遺訓通りじゃ。お手足ならば、即ちわれらかく用向あって罷(まか)り越した以上、公儀お使者と言うも憚(はばか)りない筈、ましてやそれなる用向き私用でないぞ。どうじゃ、覚えがあろう! 身に覚えがあろう! その方共端役人の不行跡、すておかば公儀のお名にもかかわろうと、われら、わざわざ打ち懲らしに参ったのじゃわッ」「なにッ」「おどろかいでもいい。その方共が口止めに、卑怯な不意討ちかけた露払いの弥太一は、まだ存命致しておるぞ。と申さば早乙女主水之介が、手数をかけて禁札[#「禁札」は底本では「禁礼」と誤植]破り致したのも合点が参ろう。ほしいものは珠数屋の大尽の身柄じゃ。さ! 遠慮のう案内せい!」「そうか! 弥太一が口を割ったとあらばもうこれまでじゃッ。構わぬ、斬ってすてろッ、斬ってすてろッ」 下知(げち)するや否や、固めの小者もろども、一斉に得物を取りながら、ひしめき立って殺到して来たのを、「御苦労々々々。刄襖揃えて出迎えか、では、参ろうぞ。どこじゃ。案内せい」 にんめり笑って、ずいずいと三歩五歩――。やらじと、引き下がって再び殺到しようとしたのを、「いや風流じゃ、風流じゃ。白刄固(しらはがた)めの御案内とは、近頃なかなか風流じゃ。道が暗い! もそッと側へ参って手引せい」 莞爾(かんじ)としながら深編笠片手にしたままで、剣風(けんぷう)相競(あいきそ)う間をずいずいと押し進みました。まことに胆力凄絶、威嚇ぶりのその鮮かさ!――まるで対手は手も出ないのです。剣気を合わすることすらも出来ないのです。じりじりと下がっては構え直し、下がってはまた構え直して、徒らに只(ただ)犇(ひし)めいている間を、わが退屈男はいとも自若として押し進みながら、珠数屋の大尽の囚われ先はいずくぞと、ひたすらに探し求めました。と――その闇の奥庭の遙か向うで、ぽうと怪しく燃え上がったのは、異様な篝火(かがりび)の灯りです。同時にその灯りの中から、ありありと浮び上がって見えたのは、正しく磔柱(はりつけばしら)を背に負った珠数屋の大尽のお仕置姿でした。しかも、最期は今近づいているのです。手槍を擬した小者達両名がその左右に廻って、今し一ノ槍を突き刺そうとしているのです。否、そればかりではない! そればかりではない! 仕置人足達の采配振っているのは、あの四人のうちの片割れ二人なのだ。互に手分けして二人は必死に門を固め、残った二人は珠数屋の大尽の磔処分に当ろうとの手筈だったらしく、声高に叱咤(しった)しているおぞましい姿が、ありありと灯影の中にうごめいて見えるのです。――知るや、退屈男は一散走り! 刄襖(はぶすま)林の間をかいくぐりながら、脱兎(だっと)のごとくに走りつけると、「天誅(てんちゅう)うけいッ」 声もろともにダッと左右へ、槍先擬していた二人の小者を揚心流息の根止めの拳当てで素早くのけぞらしておきながら、騒然と色めき立った周囲の黒い影をはったと睨(ね)めつけて、痛烈に言い叫びました。「どこまで不埒(ふらち)働こうという所存じゃッ。無辜(むこ)の良民の命縮めて、上役人の掟が立つと思うかッ。神妙にせい! いずれも一寸たりとそこ動かば、早乙女主水之介が破邪の一刀忽ち首(こうべ)に下ろうぞッ」 叫びつつ、磔柱をうしろ背にすッくと仁王立ちに突ッ立った凄艶(せいえん)きわまりないその姿に、采配振っていた片われ二人が、ぎょッと身じろぎしながら鯉口切ったところへ、気色ばみつつ走りつけて来たのは、通行を拒(こば)んだあの二人、右と左から口を寄せて何か口早に囁いたかと見えるや、同時でした。「そうか! 何もかも弥太一からきいてのことかッ」「露顕したとあらばもうこれまでじゃッ。うぬがうろうろと門前を徘徊(はいかい)致しているとの注進があったゆえ、邪魔の這入らぬうちに手ッ取り早く珠数屋を片付けようと、折角これまで運んだものを、要らざる御節介する奴じゃッ。木ッ葉旗本、行くぞッ、行くぞッ」 ののしり叫びざまにギラリギラリと抜いて放って、四人もろとも、正面左右から迫って来たのを、退屈男は莞爾(かんじ)たり!「参るか。望まぬ殺生なれど向後(こうご)の見せしめじゃ。ゆるゆるとこの向う傷に物を言わせてつかわそうぞ」 静かに呟きながら、愛用の一刀を音もなく抜き払いました。