打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口

右門捕物帖(うもんとりものちょう)35 左刺しの匕首

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-7 9:55:28 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


     2

 一番牢、二番牢といって、三番牢は同じむねのいちばん奥でした。
 目ばかりのような男、ひげばかりのような男、骨ばかりのような男、あの世の風が吹く牢屋です。うすべり一枚ない板の間に、人ばなれした十八人が、寝るでもなく起きるでもなく、虫のようにごろごろしているありさまは、ほんとうに生き地獄のようでした。
「刺されたという男は、どこでござる」
「あれじゃ。あのすみのこもの下がそうでござる。いま外へ運ばせますゆえ、ちょっとお待ちくだされい」
「いや、いじらぬほうが、なにかと手がかりもつきやすいというものじゃ。中へはいって調べましょう。おあけくだされい」
 しろうとであく錠ではない。一番牢は右ねじり、二番牢は左ねじり、三番牢は上へねじるとか下へねじるとか、ちゃんと法則がきまっているのです。それぞれのひとやの牢かぎの秘密を心得ているものがお牢屋同心なのでした。かちゃりと源内があけたあとから、物静かにはいっていくと、調べ方にむだがない。
「ほほう、おたな者でござるな」
 指さきをちらりと見ると同時に、まずぴかりと右門流のおそろしいところをひろげはじめました。
「あきれたもんだね。ほんとうですかい。いかにだんなにしてもちっと気味がわりいが、見てきたようなうそをつくんじゃありますまいね」
「もう出しやがった。いちいちとそれだからうるせえんだ。この右手の人さし指と親指の腹をよくみろい。ちゃんとこのとおり、そろばんだこが当たっているじゃねえかよ、こんなにたこの当たるほどそろばんをいじくっていたとすると、おたな者もただのあきんどじゃねえよ。まず両替屋、でなくば質屋奉公、どっちにしても金いじりの多いところだ。素姓しらべはあとでいい、傷口を先に見よう。そのこもをはねてみな」
 ぬっと出た顔は、三十七、八、つら構えは中くらい、しかし、ほおの肉づき、顔のいろ、まだそれほど牢疲れが見えないのです。
「源内どの、こやつは近ごろ入牢の者でござるな」
「さようでござる。つい十日になるかならぬかの新入りでござる」
「ほほうのう。十日ばかりじゃと申されるか。ちっとそれが気にかかりますな。傷口は?」
「そこじゃ。その右の胸もとじゃ」
 なるほど、乳のちょうど上あたりに、ぐさりとひと突き、みごとな刺し傷が見えました。
 得物は匕首あいくち、たしかにドスです。
 しかも、傷口は上に走って、まさしく正面から突き刺したものでした。ちらりと見ながめるや、ふふんと白い笑いがのぼりました。
「アハハ……そうか。なるほど、そうか。来てみればさほどでもなし富士の山、というやつかのう。よしよし。そろそろと根がはえだしやがった」
 もうなにかすさまじい眼がついたとみえるのです。あちらこちらをぶらぶらとやりながら、ちらりちらりと鋭く目を光らして、十八人の同牢の囚人たちの目いろをひとりひとり見比べました。
 しかし、ここへはいるほどの者はみな、ひと癖もふた癖もあるしたたか者ばかりです。外から下手人のはいった形跡がないとすれば、もちろんこの中の十八人のだれかに相違ないが、よしや十八人のうちにいたにしても、顔いろや目つきで眼をつけることは、いかな名人でも困難なことでした。だいいち、だれもかれも同じような顔つきをして、目のいろ一つ変えたものすらないのです。ばかりか、十八人が十八人ともにやにやとやって、捜し出せるものなら捜し出してみろといわぬばかりに、あざわらいさえ浮かべているのでした。
