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呉服後藤に金座後藤、橋をはさんで向かい合っているふたりの後藤が自慢の金で掛けた橋だから、五斗と五斗とをあわせて一石橋と名がついたというお江戸名代の橋です。
この橋たもとに、
もちろん、お客も町人
駕籠を乗りつけて、ずいとはいっていくと、黙って名人は八丁堀目じるしの巻き羽織をひねってみせました。
「あっ、なるほど。わかりました。おしらべの筋は?」
「これじゃ」
手にしていたひとそろいをどさりと目のまえへ投げ出しながら、むだをいわずに
店の者もまた、ここらあたりに勤めている手代となると、諸事むだがないのです。たもとの裏の絹糸をしらべて、自分のところで仕立てた品であるのをたしかめると、大きな横帳をしきりに繰っていたが、ようやく捜しあてたとみえて、声をひそめながら答えました。
「たしかにござります。先月の二十一日にご注文うけまして、当月二日にお届けいたしました品でござります」
「注文主はだれじゃ」
「ちとご身分のあるおかたでござりまするが」
「承知のうえでしらべに参ったのじゃ。奥仕えのお腰元か」
「いいえ、奥ご医師でござります」
「ほほう、お脈方とのう。しかし、ご医師にもいろいろある。お外科、お口科、お眼科。お婦人科。いずれのほうじゃ」
「いいえ、お
「当人か」
「ご後室さまでござります」
「なに、ご後室とのう。なるほど、そうか。やはり、女だったか! 住まいはいずれじゃ」
「法眼さまがおなくなりになりましてから二年このかた、小石川の伝通院裏にご隠宅を構えて、若党ひとりを相手に、ご閑静なお暮らしをしていらっしゃるとかのことでござります。この品もそちらへお届けいたしました」
「よし、わかった。口外するでないぞ。――
なぞの道は、はしなくも紅糸二本から解けかかってきたのです。
「ありがてえね。ちゃんとこういうふうに骨を拾ってくださるんだからな。お眠くはござんせんかい。お疲れなら肩でももみましょうかい」
「つまらねえきげんをとるな。駕籠に乗って肩がもまれるかい」
「いいえね、もめねえことは万々わかってるんだが、気は心でね。これでもあっしゃ精いっぱいおせじを使っているんですよ。――そらきた。伝通院の裏に二つはねえ。あの三軒のどれかですぜ」
たぶんそのあたりだろうと見当をつけていってみると、案の定、いちばん奥が捜し求めたその隠宅でした。隠宅というとふた間か三間の小さな家にきこえるが、
その広い庭の中を通りがかりに、
女です。
切りさげ髪に、紫いろの被布を着て、今をさかりに咲きほこっている菊の中を、しゃなりくなりとさまよっている様子は、まさしく当のご後室でした。
だが、いかにも変な女なのです。
たしかにホシとにらんだお高祖頭巾の女は二十七、八のべっぴんといったのに、伝六のしてやられた男も同じ二十七、八ののっぺりとしたやさ男だったというのに、これはまた似てもつかぬ四十すぎの
「ちくしょうめ、さあいけねえぞ。鯨の油につけたって、いちんちひと晩でこうはこやしがきかねえんだ。くやしいね、急にまた空もようが変わりましたぜ」
「ちっとあぶら肉が多すぎるな」
「おちついた顔をしている場合じゃねえんですよ。たしかにこの隠宅へあの
「やかましい! だれだッ。そんなところでがんがんいうやつあ!」
そのとき、ぬっと門わきの下男べやからのぞいた顔がある。
三十四、五のふてぶてしい男でした。後藤の店で話した若党にちがいないのです。
伝六の目から、当然のごとくに火が飛びだしました。
「がんがんいうやつたア何をぬかしゃがるんだ。人を見てものをいいねえ! うぬアこのうちの下っぱか!」
「下っぱならどうだというんだ。これみよがしに十手をふりまわしているが、うぬア、不浄役人の下っぱか!」
「野郎。ぬかしたな! 不浄役人の下っぱたアどなたさまに向かっていうんだ。
「知らねえや。とちめんぼうめ! かりにも
「野郎ッ。おっそろしく口のわるい野郎だな。まてまて、かっぱ野郎ッ。用があるんだ、待ちやがれッ」
