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右門
事の
「ちぇッ。兄弟がいのねえ野郎だな。あごだって調子のものなんだ。使わずにおきゃ、さびがくらあ。善根を施しておきゃ、来世は人並みの背に産んでくれるに相違ねえから、もっと仏心出して相手になれよ」
「…………」
「耳ゃねえのか!」
「…………」
「ちょッ。やけに目色変えて、豆ばかりいじくっていやがらあ。だから、
「…………」
「いやんなっちまうな。だんなまで、あっしをそでにするんですかい。あごなんぞなでりゃ、何がおもしれえんですか。からだ持ち扱っているんですから、人助けだと思って相手になっておくんなさいよ」
あちらへ当たり、こちらへ当たって、八つ当たりに鳴らしていると――、玄関先に声がありました。
「頼もう! 頼もう!」
「よッ。やけに古風なせりふぬかしゃがるぞ。
ガチャガチャしてさえいたら、それでむしが納まるとみえて、しきりにひとりではしゃぎながら出ていったようでしたが、まもなく引き返してくると、鬼の首でもとったように手の中で一通の書状をひらひらさせながら、口やかましくいいました。
「そうれ、ごらんなさいよ。お羽黒山の雷さまだって、こんなにいい鳴り方はしねえんだ。あっしがせっかくさっきから根気よく鳴らしたんで、このとおり
しかし、案に相違して、そのお差し紙は、あすの吉例上覧お能に、警固のため出頭しろとのご命令書でしたから、ようやく納まりかかった伝六太鼓がまた鳴りかけようとしたとき――、今度はやさしくおとなう声がありました。
「ごめんあそばせ……ごめんあそばせ……」
「おっ! いい音がしたぞ、陰にこもった声のぐあいが、どうやら忙しくなりそうだぜ。――へえい、ただいま、ただいま参ります。少々お待ちくださいまし。ただいま伝六が参ります」
なにも伝六が参りますと特に断わらないでもいいのに、罪のないやつで、しきりと
「辰ッ、何をまごまごしてるんだッ。貧乏ったらしい! 枝豆なんかをそんなところにさらしておくなよ! ――だんな、また何をおちついていらっしゃるんですかい! 天女ですよ! 天女がお降りあそばしたんですよ!」
ひとりで心得、ひとりでせかせかとはしゃぎながら座敷を取りかたづけると、やがて
「しばらく……お久しゅうござんした」
「…………」
「ま! わたしですよ。お見忘れでござんすか。わたしですよ」
「…………?」
「去年の夏、お慈悲をかけていただいた、くし巻きのお由ですよ」
「えッ」
右門のおどろいたのも道理。ご記憶のよいかたがたは、まだお忘れでないことと存じますが、第六番てがらの孝女お静の事件に、浅草でその現場を押え、
「そうでござんしたか! ずいぶんとお変わりになりましたな。見れば、すっかり堅気におなりのようでござんすが、今は何をしておいででござんす」
「あの節のお慈悲が身にしみましたゆえ、あれからすっかり足を洗いまして、湯島の天神下で、これとこれの看板をあげているんでございますよ」
「なに、三味線と琴のお師匠をおやりでござんすか。ほほう、器用なおかたは何をおやりになってもご器用とみえますな。ときに、ご用向きはなんでござんす」
「じつは、ぜひにもだんなさまのお力をお借り申したいと存じまして、知り合いのお殿さまをお連れ申したんでござんすが、お会いくださいましょうかしら」
「会うはよろしゅうござんすが、いったいどういうお知り合いなんでござんす」
「お嬢さまに琴のおけいこしに上がっておりますんで、その知り合いなんでござんす」
「ふうむ、そうでござんすか。わざわざお越しなさったところを見ると、何かご内密のお頼みでござんすな」
「は、だんなさまの
「そうでござんすか。そう聞いては、どのようなお頼みかは存じませんが、あとへは引かれますまい。ようござんす! いかにもお頼まれいたしましょう!」
こういうときの名人は、いつもそうなんですが、ことばをかけるまえにまず、じいっとはいってきたそのお武家の姿を、底光りする鋭いまなこで、静かに見ながめました。と同時です。まことに右門流のうちの右門流でした。
「いきなり失礼なことを申しますようでござりまするが、作法のご指南あそばしていられますな」
ずぼしをさされたようにぎょッとうちおどろいたのを軽く押えながら、微笑しいしいいいました。
「いや、お驚きあそばしますにはあたりませぬ、おみ足の運びぐあい、お手のさばき、たしかに今川古流の作法と存じましたが、目違いでござりましたか」
「ご眼力恐れ入ってござる。いかにも、今川古流を指南いたす北村大学と申す者でござる。以後お見知りおきくだされい」
「そのごあいさつではかえって痛み入りましてござります。お顔の色は尋常でござりませぬのに、一糸乱れぬお身のこなし、さだめしお名あるご高家のおかたでござりましょうと存じまして、かく失礼なこと申しましたしだいでござりまするが、して、てまえにお頼みとは、どのようなことでござります」
「…………」
「いえお隠しあそばしますには及びませぬ。てまえもいささか人に知られた近藤右門、夢断じて口外いたしませぬゆえ、ご懸念なくお明かしくだされませ」
「かたじけない、かたじけない。それを聞いて大いに
「えッ、すりゃまた容易ならぬ紛失物でござりまするが、どうした子細でさような貴品、お預かりなさっていたのでござります?」
「それがじつはちと申し憎いことでござるが、知ってのとおり、当節は諸家みな
「質屋でいつのまにか紛失していたのでござりまするか」
「さようじゃ。それがちと奇態なのじゃわ。入れ質いたすとき、てまえと用人と、それなる質屋の番頭の
いうと、老武家は真実面目なさそうに、ところどころ痛々しげな霜の読まれるこうべを深々とうなだれました。またこれは面目ないのが当然でありましたろう。かりにも高家の列につながり、
「ご心痛のほど、よくわかりました。事実はどうありましょうと、上さまご秘蔵のご名宝が紛失いたしたとあっては捨ておかれませぬゆえ、いかにもお力となりましょう」
「そうでござるか! かたじけない! かたじけない! このとおりじゃ! このとおりじゃ!」
「もったいない、お手をおあげくださりませ。そうと聞いてはあすの朝までにまにあわせねばなりませぬゆえ、すぐにも
「中身のないもの預けぬと申して、土蔵の中に置いたままでござるわ」
「質屋はどこでござります」
「湯島天神下の
「お屋敷もご近所でござりまするか」
「筋向かいじゃ」
「そうでござりまするか。――では、伝六ッ」
「…………」
「伝六はどこへ参った!」
姿が見えないので、いぶかっているとき、およそあいきょう者です。
「どうでえ! どうでえ! この鳴り方をみろ! きょうは張りきってるんだから、いつもの伝六太鼓とは音が違うんだッ。お
「人見知りをしないやつだな。お人さまがいらっしゃるのに、そうガンガン鳴るな。雇ってきたのはいいが、何丁じゃ」
「ちぇッ、決まってるじゃござんせんか! だんなの分が一丁ですよ!」
「たまにできがいいと思や、そのとおりまがぬけてらあ。もう一丁つれてきな」
「えッ?」
「急いでいるんだ。たたらを踏んでいるまに、早くいってきなよ」
二丁用意させると、いつもながらに、そつのない右門流でした。
「てまえの志でござります。ご高家のお殿さまが、
北村大学とお由のふたりを駕籠で立たせておくと、自身は珍しやおひろいで、例のほろ苦い江戸まえの男ぶりを覆面ずきんの間からのぞかせながら、一本