 なかでも不敵そうに、青黒い歯をむいてうす笑いを漏らしていたのは牢名主ろうなぬしです。型どおりに重ね畳の上へどっかりすわって、右門がだれか、名人がどこの男かというようにあいさつ一つせず、傲然ごうぜんとうそぶきながら、にやりにやりとやっているのでした。
「おまえ、たいそう上きげんだな」
「えへへ……そうでもねえのですがね、畳の上の居ごこちはまた格別でね。だんなもちょいといかがでござんす」
「はいってもう何年じゃ」
「忘れましたよ。ここは浮き世の風が吹かねえのでね。えへへ――近ごろ、おつけがしみったれでしようがねえんだ。ご親切があったら、けえりしなにえさ係りへ一本くぎをさしていっておくんなせえまし。もっとうまいしるを食わせるようにとね。浮き世の景気はどうでござんす」
 などと不敵至極なことをいって、頭からのんでかかっているのです。
 こんなしたたか者を相手にしては、むろん尋常一様の詮議せんぎでらちのあくはずはない。おそらく、牢名主はじめ同牢の者は、だれがやったか、どうしてやったか、匕首あいくちの隠し場所もちゃんと知っているであろうが、告げ口、耳打ちはいうまでもないこと、世間の義理人情とはまた違った義理人情を持っているこの連中が、ひととおりやふたとおりの責め方でたやすく口を割ろうとは思いもよらないことでした。
 ただ、残るものは右門流あるのみです。動かぬ証拠を右門流で見破って、ぐうの音も出ないようにする以外手段はないのです。
「さてのう、どこからおどろかしてやるか、いろいろと手はあるんだが……牢名主」
「なんでござんす」
「おまえの生国はどっちじゃ」
「おふくろの腹ん中ですよ」
「そうか。では、おまえの腹の中もひやりとひと刺し冷たくしてやるぞ」
 ぶきみにいって、じろりじろりと見ながめていたその目が、ふとひざの下の重ね畳にとまりました。
 不審があるのです。今まで下積みになっていたために、しけって腐ったらしいすそ切れのある一枚が上になって、しゃんとしたのが下になっているのです。あきらかに、それは畳を積み替えた証拠でした。
 せつなです。ずばりとはぜたような声が、牢名主の顔へぶつかりました。
「降りろッ」
「な、な、なんですかえ。牢頭ろうがしらの重ね畳はお城も同然なんだ。お奉行ぶぎょうさまがちゃんとお許しなんですよ。降りろとは、ここを降りろとはなんでござんす!」
 目をむいてさからおうとしたのを、ぞうさはない。
「もっと筋の通る理屈をいいな。おいらが降りろといったら、そのお奉行さまが降りろといったも同然なんだ。さからいだてしたところがなおさら不審だ。降りなきゃ降ろしてやるよ」
 ふわりと軽く手首を取ったかとみると、草香流、秘術の妙です。
「い、い、いてえ! いてえ! いえ、降ります……降ります……おとなしく降りますよ」
 ころげおちるように降りたのを待ちうけて、静かに伝六をあごでしゃくりました。
「一枚一枚、この畳をしらべてみな」
「へ……?」
「裏返しにしてみろというんだよ。どれか一枚にドスを刺しこんで隠してあるにちげえねえ。一枚のこらず返してみな」
 あったのです。上からちょうど三枚め、畳の裏腹のわら心へ、ぐいと深くさしこんでたくみに隠してあったのです。
「そうだろう。どうだえ、みんな、そろそろこわくなりゃしねえかえ。こりゃほんの右門流の序の口よ。ドスが出てきたからにゃ、下手人もおまえら十八人のうちにいるにちげえねえんだ。拷問、火責め、お次はどんな手が出るかしらねえが、急がねえところがまた右門流の十八番でな。この牢格子の中へ入れておきゃ、下手人を飼っておくようなもんだ。起きたばかりで、おまえらも腹がすいているだろう。ゆるゆるとせんじてやるから、まずめしでも食べな。――おうい。小者! 小者!」