おこぜのようになって追いかけようとしたのを、
「よしな! 伝六ッ」
うしろから名人が静かに呼びとめて、あれを見なというように、にやりとやりながら、あごでそこの下男べやの中をしゃくりました。
ちょうちんがあるのです。
それも三張り。
ただのちょうちんではない。
三張りともに、深川、船宿、
「へへえ、そうか。なるほどね」
伝六の目もにやりと笑いました。いかに血のめぐりが大まかにできていたにしても、これを見ては不審がわかないというはずはない。詮議や手入れを拒むほど、位におごる法眼の隠宅に、なまめいた船宿のちょうちんなぞのあることからしてが、すでにふつりあいなのです。ましてや、深川の船宿といえば、男女忍びの出会いの茶屋を看板の穏やかならぬ料亭でした。そのちょうちんが、しかも三張りもあるところをみると、切りさげ髪に紫被布で行ない澄ましていたあのご後室が、若党を供にしばしば忍んでいって、そのたびに借りて帰ったものが、いつとはなしに三張りもたまったものに相違ないのです。
「かっぱ野郎、ほえづらかくなよ。このとおり、おっかねえうしろだてがおつきあそばしていらっしゃるんだ。駕籠ですかい」
「決まってらあ。一眼去って一眼きたるたアこのことよ。早くしな」
乗ると同時に、目ざしたのはその深川でした。
暮れるに早い秋の日はもう落日が迫って、
さむざむと冷え渡って冷えは強いが、冷えればまた冷えたで相合いこたつのさし向かい、忍びの夢路の寝物語。はだのぬくみを追って急ぐ男と女の影が、影絵のように路地から路地をぬって歩いて、秋深い
「ちくしょうッ、ふざけてらあ。ちょろりと今ふたり、天水おけの陰へかくれましたよ。あんなところでちちくるつもりにちげえねえですぜ」
「そんな詮議に来たんじゃねえ。
「いいえ、物事は総じてこまかく運ばねえと、とかくしりがぬけるんだ。ある! ある! あのかどにあるのがそうですよ」
ぐいと大川からこっちへ切りこんでいる
むろん、すぐにも
同時に、名人のからだが、はっとなったように泳ぎだしました。
あるのです。
不思議な船が、大川岸に四
それもただの不思議ではない。七艘ともにしめなわを張って、どの舟の船頭もまた一様に同じしめなわを腰へ巻きつけ、人目にたたぬように
「ほほう、そろそろとにおってきたな。うなぎのにおいだか、めざしのにおいだか知らねえが、ただのにおいじゃねえようだぜ。引っこんでな! ひょこひょことそんなところへ顔を出すなよ!」
しかって、ぴたり、へいぎわへ身をよせた主従の耳へ、船宿の裏二階から小さくそっと呼んだ小女の声が聞こえました。
「船頭さん、おしたくは?」
「いつでもいいよ」
「そう。じゃ、はぎの間のお客さんからお送りするからね。順々にこっちへ舟をたのみますよ」
ギイギイと、
十七、八の、まだ肩あげもとれないような下町娘なのです。
「いってらっしゃいまし。どうぞごゆっくり。船頭さん、しっかりたのむよ」
「おいきた。だいじょうぶだよ」
拾いこむようにして娘を乗せると、奇怪な舟は艫音を急がせながら、ぐんぐんと大川を上へのぼりました。
入れ違いにまたひとり。
しかし、今度は三十すぎた奥方ふうの女です。
「ごゆっくりどうぞ……」
送り出したあとから、またひとり女の姿が、黒板べいの口をくぐって現われました。さらに年のふけた五十近い金持ちの後家らしい女です。
その舟も同じように、艫音を急がせながら、忍びやかに大川を上へ上へとのぼりました。
つづいてまたひとり。
これは二十二、三のあだっぽい鉄火者でした。
あとから女がまたひとり。
入れ違いに、やはり女がまたひとり。
最後に出てきた女は、まさしくどこかのお屋敷勤めの腰元らしい
名人右門の目は、電光のように輝きました。
いってらっしゃい。ごゆっくりどうぞ、と意味ありげにいった声も奇怪です。出てきた七人が七人ともに女ばかりだったのも奇怪です。
そのうえに、舟はいっせいに上へ上へと前後して川をのぼりました。
しかも、舟にはしめなわが張ってあるのでした。
船頭の腰にもまた奇怪なことにしめなわが見えました。
船頭!
船頭!
