「これこそ」と、私はやっと老人に言った、――「これこそ、あのメールストロム(4)の大渦巻なんですね」
「ときには、そうも言いますが」と彼は言った。「私どもノルウェー人は、あの真ん中にあるモスケー島の名をとって、モスケー・ストロムと言っております」
この渦巻についての普通の記述は、いま眼の前に見たこの光景にたいして、少しも私に前もって覚悟させてくれなかった。ヨナス・ラムス(5)の記述はおそらくどれよりもいちばん詳しいものではあろうが、この光景の雄大さ、あるいは恐ろしさ――あるいは見る者の度胆を抜くこの奇観の心を奪うような感じ――のちょっとした概念をも伝えることができない。私はこの著者がどんな地点から、またどんな時刻に、この渦巻を見たのかは知らない。が、それはヘルゼッゲンの頂上からでもなく、また
彼はこう書いている。「ロフォーデンとモスケーとのあいだにおいては、水深三十五
水深については、どうして渦巻のすぐ近くでこういうことが確かめられたか私にはわからぬ。この「四十尋」というのは、モスケーかあるいはロフォーデンかどちらかの岸に近い、海峡の一部分にだけあてはまることにちがいない。モスケー・ストロムの中心の深さはもっと大したものにちがいなく、この事実のなによりの証拠は、ヘルゼッゲンの頂の岩上からこの渦巻の
この現象を説明しようとした記述は、そのなかのある部分は、読んでいるときには十分もっともらしく思われたようだったが――いまではひどく異なった不満足なものになった。一般に信じられている考えでは、この渦巻は、フェロー諸島(7)のあいだにある三つの、これより小さな渦巻と同様に、「その原因、満潮および干潮にさいして
「もう渦巻は十分ご覧になったでしょう」と老人は言った。「そこでこの岩をまわって風のあたらぬ陰へ行き、水の轟きの弱くなるところで、話をしましょう。それをお聞きになれば、私がモスケー・ストロムについていくらかは知っているはずだということがおわかりになるでしょう」
老人の言った所へ行くと、彼は話しはじめた。
「私と二人の兄弟とはもと、七十トン積みばかりのスクーナー帆式の漁船を一
私どもは船を、ここから海岸に沿うて五マイルほど
私どもが『漁場で』遭った難儀は、その二十分の一もお話しできません、――なにしろそこは、天気のよいときでもいやな場所なんです、――だが私どもは、どうにかこうにか、いつも大したこともなくモスケー・ストロムの
もう五、六日もたてば、私がいまからお話しようとしていることが起ってから、ちょうど三年になります。一八――年の七月十八日のことでした。その日をこの地方の者は決して忘れますまい、――というのは、