 不思議でした。
 なにを思いついたか、ふいとうしろをふりかえると、気味のわるいほどにもおちついて、変なときに変なことを、ひょっくりと命じました。
「食わしてやんな。がつがつしているだろうからな。おつけがどうの、おしるがしみったれだのと、ろくでもねえことをぬかしやがったから、けさばかりはたっぷりつけてやんなよ。いいかい。どんどんお代わりしてやんな」
 眠りと食べ物こそは、なににもまさる極楽の囚人たちです。
「来た! 来た! おつけだぞ」
「めっぽう豪気なことになりやがったじゃねえか。湯気がたっているぜ」
「捜し出すなら捜してみねえ。下手人詮議せんぎよりも、こっちゃめしがだいじだ。おい! こっち! こっち! おれが先に手を出したじゃねえか! へへんだ。こんなぬくめしにありつけるなら、なんべんだって殺してやらあ!」
 さながらに餓鬼でした。
 目いろを変えて、十八人がずらずらと並びながら、先を争ってむしゃぶりつきました。
 しかし、名人の目がそれを遠くからながめて、じいっと光っていたのです。ひとり、ふたり、三人、四人、――右はしから拾っていったその目が、とつぜんぴたりと六人めのところで止まりました。
 人と変わった食べ方でした。
 ひどいぎっちょとみえて、左にはしを持ちながら、左でがつがつ食べているのです。
 せつな。
 つかつかと近づいたかと思うと、えり首をつまみあげた手も早かったが、啖呵たんかもまたみごとでした。
「たわけたちめがッ。これも名だけえむっつり流の奥の手だ。ようみろい! 餓鬼みてえなまねをするから、こういうことになるんだ。下手人はこのぎっちょと決まったよ。立てッ」
「な、な、なにをなさるんです! ぎっちょは親のせいなんだ。あっしが、あたしが下手人なんぞと、とんでもねえことですよ!」
「控えろッ。おいらをだれと思っているんだ。江戸にふたりとねえむっつり右門だよ。あの傷をよくみろい。うしろから抱きすくめて刺した傷じゃねえ。あのとおり逆刃さかばの跡が上にはねているからにゃ、まさしく正面から突いた傷だ。そこだよ、そこだよ。正面から刺した傷なら、ぎっちょでねえかぎり、相手の左を突くのがあたりめえじゃねえか。しかるにもかかわらず、あの傷は右をやられているんだ、右の胸をな。さては下手人左ききか、いいや、ぎっちょにちげえあるめえと、このおいらがにらんだになんの不思議があるかよ。十八人いるうちで、なにをあわてたか左でめしを食ったなおめえひとりなんだ。まぬけめがッ。むっつり右門がむだめしを食わせるけえ。そのぎっちょを見つけたくて食わしたんだ。食い意地に負けて、右手ではしを持たなかったのが運のつきさ――。下手人があがりゃ、ほかにはもう用はねえ。あにい! あにい!」
「へえ……?」
「へ、じゃないよ。なにをぱちくりやってるんだ。これから先は伝六さまの十八番だ。このなまっちろい野郎をしょっぴいていって、ひとり牢へぶち込みな」
「ね……!」
「なにを感心していやがるんだ。毎度のことだ、いちいちと驚かなくともいいんだよ。人ひとり殺すからには、なにかいわくがあるにちげえあるめえ。やつらの素姓をちょっと洗わしてもらいましょう。源内どの、ご案内くださらぬか」
 連れだってやっていったところは、牢同心詰め所の奥座敷です。
 ご牢屋日誌、送り込み帳、ご吟味記録。
 ずらりと並べて積みあげてあるお帳簿箱へ近づくと、三番牢ご吟味記録とある分厚な一冊を取りあげました。
「源内どの、殺された男はなんといいましたかな」
豊太とよたという名でござる」
「あの下手人は?」
「梅五郎という名じゃ」
入牢じゅろうは何日と何日でござる」
「両名とも十二月五日じゃ」
「ほほう。いっしょの日でござるか」
 その十二月五日のところをあけてみると、いぶかしい文字が見えるのです。