首尾の松につるしてあったのも、まさしくその船頭なのです。
「舟だ。急いで一丁仕立てろッ!」
「がってんでござんす」
車輪になって伝六が見つけてきた
「あの七艘じゃ。見とがめられぬよう追いかけろッ」
ぴたりと舟底に身をつけて、見えがくれにあとを追跡しました。
それとも知らず、七艘の不思議な舟は、不思議な女をひとりずつ乗せながら、艫音をころして岸伝いにひたすら上へ上へと急ぎました。
永代橋をくぐって新大橋、新大橋をくぐって両国橋、やがてさしかかってきたのは、なぞのあの五人をつるしてあった首尾の松です。
十日の月が雲をかぶって、大川一帯はおぼろ
前後しながらのぼっていった奇怪な舟は、その首尾の松へさしかかると、七艘ともに、するりと
右は松前
突き当たって右へ折れると、舟のはいっていったところがまたいかにも奇怪でした。寺のようにも見えるのです。お宮のようにも見えるのです。見ようによっては御殿のようにも見えるのです。その不思議な建物の中へ、右の水門から一艘、左の水門から一艘というふうに、時をおいては順々に姿を消しました。
「はてね。お待ちなさいよ」
しきりと首をひねっていたが、たまには伝六も金的を射当てることがあるのです。
「あれだ、あれだ、この建物アたしかにお富士教ですよ」
「えらいことを知っているな。どこで聞いたんだ」
「七つ屋ですよ。質屋のことをいや、だんなはまたごきげんが悪くなるかもしれねえが、床屋と質屋と銭湯と、こいつア江戸のうわさのはきだめなんだ。こないだ
「どういうお宗旨だかきいてきたか」
「そいつが少々おかしいんだ。お富士教ってえいうからにゃ、富士のお山でも拝むんだろうと思ったのに、心のつかえ、腰の病、
「道理でな、女ばかりはいりやがった。それにしても、ご信心のお善女さまが、遠い川下の船宿からこっそり通うのがふにおちねえ。まして、夜参りするたアなおさら不思議だ。どこかにはいるところはねえか捜してみな」
しかし、どこにもない。あっても、門はぴしりと締まって、水門から消えた舟もはいったきり、その水門もまたぴたりと締まって、へいをのり越えるよりほかに、中へ押し入る道はないのです。
「めんどうだ。
ひらりと飛びうつると、えっとばかり気合いをころして身をおどらせながら、
中は予想のほかに広いのです。
拝殿らしいのが前にひと
内陣とおぼしき建物がその奥にひと棟。
鈴の音も、
なんの
同時に、ぴかりと目が光った。
張りめぐらしてある
つるしてある大ちょうちんにも同じ紋が見えるのです。
「におってきたな。出るな! 出るな! 飛び出して姿を見られたら、あとの手数がかからあ。こっちへ隠れてきなよ」
影を見とがめられないように身を隠しながら、拝殿へ近づくと、回廊にそっと上がって、やみの中から目を光らしました。
ぼうとぶきみにまたたいている燈明のあかりの下に、楽人たちの姿は見えるが、肝心の信者の姿は、舟で消えたあの女たちの姿は、ひとりも見えないのです。
「じれってえね。どこへもぐりやがったろうね」
「黙ってろ」
目まぜでしかりながら、息をころして身をひそませていたその目のさきへ、ぽっかりと内陣の奥から人影が浮き上がりました。
女です。船宿の裏で見かけたあの金持ちの後家らしい大年増でした。何がうれしいのか、厚ぼったいくちびるに、にったりとした
追うように、そのあとからもう一つぽっかりと、同じ内陣の奥から人影が浮きあがりました。
やはり女です。
同時でした。伝六がつんとそでを引いてささやきました。
「ちくしょうッ、あれだ、あいつだ。たしかに、あのお
「なにッ、見まちがいじゃねえか」
「この目でたしかに見たんです。年かっこう、べっぴんぶりもそっくりですよ」
いかさま年は二十七、八、髪はおすべらかしに、
肩を並べて拝殿横の渡殿までやって来ると、魅入るような目を向けて大年増に何かささやきながら、暗い裏庭へ送りこんでおいて、合い図のように渡殿の奥をさしまねきました。
同時に、いそいそと渡殿を渡りながら出てきた影は、たしかに十七、八のあのういういしい下町娘です。
