2
もちろん、牛若丸はあれっきり屋台の上に水あわを吹いたままで、町内の者をはじめ各山車山車の
「おっ、ちょっとどいてくんな、おいらがだんなの右門様がお通りあそばすんじゃねえか、道をあけなってことよ」
つまらないところで自慢をしなくともよいのに、よっぽど鼻が高かったものか、つい聞こえよがしにしゃべってしまったものでしたから、どっと周囲から一時にささやきとどよめきがあがりました。
「おっ、
「大きにな、ただのてんかんにしちゃ、ちいっとご念がはいりすぎると思ったからな。それにしても、なんじゃねえか、うわさに聞いたよりかずっといい男じゃねえか」
「ほんとにそうね。あたし、もうお祭りなんかどうでもよくなったわ」
なかにはぼうっとなった女の子も出るといった騒ぎで、それにしては
「犬でもいいし、ねこでもいいから、ともかく生き物を一匹、きさま大急ぎでどこかへいってしょっぴいてこい!」
こういうふうな人にわからない命令がやぶからぼうに右門の口から出るようになると、もうしめたものであるということは、今までしばしばの経験で、ちゃんと心得ていたものでしたから、伝六の鼻のいっそう高くなったことはむろんのことで、屋台の上からしきりとあたりを見まわしていましたが、さいわいなことに、一つうしろの麹町十一丁目の
と――果然、右門のにらんだとおりの結果が、そこに現出いたしました。牛若丸にかくのごとき非業な最期をとげしむるにいたった猛毒は、問題の横笛のその息穴に塗ってあったとみえて、ひとなめ小ざるがそこをなめるやいなや、あわれにも小動物はきりきりとねずみ舞いしながら、さっき糸屋の若主人が陥ったと同じように、たちまち水あわを吹いてその場に
「事ここにいたっては、祭礼中といえども容赦はならぬ。吟味中
これには町内の者残らずが一様にあわを吹かされてしまいましたが、しかし右門の
そこで、型のごとくにむっつり右門の疾風迅雷的な行動が、ただちに開始される順序となったわけですが、しかるに、今度ばかりは大いに不思議でありました。その日のうちにも吟味にかけて、しかるべき見込み捜査を開始するだろうと思っていたのに、どうしたことか、三十七人の者は平牢に投げ込んだままで、いやに右門がおちつきだしたものでしたから、あてのはずれたのは例のごとくおしゃべり屋の伝六です。
「ちえッ、あきれちまうな。いかにもっそう飯だからって、三十七人ものおおぜいを食わしておいたんじゃ、入費がたまりませんぜ。あっしの考えじゃ、こんな
けれども、右門はいかほど伝六にあきれられようがいっこうにすましたものでした。さっぱりとお湯につかって汗を流してくると、風通しのいい縁側に碁盤をもち出しながら、古い定石の本を片手にパチリパチリとやりだしたもので――だから伝六がたちまち早がてんをいたしました。
「へへいね。こいつあ近ごろ珍しいや。だんながそうやって碁をお打ちなさるときゃ、見込みのたたんときと決まっていやすが、するてえと、なんでげすかね。ぞうさがなさそうに見えて、こいつがなかなかそうでねえんでげすかね」
しかし、右門は一言も答えずに、必死とパチリパチリ打ちつづけましたものでしたから、伝六がいよいよそうとひとりがてんしてしまったのは無理からぬことでしたが、しかし実はそれが右門の考え深いところで、あのとき松平伊豆守も言明したとおり、もしも何者かがためにするところがあって、かような
けれども、柳の下にそういつもいつも大どじょうはいないもので、おおかた七日にもなるというのに、いっこう疑わしい事件も風評も起きなかったものでしたから、断然として毒殺事件を単調なものに取り扱うべき決心をいたしまして、ここにようやく伝六の待たれたる右門一流の疾風迅雷的な探索行動が開始されました。いうまでもなく、最初から例のごときからめての戦法で、そもそも、いったい何の目的で、かかる毒殺が、かかる場合に、かくのごとく公然と敢行されるにいたったか、まずその判定と見込みをつけるべく、三十七人の町内の者について、当の本人である糸屋の若主人の素姓身がらを
しかるに、頭数だけでも三十七人あるんだから、少なくも十五色や二十色の陳述があってしかるべきでしたが、町内一統の者の期せずして申し立てたところのものは、わずかに次の数条にすぎなかったのです。