「お吟味一回。十二月五日。南町ご番所。
 豊太、三十四歳。日本橋茅場町かやばちょう両替屋鈴文手代。丁稚でっちより住み込み。
 梅五郎、二十八歳。同鈴文手代。同じく丁稚より住み込み。
 罪状、主家金子壱千百三十両使いこみ。ただし、両名の申し立てに不審のかどあり。お吟味中入牢」
 そういう不思議なお記録でした。
 同じ両替屋の手代であるというのも意外なら、主家金子壱千百三十両使い込み、ただし、両名の申し立てに不審のかどあり、お吟味中入牢とある一条は、見のがしがたき文字です。
 がぜん、名人の目がさえ渡りました。
「あれなる両名のお係りはどなたじゃ」
「敬四郎どのでござる」
「ははあ……そうか。とんだめぐり合わせじゃのう、伝六よ」
「へえ……?」
「よろこべ、よろこべ、あばだんなのしりぬぐいを仰せつかったぞ。これをようみい」
「……? エへへ……なるほどね。道理で、近ごろろくろく顔を見せずにしょげていましたっけ。あきれたもんだね。不審のかどありとは、よくもしらをきったもんだ。大将の手がけたあなで、不審のかどのねえものはねえんですよ。さあ、忙しい! ちきしょうめ。さあ、忙しくなりましたね」
「あわてるな。まだしりからげなんぞしなくともいいよ。気になるのは、この不審のかどとあるその不審じゃが、源内どの、様子お知りか」
「知っている段ではござらぬ。このとおり、千百三十両使い込んだに不思議はござらぬが、その使い方がちと妙でな。鈴文は当代でちょうど三代、なに不自由なく両替屋を営んでおったところ、この盆あたりから日増しにのれんが傾きかけてまいったと申すのじゃ。だんだんと探っていったところ、その穴が――」
「あの両名の使い込みか!」
「さようでござる。ところが、ここに不審というのは、ふたりともおれが使った、おまえではない、このわしが使い込んだのじゃ、梅五郎の申し立ては偽りでございます、いいえ、豊太の申し立てはうそでござりますと、互いに罪を奪い合うのじゃ。それも申し立てがちと奇妙でござってのう、長年、ごめんどううけた主家が左前になったゆえ、ほっておいてはこの年の瀬も越せぬ、世間にぼろを出さず、鈴文の信用にも傷をつけず、傾きかけたのれんを建て直すには、一攫いっかく千金、相場よりほかに道はあるまいと、五十両張り、百両張り、二百両、三百両と主人に隠れて張ったのが張る一方からおもわく違いで、かさみにかさんだ使い込みが知らぬまに千百三十両という大金になったと申すのじゃ。いわば主家再興の忠義だてにあけたあなではあるし、知らぬ存ぜぬというなら格別、おれじゃ、わしじゃ、おまえではない、うぬではないと言い争って罪を着たがるゆえ、拷問好きの敬四郎どのも痛しかゆしのていたらくで、ことごとく手を焼き、日を見ておりを見てと、入牢させておいたのがこのような朋輩ほうばい殺しになったのじゃ。何から何まで不審ずくめでござるからのう。どうなることやら、困ったことでござる」
 いかさま、不審ずくめです。
 いかに主家への忠義だての罪であったにしても、互いに罪を奪い合うのがそもそもの不審でした。
 ましてや、その一人が他を殺すにいたっては、捨ておかるべきではない。不審のもとは、これは両替屋鈴文にあるのです。
「あにい! 茅場町だッ」
駕籠かごですかい!」
「決まってらあ!」
「ありがてえ! これでもちがつけらあ。さあこい! 野郎! あば敬の大将、そこらからひょこひょこと出るなよ。めんどうだからな。――へえ、御用駕籠です! はずんで二丁だ。かんべんしておくんなせえ。いいこころもちだね。飛ばせ! 飛ばせ」
 ひとかど、ふたかど、四かどと曲がらぬうちに、もうその茅場町でした。



打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口