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右門捕物帖(うもんとりものちょう)07 村正騒動

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-7 9:07:14 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


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 かくて、いよいよむっつり右門の義によって奮いたった第七番てがらの端緒につくことになりましたが、第一にまずかれの目がけたところは江戸の剣術道場でありました。というのは、あの新墓の死に胴切りについて検分したところによると、その切り口のすばらしくあざやかなところから案ずるに、必ずやわざものは世に名をとった銘刀で、腕もまた相当の達人だろうとめぼしがついていたものでしたから、それにはあの左ききという判定のあったのをさいわい、まず道場出入りの剣士について、それなる左ききの、あるいは左り胴の癖ある者をあげてみようと考えついたからのことでしたが、しかし、いざ捜そうという段になると、肝心の道場なるものがまたなかなかたいへんな数でありました。将軍家お指南番役たる柳生やぎゅうの道場を筆頭にして、およそ剣道指南と名のつく末流もぐりの類までも合算していったら、優に三十カ所以上の数でしたから、どうしておろそかな労力では洗いきれるものではなかったのですが、もとよりそれをいとう右門ではないので、その翌早朝伝六を従えると、まず第一番に木挽こびき町なる柳生の道場に出向きました。
 当時はもちろんまだ但馬守宗矩公たじまのかみむねのりこうがご存生中で、おなじみの十兵衛三厳公じゅうべえみつよしこう大和柾木坂やまとまさきざかのご陣屋にあり、そのご舎弟の宗冬公むねふゆこうが父但馬守とともに道場を預かって、出入りの門弟三千名と称せられたほどのご盛大でしたが、しかるにその門前へさしかかったところで、はしなくもぱったりと顔を合わせた者がありました。ほかでもなく、きのう墓地へ置き去りにしてきたあのあばたの敬四郎です。
 むろん、村正の一件なぞは知らないでのことでしょうが、しかしあの胴切りの下手人を左ききの達人とにらんだうえで、敬四郎も同じ道場洗いを始めたのだろうという推定がついたものでしたから、右門もちょっと舌を巻きながら、とぼけてまずあいさつをいたしました。
「きのうはいかい失礼をつかまつりました。また、妙なところでお出会いいたしましたな」
 だが、敬四郎はもとより無言です。せめてもこういうときにあいさつを返すくらいの余裕だけなとあったならば、てがらの半分くらいは分かつにやぶさかならざる右門でしたが、なにをこの駆けだしが、というような憎悪ぞうおの色をみせたものでしたから、こうなると右門のほうも自然と意地になるので、ためにはからずも柳生道場門前において、宇治川もどきの先陣争いとなったのです。
 けれども、これは最初から先陣争いをしてみるまでもないことで、敬四郎の名まえの初耳であるのに反し、わがむっつり右門の驍名ぎょうめいは但馬守にもすでに旧知の名まえでしたから、まず最初に右門が面接を許されることになりました。
 ところが、先陣争いではみごとに勝ちを得ましたが、残念ながら結果は徒労に終わったのです。疑問の逆胴名人でかつ左ききというのが、門弟中につごう三人ほどあるにはあったのですが、ひとりはすでに物故、ひとりは池田備前守びぜんのかみ侯の家臣でこの二月から帰藩中、残りのひとりはこれも土井大炊守おおいのかみのご家臣で、同様この四月から帰国中ということでしたから、むろん、これは疑いすらもかけるべき余地がないので、ただちに右門は一日通しの早駕籠はやかごを仕立てさせると、いよいよ本式に、下町は伝六の受け持ち、山の手は右門自身が立ち回ることにして、その場から江戸一円の道場洗いに取りかかりました。そのまたすぐあとを追っかけて、敬四郎側のほうでも二組みに分かれながら、同じ道場洗いをやりだしましたので、はからずも両者の捕物とりもの競争はここにいたって白熱の度を加えることとなり、右門勝つか、敬四郎負けるか、興味はその結果につながれることとなりましたが、しかしその日の夕がたが来たときでありました。
 右門がまず失望とともにへとへととなって八丁堀へ引き揚げ、つづいてひと足おくれながら伝六も帰りついて、やけにそこへからだを投げ出すと、いかにもむだ足に耐えぬというようにいったものです。
「ばかばかしいや、だれに頼まれてこんな商売始めたんですかね。あっしゃきょう一日で、三百匁ばかり目方をへらしましたぜ」
 それを聞き流しながら、右門もそこにぐったりとからだを投げ出していましたが、と、やにわにむっくり起き上がると、突然くすくす笑いながらいいました。
「なあ、伝六」
「え?」
「どうやら、おれも焼きが回ったかな」
「不意にまたいくじのねえことおっしゃいますが、どうしてでござんす」
「だって、よく考えてみなよ。おれはかりにもむっつり右門といわれている男なんだぜ」
「でも、柳の下にゃどじょうのいねえときだってあるんだからね。時と場合によっちゃ、しかたがねえじゃござんせんか」
「いいや、そうじゃねえんだよ。おれにはもっとほかに、おれ一流の吟味方法があったはずじゃねえのかい」
「な、なるほどね、大きにそれにちげえねえや。だんなの口癖にしていらっしゃるからめての戦法というやつだ」
「だからよ、今はじめておれも気がついたところだが、とんだむだぼねをおったもんさ。肝心かなめのお小姓というたいせつなほしのいることを忘れているんだからな」
「ちげえねえ、ちげえねえ。逆胴切りの詮議せんぎから先に手がけるなんてどじな洗い方は、せいぜいあばたのだんなぐらいにやらしておきゃたくさんですからね」