待ちうけながら、同じ魅入るような目で笑いかけると、何が恥ずかしいのか、ぱっとほおに朱紅を散らした娘の肩をなでさするようにして、すうとまた、いま出てきた内陣の奥へ消えました。
「ふふん。とんだお富士教だ。おいらの目玉の光っているのを知らねえかい。おまえにゃ目の毒だが、しかたがねえや。ついてきな」
とっさになにごとか看破したとみえて、むっくり身を起こすと、ちゅうちょなくそのあとを追いました。
内陣の裏には、奇怪なことにも、小べやがあるのです。
杉戸が細めにあいて、ちかりとあかりが漏れているのです。
しかも、小べやのうちにはなまめいた
夜着とまくらなのでした。
「たわけッ。神妙にしろッ」
がらりとあけると同時です。
すさまじい
「むっつりの右門はこういうお顔をしていらっしゃるんだ。ようみろい!」
えッ、というように
「おそいや! たわけッ、ぴかりとおいらの目が光りゃ、地獄の一丁目がちけえんだ。じたばたするない!」
血いろもなくうち震えている娘をはねのけるようにしてまずうしろへ押しやっておくと、ぬっと歩み寄ってあびせました。
「化けの皮はいでやろう! こうとにらみゃ万に一つ眼の狂ったことのねえおいらなんだ。うぬ、男だな!」
「何を無礼なことおっしゃるんです! かりそめにも
「笑わしゃがらあ。とんでもねえお富士山を拝みやがって、ご神罰がきいてあきれらあ。四の五のいうなら、一枚化けの皮をはいでやろう! こいつあなんだ!」
ぱっと身を泳がせると、胸を押えました。
乳ぶさはない。
あるはずもないのです。
身をよじってさからおうとしたのを、
「じたばたするねえ。もう一枚はいでやらあ。こいつアなんだ」
草香流片手締めで締めあげながら、ぱっと斎服をはぎとりました。
「
「…………」
「吐かねえのかい! むっつり右門にゃ知恵箱、
せつなでした。
「しょうがねえや。いかにもどろを吐きましょうぜ」
にたりと笑ったかと思うと、果然男だったのです。目は険を帯び、まゆに、顔に、あやしい殺気がわいたかと見るまに、がらりとすべての調子が変わりました。
「江戸の女をもう二、三百人たぶらかそうと思ったが、何もかも洗ってこられちゃしかたがあるめえ。いかにも首尾の松へ五人の船頭をしめ殺してつりさげたのはこのおれだ。自身番からあの夜ふけ盗み出したのもこのおれの細工だ。しかし、ただじゃ
さっと立ち上がると、懐中奥深く忍ばしていたドスを抜き払って、名人の
「見そこなうなッ。草香の締め手を知らねえのかい!」
声といっしょにぎゅっとドスもろともそのきき腕をねじあげたかとみるまに、ぐっとひと突き、こぶしの当て身がわき腹を襲いました。
「おとなしく寝ろい。慈悲を忘れたことのねえむっつり右門だが、今夜ばかりゃ気がたってるんだ。伝六、早くこいつを始末しな」
「いいえ、そ、そ、それどころじゃねえんだ。ほらほら、あいつも逃げた、こっちも逃げやがった。女も、船頭も、太鼓野郎も、みんなばらばらと逃げだしたんですよ。手を! 手を! ひとりじゃ追いきれねえんだ。はええところてつだっておくんなせえよ」
「そんなものほっときゃいいんだよ。根を枯らしゃ、小枝なんぞひとりでに枯れらあ。息を吹きかえさねえうちに、この赤い芋虫を舟まで背負ってきな」
どさりと投げ出すようにこかし込んだのを待ちうけて、舟は二丁艫をそろえながらギイギイとこぎだしました。
「女も女だね。こんな野郎にだまされたとなりゃ、くやしくならあ。――生き返るにゃまだはええや! ついでに、おれがもう一本十手の当て身をくらわしてやらあ。もう少し長くなってろい!」
伝六も今夜ばかりは気がたっているとみえるのです。
「つら見るのも、ふてえ野郎だ。それにしても、なんだって野郎め、船頭を五匹も絞めやがったんですかね。盗んで掛け直したところがわからねえんですよ」
「決まってるじゃねえか。金と女を両
「なるほどね、大きにそれにちげえねえや。久方ぶりに、だんなも荒療治をおやんなさいましたな」
「あたりめえだ」
吐き出すようにつぶやくと、毒手にかかった女たちをあわれむように、黙々と目をとじました。