すなわち、第一は、もう三十近いのに、どうしたことかまだ独身であること。第二は、非常に繁盛する店であること。――これは当然そうあるべきで、女に縁の深い糸屋の若い主人がまだひとり者で、あのとおりの美男子としたら、たとえはすっぱな女でなくとも、顔を拝まれるのが功徳と思って、いらない糸まで買いに行くのは理の当然なんだから、繁盛するなといったって繁盛するのはあたりまえなことですが、だからいたって金回りのよいこと。金回りがよいから勢いまた金放れもきれいになるというもので、したがって町内一統の者からも、日ごろたいへんなほめ者であったという数条だけでした。
とすると、他人から毒殺されるほどにも恨みをうけるはずはないわけなんだから、自然ここで、右門の見込み捜査は一
「なあ、伝六。きさまにゃ女の子の知り合いはなかったっけかな」
「えっ なんですって? 不意に変なことおっしゃいまして、なかったっけかなといいますと、さもあっしが
「どうもしないさ。その若さで女の子に知り合いがないとなりゃ、口ほどにもないやつだと思ってな。これからおれは、きさまをけいべつするだけのことだよ」
「ちッ、めったなことをおっしゃいますなよ。大きにはばかりさまですね。さぞおくやしいでしょうが、女の子のひとりやふたり、ちゃんとれっきとしたやつが、あっしにだってありますよ」
「ほう、そいつあ豪儀だな。いったい、何歳ぐらいじゃ」
「うらやましくてもおこりませんね」
「おまえの女なんぞ、うらやんでもしようがないじゃないか」
「じゃ申しますがね、きいただけでもうれしいじゃござんせんか、番茶も出ばなというやつで、ことしかっきり十八ですよ」
「いっこうに初耳で、ついぞ思い当たらないが、その者はいま江戸に在住か」
「ちえッ、あきれちまうな、そりゃどうみたって小町娘というほどのべっぴんじゃござんせんからね。だんななんぞにはお目に止まりますまいし、鼻もひっかけてはくださいますまいがね。それにしたって、江戸に住んでいるかはちっとひどいじゃごわせんか。かわいそうに、ああ見えたって、あいつああっしの血を分けたたったひとりの妹ですよ」
「ああ、
「ちえッ、またこれだ。ああいえばこういい、こういえばああいって、じゃなんですかい、だんなはそいつが乃武江って名まえなことは知ってるが、あっしの妹だってことはご存じなかったんですかい」
「知っているよ、知っているよ、知っていればこそいま思い出したんだが、――なんとかいったな、もう長いことどこかお大名のお屋敷奉公に上がっているとかいったけな」
「へえい、さようで。
「そいつあもっけもないさいわいだ。どうだろうな、きょうくりあげて、乃武江にそのお宿下がりをもらうわけにいくまいかな」
「え? じゃなんですかい、だんなもところてんが好きなんですかい」
「食い意地の張っているやつだ。ところてんに用があるんじゃない、乃武江にちょっとないしょの用があるんだよ」
「え? ないしょのご用……? たまらねえことになったもんだね。そうれみろい。たまにゃ身内の恥もさらしてみるもんじゃねえか。あんな者でもついうわさをしたばっかりに、だんながないしょのご用とおいでなすったんじゃねえか。これがえにしになって、あのお多福がだんなの玉のこしに乗られるとなりゃ、おいらが一門の名誉というものだ。ようがす、じゃ、ひとっ走り今から呼びに行ってきますからね。ちょっくらお待ちなせえよ」
「バカだな。まてッ」
「えッ?」
「ないしょの用だからといって、すぐときさまのように気を回すやつがあるかッ。女でなくちゃ役者になれんから、ちょっと乃武江を借りるんだ」
「ははあ、なるほどね。じゃなんですね。こんどの
「あたりめえよ。ひとり者であったぐあい、女客の多かったぐあいから察するに、色恋からの毒殺とにらんでいるんだ」
「わかりやした、わかりやした。それだけ聞きゃ、あっしだって岡っ引きだ、あとはもうおっしゃらなくとも胸三寸ですよ。じゃ、なんですね、乃武江のやつをおとりにつかって、だれか出入りの女客をつかまえ、そいつの口から色ざたをきき出させようって寸法なんですね」
「しかり――だが、きさまのようにおしゃべり屋じゃあるまいな」
「ちえッ。うりのつるにもなすびがなるってことご存じじゃねえんですか。血を分けたきょうだいだからって、おしゃべり屋ばかりじゃござんせんよ。細工はりゅうりゅうだから、あごひげでも抜いて待ってらっしゃい」
わかればなかなかに伝六もうれしいやつで、骨身をおしまず