「だから、ひとつ顔を洗い直して、今からその右門流を小出しにするかね」
「今から?」
「不足かい」
「だって、兵糧ひょうろうをつめないことには、いくらあっしだって、いくさはできませんよ」
「それだから、金葉へでもちょっくら寄って、中ぐしのふた重ねばかりも食べようかといってるんだよ」
「え? うなぎ?」
「おめえきらいか」
「どうつかまつりまして、うなぎときちゃ、おふくろの腹にいたうちから、目がねえんですがね。でも、この土川うちじゃ、目のくり玉の飛び出るほどぼられますぜ」
「しみったれたことをいうやつだな。その悲鳴が出るあんばいじゃ、ふところが北風だろうから、じゃこいつをおめえに半分くれてやろうよ」
「な、なんです?――こりゃだんな、切りもち包みじゃござんせんか」
「そうよ、その中にある品は、まさに判然と山吹き色をした二十五両だよ」
「近ごろ珍しく金満家になったもんですね」
「ねたを割りゃ、お奉行ぶぎょうさまのお手元金だよ。これまでのてがら金だといって、きのう五十両ばかりお中元にくだすったのでね、おれのてがらはおめえのてがらなんだから、半分そっちへおすそ分けさ」
「ちッ、ありがてえ。持つべきものは、べっぴんの女房と、いいご主人さまだ。こうなりゃ、もうお大尽です。きょうのおあいそは、みんなあっしが持とうじゃござんせんか」
「天から降った小判だと思って、いやに大束を決めだしたね。では、そろそろ出かけようか」
 いうと、欣舞きんぶ足の踏みどころも知らないように喜び上がっている伝六を従えながら、京橋を右に曲がって、そこの横町にあった目的の金葉にゆうぜんとはいっていったとみえましたが、思いどおりにたっぷりと中ぐしをとってしまうと、がぜん十八番おはこの右門流が、もうその次の瞬間から、小出しにされだしたのです。堪能たんのうしたといったように、しきりと小楊子こようじで歯をせせくっていましたが、座敷へはいってきた小女の顔をみると、やんわりと、まずこんなふうにいったもので――。
「ときに、うなぎの佃煮つくだには、何日くらいもつかね」
「うちのは特別製ですから、この土用でも三日はだいじょうぶでございます」
「そうか、あした一日さえもってくれりゃいいんだから、じゃ五人まえばかり折り詰めにしてな、お代は食べたのといっしょに、そっちの男からもらってくんな」
 だから、伝六が変な顔をして、だめを押したのは当然でありました。
「ね、だんな、いやみなことをいうようですが、いったんもらった以上はこっちの金ですぜ」
 しかし、右門はいっこうに取り澄ましながら、でき上がってきた折り詰めを片手にすると、さっさと道を本郷台に向けて取りました。いうまでもなく、石川杉弥の屋敷を目ざしたので――。
 ところが、その門のくぐり戸に手をかけようとしたときでありました。
「ね、だんな、だんな! あばたのだんなが、あとをつけてきていますぜ。やっこさんも道場洗いにしくじったとみえて、何かかぎ出そうという魂胆らしいですぜ」
 そっとそでを引きながら伝六がささやいたものでしたから、右門もちょっとぎくりとなって、うしろの小やみをすかすと、なるほどことばどおり敬四郎でしたが、すでにもうかくのごとくに右門流の吟味方法を取り出した今となっては、たとえ百人の敬四郎がつけていようと、いっこう問題ではなかったので、かまわず案内を求めて、杉弥の居間に通るやいなや、真に霹靂へきれきの一声で、突然鋭く伝六に命じました。
容赦ようしゃをしねえで、こやつをくくしあげろ!」
 これには伝六も驚きましたが、それよりも杉弥の驚愕きょうがくはまた格別でありました。
「な、なにを不意に理不尽なことをなさりまするか! わたくしのどこがご不審でござりまするか!」
 必死に抗弁したのをぎゅっと草香流でねじあげて、面くらっている伝六をせかしながらくくらせると、しかりつけるようにいいました。
「なまっちろい顔をして、だいそれたことをするやつだ。不審のかどがあればこそ、なわ打つんだ。さ! じたばたせずと歩け! 歩け!」
 のみならず、自身そのなわじりを取って表へ出ていくと、その門のところにどろぼうねこのごとく目を光らしていた敬四郎へ、ことさら聞こえよがしに、突然第二の命令を伝六にいいつけました。
「そこの片町を本通りへ出ると、越前さまのお屋敷があるからな、ちょっとひとっ走り行って、こういってきな。お小姓の石川杉弥は、少しく不審のかどがあって、八丁堀の右門がめしとったから、その旨奥女中一統をはじめご家中の者残らずへ、こよいのうちにお忘れなくご披露ひろうしてくださいまし、といってきなよ」
 そして、伝六の帰りを待っていましたが、まもなく命を果たして駆けもどったのを見ると、だにのごとくにあとをつけているあばたの敬四郎をしりめにかけながら、さっさと伝馬町へ引き揚げていって、その場に石川杉弥を上がり屋敷へ投獄するように命じました。しかし、そのときこっそりと伝六へあの佃煮つくだにの折り詰めを手渡しながら、意味ありげにささやきました。
「ご大身のお小姓に、ただのもっそう飯でもかわいそうだからな。これでもおかずにしてお上がりなさいといって、ほうり込んでおきなよ。それから、蚊いぶしでも特別にたくさんあてがってやってな」
「なるほど、がてんがめえりましたよ。うなぎの佃煮以来、どうもいろいろと変なことするなと思っていましたっけが、あれもこれもみんな右門流ですね。そうとわかりゃ、牢名主ろうなぬしの野郎にもよっくいいきかせて、殿さま扱いにさせますからね。お先に帰って、ゆっくりとお休みなせいよ」
 わかったものか、伝六がまめまめしくいっさいを取りしきりましたので、右門はひたすらに、次の朝を待ちました。



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