佐左木俊郎選集 |
英宝社 |
1984(昭和59)年4月14日 |
一
朝日は既に東の山を離れ、胡粉の色に木立を掃いた靄も、次第に淡く、小川の上を掠めたものなどは、もう疾くに消えかけていた。 菊枝は、廐に投げ込む雑草を、いつもの倍も背負って帰って来た。重かった。荷縄は、肩に焼け爛れるような痛さで喰い込んだ。腰はひりひりと痛かった。脛は鍼でも刺されるようであったし、こむらは筋金でもはいっているようだった。顔は真赤に充血して、額や鼻や頬や、襟首からは、汗がぽたぽたと滴り落ちた。 「ああ、重かったちゃ。俺あ!」 こう言って菊枝は、その雑草と一緒に、馬小屋の前に仰向きに身体を投げ出した。ほつれ下がった髪が、ぺったり顔にくっついていた。 「ああ、暑々。」 菊枝は身体を投げ出したまま、背負っている草の上に、ぐったりとなって、荷縄も解かずに、向こう鉢巻きにしていた手拭いを取って顔や襟首の汗を拭った。 婆さんが、裏の畑から、味噌汁の中に入れる茄子をもいで、馬小屋の前に出て来た。春からの僂麻質斯で、左には松葉杖をついていた。 「おう、おう、重かったべさ。二人めえもあっちゃ。」 蒼白い皺だらけの顔に、婆さんは、鷹揚な微笑を浮かべて、よろこびの表情を示した。 「俺あ、ほんとに腰骨折れっかと思った。眼さ、汗は入えっし……」 「うむ重かったさ。――それにしても、よくこんなに刈れだで。」 「なあに、あの……」と菊枝は、語尾を濁した。 実際、菊枝は、こんなに多くの草を刈って帰って来たことは無かった。いつも彼女の刈って来る量は、一回投げ込むだけのものであった。だから、午に投げ込むのと、夕方のとは、彼女の爺さんが、一日がかりで刈ることになっていた。併し、今朝は、彼女は不思議にも、いつもの二倍も刈って帰って来た。 「これなら婆さん、今朝は、半分やっていがんべ?」と彼女は、濁しかけた言葉を巧みに言い更えた。 「いいども、爺つあんはあ、なんぼか悦ぶべ。」 「ああ、暑かった。」 菊枝は、もう一度こう言って、まだ赤くなっているその顔を、手で拭きながら、婆さんと一緒に馬小屋の前をはなれた。 「冷てえ、井戸水で面洗って。もうお飯はあ出来でっし、おつけも、この茄子せえ入れればいいのだから、早く食ってはあ。――片岡さ行ぐのに遅ぐなんべ。」 婆さんはそう言い捨てて、茄子を洗いに井戸端へ行った。
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