刹那! 何ともどうももう仕方がない。ひとたびわが退屈男の腰なる秋水が鞘走ったとならば、何ともどうももう仕方がないのです。「みい!」 静かな声と共に、その秋水が音もなく最初のひとりを見舞いました。しかし、斬ったのはその右腕です。スパリと一二尺血しぶきもろとも、飛んで落ちたのを見眺めながら、何ともどうも不気味な微笑でした。にんめり微笑しつつ、静かに言いました。「ともかくも役儀を持ったその方達じゃ。片腕ずつ殺(そ)いでおくのも却って面白かろうぞ。ほら、今度はそッちの獅子鼻じゃ。――すういと痛くないように斬ってつかわすぞ」 言ったかと思うと、本当にすういと斬りとるのだから、どうも仕方がないのです。と見て、残った二人が必死に逃げのびようとしたのを、裂帛(れっぱく)の一声!「またぬかッ。その方共を逃がしては、それこそまさしく片手落ちじゃ。ほうら! 両名一緒に一本ずつ土産に貰うぞッ」 さッとひと飛びに追い迫って、左右に一刀斬り!「四本落ちたかッ。ようしッ。もう小者達には用がない。早う消えおろうぞッ」 慌てふためいて雑兵ばらが、呻き苦しんでいる四人の者を置去りにしながら逃げ去っていったのを、退屈男は小気味よげに見眺めつつ、静かに磔柱の傍に歩みよると、色蒼ざめて生きた心地もないもののように、脅えふるえながらくくられていた珠数屋の大尽のいましめを、プツリと切り放ちました。「あ、ありがとうござります! ようお助け下さりました。い、いのちの御恩人でござります! 金も、金も、何程たりとも差しあげまするでござります!」 ぺたりと這いつくばって言ったのを、「またしても金々と申すか! 小判の力一つで世間を渡ろうとしたればこそ、このような目にも会うたのじゃ。その了見、そちも向後(こうご)入れ替えたらよかろうぞ。表に駕籠が待っている筈じゃ。早う行けッ」 一喝しながら去らしておいて、退屈男は静かに懐紙(かいし)を取り出すと、うごめき苦しみながら、のた打ち廻っている四人の者の肩口からぶつぶつと噴きあげている血のりをおのが指先に、代る代るぬりつけて、燃えおちかかった篝火(かがりび)をたよりに、ためつすかしつ次のごとくに書きつけました。「当職所司代は名判官と承わる。これなる四人の公盗共が掠(かす)めし珠数屋の財宝財物を御糺問(ごきゅうもん)の上、すみやかにお下げ渡し然るべし。江戸旗本早乙女主水之介、天譴(てんけん)を加えて明鑒(めいかん)を待つ」 ぺたりとその血書の一札を磔柱に貼っておくと、「いかい御雑作に預かった。これなる四本の片腕は弥太一への何よりな土産、遠慮のう貰うて行くぞ」 血のまま四本を袖ごとくるんで、小気味よくも爽かに歩み去ると、表に待ちうけながらざわめいていた裸人足のひとりを招いて、いとも退屈男らしく命じました。「ちと気味のわるい土産じゃが、早々にこれを島原の八ツ橋太夫に送り届けい。弥太一へ無念の晴れる迄とくと見せてつかわせと申してな。それから、今一つ忘れずに伝えろよ。縁(えにし)があらばゆるゆるとか申しおったが、東男(あずまおとこ)はとかく情強(じょうごわ)じゃほどに、深入りせぬがよかろうぞとな。よいか。しかと申し伝えろよ」 言い捨てると、さてまた退屈じゃが何処へ参ろうかなと言わぬばかりに、ぶらりぶらりと的(あて)もなく更け静まった都大路を、しっとり降りた夜霧のかなたへ消え去りました。
底本:「旗本退屈男」春陽文庫、春陽堂書店 1982(昭和57)年7月20日新装第1刷発行※混在する「不埒」と「不埓」は、底本通りとした。※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)入力:tatsuki校正:M.A Hasegawaファイル作成:野口英司2000年6月29日公開2000年7月11日修正青空文庫作成ファイル:このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
●表記について本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。
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